第21話


 前以て知らされていた通り、三日後の昼を少し過ぎた頃に現れたアメリは、まるで実家にでも帰宅するようなノックもしない気安さで小屋に一歩入っては、室内をさっと見渡し中の様子を窺う後ろ手で玄関の扉を閉じると、こんな日でも想定内というべきか予想を裏切る事なく普段通り作業台前へ立つシエナの後ろ姿が目に留まった。

 何かの観察中なのか、ガラス容器と向き合ったまま微動だにしないシエナは、アメリの来訪にも気付いているのかすら怪しい熱心さである。

 アメリが訪れなかった日を含め、エイダの指導を受け始めてから一体どれ程の時間そこに立っているのだろうかと少し肩をすくめ、出入口から一歩入っただけでは姿が確認できていないエイダへ向け心持ち大きめの声で呼び掛ける。


 「エイダさーん迎えに来たわよー。準備はどうー?」

 「もう、そんな時間かい?あと少し待っておくれ!最後の荷物を詰めたら鞄がなかなか閉じないんだよ」


 扉が開け放たれた奥の部屋からは、大きなトランクケースの上に乗り自身の重みで無理に金具を閉じようと奮闘しているらしいエイダが、玄関先から聞こえてきたアメリの声に返すべく上半身だけを精一杯に反らし、辛うじて顔だけは見えるような体勢で言い募った。


 「あら…じゃあ、外にうちの若い子を待たせているから手伝わせるわ。ついでにそのまま運ばせるわね」


 状況を察したアメリは今しがた閉じたばかりの玄関扉を再度開くと、敷地前の道に停車している馬車に向かって軽く手を上げる。

 その仕草ひとつだけで、御者席に待機していた十代後半か二十歳そこらに見える見た目も動きも年若い部下が大急ぎでアメリの前へと飛んできた。

 奥の部屋を指差しエイダの荷造りを手伝うよう指示をすると、少年は誰に言うわけでもなく、礼儀としてだろう一言挨拶を発してからエイダのいる方へ向かい歩いて行く。





 ◇ ◇ ◇ ◇





 「エイダさん他に忘れ物は無いかしら?」


 エイダが帰りの身支度を進める傍らでは、全ての持ち物が収められ無事閉じる事の出来た革製のトランクケースを手に、馬車へと足早に向かう少年。

 小屋を囲うアイアンの低いフェンス向こうに待機している馬車の後部に荷室トランクは見えるものの、そこは既に荷物が隙間なく収められている。

 商会支部を発車する前の今朝早くに、支部の倉庫で一旦預かっていたエイダの大量の荷物を再び荷室やキャビンの屋根上へと積んだり括りつけていたせいで荷台に余地がなくなった結果、年季を感じさせる大型のトランクケースは、エイダが座る予定の座席足元へと置かれた。

 これにより些か足回りは窮屈になったが、そもそも倉庫で預かるほどに多い荷物がある事自体、シエナのいる領への到着までの道すがら新たな街に入る度毎に、エイダ自身が購入しては増やし続けた『家族への土産』という名目の多種多様な品物と自分用の書物類であった。


 旅の途中からは、同乗していたアメリが増える荷物と長い買い物時間に耐えきれず、移動中の馬車内で注意をし大喧嘩に至ったという経緯がある。

 この些細すぎる言い争いがあったお陰で、全く気負いの無い今の関係が出来たともいえるが、多分それ以前からエイダへ対しては素で接しても大丈夫だという気持ちがアメリ側に芽生えていたからこそ、憤慨さを表に出したのだろう。

 そもそも、いくら高齢で重要な人物とはいえ常に人材不足で皆が忙しく働いている商会の副会長が自ら往復の馬車内に付き添う事などはしない。

 故に同行を選択した時点でエイダ相手に気負う必要がなくなっていたのかもしれない。


 「ああ、無いよシエナから貰った上等な濾過器具も壊れないよう木箱に入れて仕舞ったからね。魔導具じゃない濾過器具は余り使わないから有り余っているんだってさ!宮廷御用達品の器具なんて使ったら作業時間が一時間、いや二時間は短くなるかもしれないよ」


