計画とティーブレイク

「遅かったけど、何かあった?」

 ディアミドが意地だけで全ての階段を駆け上がってきて、最初にかけられた声はこれだった。

「わたしは、魔法が、使えま、せんので……」

 さすがに息が上がる。

「……そっか」

 魔法がなければ、地道に階段を上らなければならないということに今更気づいたようにダーナがつぶやくのを聞いて、ディアミドは脱力した。このまま心臓発作でぶっ倒れたら、また「呪いのせいじゃないか」などと思うのだろうか。ダーナの世間知らず、というか、普通の人間知らずっぷりを知ったディアミドはそんなことを考えた。

 応接机の上には、この国の地図や、文字の細かく書き込まれた資料が広げられている。それをダーナとオーエン嬢が向い合せで見ていた。

「さぁて、オブライエン殿にも詳しいお話をしましょうねぇ。んー。ちょっと、これじゃぁ話にくいわよねぇ。下の部屋にちょうどいい高さのテーブルと椅子があったでしょう?持ってきてくれるかしらぁ?」

 後半は、そこにいたフォリアに向かって、オーエン嬢が言った。

「それなら手伝うよ」

 女性一人に、重い机や椅子を持って足元の危うい階段を上らせるなんてことはさせられない。ディアミドが立ったのと、ドアの向こうから、もう一人のフォリアと、机一つ、椅子三脚が、自力で歩いてきたのは同じタイミングだった。

「ありがとう。でも、大丈夫」

 もともと部屋の中にいた方のフォリアが返事をした。その間にも、今やってきた方のフォリアの指示に従って、机と椅子がゴトゴト部屋の中央にやってきた。それと同時に、応接机と椅子もゴトゴト部屋の隅に移動する。机は、上に載っているものが落ちたりしないように、器用に動く。木製の家具たちは、足をぐねぐね動かして移動している。あっけにとられていたディアミドの前で、位置を決めた家具たちが、静かになった。それと同時に入ってきた方のフォリアもふっと消える。

「今のは……何?」

「みんな、フォリアと、おなじ」

「彼女はナラの木の精霊が元になっているのよねぇ。そして、ここにある家具もすべてナラの木からできてるのよぉ。この子みたいな草木の精霊には、個や全体といった概念がないんですってぇ。オブライエン殿には難しいかもしれないけどぉ、彼女は個であると同時にぃ、彼女の元となったナラの木と同一の存在ってわけなのぉ。フォリアちゃんと家具とは別の木なんだけどねぇ。この子たちには別のものっていう認識はないみたいよぉ。あの机も椅子も、この子の手足の一部みたいなものなんですってぇ。」

 オーエン嬢の解説にフォリアは「うん」と頷いた。ディアミドは頭を抱えた。早速、「もう驚かない」と決めたことを裏切りそうである。

「……ちなみに、他にどんなことができるのか聞いておいていいかい?」

「フォリアたちが、できることは、できるよ」

 フォリアは首をかしげている。

「ああ、そうか。えっと、普通の人間にできないことで、できることを教えてほしいんだけど」

「フォリア、普通の人間と、同じことしか、してない」

 会話ができても意思疎通ができるかどうかとは別だということを、ディアミドは身をもって知った。オーエン嬢は、悩むディアミドを楽しそうに笑って見ているだけである。ダーナが仕方ないといったように、助け舟を出した。

「その子は、基本的に城のメイドの真似をしているの。城内に生えている木に宿る精霊に教えてもらっているみたいね」

 フォリアがうんうんと頷いている。

「そう、フォリアは、ダーナ様の、メイド」

 大変うれしそうである。しかし、城のメイドは家具の足を自由に動かして操るなんてことはしない。

「メイドがしないようなことを頼まれたり、難しいことを言われたりすると、ちょっとアドリブを入れちゃうみたいよ」

「フォリアは、ダーナ様の、役に立つのが、大事。メイドは、その、次」

 少し誇らしそうに言った。つまり、メイドの姿をしたり、仕事を真似たりするのはあくまでフォリアの趣味ということらしい。もしくはナラの木の趣味ということなのだろうか。

「それで、その子ができることだけれど、人の形でできるようなこと全般と、木の精霊が使える魔法くらいね」

 たとえば、とダーナが小さな紙片を取り出した。彼女がメモに使っている紙を切り取ったらしい。それをフォリアに渡して、ディアミドに聞こえない声で何かを指示した。フォリアは紙を受け取ると、それを床に置く、そして、手をかざした。すると、紙からするすると植物の芽が生えた。ディアミドが驚く間にも、芽は成長し、ディアミドと同じくらいの高さの、見たこともない大きな植物になった。成長が止まると、先端に小さな蕾がいくつも生まれ、そのままふわりと鮮やかな色合いの花がいくつも咲き、そしてそのまま散っていた。間もなく、植物の全体がしおれていき、花の散った後に果実が実った。その果実すらもじくじくと腐ってポトリと落ちる。しおれた草も、茶色く枯れて風に吹かれて粉々に飛ばされていく。

 一つの植物の一生を早回しに眺めているようだった。その美しさと圧倒的な生に言葉を失う。

「どう?綺麗でしょう?その子の魔法の中で、一番好きなの」

 フォリアは、落ちた種を大事そうに拾い、それをダーナに渡した。ありがとうとダーナが種を受け取るのを、まだ愛おしそうにみている。

「発生、成長、そして、停止。それが、木の精霊が司る力よ。このあたりは、人間の土の力を操る魔法使いもやるでしょう?それと結果は大体同じよ。さっきその子がやった家具を動かした魔法も、これらの応用ね」

 魔法には属性というものがあった。生まれ持った魔力の質によって、どの魔法が使えるかは決まってしまい、その種類には、火、水、風、そして土がある。属性というものは、便宜的にそのような名前に分けているだけで、文字通り火や水を操るだけの力ではない。ダーナの言った通り、土の力を使う魔法使いは、何もないところから植物をはじめとした色々な生き物を発生させたり、時間を進めたり、停止させたりといったことができる。なぜ「土」の属性の魔法使いがそのような魔法までできるのか、他にもできることがあるのかはわかっておらず、城の研究室で魔法使いたちの研究対象となっている。ただ、少なくとも、家具を動かすなんて魔法は聞いたことがない。城にフォリアを連れていったら確実に実験動物にされるだろう。妖精という時点で、さまざまな解析や調査をされるに違いない。そんなディアミドの思考を見通したのか、ダーナは、

「心配しなくても、その子には、人間に見つからないように言ってあるわ」

「フォリア、人に、会わない。ダーナ様も、オーエン様も、悪いことする、だから、人に、会えない。みんな、ここで、一緒」

「余計なこと言わなくていいから」

「ごめんなさい、でも、フォリア、話すの、楽しい、いっぱい、話す。ダーナ様も、声で、話す」

「そっか、植物は音でやり取りしないものね」

 余計なことをしちゃったかしら、でも、本人は喜んでいるのよね。とダーナがぶつぶつつぶやいている。フォリアはダーナを好いているし、ダーナはなんだかんだ言いながらフォリアを大事にしているように見えた。二人のやり取りがほほえましくて、ディアミドはつい、二人の頭をなでてしまっていた。

