第37話 夢の最後まで⑧

 夢の中で夢を見た。暗い海の中に沈んでいて、全方位真っ暗な闇の中に僕はいた。


 苦しくはない。でも、動けはしない。ゆっくりと沈んでいく感覚だけがある。


 どうせ動けないからと身を任せていたら、聞き馴染みのある鼻歌が聞こえた。


 あぁ……小さい頃に綾乃がよく口ずさんでいたものだ。


 そこで、何かが僕の背中を押した。


 猛スピードで浮き上がり、そこで僕の意識はまた消えた。


「……」


 なにか、頭に柔らかいものがある。


 目を開けた僕の視界に映る幼馴染を見ながら浮かんできた感想はそれだった。


 視線の先には綾乃の顔ときれいな空模様。僕は寝ていたのか。


 でもおかしいな。夢の中の夢から覚めて、まだ夢の中にいる。


「その鼻歌、久しぶりに聞いたよ」

「久しぶりに口ずさんでみたくなったのさ」


 綾乃が僕の頭を撫でながら笑いかける。


 横を見れば、ここは草原だった。


 穏やかな風が僕の頬を撫でる。


「僕は……どうしてここに?」


 最後にある記憶は、ヒカゲの世界の崩壊と共にしている場面だった。


 すべてが黒に染まる中、僕の記憶もそこでシャットアウトしている。


 その後も何かあったような気がするけど、よく覚えてない。


「それは秘密。秘密を抱えた方が、乙女は魅力になるんだぜ?」

「秘密を増やさなくたって、今でも充分魅力的だよ」

「う……タカ君は口説き上手だね」

「ある友達にはスケコマシと呼ばれてる」

「女たらしか……うーん、確かに」


 綾乃はジト―っと目を細めた。


 僕が女たらし。そんな自覚は一切ないのにな。あれ、でもよく考えたら友達は男より女の方が多いな僕。まぁ、全4人中だから分母が少なすぎるのはあるけど。


「ま、とにかくお疲れ様。大活躍だったね」

「まるで見てきたかのように言うんだな」

「タカ君を連れ帰る時に、世界の終わりは見てきたからね」

「綾乃がヒカゲの世界に?」

「なんで驚くのさ。タカ君を連れ帰るには私もヒカゲちゃんの世界に行かないと無理でしょ」


 言われてみれば確かに。


「でも、どうやって?」

「想いの力があれば、世界だって跳躍できる。ここはそういう世界でしょ?」


 無茶苦茶な理由なのに、それがこの世界と言われれば不思議と納得できてしまう。


 ワンダーランド。なんでもできる夢の世界。想いの力があれば、想像さえできれば、本当になんでもできてしまうんだな。


「……なにか感じることはあったか?」

「なにかとは?」

「ワンダーランドが終わる瞬間を見て」

「こんな感じで世界が崩壊するんだぁ……ってのは見てて面白かったね」

「他には?」

「特にないよ。じゃあ私も帰ろうかな、とはならないし」


 少しだけ、ダメ元でも期待してた僕がいた。


「そうか……残念だなぁ」


 そよ風が頬を撫でる。


 その風が、僕の心の蓋を簡単に吹っ飛ばしてしまう。


「僕はさ……綾乃がいてくれればそれだけでよかったんだよ」


 だから、彼女に弱音を吐いてしまう。


「学校なんて行きたくなければ行かなくていい。いじめから逃げることは悪いことじゃない。ただそこにいてくれれば、それだけで僕はよかったんだ」

「タカ君……」

「この世界で過ごして、少しでも綾乃の心が楽になるならそれでいいと思った。いつかはきっと前を向いてくれるだろうって」


 でも、そうはならなかった。


 綾乃は現実を捨ててこの世界を選んだ。


 逃げ続けることを自ら選んでしまった。


「あの時ちゃんと言うべきだったんだ。逃げ続けちゃダメだって」


 この世界には立ち止まった今しかない。未来はない。


 アップデートされない情報だけで作られる世界。


 なんでもできたとしても、ここは時代の流れに置いて行かれている。


「今が辛くても、それでも幸せな未来は必ずあると思うから」


 学校生活なんて、人生と言う目で見れば微々たるものだ。


 学校を卒業してからの方が生きる時間は長い。


「そのことを、いつか綾乃にもわかってほしい」


 逃げたいような今があっても、それでもきっと幸せな未来はある。


 この世界はその未来すら奪っていく。だから、僕はこの世界が嫌いなんだ。


「気が向いたら……また考えるね」


 綾乃は青い空を見上げながら、気のない声でそう言った。


 本心ではそう思ってないのかもしれない。でも、それでいい。


「その時が来るまで、僕はずっとここに通い続けるよ」


 絶対に帰らない、じゃないだけ全然いいんだから。


「タカ君が来たくなくなっても、私が勝手に呼んじゃうからそこは大丈夫」


 そこで、抗い様のない眠気が僕を襲う。


「ごめん……時間だ」

「そっか。戻るんだね?」

