第26話 本懐
《…………》
短く息を吐く。彼らが突然退却を開始してから既に一時間近くが経過していた。
あれほど鬼気迫る、半狂乱のような有様で特攻を仕掛けていたのに、それがまるで嘘だったかのようだ。
諦めたのか、それとも何か別の策があるのか。ギルバルトには判別できなかった。
しかしそれ自体は、疲労が蓄積され、まともな状況判断すら出来なくなりつつあった彼にとっても好都合だった。
あのまま、彼らが退却することなく現在に至るまで戦闘が行われていたとしたら、最悪負荷に耐えられず脳死していたかもしれない。
それほどまでに、ギルバルトからすれば彼らの存在は恐ろしいものだった。
《…………》
彼は自らの手で破壊した神殿の外壁にもたれながら、息を整えていた。しかし、肺が悲鳴を上げるようで、微かな呼吸すら痛みへと変換される。
精神を安定させるために無意識に身体は呼吸を求めるが、どれほど浅く呼吸を繰り返しても、肺の痛み、脳の違和感、身体の痛みは消えない。
一過性の疲労ではない、永遠に身体を蝕む疲労。それがこの装甲を操る代償だった。
彼らに殺されるか、彼らを殺し尽くした上で、その代償によって命を落とすか。その程度の違い。どちらにしろ、自分はここで使い潰される運命だと、そう悟った。
彼はその一点に留まるとそこから動くことなく、まるで事の成り行きを静観するように、あるいは当事者であるという事実から逃げ出すように項垂れた。その身体全体は、もうこれ以上動かしてくれるなと激昂している。
《ラーザ………が…ぐふっ……》
気付いた時にはその名前を呟いていた。結局、もう彼女に会うことはないのかもしれない。しかし、もはや彼女に逢う資格すらない。自分は、自身の手を血で染めすぎた。
逢えたとしても、満たされるのは自分だけだろう。彼女はきっと…………。
《…………》
『————ギルバルト、先ほどから動きがないが、何か問題でも起きたのか?』
《………!》
不意に、そんな男の声が脳内で響いた。どこからの通信かは考えるまでもない。統制庁上層部だ。
《『……こっちの様子は…全部分かってんだろ。……お前らが用意した欠陥品のせいで…死にそうだ』》
ニューロンリンクシステムにより、声を出さずとも脳内で文言を浮かべればそれをそのまま相手に送れる。この状況では好都合だった。
『確かに、お前のバイタルサインは全てこちらで把握しているが、誤っている可能性も考慮して一応口頭で確認しただけだ。そして、試作品という物は大なり小なりそういうものだ。概ね想定内、むしろその欠陥品でここまで動けるのであれば上出来と言える。しかし、色々と改善すべきポイントも見つかった。やはり、生身の人間が動かす以上は、より負荷を分散させる仕組みでないとな』
《『シミュレーションもしてねぇのか? 俺ですらこのザマなんだ。常人が使えば五分と持たずに死ぬだろうさ』》
『全てがシミュレーション通りとはいかんさ。実践して初めて判明することも往々にしてある』
《『直ぐに弱る人間なんて使わず、これ自体をアンドロイド化した方が賢明だぜ……』》
『…それはいかん、「人体兵器化計画」は機械知性を唾棄するモノだ。人工知能に頼るのは「リバイド・ピーリア:リスク」に抵触する。分かっているだろう』
《『こんな棺桶に閉じ込めて……生きた人間を食いつぶすよりはマシだ』》
『………かの世界は、
《『そのクソみてぇな理念の為に、他の世界すら実験場にするのは、それで世界が滅ぶより…よっぽど質が悪い……』》
『我々は、その理念に深く共感したのだよ。奇しくも、この世界も機械知性の発展に注力していたところだった。彼ら曰く、多少の差異はあれど、どの世界も同じ流れを辿るという。『クヴェルア』にとって、彼らはまさに救世主なのだよ』
《『「