「ちょっと!」

 反発したのは、ダーナだった。フォリアはよくわからないままに撫でられている。

「すみません。お二人がかわいらしくてつい……」

 まずいと思い、ぱっと手を放したが、笑顔を消しきれなかった。それをダーナにとがめられる。

「何その顔。なんで笑ってるのよ。こう見えても、子どもじゃないんだからね」

「はい。そうですよね」

「だから、笑わないでってば!」

 ダーナが感情を表して、自分やフォリアとやり取りをしているのが、ディアミドにはうれしかった。いつもこのようにしていられればいいのにと思う。彼女の立場上難しいのだとしても、少しでも、彼女らしさを隠さずにいる時間が長くなればよいのにと思った。

「はいはい、雑談はおわりにして、今後の計画を立てますよぉ」

 少し遠くから、彼らを静観していたオーエン嬢が口を開いた。応接机に広げていた資料を、先ほどドアから入ってきたテーブルの上に並べなおす。そして、そのテーブルを囲む三脚の椅子に、ダーナ、オーエン嬢、ディアミドが座った。フォリアは、三人分のお茶を入れると、洗濯が途中だったと、またどこかに消えていた。


「さて、ご公務の内容なのですが、平たく言うと『バケモノ』退治です」

 オーエンが口火を切った。

「『バケモノ』……ですか」

「そうです。先ほど呪いについてはお話しましたね。守護者たるダーナ様が受け継いでいる、多くの呪いです」

「はい」

 ディアミドはちらりとダーナを見たが、彼女は涼しい顔をしている。現在進行形で、多くの呪いを受けて、それを結界魔法で押さえているとは思えない。オーエンは、話を続ける。

「その呪いですが、一つの強い呪いに他の呪いや精霊たちが影響されて、一つの大きなバケモノのようになってしまうことがあります。私たちはこのバケモノを『呪塊(ジュカイ)』、その核となる強い呪いを『呪生(ジュセイ)』と呼んでおります」

 オーエンが、机の上の資料を示す。そこには、これまでに確認された呪塊が図示されていた。黒い毛並みの背から人間の白い腕がたくさん生えた目の多い犬や、肩に大きな瘤のように、もう一つの頭の生えた刀を持つ人間など、見たことも聞いたこともないおどろおどろしい怪物の姿がいくつも描かれている。

「呪塊は、時を経るごとに強くなっていき、守護者への負担も増えてきています。今は、このダーナ様が守護者の任についていますから、現状を保つことができていますが、もし、今の状況で次の代の守護者に引き継がれたら、数か月ともたずに、結界をやぶられてしまうでしょう」

「もし、結界をやぶられたら、どうなるのですか?」

 ディアミドがこわごわ尋ねるが、オーエンは手を振りながらそっけなく答える。

「その場合、守護者は無事ではすみませんので、役目が次の守護者に引き継がれますね。しかし、今のこの結界を維持できるほどの魔力を持つ人間も、そうそう生まれてきませんから、そのペースで回せば引き継げる人間もすぐにいなくなるでしょう。そのあとは……そうですね」

 すこし顔色を青くしながら聞いているディアミドに、オーエンはゆっくり視線を向ける。口元が楽しそうに歪んでいる。

「邪魔者が消えた後の呪いは、元々の対象の元に、何かしら悪影響を与えに行くのでしょうね。呪いのほとんどが王族に向けられているので、今の王室は時間をかけずに全滅します。既に対象が亡くなっている呪いはどうなるのでしょうね。……対象を見失って、気が済むまで手近な人間を殺すのかもしれませんね?」

 ディアミドは信じられない気持ちで聞いていた。この国は女神イリューの加護により、長い間、外敵の脅威には晒されず、ただ漫然と平和を享受してきた。つまり、有事に対応できるような仕組みが存在しないのだ。王室が突然消えるようなことになれば、混乱は免れない。代わりに国を動かすことのできる組織など存在しない。その状態で、民を未知の脅威が襲えば、守ることのできる人間もいない中、多くの命が失われるだろう。

 これはほとんど国の余命宣告に等しい話だった。それが、誰にも気づかれない、こんな国の果てで行われているのだ。

「それは、城に報告すべきです!王室魔法使いの長老殿か、そうだ!ダーナ様から国王様に進言なさることも可能ではないですか?」

「不可能ですね」

 オーエンはぴしゃりと言った。

「現在の王室魔法使いの方々の中に、呪塊に対処できるほどの力のある方はおられません。半端な力の人間が近づけば、奴らの糧にされかねません。うっかり人間の肉体でも与えようなら、ダーナ様の身が今より危険になるのです」

 この王女付きの教師は、何よりもダーナを優先する。

「国王に言ったところで同じことです。結局彼は、王室魔法使いに頼むしか方法がない。彼らにできないとわかれば、ダーナ様に依頼されるでしょう」

 ディアミドは、反論する言葉が出てこなかった。しかし、それにしたって何か方法はないのか。

「だから、私が、その『呪塊』を浄化しようとしているの」

 ダーナが俯くディアミドを覗き込んで言った。

「私なら、守護者の結界魔法を維持しながら、あの子たち、呪塊に対処することもできるの。……私は、たぶん、そのためにここにいるのだと思う」

 ディアミドは先ほどオーエンが示した資料にもう一度視線を落とす。こんな恐ろしいバケモノの相手を、こんな小柄な少女に任せなければいけないのか。

「危険では、ないのですか?」

 オーエン嬢があきれたように答える。

「危険じゃないわけないじゃなぁい。だから、あんたに盾になってって言ってるの」

 ダーナはオーエン嬢の口調に眉を顰めたが、特にそれには何も言わずに、ディアミドへの説明を続けた。

「なんの計画もなしに進めているわけじゃないの。そのために呪塊や呪生の調査も続けているの、ただ……」

 ダーナは一つ息を吐いた。

「やっぱり、私一人では難しかったの」

 彼女は手元のカップを見つめている。

「呪塊を浄化するには、まず、核となっている呪生を何とかしないといけないの。そのために、呪塊の中を通って呪生に近づく必要がある。でもね、呪いを浄化するときには、攻撃の魔法も、身を守る魔法も使うことはできないの」

 呪いの浄化魔法を使うには、まず対象に寄り添い、語り掛けないといけない。呪生に敵対したと思われると、浄化の魔法はうまくいかないらしい。力づくで消してしまえばいいのにという、オーエン嬢の言葉は、ダーナにより流された。ここまで散々二人で交わしてきた議論なのだろう。

