呪いの塔の魔女
美紗
最後の任務
塔には魔女が住んでいる。
魔女は近づくものに死の呪いをかける。
一、最後の任務
男は今年、齢四〇歳を迎える。このイーリン王国では、もう年配の部類に足を踏み入れたところになる。若いころには綺麗だと言われた、赤みがかった夕陽色の髪には白いものが混じり、額も広くなったような気がする。日々の鍛錬や任務のために、陽光にさらされ続けた肌は浅黒く深い皺が刻まれ、常に厳しい表情をしていると言われるようになった。
彼は城の警備の任を務める軍人として長年グレンニーブ城で働いてきた。同年代の同僚はほとんどが、兄弟や子にその役を譲るか、出世をして、体より頭を使うような上級職に移っていったが、オブライエン男爵家の次男として生まれ、子もいない彼には、役目を譲るべき親類すらいなかった。さらに、生真面目で他人に迎合できない性格が上役に煙たがられ出世も望めない。
毎日ただ目の前の役目を勤め続け、気づけば、自分の周囲は自分より若いものばかりになっている。同じような毎日を過ごし、何もなさず、ただ忘れられ消えていく。
その消えるタイミングを自分で決めることもできず、ただ、年月を重ねていた。
その彼がいつも通りに王城の詰所に顔を出すと、若い同僚がにやつきながら声をかけてきた。
「オブライエン殿、上官殿が、すぐに部屋に来るようにおっしゃっていましたよ」
言ってから、傍らの仲間に何か耳打ちしている。何を言っているかはわからないが、ディアミドには、何を言われているか、なんとなくわかってしまった。伝言を伝えてきた男に礼を言い、部屋を出て、上官の部屋へ向かった。「ついに来たのだな」と思った。不安と寂しさと、わずかな安堵が湧き上がってきたことを感じる。同僚や、上官が、自分のことをどう思っているかなど、知っている。「融通の利かない、頭の固い無能」これは、先ほど伝言を伝えてきた男が、他の誰かに話しているのをたまたま聞いてしまった言葉だが、ほかの人間も遠からず同じように思っているだろう。それでも、自分からここを離れるわけにはいかない。まだ、約束を果たせていないのだから。
ディアミドは上官の部屋の前に立ち、ノックをして声をかけた。中から、「入れ」という応答があり、扉を開ける。
そこには若い綺麗な見目の男が立っていた。部屋には、真ん中に書類が山積みになった机があり、その向こうに、厚いクッションのついた椅子が置かれている。部屋の絨毯も、カーテンにも、装飾がなされている。華美であまり品の良くない部屋だと、ディアミドは思っている。
上官の男は、窓辺に立って、外を眺めていた。入ってきたディアミドを見ると、明らかに嫌そうに眉を寄せる。そして、不機嫌を隠さない声で、
「ディアミド・オブライエン、君には、とある高貴な方を護衛任務についてもらうこととなった」
と言った。ディアミドは、思わぬ指示に反応が遅れる。城の警護を務める彼らは、特定の対象の護衛を任されることはほとんどない。あるとすれば、護衛対象が国政に重要な上級の貴族か、もしくは王族だ。あまりない機会ではあるが、この仕事中にうまく護衛対象に取り入ることができれば、出世も見込める。危険は伴う可能性があるが、「おいしい仕事」である。つまり、今のディアミドに回してもらえるはずのない仕事である。対象から指名されるような、何かがあったのか、それとも何か裏があるのか。言葉の出てこないディアミドを無視して、上官は話を続ける。
「早速これから向かってもらうことになっている。護衛対象だが……」
上官は、ちらりと、窓の外、町のさらに向こうに見える、屋根を一瞥して言った。
「あの『守りの塔の姫君』だ。すぐに塔に向かいなさい。詳しいことはあちらで教えてもらえるとのことだ」