『……どうあれ、お前もその一員なのだ。装甲兵器という、外付け型による人体強化の最期の道。存分に奮ってくれたまえ。そして、緊張地の制圧が完了した暁には、ようやく『トピピニス』の異能を元にした計画を本格的に始動させられる。お前の命は、「アルタ・レネヴェ」、その足掛かりだ。勿論、「ディミュタ」のデータは今後に活用させてもらう』
《……………………》
『どうやら、大脳の他に肺や腎臓にも負荷が蓄積されているようだな。五~十パーセント程度の臓器機能低下が確認できる。しかし最大出力でなければ、まだ当分は活動できるだろう。命尽きるまで、「ディミュタ」に有益なデータを集めてくれたまえ———』
言うだけ言うと、脳内に反響するように広がっていた不愉快な男の声は、霧散するように消えた。
思わず、仮面の中で無意識に苛立ちを孕んだ舌打ちをする。ギルバルト自身も、例の計画に関して多くを知っているわけではない。ただ、一つ分かっていることがあるとすれば、『リバイド・ピーリア』という異界によって、この世界が大きく狂わされたということ。
恐らく、それはギルバルトも知らない統制庁の深奥。いつしかそこで、人類を至高の兵器とする、あの狂った計画が知らない間に始動していた。その本当の目的は分からないし、知りたくもない。少なくとも、それはもっと前から始まっていたのだろう。
所詮、この
《……………………》
———詰まる所、平和などこの世界には縁遠く、贅沢なものなのだ。
◆
夜の帳が下りた主戦場を、深い緑に彩られた車両の群れが疾走する。黒い排気ガスが空気を染め、鼻腔を突くオイルの匂いと、へこみ錆びついたフレーム。メンテナンスの行き届いていない摩耗したタイヤに、擦れたホイール。弾痕が勲章のように車体を飾る彼らの愛馬。
総勢二百余りを詰めたそれぞれの軍用トラックは車列を成しながら最低限の灯りを灯し、闇夜に紛れながら確実に「騎士」との距離を縮めていく。走行音は隠せないが、この広さならば多少の騒音は問題ない。
煌々と周囲を照らすヘッドライトは遠くからでも目を引くため、使用を控える必要があった。目的は「騎士」の誘導だが、その付近まではなるべく隠密に移動しなければならない。とはいえ、徒歩で数百人をさせるとなると、それはそれで時間をかけすぎてしまうし、体力の無駄使いだ。
ろくに舗装もされていない、往年の轍だけが頼りの道を微かな明かりで横断するのは、目隠しをしたまま綱渡りをさせるような愚行とも言える。
主戦場に道路はない。先人たちがその時その時で走り抜けていった後が史跡のように残っているだけだ。溝や地面から突き出た出っ張りがそこかしこに点在し、注意を欠けばすぐにその餌食となる。
そのため安定した走りを約束することは出来ず、時折大小様々な振動が車内を襲い、サスペンションには多大な負荷が掛かる。向こうへ着くまでに何台か廃車になっている可能性も決して低くはないだろう。
ヘッドライト部分には、低ルーメンの個人携行用ライトが養生テープで即席的に張り付けられている。何とも貧相な見てくれだが、現状やれることを出し切った結果の一端だ。
しかし、これに関しては彼らにとって却って好都合だったかもしれない。
なぜなら、高光量で地面を照らせば、かつての同胞たちの残骸が至る所に散らばっている光景が露わになるからだ。
出立前に失いかけた闘志を滾らせ再び敵前に赴くというのに、〝余計なもの〟を視野に入れてその闘志を削がれるよりは、その方がいい。
「騎士」と抗戦している時は目の前のそれに手一杯で、仲間の残骸に気を回す余裕も無かった。
だがこうして一旦落ちついた今、再びそれを改めて網膜に焼き付ければ、築き上げた意志は砂で作られたモニュメントがさざ波に呑まれるように、簡単に崩れてしまうかもしれない。
「……………………」
オーロラのように光をたたえる幕の影響で、緊張地全体は夜間であっても薄っすらと間接照明で照らされたような状態だった。それに加えて、幕をすり抜けて差し込む月の光が、その様子をより照らし出してしまう。流れていく風景に混ざる同胞たちの亡骸。