「それでぇ、ダーナ様は失敗して、一度ボロボロになって、なんとかご帰還になったのよねぇ?」

 オーエン嬢が嫌味っぽく言う。そこまでではないとダーナが言い返し、さらにオーエン嬢が噛みつこうとするので、ディアミドが慌てて間に入った。

「つまり、私は、囮となって、呪塊を引き付ければいいということでしょうか?」

 今にも口喧嘩を始めそうになっていた二人は、それぞれ異なる表情でディアミドに顔を向けた。先に口を開いたのは、オーエン嬢である。

「やだぁ!物分かりがいい子は好きよぉ」

 机の向こうから身を乗り出して、ディアミドの両頬を両手ではさんで撫でまわす。ダーナは、そんなオーエン嬢を元の席に引きずり戻して、ディアミドの顔をまじめに見る。

「やりたくないと思うなら、そう言っていいわ」

「いえ、私にできることでしたら、どんなことでもやらせていただきます」

 ディアミドが間を開けずに答えると、ダーナがいぶかし気に返した。

「あなた、わかっているの?死ねというのと同じなのよ?」

「それは、わたしの技量次第でしょう。自分の身を守り切れなければ、それは、わたし自身の責任です。ダーナ様のせいではありません」

「わたしは、あなたが呪塊の相手をしている間、何も助けられないの。助言すらできない。あなたは、自分の判断で、相手の意識を自分に向けさせながら身を守らないといけない。しかも相手は、人間じゃないわ。魔法も使えないあなたじゃ正直歯が立たない。それどころか、魔法が使えても、そこらの魔法使いじゃ意味がないような相手なのよ」

 ダーナはまだ、ディアミドを使うことに迷いを感じているのだ。ディアミドはオーエン嬢の方を向いた

「オーエン殿、私がその呪塊というバケモノに対峙する方法が、何かあるのですね?」

 いくら囮になるだけの役とはいえ、一瞬で殺されてしまえば意味がない。少なくとも、ダーナが呪生に到達し浄化の魔法を完了するまでは、敵を引きつけ続けなければならない。

「もちろん、あるわよぉ」

 オーエン嬢がにっと笑う。いつもの笑顔だが、今の姿だと、何か裏のある妖艶な笑みに見える。怪しいが、彼女の言葉を信じる以外に方法はないだろう。

「では、それでいきましょう」

「ちょっと、少なくとも方法を聞いてから決めなさい」

 ダーナが慌てる。

「ダーナ様、私があなた様をお守りするために、共に行くことは、もう決めているのです。何か方法があるなら、それが何であろうとやる以外の選択はあり得ません」

「ふふ、男らしくっていいわぁ。とぉってもいい子ねぇ」

 オーエン嬢が、椅子ごとディアミドのすぐ近くに寄ってきて、あごに指を添わせながらささやく。

「先生!もう、そういうのはやめてください!」

 ダーナが勢いよく椅子から立つと、やだぁ 怖いわぁと言いながら、オーエン嬢は引き下がった。ディアミドはひたすら「これはあの老人、老人」と心で唱えている。オーエン嬢は何かとダーナの感情を引き出そうとするようだが、それに自分を使うのはやめてほしいと思った。思わず立ってしまったダーナが、咳払いをしながら座り、取り繕って続きを話した。

「ひとまず、わかったわ。あなたは先生から、その方法とやらを聞いて、今日明日で身に着けなさい。私はあの呪生のことをもう少し調べておくわ」


      * * *


 さっそくディアミドとオーエンが、訓練のために塔の外に出ていった。ダーナは一人、執務室に残る。机の上の資料を集めカップを持って、自分の執務机に戻ると、役目を終えたテーブルたちが、ガタガタ階段を下りて元の部屋に戻っていく。家具たちが部屋を出ると、静寂が訪れた。ディアミドが訪れるまで当たり前にあった静寂だ。ダーナは、彼がいると騒がしくて、疲れると思った。資料を見返す前に、一息つこうと、フォリアに新しい紅茶を淹れさせることにした。彼女とのやり取りに、本来言葉は必要ないが、先ほどの彼女の「会話が楽しい」と言った言葉を思い出し、声に出してみる。

「フォリア、紅茶を淹れてもらえる?」

 すると何もない空間からぱっと現れたフォリアは嬉しそうに

「紅茶、淹れる、フォリアの、仕事」

 と言って、調理場に歩いて入っていった。お湯を沸かすくらいのことはフォリアでもできるように、魔力を込めるだけでポットに熱を伝わらせる魔法具を置いてある。これも、彼女の希望で作ったのだったのだとダーナは思いだしていた。フォリアは、ダーナが守護者となって、数年後、今から七十年と少し前に身の回りのことを手伝わせるために作った。それからずっと一緒にいるのに、ダーナはフォリアに感情があるということを、ずっと知らなかった。メイドの真似事をしてみたり、言ってもない仕事をやってみたりと、自主的に何かを考えることはあるようだが、そこに好みが存在するとは思ってもみなかった。しかし、ディアミドは、彼女が作られた妖精であると知った後も、自分と同等の生物として扱った。そして、あっという間に彼女の気持ちを引き出して見せた。これは、ダーナが何十年かけてもできなかったことだった。

「人間って不思議よね」

 紅茶を淹れてきたフォリアが、ダーナの言葉に不思議そうに首をかしげる。その顔に表情はない。それは、ダーナが彼女にそのような機能を付けなかったからだ。不要だと思っていた。

「あなたは、彼のことどう思う?」

「ディアミド!面白い。好き。ダーナ様の次」

「そう」

「ディアミド、いつまで、いるかな」

 この塔に来て暫くは、使用人が何人かいたが、彼らはフォリアを作ってすぐに城に下がらせた。彼らは、ダーナとの別れを口では寂しがったが、本当は心から喜んで城に戻っていったことを、ダーナは知っている。フォリアは、ディアミドも彼らと同じく、そのうち城に戻るのだと思っているのだろう。ここは人間のいるべき場所ではないのだ。

「さあ、あの人は少し変わっているから、ここにいたいみたいよ」

「ずーっと、いると、いいね」

 フォリアの声が弾んでいる。これは、本人が体得した技術だろう。何をみて学んだのか。主にディアミドと意思疎通を取るために、考えてやっているのだろうが、これが良いことなのか、悪いことなのか、ダーナには判断が付かなった。ひとまず、そうね、とフォリアに相槌をうつ。そのままフォリアを下がらせた。

「やっぱり、私も『バケモノ』でしかないのよ」

 ぽつりと言ったダーナのつぶやきを聞いているモノはいなかった。


      * * *


 ディアミドとオーエン嬢は、オーエンの家の前の少し開けた場所に、二人で立っていた。

「まず、どの程度魔法が使えないのか、見せていただきましょうかね」

 オーエンの口調は、初日と同じものに戻っている。やはり、あれは、ダーナをからかうためのものだったに違いなかった。それはそうとして、とディアミドはためらいつつ口を開いた

「大変言いにくいのですが、わたしには本当に少しも魔力がないのです」

「そんなはずはありません。すべての知のある生物は、魔力を持つのですよ。あなたが誰かに魔法で動かされている人形なら、いざ知らず、意志や感情を持って自ら動いている以上、魔法は使えるはずなのです」

