遭遇《エンカウンター》③: 暴走

 ジンの脳裏に膨大な情報が流れ込む。

 それは遥か昔の戦いの記憶。

 言葉にすることも憚られる


 妖精フェアリーは摩訶不思議な空間を生み出し他の種族を弄んだ。

 ――騎士はガラスを砕くように空間を破壊し、妖精フェアリーを皆殺しにした。


 遥かに優れた技術を持った種族は全身を武装し、侵略者に抗った。

 ――騎士は敵の武具を無力化し、技術の結晶を滅ぼした。


 他の追随を許さぬ圧倒的な身体能力を持った種族は、本能のままに他の種族を喰らった。

 ――騎士はそれを上回る力でねじ伏せ、命乞いをする彼らを無慈悲に屠った。


 かつてこの世界で人間と生存域を争った魔族たち。

 この防具はその戦いで使われた武装の一つなのだろう。


「~~~~いッ!?」


 気が付けばジンはその籠手を装着していた。

 その瞬間、右の前腕に痺れるような痛みが走る。


「なッ……んだッ!?」


 まるで指先から肘までやすりで削られているような鈍い痛み。

 ガシャッ! と小気味よい音を立てて彼の腕に吸い付き、肘から二の腕、肩に向けて装甲が展開されていき装着が完了した。


「……っなん、で……俺は」


 右腕が絶えず痺れているように感覚が無い。

 我に返るとどうしてそれを装着してしまったのかまるで思い出せない。誰かに操られたとしか言いようがなかった。


「――ッ!」


 彼は自分の右腕を見つめ――再び操られるように駆けだす。


 ――“戦え”

 ―――――“戦え”


 頭に声が響く。

 声に突き動かされ腕を振りかぶる。


「――!」


 ミシェルを虐げていた妖精男の顔面を殴り飛ばす。

 殴った感触はどうにも気色が悪かった。

 だが頭に鳴り響く声がその感触を上書きする。


「ぅおおおおおおっ!」


 もう一度右腕を振り抜く。

 その瞬間、妖精男の体が砕け散る。

 欠片はキラキラと輝きながら宙に溶けていく。


「割れた!?」


 仕留めることができたのだろうか?

 だがジンは似たような瞬間をさっきも見ていた。

 ミシェルの魔法によって真っ二つにされた妖精男は五体満足で再び現れた。


「ウゥゥゥッッ!?」


 突如、ジンは心臓を締め付けられるような感覚に襲われる。

 咄嗟に右手で胸を押さえようとするも、それは自分の意志で動かせない。操られるように右腕が動き、少し離れたところの茂みに手のひらを向ける。


「――ッ!?」


 ドッと冷や汗が噴き出る。

 自分の命を搾り取られているような感覚だ。

 代わりに右腕の幾何学模様が光り輝き――ドウッ! と衝撃が走る。


「何ッ!?」


 右手から放たれた衝撃波によって茂みが吹き飛ばされる。

 そこに潜伏していた妖精男はそこから慌てて飛び退き事なきを得る。

 どのようなトリックかは定かではないが、ジンが殴り飛ばしたのは分身の類だったのだろう。


(魔法? でもいつの間に詠唱……ってか魔法結晶持ってないよな)


 気になったとこを追求したくなるのはジンの癖である。

 妖精男の能力のタネを考察しようとするも、激しい頭痛と鳴り響く声にそれを邪魔される。


「チィッ! こうなったら結界ドメインで――」


 舌打ちしながら手印を組もうとした妖精男だったが、右の拳を大きく振りかぶっているジンを見て固まった。

 距離が離れているはずだった。それなのに気が付けば回避が難しいところまで迫っている。


「待――」


 拳が妖精男の顔面にめり込む。

 骨の砕ける嫌な感触にジンは思わず顔を顰める。

 妖精男は上半身を軸に一回転。

 背中から倒れ込んだときには既に意識は殆ど失われていた。


「ッ!」


 だがジンはそんなことお構いなしに妖精男に馬乗りとなり、右の拳を振りかぶる。

 まるで籠手に操られているかのようだ。


「――――っ……うぅ……っ! あっ!?」


 ようやく落としてしまっていたクマの人形を回収し正気を取り戻したミシェルは、意識のない妖精男に暴力を振るうジンを見て眼帯をしてない左目を見開く。

 自分が正気を失っている間に事態は深刻になっていた。


「やめるのですよッ! もう彼は意識を失っているのです!」

「っう、腕が……!」


 ミシェルの制止をジンの右腕が乱雑に振り払う。

 まるで自分の右肩から先の感覚はもう既になく、全く別の物に挿げ替えられてしまったかのようだった。


「っ……なんで……っ外、れろ!」


 あれほど簡単に装着できたにも関わらず、籠手は張り付いてしまったかのようでまるで外れない。

 妖精男を追撃しようと暴れる右腕は余計に脱着を困難にする。


「――――ウウッ!?」


 再び心臓が締め上げられるような感覚。

 右腕が独りでに動き出し、体の真後ろへ動く。

 肩がねじ切れてしまいそうな激痛が走り体を無理やり後ろに向けなおす。


「…………ふぅ」


 死んだ魚のような生気の無い瞳。くすんだブロンドの髪はろくに手入れもされておらず肩の付近で適当にカットされている。

 体格を見るに女性だろうか、皺だらけのシャツにジーンズというラフな姿。タバコを咥えているところ見るに、喫煙をしようとしていたのだろうか。

 右腕は次の標的を彼女に変えたようだった。


「クッ……止まれ……!」


 ――“戦え”

