第7話 ひょっとして・・・

 バルコニーで夜風にあたっているアリに歩み寄ったカイの髪を心地良い風が揺らす。

 アリの目線の先には無数の星が輝いており、時折鼓膜に届く波の音がカイの心を癒してくれる。

「ここは、本当にリゾート地みたいだな~」

 カイの声に振り返ったアリは、手に持っていたビール瓶を掲げた。

「オールブラックスの勝利に乾杯!」

 カイもコーク缶を持つ手を上げる。

「良い試合だったね」

「ああ」

 アリは近くにあったデッキチェアに腰を掛けるとカイもその向かい側に座った。

「足はどうだ? まだ痛むだろう」

「あんなデッカイ犬に噛じられたわりには大したことないんだよね。ほら」

 ショートパンツから出る足をアリに見せると、余裕のある笑みを浮かべる。

「大怪我をしなくて良かった」

 大事至らなかったカイにホッとした表情を送るアリだが、何故か辺りの空気が重くカイは喉の渇きを覚えると、手に持っていたコークを口に入れる。

「アリ、話って何?」

 いつになく真剣な表情のアリにカイは若干緊張した面持ちで尋ねた。

「マオリ神話のマウイ神は知っているか?」

 アリからの意外な質問にカイは一瞬答えに詰まる。

「う・・ん、幼い頃に父さんが本を読んでくれたから・・ お伽噺だよね?」

 アリは手に持っていたビールを一気に飲み干すと、空っぽになった瓶をデッキテーブルに置く。

「お伽話かぁ・・・ そうだといいんだがな」

 意味深いアリの一言にカイの手に握られていたコーク缶が少し凹む。

「義海が行方不明になる前にこれが届いたんだ」

 書類で膨れ上がったA4サイズの茶封筒をアリがテーブルに置いた。

「マウイ神は888年毎に器を借りて現世に転生する」

「器? え? 何? 物語だよね?」

 アリは固い表情のままでカイと目線を合わせるが、彼の質問に答えぬまま視線を落とす。

「マウイ族は歴史を文字に残さなかったからな、詳しい事は分からないが、太古の時代は神に転生していたようで、この地球上に人間が誕生してからは恐らく人間を依り代としていただろうな」

 言葉を選びながら語るアリは、神妙な顔付きでテーブルに置いた茶封筒を人差し指でトントンと叩く。

「依代? 転生? まるで漫画の世界だね・・・ ハ、ハハ」

「カイ、残念だがお伽噺でも漫画の世界でもない」

「え、じゃあ、マウイ神が人間の姿で生まれ変わるってこと?」

 アリの表情が更に険しくなったためカイの背筋に冷たいものが下りる。

「いや、生まれ変わるのではなく依代を借りて転生すると言った方が正しい」

「じゃあ、その依代になった人はどうなるの?」

 言葉を濁しながらでは上手く伝えられないと悟ったアリだが、ふと視線をカイに移すと何故か彼が急に幼く見え胸が痛くなった。

「依代に選ばれた人間は、マウイ神を蘇らせるために生贄となる・・・」

「生贄って、ますます漫画の世界だよ・・ アリ、それって今でもなお続いているって事? 想像出来ないなぁ・・」

 カイは缶に残っていたコークを飲み干し、テーブルに置くと、腕組をして首を傾げた。

「実はな、器に選ばれる者には特徴がある。瞳が緑色・・・」

「へぇ~」

 徐々に重苦しくなっていく空気を換気するため、カイは他人事のように相槌を打つ。

「それとな・・・ 身体に大きな痣がある」

「え?」

 カイは自分の心臓が大きく波打った事に気付くと組んでいた腕を緩め、唾をゴクリと飲み込んだ。


 幼少児のカイは常に虐めの対象となっていた。その理由が茶色と深緑の瞳を持つオッドアイであり、加えて肩から腕と背にかけて大きな痣があったためだ。

 日本に移り住んだ後の数年間、カイは常に一人で学校にも友が出来ず、辛い日々を過ごしていた。そんな折、レイノルドがカイの学校に転校して来たのだ。

 レイノルドは、オッドアイで大きな痣を持つカイであっても他と変わらず接し、ニュージーランド出身だという共通点を持つ二人は家族ぐるみで瞬く間に仲良くなった。

 カイにとってレイノルドは苦い幼少期から救ってくれた恩人であり心の友なのである。


「緑色の目は片方だけだし・・・ いや、まさか・・・」

 カイは不吉な考えが脳を駆け巡ると、背に冷たい風が吹いたようにゾッとした。

 眉間にシワをよせ動揺を隠せずにいるカイに、アリは相応しい言葉を必死で探す。

「アリ・・・?」

 無言でいるアリの態度がカイの疑問の答えだと覚ると、カイは大きく深呼吸をした。

「アリ、はっきり言ってくれていいよ。母さんがマオリ人で、父さんが死んで、ランギも行方知らずで・・・ なんか普通じゃないよね。もしかして俺、そのマウイ神の器だったりするのかな?」