 オーエンは、少し考えて言った。

「そうですね。あなたには、明日以降、魔法のお勉強もしていただくことにしましょうか」

「是非、お願いいたします」

 ダーナに仕える以上、その知識は必要と思っていた。しかし、全くのゼロから始める学習だ。ちょうど、どこから手を付けるべきかと考えていたところだった。

「ここでしかお話できない、色んなお話をして差し上げますよ」

 オーエン嬢がまた怪しく笑う。ディアミドは、「お手柔らかにお願いします」と言いつつ、その時は、オーエンがこの姿でないことを祈った。

「では、いきなりですが、実践でございます。少々獲物に細工をさせていただけますか?」

「あ、はい……」

 オーエンはディアミドが腰から下げていた。大剣を指さす。ディアミドは、腰から剣を外すと、オーエンに渡した。

「ふむ、よいものですね」

 刀身を眺めて言うと、何事か唱えながら、刀身を柄から先に向かってなでていく。なでられた刀身には一瞬赤く光る文字が浮かんだが、すぐに消えた。

「こんなものでしょうか。それではこれを構えてください」

 言われた通りに構えると、オーエンはディアミドの隣に立ち、彼の肩と、大剣の柄にそれぞれ触れた。

「そのまま、今までで最も怒ったときのことを思い出してください。できるだけ詳細に、その時の感情を心の中に再現できるくらいにです」

 怒り、それで最初に思い出したのは、ディアミドの妻が亡くなった時のことだった。城に届いた連絡を受け取り、急いで帰る、扉を開ける、使用人たちが、一様に沈んでいる静かな屋内、夫婦の寝室、もう冷たくなっている綺麗な彼の妻の姿。もっと早くに知らせに気づいていたなら、いや、それよりもっと前に兆候はあったのだはずだ。それを見落としてさえいなければ、彼の心に残ったのは深い後悔と、不甲斐ない自分への、どうしようもない怒り。

「そうです!それですよ!」

 オーエンの声でハッとした。自身の記憶に深く沈み込んでいたようだ。気づけば、大剣は暗赤色に鈍く光り、柄からは彼の体温によるのだけではない熱を感じる。

「これ、は……」

「少しでも魔力を込められれば、魔法が使えるようにしたのです」

 話しながら、オーエンが、大剣とディアミドの瞳を交互に覗き込んでいる。

「なるほど、オブライエン殿の使える魔力は少ないわけではありませんね。ただ出力を一定に保つことができていないのと、魔力が多方向に散ってしまうので、うまく魔法にできていなかっただけでしょう。それは練習すれば何とでもなります」

「そう、なのですか」

 ディアミドからすれば青天の霹靂だった。城の魔法使いに見てもらった時には、いくらも時間をかけず、「魔力はありません」ときっぱり言われたのだった。

「人間の使う魔法は少々効率が悪いのです。ですから、城の魔法使いには、あなたの魔力が感知できなかったのでしょうね」

 ディアミドの話を聞いたオーエンは、そう答えた。

「これは、思ったよりは使えそうですね。今日はこのまま訓練に入ってしまいましょうか」

 ディアミドは、頷いた。

「はい、お願いいたします」

「まずは、先ほどと同じように、怒りの感情を思い出してください。これで、この大剣を反応させるのが第一段階です。この時点では、魔力を放出しているというより、感情と共に、魔力が漏れ出ているような状態です。これを意識して絞った状態で放出し、大剣に集中させます。これが第二段階。怒りの感情を剣先だけに集めるイメージですね。この時に、魔力が自分の感情を通じて流れていく経路を感じ取れれば、次から、感情で引っ張ってあげる必要はなくなります。これが第三段階。まあ、三つ目まではできなくてもいいです」

 魔力の流れを意識するというのは、コツがいるらしい。できない人間は一生かけてもできないとオーエンは語る。

「最終的に、その大剣を普段通りに振り回しても、魔法を発動したままにできるようになってください。それができて初めて、呪いに剣が届き、少しは奴の注意を引くことができます。そして、あなたはかろうじて自分くらいは守ることができるでしょう」

「そこまでを公務に向かう日までに、ということですよね」

「そうです。それができないと、あなたはあっさり死んでしまうでしょう。まあ、できなかったとしても、ダーナ様の盾の役くらいはできるように、道具を用意しておきますので、安心してください」

 魔力を発して動いてくれればいいんですから、直前まで生きていたモノがあればなんでも 大丈夫ですよ、などとオーエンが末恐ろしことを言い放った。

 ディアミドは何としてもこの二日間で魔法を身に着けようと決意した。その気持ちを見透かしたオーエンが言う

「そうですね。オブライエン殿は逸材ですから、ここでなくしてしまうのも惜しいです。できるだけ、頑張ってくださいね」

 オーエンは、あまり期待はしませんけど、と余計な一言を付けると、後は一人で頑張ってと自宅の方に戻っていった。


      * * *


 夕方、ダーナの執務室に、傾き始めた陽の光が差し込む。古い資料を読み込んでいたダーナの前に、灯りのともっていないランタンを持ったフォリアが表れた。

「ああ、もうそんな時間ね」

 ダーナがフォリアの持ったランタンに触れると、灯りがともる。この光は、炎の光ではない。人と同様の体を得たフォリアは、人間同じように暗いところはよく見えなくなっている。しかし、蝋燭など炎が必要なものは使うことができない。だから、ダーナが灯りになる魔法の使える精霊を集めてランタンに入れ、彼らに頼んで光源としてやっている。

 精霊の灯りは、炎のそれと同じように、暖かい色にゆらゆら揺れた。ランタンの中は、精霊が好む栄養で満たされている。彼らは人間の食べ物などからフォイゾンと呼ばれる栄養素だけ抜き取って糧とする。別に人間の食べ物でなくても、生物やその死骸でも新鮮なものであれば何でもよいはずだが、何故か人間が料理して加工したものを特に好んだ。ランタンに満たしているのは、昼の残りから、フォイゾンだけを抜いたものだ。

「あなたたちは、どうしてそんなに人間のものに固執するのかしらね」

 ダーナは部屋の灯りをともしながらつぶやく。精霊たちの糧となるフォイゾンは既にフォリアが足していてくれている。

 精霊や妖精はむかしの神々の成れの果てだ。人間の歴史では、神々と人間は和解し、神々は自分たちのいるべき異界に去っていったと記録されているらしい。異界は「常若の国」と言われ、どんな苦しみも存在しない国、らしい。なんとも人間に都合の良い話だろうかと、ダーナはいつも苦い想いで彼らの神話を思い出す。現実は人間の残している歴史とは異なる。

 神々は人間によってこの世界から追い出された。彼らは異界、オーエンが定義するところの「精神世界」に逃れるしかなかったのだ。神々は様々な現状を引き起こせる強大な力をもっていたが、万能ではない。数の増えすぎた人間には適わなかった。神々と呼ばれた存在は、人間や他の生物の属する「物質世界」での体を捨て、精神だけ姿となって「精神世界」に逃げ延びた。