窓の外、遠くの森の木々の合間から少しだけ見えている屋根はその塔の屋根だ。上官はすぐに視線を外した。そして、話は終わりだとばかりに、ディアミドを部屋から追い出した。
ディアミドは、なぜ自分がその任務に指名されたのかを理解した。「守りの塔の姫君」とは「魔女」と噂されるこの国の王女のことだった。
この世界には、生まれながらに女神イリューから授けられる「魔法」という力を扱うことのできる人間がいる。
イーリン王国は西の果ての島を国土のすべてとする小さな国であるが、その昔は神々と共に生きる誇り高き民の国であったと言われている。神々がまだ人と暮らしていた時代、身の回りのすべてのものに神性が宿り、それらは人を見守り、時に導き、人間の生活を支えていた。
しかし、ある時代の国王が、神々の力をわが物にしようと欺き、神々の怒りをかった。人間は神々の呪いにより、一度は滅亡寸前までに追い込まれた。そんな時、人間たちに手を差し伸べたのは、たった一人の女神であった。
彼女が女神イリューという。女神は神々を鎮め、今後人間との交流の一切を断つ代わりに、人間にこれ以上害悪を及ぼさないという条件を他の神々にのませた。そして、すべての神々は異界に去っていった。女神イリューは去り際、神々の助けをなくした人間に「魔法」という形で自らの力を残した。そうすることで、今でも人間を守り続けているという。
女神イリューに愛された人間は、生まれながらに魔法を使うことができる。そして、魔力が大きいほど女神に愛されている、とされている。
ディアミドは、女神の寵愛をほとんど受けられなかった人間だ。そのような人間は、どんなに訓練を行っても、魔法を扱うことはできない。一方で、女神の寵愛を受けるほど、身に宿す力が大きくなり、それが大きくなりすぎると、そのままでは制御もできなくなるほどの魔力となることがある。それを持って生まれてしまったのが、かの『守りの塔の姫君』であった。
この国で最も女神の寵愛を受けた彼女の力は本人の制御を外れ、周囲の生物や物体にさえも影響を及ぼすらしい。彼女は城から離れた森の中の塔に隔離され、そこで、自らの強大な魔力で国全体を覆うほどの結界を作り、外敵の脅威から国を守っているらしい。彼女は外に出ることは許されず、共にいるのは、魔法の教師役である魔法使いだけである。
「魔女」には、たくさんの噂があった。「魔女の森に入ったものは二度と同じ姿で戻ることはない」とか、「近づくだけでも呪いにかかる」とか、さらには、「魔女を思い出しただけでも不幸に見舞われる」という噂すらあった。
彼女は塔から出ることはほとんどない。王族主催の式典にすら出席せず、国王の妹という身分でありながら、城の中の人間ですら、だれも彼女を見ることはできない。唯一国王だけが彼女に会いに行くことができるらしい。
ディアミドは、そんな状態の人物の護衛を命じられた。王族の護衛という一見名誉な役目ではあるが、これが左遷と同義であることはすぐに分かった。きっとこれが彼の最後の仕事となるのであろう。彼は、上官の部屋の前で扉に向かって一礼した。
この国は、島の東側に広がる低地に港をつくり、それを中心に発展してきた。島は満月のように丸く、円周の西側半分は切り立った崖になっていて、海底の地形も複雑で波も荒く、西側は船で近づくこともできない。
さらに、陸上も西半分は三日月の形に森が広がる。森は異様に曲がった木々がぐちゃぐちゃに密集していて、見通しが悪く、少し進むと突然目の前に深い谷が現れたり、崖の壁にぶつかったり、すぐに方向を失うらしい。「らしい」というのは、鳥ですら迷うと言われるこの森は、人々に畏れられ、ほとんど人が立ち入ることがなく、限られた人間の伝聞でしか、様子がわからない。人々は専ら東側に集まって生活していた。港から同心円状に、町が広がり、その町を見下ろせる位置に王城がある。