 喉を震わせながら言葉を発っしたカイは両手を頭上にのせ笑ってみせるが、表情が動揺で強張っている。

 アリは、両手を膝上に乗せ背筋を正すと、コクリを頭を上下させた。

「カイ、恐らくお前はマウイ神がこの世に蘇るための器だ。そして義海はお前が生まれてからずっと、その謎を探っていた」

「俺が生まれてから・・ずっと。そんな・・」

 カイは頭上から手を下し両手で顔を覆うと、暗い空気が彼を取り囲んだ。

 義海はカイがマウイ神の器だと知っていながらも一言もそれをカイに伝えなかった。

 それはカイを守るための義海の愛情だったと強く信じたかったが、裏切られた気持ちの方が勝り胸が張り裂けそうになると項垂れ目を強く閉じた。

 動揺するカイにかける言葉が見つからないアリとの間には暫く無の空気が流れる。だが沈黙を破るようにカイは顔を上げ大きく息を吐くと、不自然な笑みを浮かべた。


「いや~ マジで参ったな~」

 カイは呆けた顔をすると頭をゴシゴシとかく。

 胸を刺すような痛みに耐えながら心を鬼にしてアリは続ける。

「義海の調査によると、マウイ神は888年毎の日食の日に蘇るとされている。だが転生させるためには、ニュージーランド全土の何処かに隠されているポウナウ石(ヒスイ石)を探し出さねばならぬ。義海の調査には何処に隠されているのか、ハッキリと記されていなかったが、恐らくマウイ神に所縁のある場所だと想像がつく・・・ おや?」

 想定外に知らされた自分の正体とその情報量にカイは目を回して頭を抱えた。

「ちょっとちょっと待って。俺、頭悪いから。そんな一気に言われてもさ・・」

「そりゃ悪かった」

「とりあえず、ポウナウを探したらいいんだよね」

 カイは首にかかっている紐を引っ張り上げて父から貰ったポウナウ石を眺めると、愛おしそうに指で触れた。

「そのようだ、幾つ必要か分からぬが、一つでも見付けられればきっと何とかなるだろう」

「あ、そう言うの漫画とかであるよ。最初に見付けた石が次の場所を指し示してくれるとかって」

「そうじゃな」

「まぁ、でも何処にあるのか分からないんじゃ、ニュージーランドを旅行しなきゃだね。ちょうどいいや、結月達と行くか」

 事の重大さを把握できていないのか、それとも道化ているのか軽々と話すカイにアリは難しい顔を向ける。

「義海はな、生贄になる事を避ける方法がないか、ずっと探していた。だがな、残念ながら見付けられんかった。しかも、マウイ神を蘇られなければ、災い・・否、大天災が起こると知ったようだ・・ でもな、義海はな・・ いや儂もそんな事をカイ、お前にさせられないっ! だから、まだ諦めるな! お前が死ななくていい方法が必ずあるはずだっ!」


 姿勢よく冷静を装って話を続けていたアリだが、言葉に力がこもるとデッキテーブルを叩き身を乗り出した。

「アリ・・ うん・・ 有難う・・ でも俺・・」

【死んでも構わない・・ 器が兄ちゃんじゃなくて良かったよ・・ 俺なんて兄ちゃんに比べたら全然ダメ人間だし、何かに役立てるならそれでいい】

 そう言い掛けて飲み込んだ。


 大好きだった父が死に、兄も姿を消した今、カイの心には大きな穴が開いていた。

 優しい祖父に愉快な従姉弟達、そして友人。カイにとっては力強い味方だが、義海とランギを失った傷が癒えるとは考えられなかったのだ。そして、生贄として死ななければいけない運命なら兄ではなく、自分で良かったと嬉しくさえ思えたのだ。

【父さんの所に行きたい・・】

 心で叫んだカイは拳を胸に当てた。

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