 これが、人間たちの言う「常若の国」なのかもしれない。しかし、実際の「常若の国」は彼らが話すような天国とは程遠い。神々はその世界において、個としての存在を手放すことになるのだ。

 「物質世界」の存在が、その人格や個の意志を確かに保っていられるのは、「精神世界」に属する感情や心を「物質世界」側の体に結び付けているからだ。ひとたび、「精神世界」だけの存在になったとき、すなわち、死して体を手成してしまった時、それぞれの個性や他のものとの境界は曖昧になってしまう。そして、感情が時間と共に薄れていくのと同じように、個はなくなり、全体に溶けて行ってしまう。

 それは神々も同様だった。彼らは、「精神世界」だけの存在となった瞬間から、それぞれの神格は揺らぎ始め、存在を保てなくなっていった。神々だったものの「格」は、だんだんと崩れる。個だったものがバラバラになり、そして、全ての感情や「格」の元となる、「精霊」と呼ばれるものになっていった。「精霊」は意志も人格も性格も何もない。ただ、外からの刺激に、簡単な感情を返す程度はできる。それだけの存在だ。

 妖精は精霊が寄り集まって、もう少し複雑に思考などができるようになっている存在だった。しかし、彼らも一時的に集まっただけで、時間と共に崩壊していく。

 それを「物質世界」側の体となるものの元を用意してあげることで、ある程度動き続けていられるようにしてあげたのがフォリアであるが……。

「あの子の気持ちも、この子たちの気持ちも、わたしにはわからないわね」

 ダーナは手元の灯りを見て、ため息をついた。

 物質世界のあらゆる生物の五感は、物質世界のものしか知覚できない。つまり、人間には、精霊や妖精と言った、存在は決して感じ取ることはできない。しかし、ダーナには、すべて「見る」ことができた。彼女には、精神世界も物質世界も二つの層を重ねたように、見えている。

 ダーナは「人間」ではない。彼女は、世界で初めて妖精を発見したオーエンによって、作られた。かの魔法使いは、見つけた妖精と、よりにもよって当時の国王を使って、一つの生物を合成してみせた。それで作られたのが、ダーナだった。オーエンは死罪を言い渡されたが、彼はすでに自身を実験に使い、死ぬことも普通に生きることも許されない体になり果てていた。そのためそのまま幽閉された。

 オーエンにとっては、人間だろうと、精霊だろうと、実験道具でしかないのだろう。しかし、ダーナはそのように割り切れない。どちらも自分と同じものに見える。だから、どちらも、オーエンのように道具として扱いきることはできない。

「見えていないのだから、仕方ないのだけれどね」

 ダーナは一通り、部屋の灯りを付け終わると、何度考えたか、わからない考え事から、浮上した。さて、あのフォリアのお気に入りの人間はどうしているだろうかと、ディアミドの様子を見に行くことにした。



 ダーナは、ディアミドの様子を見ようと、オーエンの自宅近くに転移した。ディアミドは目を閉じて、大剣に魔力を送ることに集中しているようだ。ダーナが近くに立ったことにも気づかなかった。精霊の見える少女は、ディアミドの手元を見てつぶやいた。

「また、趣味の悪いものを作ったものね」

 彼の大剣には、複数の精霊が雑にはりつけにされていた。

 精霊に魔力と魔法陣、すなわち、力と命令を送り、精霊から新たな力を受ける。その力をこちらの物質世界に顕現させることで魔法が発動する。これは精霊からすれば、命令と魔力とを同時に流し込まれ、無理矢理従わされているのに等しい。人間の魔法とはそういうものだった。精霊の感じ取れない人間は無意識にそれを行い、精霊を隷属させる。まるで、魔法が自身の力であるとでも思っているようだとダーナ気持ちの悪い想いで彼らの魔法を見ていた。

 ディアミドの持つ大剣は、鉄さびのような暗く淀んだ赤に輝いている。彼が送り込む魔力によくないものが混ざっているのだろう。それを無理に流し込まれた精霊たちが、ダーナには、苦しんでいるようにも見えた。

 ディアミドにもオーエンにも、彼らを見ることはできない。だから、仕方がないのだ。それどころか、知覚もできないものを、これほど、効率的に扱うことのできるオーエンは本当に天才なのだろう。

「お疲れ様」

 ダーナは、そうディアミドに声をかけながら、ディアミドが握る大剣の柄にすっと手を添える。せめてここに縛りつけられた精霊が苦しまずに済むように、すこし魔法陣の性質を変えて、魔力からよくないものが取り除かれるようにしてやる。そうすると、先ほどまで暗い赤に輝いていた刃は、黄色を含む明るい朱の色に変化していった。

「あ、ダーナ様、すみません。いらっしゃるのに気づきませんでした」

 ディアミドが言った瞬間、集中力が途切れたのか、魔力の流れが乱れる。

「あ、まって」

 とダーナが言った時には遅かった。ぼっと音を立てて、刀身から炎があがる。少し、魔力の効率をよくしすぎたようだ。精霊が勢いよく炎を吹き出していた。

「まあ、すごいわね」

 ディアミドから生じる魔力に少量のフォイゾンが含まれている。さらに、ダーナが魔法陣を書き替えたことで、先ほどまで虫の息だった精霊たちが元気よく息を吹き返した。

「な、これは、どうしたら」

 彼の放つフォイゾンに誘われて、近くの火の精霊も寄ってきて、それぞれがさらに小さな火を発生させた。それで、さらに炎は勢いを増し、ディアミドは慌てる。強い炎にあおられた風が、顔に当たる。ダーナがふふっと笑った。

「なにこれ。ひどいわね。ふふふ」

 ダーナが楽しそうに笑うので、ディアミドもつられた。

「ダーナ様、笑っている場合じゃありませんよ」

 言いながらも、何故か笑いが止まらなかった。ダーナが隣で楽しそうに笑うことが、これほど、心に温かいのかと思った。それと同時に、ふっと火が勢いを落とした。ディアミドの魔力が止まったのだ。先ほどまで、彼自身を焼いていた、後悔や、自責の怒りの炎も、すっと収まった気がした。同時に気が抜けて、その場に座り込んでしまった。とっさにダーナが笑いを引っ込めて心配そうに覗き込むが、やはりディアミドが笑っているので、軽い声で、