「魔女」のいる塔は、人々の生活する範囲から離れた、森の中に少し入ったところにある。ただでさえ不気味な噂のある古ぼけた塔は、手前の森によって、ほとんど人間が近寄ろうとすることのない場所となっている。
城から塔まで、馬で半日はかかる。今はまだ早朝なので、今から向かえば、昼すぎ暗いには、塔にたどり着くだろう。急いで城下の家に戻ると、ひとまず数日分の荷を作って、西へと馬を向けた。ディアミドは家に使用人すら置いていない。それが却ってよかったと考えていた。彼がいつ帰ろうとも、または、帰らないとしても、それで困ったり心配したりする人間はいない。
にぎやかな市を抜けて、郊外の農村を通りすぎ、さらにその向こうに広がる森が見えてくる。森の木々は鬱蒼と茂り、異様な威圧感と不気味さを放って、人の侵入を拒んでいる。嫌がる馬をなだめてなんとか森に入っていった。昼の陽は、明るくあたりを照らしてくれるはずなのに、森の中は光が木々にさえぎられ、薄暗い。見通しの悪い木々の間から何かがこちらをじっと見ているような気がした。しかし、周囲を見回しても何もいない。それどころか全ての生物が死んだように静まり返っていた。いや、森中のすべての生物が、突然やってきた部外者を、身を潜めて監視しているのではあるまいか。ディアミドは、一つ首を振って「気のせいだ」と声に出した。その声が空気の中に吸収されて消えていく。
息を一つついて、何も考えないように、無心に森を進んでいく。すると突然、目の前に古い石積みの壁があらわれた。あちら側にゆるやかに湾曲した壁は、塔の外壁のようである。頭上は樹木が生い茂り、建物の上の方は見えない。ぐるりと建物の回りを右に回ってみると、木製の小さな扉を見つけた。その手前に城のメイドと同じ服を着た女が静かに立っている。
やっと見つけた人影に少し安堵した。馬を降り、手綱を近くの木にくくると、彼女に近づきながら手をあげた。手をあげながら、自分が護衛対象の姫君の名前すら知らなかったことに思い至る。
「こちらは国王様の妹君のいらっしゃる塔だろうか?護衛の任を受けこちらに参上した。
取次ぎを願いたい」
メイドは手元に灯りのともったランタンを持ち、ディアミドに小さく会釈をすると木の扉をあけた。彼女は動作に体重を感じさせず、音もたてず動いた。生気のない顔でにこりともせず、ただ黙って扉の先を示している。ここを進めということとなのだろう。ディアミドは、このメイドに多少の薄気味悪さを感じながら、彼女の示す扉をくぐり、塔の中に一歩足を踏み入れた。
扉の中は、森の中よりもさらに暗い。ディアミドが、中に入った瞬間に、一緒に入ってきた外気によって、中の滞留していた空気が乱される。そして、カビと埃のような臭いが鼻を刺した。湿度が高くじめじめとしていて、床の隅や壁には苔まで生えているようだ。光源は、たまに壁の隙間から漏れてくる頼りのない外光と、メイドの手元のランタンしかない。メイドは無言でディアミドに灯りを差し出す。ランタンの中の火は、風がないのに奇妙に揺れる。
このランタンをもって中にすすめという意味だろう。メイドは言葉が話せないのだろうか。何も音を立てないのが一層不気味だった。
ディアミドは、内心の恐怖を悟られないように、軽く咳払いをして、メイドからランタンを受け取る。灯りを掲げながらさらに踏み出すと、外壁の内側に張り付くように石造りの階段があるのが見えた。これを登っていけばいいのだろう。
階段はどこまでも暗く、真昼であるのに手元の灯りがなければ、少しも先に進めなかっただろう。壁に蝋燭がさしてあるが、最近に火の入った気配もなく、人が訪れることもないということを示していた。静かな階段にただディアミド足音だけが響いていく。ディアミドは、段を登っていくことだけ、足元だけに集中して先に進んだ。