回収の余裕すらなく、未だこうして野晒しになっている。主戦場を俯瞰したら、その所々はペンキをぶちまけたように赤黒く染まっているだろう。
「お前たち……必ず仇は取るからな……」先頭車両の助手席に身を埋めていたリロックはその様子を見ると目を細め、人知れず呟いた。
———彼、リロック・テンハヴは、元々主戦場に身を落とす戦闘員ではなかった。その所属は、テシャンデーム防衛部隊。東軍が内包する部隊の一つであり、東都を西軍の高高度による奇襲攻撃から防衛することが主な役目であった。
それ故、主戦場にまつわる戦局の諸々に殊更詳しいというわけではない。今日もいつものように、テシャンデームを首都高層階から俯瞰し、西軍からの攻撃に常に備えていた。
しかしまさか、一日の内にこれほど多くの事が起こるとは思いもせず、現在こうして夜の主戦場を軍用車両に身を預けて駆けているなど、本来ならあり得ないことだった。
「……………………」
緊張地で戦う者は皆血族のようなものであり、対立こそしていたが、根っこの部分では通じ合っているはずだと————誰に話すでもなく、彼はそのようなことを考えていた。無論、このような思想を大っぴらに語れば、最悪異端者と見なされ追放されるだろう。
戦火は古より続くが、お互いが武器を地に落とし、分かり合える日がいつか来るのではないかと。東西の軍同士が手を取りあい、緊張地の為に支えあう未来が来るのではないかと、そのような幻想を描いていた。
しかし、その机上の空論は突然降り来た災厄によって、いとも容易く粉々となった。
だが、それの未曾有の出来事によって東西はなし崩し的に結束を果たし、結果として行動を共にしている。無論、彼が望んでいたのはこのような成り行きで得た結束ではない。それは長い時間を経て、和解した双方によって育まれる平和、平穏だ。
しかし、それを求めるには戦わなければならない。非情な理だ。もしかしたら、緊張地で火の粉を被る大多数の人間は、彼と同じようなことを夢想していたのかもしれない。
口にこそ出したりはしないが、もうこんな長きに渡る争いは止めて、共に平和な緊張地を作るべきだと、「緊張地」などという名前を捨て、親しみのある名前を新たに付けるべきだと。
「………………いつか、そうなるだろうか」
「…え? 何か言いましたか?」
「ゴホン、いや、何でもない…」
隣でハンドルを握る自隊員からの言葉を流し、端末を見やった。彼が搭乗している先頭車両は、もう一つのゼッテ班の先頭車両と並走するようにその群れを率いていた。
緊張地の面積全体の四、五割を占める主戦場は広大である。その直径だけでも数百キロ余り。その中で、東西神殿の互いの距離は百キロ弱。故に移動するのにも相当な時間を要するのだ。したがって今回の作戦は自ずと長期戦になる。
大まかに区切られた区画を通過するごとにゼッテ班と無線で連絡を取りながら速度を保ち目的地へと向かう。
◆
《…………来たか》
「ディミュタ」の広域センサーが反応を示し、ギルバルトはこめかみに小さな電気が流れるような感覚を覚えた。遠方から一定の速度で接近してくる何らかを捉えたのだ。
ギルバルトがいる地点からは多少の丘陵や立岩があるため外部カメラによる目視は出来ないが、センサーが放つ周波数に当てられ、二方向から迫る車両群の姿が仮想視野内に浮かび上がる。
その距離、「ディミュタ」から双方およそ五キロメートル。
《…………?》
更に距離は縮み、三キロ、一キロ。このままこちらに直進してくるのかと予想したがそれは外れた。近づいてきたそれらはまるで検問所に引っかかった車両かのように、唐突にある地点で動きを止めた。
動きが読めない。しかし、その挙動から以前の無秩序な動きとは違う、抜本的に性質の異なる統制されたそれを感じた。
