『そして、龍になる』

山岡 きざし

プロローグ 青年の頃

 ドンワーズ・ハウという男が両親を失ったのは、彼が十八の頃だった。

突然の訃報は、まだ精神的にも幼い彼を絶望させるに足るもので、振り返れば、彼にとって人生の転換点とも言える出来事だった。

 その訃報を伝える電話からは、飲み込みようのない現実が漏れ出てくる。

動悸、眩暈、吐き気。事態を把握できないまま、彼は慟哭した。


 彼の両親を突如奪った、その〝現象〟が発生したのは、当時ドンワーズの両親が結婚記念日のお祝いとして二人で訪れていた海沿いの行楽地で発生した。

当の問題は、当時の調査局でも捜査が難航するものであるとされ、余りにも不可解なその現象は未解決事故として処理され、加えてそれに関係するあらゆる情報を表から消し去られることとなる。  


 当該事故の被害者は、幸か不幸か彼の両親のみであった。彼とその両親が籍を置いていたダッカニア国は、遺族である彼に多額の補償金を支払った。

 両親が去り、他に身寄りもない一人っ子であったドンワーズは、その補償金を受け取るも、学校に通いながら当てもなく生活していた。

ただ、そんな彼の心の内にあったのは、いつしかあの事故の真相をこの手で明らかにする、という燻るような衝動だけだった。


 高等学校を卒業した年、進学するわけでもなく、近所の飲食店でアルバイトをしながら今後をどうするか決めあぐねていた彼は、暇な時はいつものようにインターネットで当時の情報を漁っていた。なんでもいいから、少しでも糸口になるような情報はないか、と————



 窓を封じるように遮光カーテンは閉じられ、薄暗い部屋の中でモニターの光だけが光源として機能する不健康な空間。青白い光を顔に浴び、特筆すべきこともない彼の仏頂面が淡く照らされていた。

 あの事故が起きてから既に半年ほど経つ。当初、あの事故に関することはなるべく見たくない一心で、自ら情報を避けていた。

 しかし時間が経ち、それら情報にも徐々に向き合えるようになった。そして半年が経過した現在でも、未だにその手の話題はネットの住民にとっては鮮度の良い話のネタなのだった。


「…………」


 定期的にマウスをクリックする音、キーを押す音、それを机の上で動かす音、パソコンの駆動音、それと浅めの呼吸音———それ以外は聞こえない。


『ていうか、目撃した奴がほとんどいないのがもうおかしいだろ』


『聞いた話じゃ、政府の秘密実験がその付近で行われてたらしいぜ』


『その日、ジュトーン・ビーチにはあまり人がいなかったらしい。きっと規制されていたんだろう』


『それは単に平日で比較的空いてたからって前に結論出てただろ』


「………………」


 事故現場の写真はほぼ存在していないという。少なくともネット上にあるものはそうだ。ドンワーズ自身、現場の様子は幸運にも事故発生当時に見かけたことがあった。

 事故発生当初、どこかのテレビ局が誤って一瞬流したものだったらしいが、もはや鮮明な記憶としては残っていないしそれを保存できてもいない。誰かがそれを個人的に保存してネット上で公開したこともあったようだが、それも直ぐに削除された。

 何より、それが本当の写真なのかも分からないが、仮に本当だとしてそこまでして伏せなければならない情報だったのか。


 半年近く経った今では、ドンワーズのネットを覗く頻度は段々と少なくなっていった。そういった情報を扱っているアングラなサイトも一通り見て回ったし、今頃新しい情報が浮上することもほとんどない。


 話題の尽きないネタであるが故に、同じような情報が狭い場所でループしているような状態だった。そして彼自身、何か特別当てがあるわけではなかった。

個人で出来ることなんて限られているし、どう行動したらいいのかも分からない。


 こんな惰性じみた習慣はもうやめて、いい加減前を向いて生きていく方が死んだ両親も報われるというものなのではないかと、最近はそんな考えもよく頭をよぎる。


 もしくは単に、空いた心の穴を埋めるように盲目的に何かしていたかっただけなのかもしれない。………あるいは、変化を求めて。


「…?」


 ただ、今日の暇つぶしはいつもとは違った。不意に手元の携帯が僅かに鳴る。

メッセージを受信した際になる音だった。

 普段メッセージを送ってくる人間なんて全く居ないが故に少し警戒したが、そのメッセージを見たとき、何かゾワッした感覚が全身を覆ったのを感じた。



「ここか……」


 数日後、彼は出先にいた。着いた先は何の変哲もない、町中にあるごく普通の一軒家だった。少し高台にあるため、道中の勾配が不便だなと感じる程度。爽やかな雰囲気を放つ青を基調としたカントリー風の家屋。