フロアを一つあがると、円柱の塔の真ん中をまっすぐ横切る細い通路が現われた。通路の両側には不規則に木製の扉が並ぶ。何の部屋かはわからないが、もちろん誰かのいるような気配も音も感じない。通路をまっすぐ進むと突き当りに扉が現れた。その扉をひらいてみると、さらに上階へ向かう階段があらわれる。そして、さらに上の階に上がると、通路があり、両側と付き合たりに扉があり、その先に階段がある。そのように同じ構造のフロアが幾重にも重ねられていた。
部屋数は多いが、どの部屋の扉もノブや鍵穴がさび付いていた。ほとんどが使われていない部屋のようだ。人どころか生物の気配を感じない。それなのに、ずっと何かの視線を感じるのは、自分の臆病な心のせいなのだろうか。どのフロアも通路は階段同様に薄暗く、足元の、石で作られたレンガは年月を経て傾いたり欠けたり、濡れたりしていて足場が悪い。ランタンの灯りがなければ滑って転げ落ちてしまうだろう。背後の部屋から突然笑い声が聞こえて振り向いたが、隙間を抜けた風の音だった。
何度か階段を登って、通路を通り過ぎ、扉を開けた。また階段をあがると、今度は少し開けた、これまでと明らかに様子の異なる部屋に出た。綺麗に履き清められ、足元には若草色の絨毯がひかれている。家具らしきものはほとんどない。壁際に小さな台がいくつか置かれているが、その上に置かれるはずの装飾のものは何も置かれていない。部屋の中央に小部屋が見えている。それだけだった。
いくつかの窓からは陽が差し込んでいる。やっと見えた外の明かりと新鮮な空気に、ほっと息をついた。それと同時に、これから毎日この階段を上るのかと考え憂鬱な気分になりそうになる。これから、自分の主人となるべく人に会うのだ。そんな、気の抜けたことではいけない。と気を引き締めると、台の一つにランタンを置き、部屋の真ん中あたりにある小部屋のような場所に向かう。そこには、木製の扉があり、閂がついている。閂をはずして扉を開けると、さらに階段があらわれた。階段をのぼった先に幽閉された塔の主がいるのだろう。ディアミドは胸をさすって目の前の階段をのぼっていった。
階段を上がりきった先には、執務室のような部屋が広がっていた。部屋の中央には簡素な机がある。机の上には、ペン立てや本や紙の資料が広がっている。装飾はなく、非常に実用的であるが、高級感のある、上級貴族が使うような上等な執務用の机である。その机の向こうには同じように質素で立派な椅子に、小柄な女性が座っている。彼女は何やら紙に書きつけていた。
「誰?」
少女は手を止めずに、問いかけた。ディアミドは姿勢を正した。
「わたくしは、王城より参りました。ディアミド・オブライエンと申します。本日より姫様の護衛の任を拝命いたしました」
彼女は顔をあげた。黒く艶やかな髪がさらりと肩から座面に落ちていく。白い肌に黒い瞳、ドレスも瞳や髪同様の漆黒で、白い紙に黒い絵具だけで書かれた絵画のようである。黒目勝ちの瞳はガラスのように輝き、相手の内面までも見透かすようにディアミドを映している。ディアミドの想像よりはるかに若い、十二、三歳の少女のような見た目であった。
王妹にしては若すぎる気がする。しかし、このようなところに無関係の少女がいるはずもない。メイドである可能性も考えたが、それにしては彼女の衣服の生地はあまりにも高価なものだ。おそらく彼女が国王陛下の妹君、「魔女」なのであろう。
魔女というにはあどけなすぎる風貌の少女は、首を小さく傾けた。
「護衛は不要とお答えしてあったのに」
彼女は引き出しから便せんを取り出し、事務的に、ディアミドに尋ねた。
「仕方がないわね。状況は私が手紙に書くから、あなたに、ここに来るように指示した人に、これを渡してくれる?」