「もう、何度もやめてよね」

 と言って助け起こした。なんとか立ち上がったディアミドは、今更ながら、全身に異常な倦怠感が広がっていくことに気が付いた。

「これは、一日素振りをしているよりも、疲れますね」

 彼は、塔を出てオーエンの指導をうけてから、休憩もなく飲まず食わずで訓練を続けていたらしい。ダーナはわざとらしくふっと息を吐きだす。

「魔力を消費し続けていたのだから、当たり前でしょう?今度は自分の体力にも気を配りなさい。呪塊の目の前でへたりこんだら置いていくわよ?」

 厳しく言って、くるりと踵を返す。

「フォリアに食事を持ってこさせるわ。先生の家で夕食にしましょ」

 ディアミドは、恐縮しながらダーナについていく。先ほどの火柱に気づいたオーエン嬢が、家から顔を出してこちらを見ていた。

「ちょっとぉ、さっきのなに?……あら、ダーナ様、楽しそうじゃない?何かあったのぉ?」

 ダーナがその話し方をやめなさいと窘めながらオーエンの家に入っていく。ディアミドもそこに続いた。



 翌日、ディアミドが塔でダーナの診断を受けていると、オーエンが大量の書物を手にすっと現れた。

 この日のオーエンは、壮年の男になっていた。顔の真ん中で大きな獅子鼻が存在感を放っている。鼻の周りから頬、顎にかけて、吹き出物がつぶれたような跡がいくつもあり、清潔感からは程遠い。薄い髪が多方向に散り、それよりも伸ばしっぱなしの髭の方が毛量が多い。全体的にくたびれた醜男といった見た目に、よれよれで何か食べ物のシミのようなものがついたシャツと、皺だらけのパンツを履いている。服装が、浮浪者のような雰囲気を助長させていた。自信がなさそうに背を丸めて俯き加減でいるが、下を向いた状態で、目だけは色素の薄い黒で周囲を見張るようにぐりぐり動いていた。

「オーエン殿、その、ダーナ様の前なのですから、せめて髭は剃って服装と髪だけでも整えませんか……?」

 あまりにもな風体にディアミドが口を出してしまう。これにはにやにやと笑うオーエンではなく、ダーナが答えた。

「いいのよ。先生は、その人が気に入ってるんだから。その姿になるのは今月で五回目よ」

「ダーナさまぁ、それはちがいますよぉ」

 相変わらずにやにやとしているオーエンは言う。口を開くたびに、黄色い歯が見え、言葉と一緒に腐ったような臭いが漏れた。思わずディアミドが顔をしかめると、それが面白いようにさらに、相好を崩す。

「こいつが、出たがりなんですよぉ。私には、どいつが出てくるかわからないんですからねぇ。くくぅ」

 おかしな声で嗤った。中身は、あのダーナを気遣う人物であり、彼はわざと見た目に合わせた口調や振る舞いをしているだけとわかっているのに、自然と警戒してしまう。ディアミドは、ダーナに一歩近づいたオーエン大人との間に入った。

「それで、本日はどのようなことを教えていただけるのですか?」

 自然と声に棘が含まれる。それを気にしているのか気にしていないのか、ひどいですねぇなどと言いながらも表情を変えない。

「こちらをぉ、持ってきましたよぉ」

 フォリアが出してきてくれた机の上に、手にもっていた書物をどすどすと置く。

「これでぇ、魔法の基礎を、勉強しますよぉ」

 すると、ディアミドの後ろから、ダーナが顔を出し、オーエン大人の持ってきた。書物を眺める、そして、そのうちいくつかを引っ張り出した。

「先生、このあたりは彼の教育上よくないと思います」

 それらは、すべてオーエン大人の文字でまとめられた研究書のようなものだった。

「えぇ、心外ですねぇ。どれも私が心血込めて書き上げた大作ですよぉ?」

「でも、これらは、彼の城では、異端とされている内容かと思いますが?」

 ディアミドは驚いて、ダーナの持つ書物とオーエン大人を見比べた。昨日オーエン嬢が言っていた「ここでしかお話しできないこと」とはこのことだったのだろうか。異端とされる知識を得て城に戻ることがあれば、そのまま、罰せられる可能性もある。しかし、ディアミドは、少なくとも城に戻ることはないとわかっている。

「ダーナ様、大丈夫です。ここで勤めるために必要な知識でしたら、教えていただけますか?」

「ほぉ、やはりオブライエン殿は、わかっていらっしゃいますねぇ。では、楽しいお勉強をいたしましょうねぇ?」

 オーエン大人は、また気持ちの悪い笑い声を立てた。ダーナは、もう好きにしてください。と言って、自分の席に戻っていく。そして、ディアミドの魔法の勉強の時間が始まった。


      * * *


「ではまず、こちらの魔法の基本……の前に、この世界の構造についてお話ししましょう」

 ダーナの執務室にオーエンの声が響いている。やはりそこから入るのか、とダーナは思った。しかし、ディアミドがいいと言うのだから、口をはさまないことにする。

 この国はすべてが女神イリューの加護で成り立っていることになっている。だから、世界が二つであって、片方に神々が追放され、跡形もなくなっているとか、魔法は女神の力ではなく、その今となってはバラバラになった元神々であった何かを使役しているだとか、そういった知識は「異端」と言われるのだ。今の国家を揺るがしかねない危険な思想である。だからこそ、オーエンもここでしか話さない。いや、昔はそうでもなかったらしいが、最近はあれでもかなり丸くなっているのだ。あれでも。

 ダーナはハッとした。気づけば、ディアミドたちの方を気にしてしまっている。自分のすべきことに集中しなければ。彼女は、手元の資料を眺めた。そこには、呪生の元となってしまっている人物のことが書かれている。その人物は、この塔でなくなり、呪いのないはずのこの国で、呪生となってしまった。呪生も妖精と同じく、精神世界だけの存在である。しかし呪生は、こちらの世界との橋渡しとなる媒体がないにも関わらず、妖精のように崩壊することがない。時間が経って崩壊していくより、呪生の核となった「人間」の強い感情が周囲の精霊を引き寄せ、呪いへ変質させてしまう方が早いのだ。呪いとなった精霊たちは、そのまま呪塊の一部になってしまう。そうしてどんどん強い呪塊をまとった呪生が生まれてしまう。強い感情というのは、それだけでも精神世界において強い影響力を持つ。そのうえ負の感情は、そうではない感情に比べて残りやすいらしい。

 理論上、呪いの浄化は、呪いの元となっている強い感情を和らげてあげれば可能なはずだ。

 こちらの物質世界に、まだ体のある生物の感情が元になっているのならば、誰にでも浄化が可能と考えられている。相手が人間なら、会話によって、神であれば、供物や祈りによって、その感情を鎮めてやればいいのだ。

 しかし、呪生の場合はそうもいかない。呪生には、物質世界側の音や物を直接届けることのできないため、魔法によって精神世界側に直接「語り掛ける」必要がある。それは、完全に物質世界に根差している人間にはほとんど不可能だ。まず語り掛けるべき対象が見えず、そのために、どこに語り掛けるかわからず、反応が見えなければ、影響できているかも判断できない。そのような状態では、まず呪生に「声」は届きようがないのだ。

 ダーナには、呪生が見えているので、その部分は全く心配していなかった。魔法にも自信がある。呪生に思考を届けるのは、普段精霊たちに、お願い事をしているのと何も変わらない。妖精や精霊との会話は、彼女にとって日常の一部分である。しかし、ひとつ大きな懸念点があった。ダーナには、呪いの元となっている「感情」が理解できなかった。その呪生がずっと「寂しい」と訴えていることだけはわかった。