「ああ。最近、放っておけない奴が一人増えたからさ。そいつに現実の素晴らしさを教えてやらなきゃいけないんだ」


 夢より僕を選んでくれたから。ちゃんと僕がエスコートしないとな。


「……浮気は禁止」


 ペチ、と綾乃が僕の額を叩いた。


「もう貯金は使い果たしたの。これからはまた毎日タカ君エネルギーを貯金するんだから」


 そう言って、綾乃は不服そうに頬を膨らませた。


「いいのか? そんな悠長なこと言って」

「……え?」

「油断してると、僕は本当に浮気するかもしれないぞ?」

「え!?」

「夢でしか会えない人より、僕は現実で愛を育みたいんだ」

「私への一途な想いはどこにいったの?」

「ちゃんと夢に置いてあるよ」

「そ、その言い方はずるいぞタカ君!」

「はは……嫌なら現実に帰って来なよ」


 わたわた焦る綾乃を見て、僕の表情がほころぶ。


 なるほど、今後はこの線で押して行けば心を揺さぶれるのか。


「じゃあ、僕は帰るよ」

「うん。お疲れ様。タカ君」


 そうして、僕は目を閉じた。

 

 ☆☆☆


 目を開けると、そこは知らない天井だった。


「うん……」


 頭がボーっとしているし、なんか頭痛もする。


 身体を起こして、働かない頭で状況を確認する。


 まず、僕はヒカゲの横で寝ていたはずなのに、なぜかベッドで寝ていた。


「ここは……」


 僕のベッドにもたれかかるようにして寝ている女子が一人。


「すぅ……すぅ……」


 可愛らしい寝息を立てた彼女は、夢の世界で戦った僕の友達だった。


「よかった……ちゃんと先に帰ってたか」


 ほっと肩を撫でおろす。


 先に帰ったとは言え、この目で見るまでは確信を得られないから。


 とりあえず自分の頬を引っ張ってみた。うん。ちゃんと痛い。現実だ。


「ただいま」


 そっと、ヒカゲの髪を撫でると、


「う……ん……」


 彼女がゆっくりと瞼を開けた。


「しまった……寝てしまいました……え?」

「おはよう。いい夢見れたか?」


 僕と目が合うなり固まるヒカゲに、とりあえず挨拶をしておいた。


「え……司さん?」


 なおもヒカゲは固まったままだ。


「僕がそれ以外の誰かに見える?」

「なにが……なにがおはようですか……」


 ヒカゲは俯き、肩をわなわなと震わせる。


「3日も起きないで……なんで涼しい顔をして挨拶してくるんですか!」


 顔を上げたヒカゲの目には大粒の涙が溜まっていた。


「待ってくれ……3日?」

「そうですよ! 私が起きてから3日です! そんなに経ってるんです!」

「マジか……」

「それに……なんですか! 睡眠薬の過剰摂取って! 聞いてないですよ!」

「あぁ……」


 ヒカゲに追い返されないようにする対策。それは睡眠薬の過剰摂取だった。


 用量と用法を守ったらうっかり追い返されちゃうかもしれなかったからな。追い返されず、まあ死なない程度の適量を飲めば行けると思ったけど。3日か……やり過ぎたかもしれないな。


「お医者様が……最悪目が覚めないかもとか言って……」


 段々と、ヒカゲの声が震えていく。


「馬鹿なんですか……死にたいんですか……」

「友達を助けるためなら、僕は命をかけられるんだよ」

「私……すごく不安で……」

「でも、帰ってきただろ?」


 そう言うと、ヒカゲが僕に力強く抱きついてきた。


「司さんは馬鹿です……大馬鹿です……」

「……ごめん。心配かけたな」

「いいです……帰って来てくれたから……全部許します」


 僕の胸で声を殺して泣いているヒカゲの頭を撫でる。拒絶はされなかった。


「でも……これでヒカゲは残される側の気持ちも理解したわけだ」

「え……?」


 ヒカゲが顔だけ上げる。


「ヒカゲが感じた悲しさとか寂しさとかは全部、僕はもう痛いほど味わってるんだ」

「それは……」

「これが残される側の気持ちだ。結構きついだろ?」

「……はい。こんな気持ち……もうたくさんです……」


 僕の胸に顔を埋めながら、ヒカゲは小さく漏らした。


「まぁでも、とりあえずただいま、ヒカゲ」


 さっきは独り言だった言葉を、今度は彼女へしっかりと伝えた。


「おかえりなさい。司さん」


 こうして、ヒカゲのワンダーランドを巡る僕たちの冒険は幕を閉じた。


 当然、僕はこのあと両親に涙ながらに説教される。


 僕もまた、親を幸せ以外で泣かせる親不孝者だったようだ。


 それでも今回は許してほしい。


 命をかけてでも救いたい人がいた。それだけの話だから。


 でもまぁ、言っても理解されないから僕は甘んじて説教を受け入れた。


 事の顛末は、大体そんな感じ。

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