顔を合わせていきなり「不要だから、今すぐ帰れ」と言われたことになる。ここで頷いて手紙を持ち帰ったところで、彼の居場所などどこにもないだろう。彼は、何もせずに諦める気にはなれなかった。どんなことでも構わない。なんとしても、ここで役にたたなければいけないという気持ちになっていた。まずは、ここで追い出されるわけにはいかない。
「畏れながら姫様、見たところ、使用人も少ないご様子、生活も不便ではないかと愚考いたします。護衛だけと言わず、それ以外のどのような雑務も致しますので置いていただけないでしょうか」
どんな形でもひとまず置いてもらって、それから、自分の力を認めてもらえばいい。今の自分には、どんな矜持も邪魔なだけだ。そう自分に言い聞かせて、頭を下げた。しかし、少女はそんな彼の心情など意に介していない様子だった。
「あのね、雑用だろうと何だろうと、ここは危険な場所のよ」
少女はまるで、無思慮な子どもに言い聞かせるように、「あなたにはわからないかもしれないけれど」と、ディアミドをみおろしながらたしなめる。それが、ディアミドのくすぶる気持ちに火をくべる。ディアミドは少女をまっすぐ見て
「もとより姫様の盾となるつもりで参じておりますので、姫様のためでしたら、危険も本望でございます」
と言い切った。少女は「そう」とだけ言って、口に指をあてた。どのように目の前の駄々っ子をあしらえばいいのか考えているようだった。そこに、思わぬところから、ディアミドへの助け舟が表れた。
「護衛をよこしてくれ、と頼んだのは、私ですよ」
口をはさんだのは、少女の斜め後ろに控えていた、長身、というより細長い体躯の老齢の男だった。長い白髪を背中で一つにくくり、薄い体の上に大きめの淡い色の古ぼけたローブを被せている。たっぷりとした白いひげを撫でつけながら隙もなくゆったりと立つ姿は、少女よりはるかに「魔法使い」らしい。今はその色素の薄いグレーの瞳を優し気に細め、孫娘でも眺めるように少女を見ていた。この老人が彼女の魔法の教師をしているという魔法使いであろう。
少女は横やりを入れた老人を見上げ、歯切れ悪く尋ねる。
「そう、なのですか?」
「あなたはこの間、例の公務から戻った時も、大変危険な状態でしたね?心当たりがないとは言わせませんよ?人を付ければ少しは変わると言っているのに全く聞いて下さらないので、僭越ながら、勝手に手配させていただいたのですよ」
老人の笑顔に少女が口ごもる。
「そう……。先生が、そう、おっしゃるなら、そうなのかもしれません……いえ、それでも、不要に人間をこの塔に近づけることにも、簡単に同意できないのです」
老人の言葉にも、少女はきっぱりと首を横に振った。「それはこまりましたねぇ」と困った素振りもない老人が笑顔で応じる。
「あなたは何よりも、ご自分を大切にしないといけないのですよ。そのお立場とお役目のことは、もちろん、理解していらっしゃるのですよね?」
「……わかって、います」
「でしたら、一人の人間への影響を気にしている場合でもないことも、もちろん、わかりますね?」
老人は、穏やかに、だが断固として少女に言う。笑顔ではあるが、怒っているのかもしれない。少女は「わかっています」とつぶやきながら机を見ている。
「今あなたの後を継げるものがいないのも、あなたの判断ですが、このまま何かあったら、どうなるのですしょうか?あなたが気を付ければいいという問題ではないのです。もしも、がありうるから、申し上げているのですよ」
老人の厳しい言い方に、うつむいた少女は、もう頷くこともできなかった。さすがに居心地の悪くなってきたディアミドが声をあげた。
「それでしたら」
二人の視線がディアミドに刺さる。
「それでしたら姫様、少しの間で構いません。わたくしを試験していただけないでしょうか?」
ディアミドが思うに、少女が気にしているのは、「不幸を呼ぶ」などと言われている彼女の魔法の影響だろう。