 昼下がりの日光を浴びて、深い海のような色合いの屋根が輝いている。家の庭にはちょっとした花壇や畑があり、ほのぼのとした時間が流れている。その様子を垣根越しに見ただけで、持ち主の生活環境が容易に想像できた。

 呼び鈴はなさそうで、これまた青いドアに取り付けられているドアノッカーを掴んで少し遠慮気味に数度鳴らした。

 少しすると「はーい」と、応答する声が中から木霊するように聞こえてきた。そして些か騒がしい足音が迫るとドアの前で止まり、開かれた。


「…ドンワーズ君、だね?いらっしゃい、よく来てくれた」


 ——おばあちゃん。初めて彼女を見た時の感想はそんなところだった。白髪でよく整った短めの髪が特徴的で、背はさほど高くなく、ドンワーズよりも少し低い。推測できる年齢とは別に、若々しい雰囲気を纏っている。


「は、初めまして。えっと…」


「ふむ…まぁ、ここでは本名でいいだろう。パルフォル・ジーオクリオだ。パルフォルでいい」


「パルフォル…さん。よろしくお願いします。ドンワーズ・ハウです。ドンワーズと呼んでください」


「あぁ、よろしくねぇ、ドンワーズ君。さて、玄関で話すのもなんだ、中に入っとくれ」


 外観通りの至って普通の住まいだった。特別珍妙な物が置いてあるわけでもなく、よくあるリビング、小柄なキッチン、ビデオデッキ。ウッドハウス特有の木材の香しい匂いが仄かに香る、そんな家。


「………」


「ははっ、何かすごい物でも置いてあると思ったかい?」


「えっ…!?あっ、いえ……そういうわけでは———」


「いいさ、こんなババアの家で良ければ好きに見とくれ」


 キョロキョロと見まわしていたことに言及され咄嗟に否定したが、特に咎められるようなことはなかった。


「まぁ座りなさい。お茶を淹れてくるよ」


「あっ、どうも・・・」


 妙なやりずらさを感じながらも、促されるままに木製の椅子に腰かけ、老婆とまではいかない彼女を待つ。リビングの椅子に座ったドンワーズから見えるキッチンに立つパルフォルを見ると、不意に亡き母と姿が重なったような気がして、咄嗟に目を伏せた。


「…しかし、君も若いのに、なかなか奇特な人だねぇ」


「というと…例の、異界の話…ですか?」


「あぁそうだ、異界の話さ。まぁ、メールを送っておいてなんだが、そんな眉唾以下の話を真剣にくみ取ろうとする者がいるとはね」


「それは…」一件のメール内容が脳裏に過った。


 先日のネットサーフィン中に突如として送られてきた一通のメール。その差出人がまさに彼女、パルフォルだった。


 その内容は———


『被害者遺族ナンバー001。ドンワーズ・ハウさん。〇〇年〇月〇日に発生した事故は異界による事故かもしれません。もし真実を探求する思いがあるのなら、私と一緒に事故を改めて調べてみませんか』


という全方位に強烈な胡散臭さを放つ怪文書だった。


 当然、彼も最初は何かの悪戯だと思い無視しようと思ったが〝異界〟という言葉に無意識に惹かれたのである。何でも良いから変化を求めていた彼にとって、どれだけ怪しかろうと拒否できない餌同然だった。