何が狙いなのか。これまで通りならば、勢いのまま距離を詰め、敗戦必至の突撃を敢行していただろうが、現状の彼らはまるで亡霊のようだった。動きはあるが、以前の脈動するような血生臭い生気を感じない。
《(こちらを誘っているのか、それとも—————)》
そう思考した瞬間、発砲音が夜の中で木霊した。思わず、もたれかかっていた背を反射的に起こし身構えたが、それはこちらには届いていない。それからまた複数回、同様に乾いた発砲音が響いた。無秩序に、何度も。
《………何がしたいんだ……?》
理解の及ばない、その珍妙な行為が数分に渡って行われた。明らかな挑発行為であるが、ギルバルトはその場から動く気にはならなかった。
実際、その見え透いた挑発に乗り、彼らの元に飛び出して全員を蹂躙することは藁を踏むように簡単なことだった。
しかし、この奇妙、あるは不気味ともとれる一連の行動が彼の動きを阻害していた。
この場において、他に恐れるものなど何もないはずなのに、この、日中の彼らの動きとあまりにも乖離した動きが、装甲兵器に身を包む彼を妙に正気にさせた。
《(他の合図の可能性は? この規則性のない発砲が何か別の信号である可能性は?何か自分のあずかり知らぬところで、既に自分を倒す算段でも出来ているのか?)》
疲労を重ねる脳で思考をするが答えは出ない。しかし、どちらにせよこのままここで待機し続ける訳にもいかなかった。
司令部はこの状況すら華幕本体を通じて俯瞰しているのだろうが、それを被験者に伝えないのは、彼の状況判断能力を試す側面もあるのかもしれない。それも、装甲にとっては成長の餌になる。
被りを振る。蜘蛛の巣にかかったかのような不快感を振り切り、長らく動かしていなかった身体を引き剥がすようにして再び起動させた。
◆
————時間は少し前、両班が目標地点に到達した段階まで遡る。破壊の中で辛うじて生きている、山頂付近に設置されていた西側の監視システムによって「騎士」の姿は常に捉えられていた。彼は長時間壁にもたれかかったままで、座ることも横になることもせず、蝋で固められたかのようにその体勢を維持していた。
二時間以上の時間を経てようやく西神殿周辺まで到達した彼ら一行は、その「騎士」の様子を共有し改めて警戒しつつ、一部の車両から数十人を降ろして臨戦態勢に突入した。
「騎士」の出方次第で直ぐに退却が可能なように双方の車列は整えられ、その時を待つ。
作戦通り、まずはある程度距離を保ったまま「騎士」の注意を引く。隊員数名が適当な小銃を懐から取り出し、「騎士」がいる地点へ向けて数度発砲。勿論、射程的に弾が届くことはないが、攻撃をするためのものではない。ただこちらの存在を気付かせるためだけの行為だ。
「どうだ?」
傍らで、引き金を等間隔に引く仲間にゼッテはそれとなく尋ねた。本来は昼も夜も関係なく銃声が木霊していたこの場所は、すっかり人気が失われた。その中で、静寂を破るかのように空気を振動させる銃声は深夜に響く赤子の鳴き声のようだった。
「まだ反応は何も……」
鼓膜をつんざく音がいくつも流れる。その中に薬莢が奏でる金属音が混じり、物騒なコンサートがにわかに開演する。
「…………!」
その直後、不意に後方で待機していた車両群が一斉にエンジンを起動し、轟音が辺りに響き渡った。同時に、監視システムを通じて状況を俯瞰していた「遠距離支援部隊」から「騎士」が動きだしたという連絡が入る。
「来たか………! アーグ、早く車に戻れ、後退するぞ!」
「了解……!」
アーグと呼ばれた部隊員は慌てて小銃を仕舞いながら、周囲に散らばっていた射手たちに合図を促し、車両に一目散に駆ける。ここからが本作戦の開始。これより、長時間に渡る命を賭した「騎士」の誘導が始まる。
「奴の様子は……!?」