暴走し、勝手に発動してしまう魔法は、本人の意志が介在しない分、近くの人間にどのような影響が現れるのかわからなかった。しかも、その影響がどのように出るかというのは、影響を与える側と受ける側、お互いの個人差が大きい。逆に言えば、受ける側の特性によっては、影響を小さくすることもできるのだ。例えば、精神に作用する魔法が得意な人間が魔力を暴走させると、だれかれ構わず近くの人間を錯乱させたり、意識を失わせることもある。しかし、精神に作用する魔法が効きづらい人間には何の影響も出ないということもある。また、炎を出す魔法が得意な人間が魔力を持て余して周囲を火の海にしてしまうような可能性があっても、近くに炎を抑える魔法が得意な人間がいるだけで、暴走自体を抑えるといったことも可能だった。
ディアミドはひとまず、自分を置いてみて、影響が出ない人間かどうかを試してほしいと言ったのだった。ひとまず、魔力が皆無であることは、この際伏せておこう。少し罪悪感はあったが、ここで言うべきではない。魔女の少女は、ディアミドを見て、ため息をつく。
「私が言ったのはそういう意味ではなく……」
「いいじゃありませんか」
しかし、少女が言いかけたのを老人がさえぎった。
「本当に彼を置いても大丈夫なのか、期間を決めて試してみましょう。もし不都合があれば、その時に辞めさせればよいのです」
かなり乗り気の老人が「何日くらいが、いいでしょうね」などとつぶやいている。その間も、少女は男を見つめていた。まっすぐな瞳は、目の前の男がそこまでする価値のある人間なのか見極めようとしているようだ。
「その試験の間に、あなたの命も危うい状況になる可能性もあるの。それで、いいの?」
「はい」
ディアミドは、間を開けずに視線をそらさず頷いた。
少女はちらりと傍らの老人を見る。老人は笑顔で少女を見下ろすだけで、何も言わない。
「……わかったわ」
ついに少女が折れた形になった。
「五日間だけ、試用期間を設けるわ。その間に少しでも問題があれば、その場ですぐに辞めてもらう。それで、いいですね?」
最後の一言は老人に向けていた。老人は笑顔で頷く。ディアミドは、
「はい。ありがとうございます。誠心誠意お仕えさせていただきます」
と深く頭をさげた。
少女は名前をダーナ、老人はオーエンと名乗った。王族に連なる人間であるのに、ディアミドは彼女の名前を全く思い出すことができなかった。しかし彼女は、いくつかのディアミドの無礼に対しは何も言わなかった。そういう人物なのかもしれない。
ディアミドがダーナに出会った部屋が、彼女の居住空間であり、この部屋から外に出ることはほとんどない。たまに「公務」で塔を出ることがある。その「公務」は、少々危険の伴う仕事であるという。オーエンはその「公務」に護衛として随伴する人間を城に妖精していた。だから、ディアミドのメインの仕事はその「公務」に同行することになる。しかし、ダーナはこの試用期間の間に、そこまで危険なことはさせられないと、譲らなかった。そのため、この期間中にディアミドがやる仕事と言えば、塔周辺の警戒といくつかの雑用になるだろう。
この試用期間に視られることは、まず、護衛として真面目に勤められる人間であるかということ。そして、この塔にある魔法具やダーナ自身の悪影響を、ディアミドが受けずに普通に生活できるかどうかということだった。
「悪影響を与える魔法具というのはどういったものがあるのでしょうか?」
ディアミドの問いにオーエンがにっと笑って答える。
「知ると影響を受ける可能性も上がりますが、どうしても聞きたいですか?」
ディアミドは首を横に振った。
「それが懸命ですね。『知らない』ということも、一つの強い防御方法になり得るのですよ」
ダーナはディアミドに、塔で働く上での約束事を提示した。