結局、そのメッセージに返信し、今こうして送り主の家にいるわけだが。

 そりゃ、あの怪しさ全開の文面を見たら、普通真面目に取りあったりはしないだろうな、と内心。もちろん口にだして言ったりはしないが。


 キッチンから戻ってきた彼女は、片手に持っていた菓子袋をバサッと破るとそれを傾け、器の中にカラカラと乾いた音を立てながらクッキーとそのくずが雪崩のように注がれる。


「こんな物しかないけど、よかったら食べとくれ。ババアには重くてね」


「あ、ありがとうございます……」


 カチャ、と食器が子気味良い音を奏でる。純白のティーポットの注ぎ口から琥珀色の液体が滑り落ち、つがいのティーカップの中へと吸い込まれていく。


「それは…?」


「ただの紅茶さ。私のお気に入りでね」


 そっとテーブルに置かれたカップから広がるフルーツを感じるような芳醇な香りが鼻から侵入しドンワーズの心をほぐすようで、精神的な癒しを与えてくれる。


「いい匂いだろう?」


「はい、とても…」


「そう言ってくれて嬉しいよ。……さ、乾杯だ」


カップを僅かに持ち上げる。ドンワーズもそれに倣い、二つの容器が身を寄せ合う。


「この家には、基本的に誰も来ないからね。お客さんが来てくれると、私も嬉しいさ」


「そういえば、その…ご家族とかは、いないんですか?」


 老婆が一人で住むにしては、些か広すぎるようなリビングを何となく見渡しながら無意識に尋ねていた。それにこの家には二階もあるし、同居者がいると考えるのが普通だろう。


「家族か…」


不意に聞かれたせいか、呟いた彼女は何か感傷に浸るように目を細めた。


「あっ…すみません。その、変なこと聞いて」


「いや、大丈夫だ。…私の家族はね、もう随分前に…この世を去ってしまったんだ」


目を細めたまま、彼女はカップに注がれた琥珀の水面を眺め、そう告げた。


「えっ…」


「…こんなことを言うのも不謹慎だが、君と私は似た者同士なのさ」


 似た者同士。確かにお互い家族を失った身だが、何か含みのある物言いだった。


「そ、そうだったんですか…すみません」


「謝らなくていい。これから君とは協力関係…というと些か大げさだが、それなりの付き合いになるだろうからねぇ。身の上話はきちんとしておくべきさ」


「協力関係…?」


「あぁ。これは、まだ言ってなかったことだが、私が家族を失ったのは、何を隠そう、原因不明の事故によるものなんだ」


「原因不明の…?それって…」


 そこまで聞いて、彼女の言いたいことが瞬時に分かった。同時に、ドンワーズに誘いのメッセージが来た理由も。


「そう、君と同じさ。今から…もう40年以上前になるな。あの日から、あの事故の原因を究明しようと、そう決意したんだ」


「………」


「ドンワーズ君。君も、それを解き明かしたい。そうメールで返答してくれていたね」



 紅茶が注がれていたカップは既に空になり、それを飲み干した二人は外に移動していた。二人の目の前には先ほどまで居た家屋の雰囲気と対になるような木組みの物置小屋があり、その中へと案内される。


「さて、君のことはひとまず助手としよう。本当は公開することすら恐るべきことだが…助手となった君には、私の研究成果を見る権利があるね?」


 何やら口外無用の何かを見せることに躊躇しているかのような物言い。しかしそうは言うが、本当は見せたくて仕方がないのだろう。彼女の表情は宝物を親類に見せようかというような少女のようだった。


「ここは…」


 小屋の中は文字通りの物置と言った風貌で、ガーデニングで使用していたのだと思しき道具が、木製の棚に小綺麗に整頓されている。小屋を形成する木板の隙間から陽光が漏れ、薄暗い室内を神秘的に照らしていた。

 そんな秘密基地の空いた一辺。彼女が床に敷かれた大きめのマットをおもむろにずらすように剥がすと、その場にそぐわないような金属製のハッチが出現した。

重々しい、金属部分が擦れる音と共に開かれたフロアハッチの下には階段があり、さらに深い空間が続くように広がっている。


「…さ、入ってくれ———」


 促されるまま階段を下る。いつの間にかLEDランタンを手にしていた彼女を先頭にゆっくりと下った先には、上の空間とは全く様子が違う、まるで塹壕のようなむき出しの土壁が現れた。その地下空間に無数に置かれた精密機械などは一見するとちょっとした軍事施設のようにも見える。


「けっこう広いですね……」


 無数に置いてある機械を無視すれば、それなりに走り回れるくらいの広さだった。鳥の鳴き声や風の音などが聞こえていた上とは違い、ここではひんやりとした機械の駆動音だけが寂し気に鳴り響いている。


「…その、今更聞くのもなんですけど、本当に異界…異世界なんてあるんですか?創作の話じゃなく…?」


十数年生きてきたドンワーズも異界や異世界という言葉、概念を聞いたのはせいぜい創作物の中に存在するものくらいだった。


「まぁ…そう思うのも無理はないだろうね。私がこれを探求し始めたのは、さっき言った通り、事故の真相を解き明かすためだ。けれど、異界というものに着目したのは、他でもなく、当時解決しようもない原因不明の事故の真相を、仮想的に生み出した〝異界〟という犯人に擦り付けて現実逃避しようとしたのが始まりさ」