 オーエンが改めてまとめなおしてきたその人物の来歴を見れば、なるほどそんな感情にもなるのだろう。しかし、呪生となってしまうほどの「強い寂しさ」がどのような感情なのか、そして、それはどうしたら癒せるのか、ダーナには確信が持てなかった。とりあえず、今ある情報から、論理的に考えを組み立てて、浄化手順を考えておくしかない。

 それと、同時にいざという時に、力ずくにでも少女を消し去る魔法を考えておく必要もある。と、ダーナは考えていた。いざとなったらやらなければいけないとは知っていながら、どうにもそちら方法は気が乗らない。ダーナには、なぜ自分が気が乗らないのかも、わからなかった。



 昼食後は実践訓練となった。一足先に消えていたオーエン大人が再び現れ、

「今日も昨日と同じ場所に行きましょうかぁ。今日はちょっと大変ですよぉ。ああ、ダーナ様もいらしてくださいねぇ」

 と言った。オーエン大人は、相変わらずの口調で話している。今日も散々ダーナに文句を言われていたが、変えるつもりは全くないらしい。

 三人とも外に出ると、のっそり歩くオーエン大人の後ろについて、オーエン大人の家の近くに向かう。昨日ディアミドが訓練を行った場所には、盛り土がされていた。土には木片や葉、さらには昼食で出たような生ごみや何かの動物の死骸まで混ざって、気持ちの悪くなる臭いを放っている。

「ダーナさまぁ?どれも死にたてほやほやなんですよぉ。ここから妖精がつくれますかねぇ?」

「……できますが、あまり持たないと思います。数十分で崩壊するような子になってしまいますよ」

 ダーナが眉を寄せる。明らかに不満があるようだ。その表情を、嬉しそうに見て、オーエンは、声を弾ませて言った。

「材料はたくさんありますのでぇ」

「フォリア、お願い」

 呼びかけに応じて、すっとフォリアが表れた。しかし、反応は鈍い。

「フォリア、やりたくない。でも、ダーナ様の命令なら、やる」

 ちらりとフォリアがダーナを見る。

「わかったわよ。わたしがやります」

 言うのと同時に、ゴミの山から、色とりどりの光の粒が表れた。光はいつもダーナが魔法を使うときのそれによく似ているが、それぞれの光は暗く色の彩度が低い。不安げに明るさや色を変えていた。それの光はやがて集まり、形を作っていく。間もなく、六つの足の頭部のない馬のような形にまとまった。すべての色が混ざったような汚い色になっている。すこし馬の向こうが透けて見えた。光の抜けた部分のゴミは心なしか、水分か何かが抜けたようにカスカスになっていた。

「すばらしい」

 先ほどまでの口調を忘れて、オーエンがつぶやく。しかし喜んでいるのは彼だけのようである。頭のない馬が出現した頃にはフォリアはどこかに消えていたし、作成した本人のダーナも渋い顔をしている。オーエンは嬉しそうに馬のような生物に近づくと、その背をなでようとしたが、その手は異様な生物を通り過ぎて空中を滑った。

「完璧ですな」

 オーエンは言った。

「本当に悪趣味です」

 ダーナはもう嫌悪感を隠さなくなっていた。

「私の役目はこれでおわりですね?」

「いやいや、こいつが消えたら、また同じものを作っていただかないといけません」

「……何体作れというのですか?」

「それは、オブライエン殿次第ですかな」

 突然水を向けられたディアミドは、驚く。

「わたし、でしょうか」

「そうですよ。これは今日の訓練のために用意していただいたのです。まずは、その腰の剣でそのままこの馬のようなものを貫いてみてください」

 ディアミドは、オーエンに言われた通りに、馬もどきの前に立ち、それに向かって大剣を振り下ろした。剣は先ほどのオーエンの手と同様に、馬の体をすりぬけてしまった。

「そうです。そのままでは、そいつに触れることすらできません。こいつは妖精です。しかし、フォリアと違って、こちらの世界との媒体を持ちません。知覚できないはずの、あちらの世界の住人です。今我々に見えているのは、ダーナ様が精霊を高濃度に凝縮させたからですが、本来こちらの世界の生物ではございませんから、そのままではその大剣が届くことはありません。では、こいつを倒すにはどうしたらよいと思いますか?」

 ディアミドは、午前中にオーエン大人から聞いた話を思い出す。精霊や妖精は精神世界の存在で、こちらの物質世界とは別の層にある。二つの世界のものは基本的には交わりあうことはない。ただ、例外がある。それが感情と魔法である。

「魔法を、使うのでしょうか?」

 ディアミドが答えると、

「その通りです」

 オーエンは満足そうに答え、どこからともなく鞭を取り出す。そして、その鞭に何か文字を浮かび上がらせ、馬に向かって振るった。振るった鞭は、パチンといい音を立てて、馬の背を叩く。馬はのろりと、頭のない首をオーエンに向けた。

「オブライエン殿がおっしゃったとおりです。このように、魔力を込めた武器なら通じます」

 怒った馬が後ろ二本脚で立ち上がると、残り四本の脚をオーエン向けて振り下ろした。

「あぶない!」

 ディアミドが叫ぶのと、オーエンの鞭が馬の脚に絡まって動きを封じたのは同じタイミングだった。そのままオーエン大人は人の悪い笑みを浮かべた。

「おお、よしよし落ち着きなさい。わたしはお前を叩きたくなどなかったのだけどねぇ、あの男の命令で仕方なくやったのだよぉ。お前が恨むべきはあの人間だぁ。さぁ、行きなさいねぇ」

 オーエンは、空いた手でディアミドを指して馬に話しかけた。目もないのに、ぎろりとこちらを見た気がして、ディアミドは身の毛がよだつ。

「あの、オーエン殿?」

「昨日やったように、大剣に魔力を込めて、この馬にあててください。うまくやれば倒せるでしょう。ただ」

 そういって、馬に絡んでいた鞭をほどいた。

「うまく逃げないと、オブライエン殿が先にやられてしまいますよ?」

 突進してきた馬をすんでで避ける。これをさばきながら、魔力を込めた大剣で反撃せよというのだ。

「その馬が時間になって自壊する前に、オブライエン殿がそいつを倒せたら、本日の訓練は終わりになります。あまり大きな怪我はしないように気を付けてくださいね」

 言って、オーエンは家に戻っていく。このまま放置するつもりらしい。ダーナは、近くの大きな岩に片膝を立てて座り、膝の上に顎をのせて、のんびりと様子を眺めていた。彼女は、そのまま見ているつもりらしい。

 通り過ぎた馬が再度ディアミドに狙いを定める。腹をくくるしかなさそうだ。ぎりと大剣を持つ手に力を入れた。再度まっすぐ進んでくる馬をもう一度避けた。まずは、この生物の動きを見極めなければと思ったのだ。しかし、そばを通り抜けようとした馬は、動物らしからぬ動きで、ぐるんとディアミドを追尾した。そのまま、馬が首でディアミドの武器を叩き落した、ように感じた。実際は、衝撃はなかった。遅れて、かの馬はこちらの世界の物に触れられないことを思い出す。