 ―――――“戦え”


 ジンはその場に留まろうとするも、頭の中に声が鳴り響いて理性が消える。

 右腕に操られるがまま、女性に向けて駆けていく。


「…………ぷっ」

「うっ!?」


 彼女は怯むことなくジンに向けて咥えていたタバコを吐き出す。

 火のついたそれが眉間に命中し彼は体を竦ませる。

 だが右腕はお構いなしに女性を攻撃しようと手のひらを広げて掴みかかり――


「んっ」

「!?」


 天地がひっくり返る。

 それは妖精男の攻撃のような、摩訶不思議な現象が原因でない。

 合気の要領で投げられ地面に叩きつけられたのだ。


「――――ッ!?」


 背中から叩きつけられジンの思考が停止。

 即座にこめかみを軽く叩かれ意識を失った。





――――


 それは静かに雨の降る日だった。

 ジンは母親をどうにか説き伏せて遊びに出かけていた。

 いくら約束をしていたといえ、こんな雨では来ていないだろうと、そう言われたが反対を押し切った。


 雨合羽を着込み傘をさしていつもの空地へ向かう。

 幼馴染のベルは雨の降る中、可愛らしい雨合羽を着て不貞腐れていた。

 待ちくたびれたのか、天使のような甘い声でぶつくさと、ジンへの文句を吐き捨てている。

 ほら、やっぱりいた。

 ジンは帰ったら母親に文句を言ってやろうと思いながら、手を振りながら空地へ駆ける。


 ――耳鳴りのような甲高い音が響く。


 ジンは傘を落とし、思わず耳を塞ぐ。

 ようやく音が収まり顔を上げると、そこには見知らぬ男がいた。

 すらりとした細身で、金糸を思わせるブロンドの長髪。

 彫りは深く濁った緑色の瞳はどこか怒りを抱いているようにも見えた。

 そして何より特徴的だったのは――両の耳が長く尖っている所。

 図鑑に載っている、絶滅した魔族『エルフ』のような容姿の男だった。

 エルフの男は気を失っているベルを小脇に抱えていた。


 ジンは助けようと思ったが両足は張り付いたように動かず、立っているだけで精一杯だった。

 再び耳障りな音が響く。

 エルフの男はベルと共に消えてしまった。






――――


 激しい頭痛でジンは目を覚ます。

 懐かしい夢見の感傷に浸る余裕もなく、呻きながら体を起こす。

 どうやら診療所のベッドの上で眠っていたようで、消毒薬の匂いが鼻を突く。


「――チチチッ!」

「……ネズミ?」


 清潔さとは無縁な小動物にジンは眉を顰める。

 ネズミは何かを呼ぶような鳴き声を上げながら部屋の外へ出ていく。


「……夢……じゃない、か」


 妖精男との邂逅。

 偶然拾った籠手を装着し戦ったこと。

 そして魔法警察の、聞いたこともない部署に所属しているという少女ミシェル。


 痺れているような鈍い感覚の右腕に巻かれた包帯が、それらが現実に起きたことだと物語っていた。

 指先を動かそうにも指が何倍もの太さになったかのように錯覚し、満足に動かすことすらできない。


「――お目覚めのようなのですね」

「あんたは……」


 見計らったかのように姿を現すミシェル。その肩にはネズミが乗っていた。恐らく使い魔の類なのだろう、ジンが目覚めるのを見張っていたようだ。

 しかし彼女の視線は手元のクマの人形の方に向いており、優し気なまなざしはジンの方へは向いていなかった。


「三日三晩も眠っていたのですよ。ずっと目を覚まさないのかと不安だったのです」

「……そっか」


 ベッドから降りようとしたが頭がくらくらとしてままならない。

 何より右腕で体を支えようとした瞬間、肩に痛みが走り顔を顰める。


「いつっ……」

「無茶は良くないのですよ。もしかしたらあなたは死んでいたかもしれないのです」

「……あれはいったい何なんだ? ッていうかあの妖精男とか、特殊魔法犯罪捜査課とか、聞きたいことはいっぱいあるんだ」


 ジンは鈍い痛みを放つ右腕を押さえながらミシェルに問いかける。

 利き腕がこの状態では満足に筆は取れないだろうが、頭のメモ帳に刻んでおくことはできる。


「大した記者精神なのですね。エニタイムジャーナルのジンさん」

「……どうして俺の名前を」


 ミシェルは人形の背中に手を突っ込み中から書類を取り出す。


「時間はたっぷりあったのです。あなたの事は調べさせてもらったのですよ」


 伊達に魔法警察を名乗るだけのことはあるようだ。

 眠っている間に身辺調査をされていたらしい。


「このまま何も語らずにいるべきなのでしょうが、私はあなたには知る権利があると思うのですよ」


 ミシェルは小さくため息をつきつつ、手元のクマの人形に語り掛ける。


「今から話すことは他言無用、決して記事にはしないで欲しいのです」

「……誰にも伝えるなって?」


 ジンは記者の義務と自身の好奇心を天秤にかけ、後者の方が大事だと結論付ける。


「…………ああ。わかった、約束する」


 ミシェルは眼帯をしていない左目を閉じて小さく息を吐く。


「あなたが装着したあれは“魔鎧”『イフリート』の右腕――かつて魔族を絶滅させた魔法武器の一部なのです」

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