「っ……まだ攻撃を始める様子はありませんが、元の位置からゆっくりと移動を開始しました。リロック班の方に近づいています」
「分かった。向こうはもう出発したようだな、ゼッテ班全隊、こっちも出るぞ!」
その場で数十台は強引にUターンし、砂埃をまき散らしながら来た道を引き返す。しかし、今度は奴を連れて。
「………」
ゼッテは助手席の窓から身を乗り出し、双眼鏡越しに後方を見る。すると、遠くで見覚えのある「騎士」の姿が視界に映った。忘れもしない、あの純白の装甲。月光を受け、より神々しく輝くそのおぞましい姿。淡く青い光を節々から放ち、全てを圧倒するかのようにただそこに存在している。
「本当に、釣れるとはな……」
「しかし、動きが妙じゃないですか? 今まで通りならば、すぐにでも飛んでくるはず…」
「報告通り、かなり向こうも体力を消耗してるってことだろう。皆の犠牲は無駄じゃなかったってことだ………。っ………!」
そういった矢先、「騎士」の姿が不意に視界から消えた。ゼッテは慌ててあちらこちらに視線を動かすが、その姿を捕らえることは叶わない。そしてその直後、リロック班の車列の最後尾から爆発が生じた。
「………!!」
向こうとは数キロ程の開きがあるが、偶然遮蔽物のないこの場所ではその花火も良く見える。
『全隊へ通達!こちらリロック班、「騎士」の誘導に成功したがトーラスが撃破された!繰り返す、トーラス撃破! リロック班、全体速度を百五十まで上げる!』
「…こちらゼッテ班、了解!こちらも同様に速度を上げる!」
いざ動き始めたら、その威力は災厄そのものだった。日中の悪夢が脳裏に呼び起こされるようで、隊全体に緊張が走る。既に犠牲が出ている中で、身動きの取れない箱に押し込まれているそれぞれは形容しようもない恐怖に苛まれる。
————最後尾車両、トーラス被弾する直前に全員は車両から飛び出すように離脱し、車両の爆発から逃れるような形で散開していた。闇の中で散らばった彼らは、走り抜けていく車列の後をその足で追い移動を続ける。
まるでトカゲの尻尾切りのような形で、無謀と評するに相応しい作戦。しかし、「騎士」と正面から相対すること自体が事実上不可能である今、どのような形であれ時間を稼げるのであれば手段を選んでいられる状況ではないのだ。
とはいえ、この動きは投げ出された人員たちをそのまま見捨てると同義であり、人道とは対極をいくものだった。
「騎士」の追撃にどう対処するのかという根本的な問題に対して、ドンワーズははっきりとした答えを出す事はできなかった。
何故なら、対処すること自体が不可能だからだ。故に、追撃に対しては身を切るように後列の車両を犠牲にする形で移動をし続けるしかない。無論、そのような命を軽んじる対応策についてドンワーズ断固として容認するべきではないと考えていたが、彼らはそれについて覚悟を決めていた。
ドンワーズとは明らかに異なる価値観を持つ、彼らの戦闘至上主義的な信念に気圧され、彼は口を噤んだ。そして代替案を出せない現状でそれを以外の言葉を出すこともなかった。
———数十人が同時に空間に投げ出される。「騎士」の前で、それぞれが風に煽られるタンブルウィードのように転がり、地面に打ち付けられた。
黒煙と炎を纏った車両は、糸が切れた人形のようにフラフラとあてもなく周囲を彷徨いながら、近くの岩に衝突し爆風と轟音をまき散らす。
「ぐあぁっ!」
「ううっ……!!?」
「ゴホッ…………!」
「……っ!!」
それぞれが痛みに耐えながらやっとのことで上体を起こし無意識に頭上に目線を上げる。しかし、既にそれは目の前に立っていた。
月光を背負うかのように荘厳な出で立ち。眼前に仁王立ちするそれはまさに巨人。
腰は地に付けたままで、まともに立ち上がることすら難しい。体中の関節が恐怖で震え、銃を構えることすら容易ではない。
文字通り、死が目の前に存在している。