 しかし、ディアミドは次の瞬間武器を取り落とし、その場に膝をついていた。馬の首が当たった部分から、体が凍るようにこわばっていくのを感じる。それと共に、恐怖、苦しみ、悲しみ、数々の感情が迫ってきた。思わず涙をこぼす。まずいと思って、馬が通り過ぎた先へ、なんとか首だけ向けると、ダーナの背中が見えた。彼女は、馬の目の間に立ちはだかっていた。そして、彼女が結界を貼るのと、馬が再度ディアミドに向かって疾走し始めたのは同時だった。馬はダーナの結界に当たった瞬間、弾けるような大きな音を立てて、バラバラに砕けて消えた。

「やっぱり、あまりもたないのね」

 結界を解き、落ちていく馬だったものの欠片を受け止めた。しかし、欠片は手に触れるか否かで消えていった。

「大丈夫?」

 ダーナが振り返って聞いた。ディアミドは、ハッとして体をあらためるが、どこにも怪我はなかった。先ほど感じた強張りも、負の感情も綺麗に消えている。

「だい、じょうぶ、です」

 しかし、恐怖の余韻はすぐには消えない。目元をぬぐうと、声の震えを何とか抑えながら答えようとする。

「今、受けたのが、呪いよ」

 静かにダーナの声が響いた。いまだに立ち上がれないディアミドを少女が見下ろしている。表情は影になっていてディアミドからは見えない。

「あの程度なら、死ぬようなことにはならないわ。でも、何度もあれを受けると、精神が壊れていくでしょうね」

 死ぬことはないが、精神が壊れるとはどういう状況なのだろうか。突然、外から与えられた感情に埋め尽くされて、自分が自分でなくなってしまう怖さがあった。突然発生した暗い感情に、抗えないまま自分を塗りつぶされていく感覚、あれを何度もうけたら、自分は戻ってこられるのだろうか。

「どうする?続ける?」

「……っ。はい!」

 ディアミドは、首を振って恐怖を断ち切り、立ち上がった。足元から寒気を感じたが、引き下がるわけにはいかなかった。ダーナは、そう、とだけ言って、またゴミの山から、生物を作り出した。今度は異様に胴が短く足が長い犬だった。しかし、犬よりはるかに大きい。足だけでディアミドの背丈ほどあった。そして、足は三本しかない。

「的が大きい方がやりやすいでしょ」

「はい。ありがとうございます」

 今度は最初から打ってかかっていく。幸いまだ、こちらに敵意を向けていなかった。なんとか魔力を込めた大剣を犬の足に当てたが、犬はびくともしなかった。

「魔力が足りてない!」

 ダーナの叱咤が飛ぶ。なかなかに厳しい教師であるらしい。

「はい!」

 ディアミドは答えて、ぎろりとこちらをにらむ大きな犬を見据えた。本能が目の前の脅威にすくみあがる。城に上がったばかりの頃、先輩たちから訓練を受けていたころを思い出した。恐怖を打ち消すように、気合を入れて、踏み込んだ。


      * * *


 途中休憩をはさみながら、訓練は日暮れ直前まで続いた。ディアミドは最初、人間どころか、重量のある生物とは全く異なる動きをする相手に苦戦し、何度も呪いを受けたり、ダーナの結界に守られたりしていた。しかし、次第にいなし方を会得してきている。すでに、ダーナの手助けがなくとも、危ない場面は減っていった。しかし、それでも、なかなか決め手に欠けるようだった。

「ダーナ様、お願いいたします!」

 今また、とどめを指しきれずに自壊していく相手を見て、ディアミドがダーナに言う。ダーナは、すっと手をあげて、新しい訓練相手を用意した。

 そうしながら、何をしているのだろうとぼんやり考えていた。請われるままに妖精を作って、ディアミドが闘うのを眺めて、また言われた通りに作って、この単調な作業がダーナの思考をぼやけさせていく。

 どうしてこの男はこんなに懸命なのか、現実感の薄れた思考で、そんなことを考えている。それは、ダーナの元で正式に護衛の任に就くためらしい。しかし、彼はもう、その任務がどんなに困難であるか、どんなに危険なものであるか、わかっているはずだ。よくて廃人、悪ければ呪いに取り込まれてその一部になってしまう可能性すらある。そんな死地に送られるために、この男は、今懸命に汗を流している。

 ダーナは、また、新しい妖精を作った。今度はネズミほどの大きさにした。先ほどより、小さくすばしこく、そしてより強い呪いをまとった妖精が現れた。ディアミドは、ギリギリの所で攻撃をかいくぐったのだが、がくっと膝をつきそうになる。あまりにも濃い呪いは、触れずとも近くを通るだけでも牙をむく。今彼は、そのことに気づいただろう。対応方法が、近づいての攻撃しかないディアミドには正直分が悪い。それでも彼は、体勢を整え、向かってくる相手に対面する。もう陽は傾き薄暗くなってきている。小さくて黒い妖精の姿を目で追うのも難しくなってきているに違いない。

 彼が少しでも弱音を吐いたら、もうやめようと言おうとダーナは決めていた。ここでの任務もあきらめて帰ればいい。しかし、ディアミドは全くそんな素振りも見せなかった。

 本当に不思議だとダーナは思っていた。彼女が次の代の守護者候補として、この塔に入った頃には、まだ人間の使用人が何人かいた。塔にいる使用人は、何かの罰を受けているか、城で問題を起こし、いられなくなったものばかりだった。彼らは、たいてい、守護者の力に怯えながらも、最初のうちは静かに仕事をこなしていた。しかし、何かの拍子で呪いの影響や、ダーナの魔法を目の当たりにすると、城に戻りたいと当時の守護者に訴えた。もう城に戻れなくてもいいから、塔での役目から解放してほしいと泣いて懇願するものや、逃げ出すものも少なくなかった。

 目の前の男も同じだろうと考えていた。五日もあれば、きっとすぐに弱音を吐いて帰りたいというだろう。そうしたら、その時に帰れと言えばいいと思っていた。しかし、そうはなっていない。

「ダーナ様!やりました!」

 ディアミドが満面の笑みで、ダーナを見た。彼の足元には、大剣に貫かれて、燃え尽きていく妖精が見える。何とか妖精が自壊する前に倒したようだ。

「……よかったわね」

 と返しながら、ダーナは納得していなかった。倒せたという事実により、彼は彼自身を囮として有用であると証明してしまった。それは、そのままディアミドにとって死刑宣告となるのだ。何故それほど嬉しそうな表情ができるのか、考えて、途中でダーナは考えることを放棄した。考えたところで、仕方ないからだ。

 人に作られたバケモノである自分に、人間の感情など存在しない。だから、彼の感情など理解できない。そう結論付けて、胸の靄をなかったことにした。

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