 玄関方向に足を向けながら嬉々として話すエイダの姿に、鞄が閉じなかった原因はこれかと呆れながらも、ひきつる頬を上げ笑顔を張り付けるアメリ。


 「そう……それは何よりね。じゃあ行きましょう、扉に段差があるから足元に気を付けてね」


 柔らかい口調に加え、優しげな親しみやすい表情でエイダを馬車へと促すアメリに、シエナは今日御者を務める者は商会に雇われてそう年数の経っていない新人なのだろうと、作業を終わらせ片付け始めた背中越しからでも感じられる商会員の新鮮さや、新人特有の慇懃さから感じ取った。


 部下である商会の者に、アメリが余所行き顔で接している状況はこれまでも多くあった事から、特段反応もないシエナとは対照的に、同じような認識をしたが反応は正反対のエイダの顔は大層愉しげで、ニヤリと口の端を上げ鼻唄を歌いながら身支度の仕上げとでもいうように首元にキュッ!とストールを巻き付け足取りも軽やかに歩く。

 短くはない帰路の馬車内で、アメリを茶化す話のネタがひとつ増えた事に満足しているのが簡単に見てとれたアメリは、心の中で『まったく……』とこぼぬるい目でホクホク顔のエイダをチラリと見遣る。

 そんな二人の後方へと近付き背中を追い歩くシエナの表情は、やや俯き加減で表情までは窺えないが、若干重い足取りが心の機微を表しているのだろうと、前を歩く大人である二人は何となく感じ取った。

 

 「さて、じゃあここでお別れだね」


 小屋を出て五歩六歩進んだ飛び石の終わり、舗装もされていない土が剥き出しの道と小屋の敷地の境で不意に足を止め、ゆっくりと歩みを進めるシエナの方に身体を向けたエイダの動きを受け、俯いていた顔を上げようとしたと同時に、広げられた両腕がシエナを包み込むように延びた。


 「いいかいシエナ、今回はまだまだ及第点だ。次に会う時には使を完成させて、完治したお前さんの師匠と一緒にうちの店に来るんだよ」


 予期せぬ抱擁に驚きのあまり、声すら出せず固まったシエナをより一層抱き締めてから腕を解いたエイダは、シエナの冷たい頬に手を添え答えを求める。


 「どうだい?約束出来るかね?」


 悪戯っ子みたいな顔で片目を閉じ笑みを浮かべたエイダに、コクンと小さく頷いてから、何故か震えそうになる声を押さえ込んで口を開く。


 「はい。この次お会いする時には、必ず師匠と共にエイダ様の元へ向かうとお約束致します」

 「ああ…待っているよ、じゃあ直ぐ作業に戻る事だね。ここにあるものだけじゃ足りないんだろう?今生の別れでも無し、私もこの娘だって見送りなんて湿っぽいもの望んでいないよ」


 カラカラと笑い告げられるエイダの言葉と、その後ろで頷くアメリの表情に背中を押されるよう小屋へと戻ったシエナは、馬車が遠ざかっていく音を聞きながら、出来上がったばかりの液体と紙の束を肩掛け鞄に仕舞った。

 紙にはエイダから教わった抽出要点や、それを教わり実行した際に思い付いた事柄を書き綴った、とても大切で二つとないものである。

 それとエイダが言った通り、簡易的な作業場である小屋では出来ない事があるのに併せ、自宅研究室へ保管してある資料を今までとは違う視点から見返さなければならないという考えも出てきていた。

 言葉にすると稚拙になりそうな寂しさと、まだもう少しエイダから教えを請いたい感情が奥底にあったが、きっと教われる内容はここまでだったんだろう。

 これ以上はシエナが得意とする魔導薬の領分だと、エイダの長年作業を続けてきた勘が知らせていたように思う。

 どことはいえないが、師匠に似通った気質と居心地の良さを感じる不思議な女性に、次は師匠ネヴィアと共に会いに行く約束を交わした今、またひとつ増えた約束事はシエナを奮い立たせるものとなった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る