その場に転がる誰もが息を呑んだ。空間が凍り付いたように時間が止まる。あれほど恐れた存在が、仲間の仇が目の前にいる。呼吸すら忘れるほどの極限状態の中、「騎士」の前に放り出された彼らは猛獣の前に投げ出された餌同然であり、反抗する資格すら持ち合わせていないかのようだった。
直ぐに殺されるのだろう。と、人知れず諦観を抱く者がいた。それを目の前にし、半狂乱になる者がいた。そのシルエットに恐怖を呼び起こされ目を伏せうずくまる者がいた。
一人の防護服に張り付けられた鏡が目の前の存在を悪戯に映し出す。それは「騎士」の眼からも見えていた。今の自分が他人からはこう見えているのだということを。
だが、それは直ぐに暴力を振りまくことなく、立ち竦む隊員の一人にゆっくりと近づくと、くぐもった声をおもむろに発した。
《…答えろ………お前たちの…目的はなんだ……?》
「………!? ……目、的…?」
会話など可能だったのかと今更ながら驚いた。殺傷のみを目的としたものだと思っていた故に、その意外性は大きい。しかし、今となってはそんなことはどうでも良いように思えた。
「……お前こそ…目的はなんだ……!? なぜここをこんな風に襲う!?」
《………話す気が無いなら……いい》
聞いても無駄だと即座に判断し、光を蓄えた右腕を、腰を付いたまま見上げる彼に向けた。それを見て倒れたまま反射的に肩掛けしていたアサルトライフル掴もうとするが、身体は素直に言う事を聞かない。
「ヒッ———————」
どこから発せられた声なのか分からないほどのか細い声が唇から洩れる。死ぬと思った刹那、別方向から相次いで激しい発砲が起こり、「騎士」のボディに傷を付けていく。その瞬間、止まっていた時間が再び流れ出した感覚を覚える。
「バカ野郎! は、早く立て!!死にてぇのか……!!」
「あっ…あぁ!!」
《…………ッ》
仲間の叫び声で我に返る。射線から僅かに身を逸らした「騎士」の隙を突き、渾身の力を脚に込め、飛び出すようにその場から逃げだす。
だが、「騎士」から背を向け走りだそうとした時には、既に彼の心臓を光の筋が貫いていた。
言葉もなく、顔面蒼白の彼は力なく倒れ、溢れる血液は大地を瞬く間に染める。
「ぐっっ……————! 全員!!走れぇぇ——————————ッ!!!!」
倒れる仲間を背に、残された全員が脚を力の限り動かした。少しでも遠くへ、少しでも東へ。
《……………………》違和感を覚える。倒された味方の亡骸に見向きもせず、一人殺されたからといって即座に退却をするなど、以前ならばあり得なかった光景だ。直ぐに命を無駄にする報復が来るはず。それでギルバルトは苦しめられた。
《戦術………………》
誰の入れ知恵なのか、彼らは以前と比較しても命を最優先に動いているような気がした。どう考えても荒唐無稽だろう。明らかな自分に向けての誘導作戦。しかしこちらに殺される上でそれは行われている。しかしその中で犠牲を最小に留めようとする意志を感じる。
《今更……死が怖くなったとでも言うのか………?》
彼の目の前には、蜘蛛を散らしたように敵前逃亡をする数十人の姿があった。まるで自分の若き日を見ているようで、妙な感覚に襲われる。
自分も、徴兵時代にこんな風に無我夢中で敵から逃げたことがあったかもしれない。
《分かるよ。命は、大切だもんな…………。そうだ、逃げろ。俺から逃げろ。逃げて逃げて…………俺の眼の届かないところまで行け…………だが………》
《……俺も、生きる為にお前たちを、殺す——————》
散開し全力疾走しつつも適度に発砲は織り成されるが、巨人はその鉄の小雨を容易く振り抜く。そして彼らの後ろから、その人型の兵器は容赦のない光の雨を降らせた。
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