「はは」と、彼女は自嘲気味に笑った。


「しかし、思いつきというのはすごいものでね。興味本位で過去にそういった不可思議な事件や事故が他にも起きていないか、出来うる限り調べたんだ…。そこにモニターがあるだろう?」


 向き直り、背後にある彼女が指示したそれを見た。

その画面には何らかの数字を交えたリストがズラッと表示されており、一見すると時刻表のようにも見える。

 しかし、よくよく見れば〝それ〟がいつ、どこで、何が起きたのかが記されていることが分かる。


「どうやって、こんなリストを…?」


 素人のドンワーズでも分かる。こんな詳細なリストを個人で作成するのは不可能に近いだろう。


「はっは、こんな白髪のババアにこのリストを作成する能力があるのかって?もちろん、全部が全部私の手柄ってわけじゃない。私はただ、きっかけを作っただけさ」


「…まだ何か隠し事があるってことですか」


「まぁ、そういうことだ。あの膨大な過去の資料や公文書から特定の条件のものを個人的にサルベージするのは不可能だからね。だから、当時の職場に頼ることにしたんだ」


「職場? そういえば…」


「あぁ、もう何年も前に退職したが、私は中央調査局の元調査官なのさ。そして、そこで『異界探査部門』を個人的に立ち上げた。ここの設備はその前身というわけさ」


「ちょ、調査官だったんですか…!? それは…流石に予想外でした…」


 ——調査局。ここダッカニア国の中でも警察の一端を担っている公的組織。

 その中でも中央調査局はその本部であり、国内でも随一の公権規模を誇る。調査官という肩書はその中でも実働的な働きを主にしており、組織内でもトップクラスの地位だった。


「ははっ、そう身構えないでおくれ。もう過去の話さね。けど、その身分のお陰で、こうして個人的な要望をある程度叶えることが出来た」


「なるほど…。えっ、じゃあ…調査局では異界に関する調査が行われているってことですか!?」


 異界などという絵空事のような概念が、調査局のような公的な政府直属の組織の調査対象になっているということであれば、それこそ世間がひっくり返るような事案である。


「あぁいや、そういうわけではなくてだね」


「…?」


「さっきも言ったが、これは個人的な要望なんだ。もちろん私個人のね。つまり調査局の内部に、私的に異界という概念を調査することを活動指標とした部門を設立しただけで、調査局全体の活動ではないということさ。誤解を招くようなことを言って悪かったね」


「あぁ、そういうことでしたか。いえ、まさか調査局内部でそんなことが起きてたなんて思いもしなくて…」


「これは基本的に口外されない情報だからね。もちろん、君も外部にこのことを言うのは控えてくれよ?」


「そ、それは、もちろん……」


「頼んだよ。さて、話が逸れたね」


視線をモニターに移し、画面に映るリストをスクロールする。


「…半年前に起きた、君のご両親を不幸な目に遭わせた例の現象…あの現象と同様の事が以前にも発生していたという記録が数度ある」


「えっ…?」


「当時の様子を見たことはあるかい?」


「えっと、一応……あの、クレーターみたいな穴が開いていた、あれ…ですよね?」


「見たことあるのかい、そりゃあ幸運だったね。あの現場を映した映像や画像は政府による指示ですぐさま消されたからねぇ。現場周囲の様子は覚えているかい?」


「周囲の…?」


「あぁ、あのクレーター部分だけ注目されがちだが、本質的な問題はその周囲にある」


画面のリストには《 XXXX年 発生場所・ミイエリ州 エクト山北西部 発生時間 X時 X分 空間切除、又は熱破壊 被害度四》とあった。


「…空間切除、熱破壊?」


 その項目の詳細が開かれると、恐らくその当時に撮影されたであろうモノクロの写真が表示される。空間切除という文言のとおり、該当の山の斜面が不自然に大きく削り取られている様子が一目で分かる。

 ドンワーズが当時見た、あの時の様子と酷似していた。


「これは…」


「君が見た、その事故現場と似ているだろう?」


「はい…でも、これがその異界によるものだと…?」


「当時、調査局に籍を置いていた私は、当然この現象をいち早くキャッチしたさ。すぐさま現場まで直行して、いの一番に写真に収めた。もちろん、当時でもこのことはすぐに世間に広まって、未解決事件の仲間入りになった。あの後調査局主導の元、穴をシートで覆って大急ぎで土砂で埋め返していたね」


「でも、この感じだったら…地滑りとか、単なる土砂崩れが原因だった可能性は…?」


「それらの発生原因は局所的な雨が降るとか、あるいは地震が起きるとか、そういった外的要因がなければ基本的には起こり得ない。もちろん、そういったことが前日や近い日に起こっていなかったかは確認したが、両者とも起きていなかったんだ」