一つ目、決して塔に泊まり込まないこと。
二つ目、塔に来たら、最初に、体に異変がないかをダーナに虚偽なく申告すること。異常があったときも同様。
三つ目、無断で夜の塔に立ち入らないこと。
そして、ダーナは銀色の装飾品を取り出しながら、四つ目の約束を付け加えた。ダーナの手の上には、細かい網目模様の入った銀細工のバングルが乗っていた。真ん中には深い緑の翡翠のような石がはまっている。
「塔に来るときには、必ずこのお守りを身に着けていなさい。持たずに出てきてしまったら、必ず取りに戻ること。決してこれを持たずにここには近づいてはいけないわ」
ディアミドが塔でつとめるのは次の日からということになった。
階段を下りて外に出ると、そこにはすでにオーエンが待ち構えていた。ディアミドがダーナの部屋を出たとき、彼はまだ少女の後ろに控え、仕事を手伝っていた、ディアミドと同じように階段を下りてきているのであれば、老人がこんなに早くここにいるはずがない。魔法を使える人間の中には、転移魔法を操るものもいるというが、ごく少数の本当に限られた魔法使いだけと聞く。王室の魔法使いと比べても引けを取らない、それどころか、彼らよりも能力の高い魔法使いなのであろう。
オーエンは、のっそり近づいてきてディアミドに会釈をすると、おもむろに、彼が左腕にはめたお守りを指さして言った。
「オブライエン殿、明日、ここに来るまで、そのお守りは決して外さない方がいいと思いますよ」
「この塔を出た後も、ということでしょうか?」
聞き返すと、オーエンはにっと笑って、
「ここは、大変覚えにくいところなんですよ」
といった。そのオーエンの笑顔は、先ほどまでダーナに向けていたのとは異なる、少し寒気のする笑顔だった。どういう意味か聞き返そうとしたが、オーエンはすぐに表情を変えてしまった。
「それはそうと、ここからすぐ近くに生活のための小屋を用意しておきました。毎日城下のお屋敷からここまで来るのは大変でしょう?この五日間は、そこで寝起きするとよいですよ」
オーエンは、森のすぐ外に空き家を用意しておいてくれていたらしい。ディアミドはありがたくその言葉に甘えることにする。オーエンから小屋の鍵を受け取る。そして、塔の前でディアミドを見送ろうとしているオーエンに、特に意図もなく尋ねた。
「オーエン殿は塔にお住まいなのですか?」
オーエンは目を細めながら塔を見上げ、
「あんなところに住んでいられるのはあの子くらいですよ。私はこの先に」
と、塔の横から奥に向かって続く、微かな道を示した。ここからもう少し森の奥に入ったところに家があるらしい。この森に棲んでいるオーエンも大概だと思ったが、ディアミドは口に出さなかった。この老人といい、無表情のメイドといい、ここには変わった人間ばかりが集められているようだ。それもそうだろう。ほぼ全ての人間が、いかに地位の高い人間に取り入るか、いかに強い権利を得るかを考えているこの国において、彼らは、こんな僻地の幼い姫君のそばで才能を「腐らせて」いるのだ。
ディアミドは、話したいことだけ話して、自分の家へゆったりと歩いていく底の知れない老人を見送った。
* * *
塔の上階で一人机に向かっていた少女は、ふっと息をついて、手を止めた。
「五日……ね」
一番はやくこの塔から逃げ出そうとしたあの子は、五日もったのだったか。そんなことを考える。ある日突然、姿が見えなくなった使用人を心配して、なんとか探し出した時、その使用人は、ダーナを魔女と罵り、「近づかないで!」と真っ青な顔で叫んだのだった。
どんなに大きな口を叩いていても、五日もあれば何かしら起きる。そして、帰りたいと自分から言い出すだろう。彼が音を上げるまで、久しぶりにそんな余興に付き合ってもいいだろう。チクリと胸が痛んだ気がしたが、ダーナにはそれが何なのかわからなかった。
