4ー22 マッカーサー・1945年(マイナス80年)
凄惨を極めた太平洋戦争は、長崎への原爆投下をもって実質的に終決した。日清・日露戦争という危機を勝利で乗り切ってきた日本にとって、それは初めての壊滅的敗北だった。国民は焦土にたたずみ、敗戦後の祖国の行方を固唾を呑んで見守っていた。続々と到着するアメリカ兵たちの姿に怯え、敗者への制裁を恐れながら……。
*
その日のアメリカ大使館の客間には、人の気配を感じさせる物はほとんど残っていなかった。室内を華麗に飾っていた品々は、日米開戦時の大使、ジョセフ・グルーが残らず処分している。客間に置かれていたのは、会談に備えて運び込まれた質素な応接セットのみ。神に等しい権力を携えて日本の土を踏んだマッカーサーにも、まだ装飾に気を配る余裕はない。彼に許された贅沢は、暖炉に赤々と燃えている炎だけだ。ソファーには3人の男が座っていた。通訳の外務省参事官。そして、マッカーサーと天皇・裕仁――。
ダグラス・マッカーサーは厚木に降り立った時のサングラスは外していたが、手にはトレードマークとも言えるコーンパイプが握られている。いつでも火が入れられるように、煙草も詰めてあるようだった。そして彼は、手にしたパイプをもてあそびながら天皇に親しげに語りかけた。マッカーサーの独演ともいえる長い挨拶が終わると、参事官はからからになった喉を水で潤した。参事官がコップを置く間もなく、天皇が手短に用件を述べる。その言葉に肝をつぶした参事官は手を宙で止めたまま、ぼんやりと天皇を見つめた。それは、外務省が予想していなかった意外な提案だったのだ。しかも、これからの日本の進路を決定づける、重要な申し出だ。
参事官がそれを翻訳すると、マッカーサーも聞き返した。
「黄金ですと⁉ どれほどの量の⁉」
天皇には、合衆国の占領下に置かれることになった祖国を守りぬく重責が課せられていた。持てるものを全て投げ出す決意を固めている。たとえ自分は戦犯として処刑されようとも、国民が生活していける条件は整えなければならない。皇室に伝わる隠し財産を提供することは、その覚悟の表明だった。アイヌへの千島売却によって得た黄金は、皇室の秘密だ。代金を受け取ったにもかかわらず領土を提供していないという条約違反は公にできない。だがその事実は数代前から封印され、引き継がれているのは黄金だけだった。当然外務省にも、アイヌの黄金に関する知識を持っている者はいない。
天皇は静かに答えた。
「ご自身の目でお確かめください。日本の独立を陰で支えてきた資金です。しかもその存在は一般には全く知られておりません」
「そのような資金があるなら、なぜ戦費に投入しなかった?」
天皇の言葉を受けた通訳が、呆然と答える。
「黄金は大量ですが、無限ではありません。アメリカの国力を凌げる量でもありません。戦いにつぎ込めばお互いの傷を深めるだけ。国民を救うために使いたかったのです」
通訳を見つめるマッカーサーの頭には、たちまちその黄金の使い道が閃いた。時はすでに、米ソ対決の兆候を見せている。『日本をソ連の拡張主義を封じる要塞にすべし』と言い張る強硬派も多い。そのためには、日本に反共主義を強く根づかせなければならない。しかも、可及的すみやかに――。マッカーサーはすでに、日本国民をまとめるために皇室を維持する構想を固めていた。敗北の打撃で前途を見失った国民から求心力まで奪い去れば、最悪の場合、内戦が発生する。〝敗戦革命〟はソ連の狙いでもあるのだ。マッカーサーは連合軍太平洋方面司令官として前線からの情報を吸い上げ、日本軍の捨身の攻撃を熟知している。カミカゼ攻撃さえ辞さない国民や軍隊が、赤く染められたなら……。その想像に怯えたのだ。
皇室を存続させることは、日本の反共産主義を育てるためにも不可欠の要素だ。マッカーサーにとっての皇室は、合衆国が日本の未来を操作するための部品の一つにすぎない。今の日本には、何よりも安定が求められている。その先の舵を民主国家作りに向けるか、反共の砦とするかには、まだ結論が出せずにいた。しかしそこに膨大な資金が加われば、青写真は現実味を増す。対ソ戦略に本腰を入れるならば、高度な情報機関の設置や、政財界を中心とした反共体制の確立が必要だ。日本の皇室に古くから受け継がれてきた隠し財産は、その基盤造りにふさわしい。
黙り込んだマッカーサーに、参事官がおずおずと話しかけた。
「そして、ぜひ天皇を戦犯から除外してくださいますように……」
我に返ったマッカーサーが、厳しい目で参事官を睨みつける。
「たとえ私が天皇の黄金を受け取ったとしても、何も約束はできん。日本の占領政策は、私一人で決定できる性質のものではない」
マッカーサーはまだ、外務省に〝皇室維持〟の方針を見抜かれたくはなかった。すでに日本国内では多数のソ連のシンパが活動している。万一その情報が漏れれば、ソ連の態度を硬化させて、合衆国一国での日本占領が不可能になる恐れも含んでいる。
参事官がつぶやく。
「あなたは、全権を託されているのでは?」
参事官は外務省の幹部として、マッカーサーが委ねられている権限の大きさを正確に計ろうとしていたのだった。
「それでも、大統領は私を解任する権限を持っている。問題は私の希望よりも、戦勝国の出方だ。日本占領の分け前を取り逃した連中……特にソ連は、天皇を目の敵にしている。皇室を破壊して、日本を共産化しようと企んでいる。今でも彼らは、日本北部の占領を要求してきているぐらいだ。……いや、これは通訳せんでもいい」
2人のやり取りを見ていた天皇は、英語で静かに言った。
「私の処遇はあなたにお任せしましょう。ただ、この黄金が我が国の民を守ることのみを祈っています」
そして、天皇の悲願は実現した。
アイヌの黄金は占領軍の手を借りて日本の経済復興を促し、米国と一体となった政治・防衛体制の基盤を築き上げた。ミカド・マッカーサー資金――俗に『M資金』と呼ばれる地下資金として……。
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