「消去法的に、その原因は異界に関連したものだと…」


「そう。…でも、今だにその発生原因の解明には至ってない。悔しいけどね」


「でも、それがどうして異界だと思ったんですか?」


些か、というよりは明確な疑問。冷静に考えれば、そこで〝異界〟などという荒唐無稽な概念が浮かぶことなど、彼には到底思いつきもしないことだからだ。


「ふむ…。じぁあ最初の話に戻るが、まず君は異界とは、どういうものだと思う?」


「どういう…」


「ははは、難しい質問だったかね。まぁ、私もこの質問にはちゃんと答えられないかもしれない。そうだね…平行世界という言葉は知っているかい?」


「はい、創作物で聞いたことあるくらいですが…」


「これに関する分野は、現実に様々な学者が研究していることでね。現実に異界という言葉を当て嵌めるなら、これが正確かもしれない」


「つまり、いわゆる異界というものは、平行世界のことっていう話ですか?」


「えぇそう。問題は、その平行世界にどうやって干渉するか、ということ。君だったら、どう考える?」


「えっと…その、時空の歪み…みたいな?」


 当然知らないが、昔読んだ〝そういう話〟が主題の小説にそんな設定があった。漠然とした記憶だったが、咄嗟にそれを記憶から引っ張りだした。


「はは、よくある奴だね。でもそういう切り口はあながち間違ってない」


「…えっ?」


「時空の歪みって言うと、少し抽象的だけどね」そしてデータがこれだと、とある数値を提示した。


 ドンワーズにとっては難解な事柄だったが、パルフォル曰く時空の歪みを発生段階に応じて目に見える影響として数値に変換したものがそれだという。

 そしてその数値を参考に、実世界で発生するあらゆる現象にその数値を当て嵌め、既存の現象から逆説的に原因を特定しようという手法が編み出されたのだそうだ。


「これを測定できるようになったのはここ数年のことでね。昔に起きたそういった現象のデータはないんだが、半年前のジュトーン・ビーチで起きた現象のデータはある」


「この映像……!?」


 事故発生当時のビーチの映像が映し出された。この映像が残存しているということ自体、普段なら考えられないことだった。この数分の映像だけで、いったいどれほどの価値があるだろうか。

 ビーチ全体をある角度から俯瞰するように設置されたそれは、決して良いとは言えない画質で事故の瞬間をしっかりと記録していた。

 聞いたことがあるように、その日は平日で時刻は正午過ぎ。あまり人気はなかった。


「君にメッセージを送ったのは、これの存在を君に伝えようと思ったから、という部分もある。それで……こいつを見たいかい?」


「……はい、見せて…下さい」


どれだけ探しても見つからない、存在すらしていないと思っていた映像。それが見られる機会を逃す選択肢はドンワーズにはなかった。


 彼女は静かに頷くと、映像を再生させた。流れ出す映像の中で、それがその後発生する地点が不自然に揺らめいているのが分かる。

 ただ、少し再生したところで、パルフォルは唐突に映像を一時停止した。


「……見せた私が言うのもなんだが……君、本当に続きを見る覚悟はあるのかい?」


「……はい。それに、こんな映像を見ることが出来るとは思ってもみませんでしたし、俺自身……その、両親の最期を看取ることすら叶いませんでしたから。こんな形でも、見届けさせてください」


 これを直視できなければ、自分を嫌いになりそうだった。何の因果か偶然巡ってきたこの機会を恐怖心に任せて逃せば、一生の後悔になるだろうと。


「……そうか。強いな、君は。だが無理はするなよ。気分が悪くなったら、直ぐに見るのを止めたまえ」


「……はい」


 ——再生。


 暫くすると、ドンワーズの両親が手前から歩いてくる。前方の空間の歪みには気づいていないようで、ビーチの方を向いてカメラを弄っている姿が確認できる。

 その間にも、その歪みは徐々に規模を増し、大きな陽炎のようにも見える。両親の他にも周囲に人影はあるが、その歪みに気づいている人はいないようだった。彼らは異変に気づきもせず、皆思い思いに時間を過ごしている。

 それから十五秒後、それが起きる。


 実際にその瞬間を見るのが初めてだったドンワーズにとっても、理解しがたい瞬間だった。

 所謂、ブラックホールとでも言うべきか。その空間の歪みを中心として、辺りの風景が丸ごと歪み、何とも混沌した、多様な色の粘土を乱雑に混ぜて変形させたような色の景色に変わっていく。その景色の中に、彼の両親もいた。