ただ、また同じようなことを繰り返すのは億劫なだけなのだと考えていた。
* * *
ディアミドは、オーエンと別れると、彼が用意してくれたと言う小屋に向かった。森のすぐ外、ほかの人家からは離れた位置に、その小屋はあった。馬屋に連れてきた馬を休ませ、自分は戸口から小屋に入る。入ってすぐに小さなリビングとキッチンがあり、奥の扉の先に寝室があった。オーエンは空き家と言っていたが、思った以上に小綺麗で、掃除が行き届いている。生活に必要なものも一通りそろっているが、すべてオーエンが用意してくれたものだろう。
見た目からは、かなりの年に見えたが、実際はどうなのだろうか。いずれにしても、こんなことまでさせてしまって申し訳ない気がした。もしかしたら、年を取っても動けるような魔法があるのかもしれない。あの老人の威厳と魔力を考えると、このくらいの仕事は魔法で簡単にこなしてしまうのだろう。実際簡単に想像ができてしまった。
ディアミドは、部屋に置いてあった部屋着に着替えると、水を入れた水差しとカップを、ベッドの傍らのテーブルに置く。そして、ベッドに腰を下ろし、水を飲んで一息ついた。外はまだ、陽が残っている。ベッドサイドの窓からは森が見え、それが夕陽に照らされて橙色に染まっていた。沈んでいく陽が最後の悪あがきに、燃えて輝いている。
まだ、眠るのには早い時間だったが、ディアミドは疲れ果てていた。長距離の移動をしたせいか、長い階段を上り下りしたせいか、目通りが叶ったこともない高貴な姫君と会話をした気苦労か。ただ、若い時分であれば、こんな風にはならなかったであろう。ディアミドはふうと息を吐いて、自らの手を見下ろした。若いころと比べて明らかに衰えた肌、そして、年を追うごとに弱っていく体力や筋力を思う。若い頃に負った足の傷は、今でも痛むことがある。特に、天気が悪い時などはひどかった。同年代でまだ警護の仕事なんぞをやっているものものはいないが、当たり前だ。まともに考えたらもう体を使うような仕事を続けられるような体ではない。上官はまだ二十歳にもなっておらず、先月妻を娶ったばかりという。他の同僚もディアミドより十も二十も若い。
ディアミドだって、鍛錬は毎日欠かさず行い、技の練度は今が一番高いという自信はある。それでも、年齢による衰えはどうしようもなく、周囲の目からも、もうとっくに引き時が来ていたことは明らかであった。それはもちろん彼本人も、理解していた。しかし、何も成さずに引いていく気持ちにはなれなかった。それより、何より、彼には約束がある。
ディアミドには城で働き始めた、その最初の頃から何もなかった。ただ勤勉さや真面目さだけで勤めてきたが、他国や異種族との争いもない平和な国で、彼の実直さなどは何の役にも立たなかった。小狡い後輩や頭の回る同僚の方が、あっという間に出世しディアミドを追い越していった。それでも、この役目にしがみつき続けていたのは、彼の妻との些細な約束のためだった。
今回の試験が最後のチャンスとなるのだろう。ここでダメならいい加減諦めて屋敷に戻り、余生をただただ生きていくのもいいだろうと、自分に言い聞かせる。幸い長年、ろくに贅沢もしていなかったために、金銭にはかなりの余裕がある。退職の際には、少なくない報奨金がもらえるだろう。やりたいことも、やるべきことも何も浮かばないが、選べる道などもうどこにもない。「お前はもう不要な人間だ」と、あのまだ若い、未来のある少女に引導を渡してもらえるなら悪くないのかもしれない。それなら、あいつも「仕方ないわ。どうしようもない人ね」と笑ってくれるかもしれない。
ディアミドは、そんなことを考えながら毛布に潜った。
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