第2話 寒さ身に沁み

 エルフの鏡は便利ですが、さすがに毎日は見ませんよね。

 便利な通信機器ですが、見逃すことも多い道具です。


 私も御多分に漏れず、シド様の通信をひと月半ほど見逃していました。

 そもそも、シド様がエルフの鏡を持っていたことにも驚きました。


 エルフにとって人間界のひと月半なぞは一瞬ですが、シド様にとっては、覚えていられない程長いはず。私を呼び出したことを忘れてしまっていないか、不安です。


 エルフの鏡を使えば、互いの場所に行き来できるというのに、何も起こらない数日を、きっと心細く過ごされたことでしょう。


 留守中なのは分かっていましたが、私は一刻も早くシド様にお会いしたく、鏡を抜けました。


 ガルフロレも、あ、この名はアルディラ王国から友好の証に頂戴した使い魔の黒犬の名です。以前はシド様に懐いていた犬だそうです。


 人間界の動物は成長があっという間で、もう十分な成犬です。ガルフロレも連れていきましたが、ガルフロレはすんなり通りましたが、私は胸とお尻が使えて、なかなか鏡の通路から出られませんでした。


 原因は、エルフの鏡と言っても、どうも私たち北方エルフのものではなく、どこかの野良エルフが見様見真似で作ったのでしょう。間口が小さいのが原因でした。


 半刻ほど悪戦苦闘して、ようやく抜け出ましたが、やはりアルディラの王宮魔術師になってから、運動不足になったようです。


 少し、体がなまったというか、少し、体がふくよかになったように感じます。もしかしたら成長期かもしれません。


 シド様のお宅は、随分と寒くなっておりました。


 どうも、かなり北方に引っ越した様子です。

 シド様は故あって、王国の全ての職を辞し、一人で山荘に籠っていると聞きました。私がアルディラに招聘され宮廷魔術師になる頃には、既に旅立たれており、すれ違いです。

 シド様がいらっしゃると聞いて、宮廷魔術師の要請を引き受けたのですが、あてが外れました。私は王宮で特に友もなく、実は話し相手はガルフロレだけの日々です。


 もちろん、ただ寂しいだけで、北エルフとアルディラの間の国交を断絶して欲しいわけではありません。

 ただの愚痴とお受け取りください。


 ただ、内務尚書様も、軍務尚書様も、お忙しい上に、私のことをお飾り程度にしか考えていないのは明らかです。

 どうも私のことを小娘と思っているようですが、外観こそ幼く見えるかもしれませんが今年百二十三歳です。両国の同盟のために我慢していますが……。


 勝手ながらシド様の部屋の暖炉や燭台に火を灯し、待たせていただきました。

 外からは冬の匂いがしています。

 暖炉が部屋を暖めるまで、しばし忘れていた冬の感触を確かめました。


 知らぬ間にうとうとしてしまったのは、最近、政務が忙しく、疲れが溜まっているせいでもあります。ダイニングテーブルと思しき机に突っ伏した状態で眠ってしまいました。

 それがいけなかったのかもしれません。特に最近は腰や肩が痛く、体がなまっているだけでなく、常に張っている感じもしていました。

 どれくらいその姿勢で眠っていたのか。ガルフロレの小さな吠え音にようやく、目を覚ましました。


 扉に向かって警戒するガルフロレですが、扉が開いた瞬間に尻尾を振って、大喜びです。


 雪だらけの巨大なジャックフロストになったシド様が、もうひとり、従者の方とご一緒に、部屋に飛び込むように入ってきました。


「おお? なんだ、なんだ? あ、……えー! ガルフロレ!? 大きくなって! ……じゃあ、リーンもいる?」


 ガルフロレはシド様にしがみついて、何度も何度もジャンプして、頬を舐めようとします。


「これ、ガルフロレ。いけません。シド様、ご無沙汰しておりま……すっ」

「そんなに畏まらなくていいよ。リーン。来てくれてありがとう。いや、そんな、大層な礼をされても。土下座じゃないか。顔をあげて話を聞いてくれ。いやぁ、外はすごい雪で。最後の食糧調達に……って大丈夫?」


 不覚です。

 立ち上がって、シド様に人間の流儀に従って頭を下げた瞬間、腰に激痛が走りました。


 そのまま跪いて、そして床に伏せ、最後には倒れました。


 シド様から見たら、頭を下げた私が跪礼を始めて、それが匍匐礼に代わり、最後には倒れるわけですから、そこまでの深い敬礼を受けるいわれはないと不審に思われたことでしょう。


「すみません。このタイミングで……私、腰に……力が……」

「わあああ。腰をやっちゃったか。それは大変だ」


 シド様は従者の方と協力して、私を担ぎ上げ、クッションのある部屋に私を寝かせてくれました。


 従者の方は、見かけによらずお力がある方で、たくましいですが、随分と年少の方でした。


 白魔導士なのに、お恥ずかしい限りで横になったまま自己紹介しました。

 従者の方はレイ様とお名乗りになりました。


「せっかくお呼びいただいたのに、すみません」

「いやこっちこそ無理させてしまって申し訳ない」


 優しいシド様は、眉を八の字に下げて謝ってくださるため、かえって私をより申し訳ない気持ちにさせます。


「実は、数日前から腰の調子が悪く、痛み止めの魔法をかけ続けていたのですが」

「ああ、それで痛み自体が少ないんだね」


 痛みを止める魔法くらいしか利かなくなっており、あとは回復魔法で騙し騙しやっていましたが、最近は、めっきり効きが悪くなっています。毒でも麻痺でもなく、筋肉がまるで切れてしまったかのように動けないのです。


「私、最近、机の仕事が多くて」

「その体だと、かなり前傾姿勢になっていそうだしね」


 シド様に隠しごとは難しそうです。

 お母さまに似た体形になってしまった私は、お母様が普段注意してくださった通り、ずっと前傾姿勢……いえ、この邪魔な胸を机の上に乗せて楽をしていたばかりに、このようなひ弱な体になってしまったのかもしれません。


「回復魔法をかければすぐに動けますので、少々お待ちください」

「うんうん。で、こんな状況でなんだけどさ、リーン。ちょっと協力してもらいたいことが……いや、やっぱり腰を治してからにするよ」


 シド様のお役に立てるのであれば、なんなりと……と思いましたが、なんという無様でしょうか。北方エルフの王族の娘として、これほど恥ずかしいことはありません。


 私、そのまま、シド様のお宅に、御厄介になる羽目となりました。

 不幸中の幸いと言うか、私の腰の痛みが引かないのと、外では吹雪が数日続いたため、お話を聞く時間と、考える時間だけはたっぷりありました。


 シド様のご境遇について、お聞かせいただき、その命を狙われていると知らされました。

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