 その光景に同調するように、画面内に設置されていた数値を示すメーターが激しく揺れ動く。


「……っ」


 明らかに動揺し、瞳孔が開いているドンワーズの横顔をパルフォルは横目でじっと見つめていた。

 映像は続く。その直後、映像を収めていた監視カメラすらもそれの影響でブレたのか、視界が大きく揺れる。

 そして、歪みから生じた空間のぼやけが最も顕著になったタイミングで、その空間ごと切り取られるように、まるでその一部分だけを制止し、後々人為的に加工されたように不自然に風景から乖離し——


「っ……!」


 一瞬で消失した。映像はその最期を映し、終わった。


「……はぁ……はぁ……」


「……大丈夫かい?」


「大丈夫です……その、ありがとう、ございました」


「……きっと、彼らはそれが起きる瞬間を認知すら出来なかったはずだ。苦しみや痛みといったものはなかったはずだよ」


「そうだと……いいですね——…」


 俯きながら、隣にあるメーターを見やる。映像の時間に応じて段階的に数値が表示されている。最後、彼の両親が消え去る瞬間に記録された数値を見ると、あの地点が最も数値が膨れ上がった瞬間だった。


「…この数値と同等になる現象を探せば、原因が見つかるかもしれないってことですか?」


「まぁ…あくまで試験段階だがね。本当にこのやり方で正しいのかは私にも分からないが、今思いつく方法がこれだ。だが、もっと多角的に考える必要はあるかもしれないね————」



「今日は、色々とありがとうございました。その…また、来ます」


「あぁ、いつでも歓迎しているよ」


 すっかり日は落ち、夜になっていた。晩御飯はパルフォルに御馳走になったが、パルフォルもそれを望んでいたようだった。玄関前まで見送られた彼は、彼女との一時の別れをなんとも惜しむように足を踏みとどまらせる。


「…そういえば君、高等学校を卒業したと言っていたが、今後の進路は決まっているのかい?」


「っ、それは…まだ……」


 両親の突然の死去の衝撃はあまりにも大きく、当時のドンワーズは進路どころではなかった。学校の教師や市の職員たちが何かと手続き等の補助をしてくれはしたが、根本的な解決には至っていなかった。


 本来であれば、両親の仕事を手伝う方向で進路を決めていたドンワーズにとって、今回起きた悲劇は彼の今後の人生を狂わせるに等しい出来事だった。


言い淀み僅かに俯くドンワーズの姿を見て、彼女は一つ提案を思いつく。


「もし——」ほんの少しの躊躇い。しかし、力強く言い直した。


「もし、君が望むなら…調査局に入って調査官を目指してみたらどうだい?」


「…え?」


「あぁ、ほら…私は元調査官だし、向こうにも顔が広い。だから、君を推薦してあげよう。勿論、入局するにあたってしっかりと公式な試験は受けてもらうが」


 少し心臓が縮んだ気がした。何となく気を紛らわそうと、瞬間的に煌々と場を照らす暖色の玄関トーチに視線を動かした。それに向かって何匹かの羽虫が挑戦的に動いているのが見える。本能に従うように、従順に。


「どうだい?」


「……調査官」


「もちろん、無理にとは言わない。選択する権利は君にある。でも、君の望みを叶えるなら、その道が現状では一番現実的だろう」


 様々な思いが渦巻いた。事故が起きてから半年以上もの間、出来る限りの手を使って事故の情報を調べては挫折し、荒唐無稽なオカルト話も齧った。自分でもそれの究明方法なんて知らないし、知りようもない。知りたいと思った情報はすぐに消されてしまう。


 こんな成果のないことにこれからの人生を費やしていくのかと、絶望し涙を流した夜もあった。

——ただ、今ここにはチャンスがある。以前では考えられないような情報、機器。そして、志を同じとする人が居る。


「——————やります」周囲の音にかき消されてしまう程、小さい声でつぶやいた。本当はちゃんと大きな声で言ったつもりだった。


「っ……や、やります! っ……俺、調査官になります!!」


「ふふっ……」満足そうに笑みを浮かべたパルフォルは短く笑った。


「決心はついたようだね」


「はい。その……よろしくお願いします。えっと、師匠?」


「あははっ、なんだい師匠って、そんな大仰なのはやめとくれ————」


——この日から、彼の人生は大きく動き出すことになる。

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