第18話
荒川水系の電力が落ちたのは三日前だった。
最初の報せは「送電の遅延」程度で、武蔵国でもそこまで騒ぎにはならなかった。文明崩壊後のインフラなんて、半分死んだまま動いてるようなもんだ。でも今回は、様子が違った。
翌朝、秩父の川が——真っ赤に染まった。
「色つきの濁流」とか「赤土が混じった」とか、そういう言い訳じゃない。灯油みたいに光を反射する、血に近い赤だ。管理隊が採ってきた水も同じ色をしていた。さらに追い打ちで、浦沢ダム方面へ調査に向かった魔法少女の連絡が途絶えた。
そして、とどめが——武蔵国のリーダー・
颯は、電脳ネットでたびたび名前が上がる。彼女は政治の場でも戦場でも常に先頭に立つ"実力者"といわれる。俺の中でも「めちゃくちゃ頼れる人」という印象が強い。だから、雅の通話でその名前が出た瞬間、俺は少しだけ身構えた。
『小角。あなたが行ってあげてください。颯さんは"信頼できる人"ですわ』
「颯って……あの武蔵国のリーダーの?」
『ええ。頼れる方。あと、動画で見るより美人ですわよ』
いや、そこは関係あります? と思ったが聞かないでおいた。
◇ ◇ ◇
秩父駅に着くと、俺はすぐに"見覚えのある姿"を見つけた。
ショートカットの魔法少女。きりっとした瞳、まっすぐな背筋。人混みの中でも存在感が浮き上がる。——本物だ。動画越しに何度も見た、武蔵国のリーダー・嵐山颯。
颯は俺に気づくと、軽く手を挙げた。
「役野小角? よかった。初めまして、だね」
「あ、はい。颯さんは……動画で何度も……その……」
「うわ、やっぱ見られてるか」
颯は照れたように後頭部をかいた。動画の中では絶対見せなかったリアクションだ。
「普段の俺はあんな"カッコつけリーダー風味"じゃないから、気軽にしていいよ」
「いや、でも実際カッコいいですよ。リーダーとしても、魔法少女としても」
颯は「そっか」と照れたように笑った。この人、動画よりずっと柔らかい。親しみやすい。会った瞬間、すっと肩の力が抜ける。
「じゃ、歩きながら話そうか。今、武蔵国もギリギリでさ」
◇ ◇ ◇
駅近くの緑道を抜ける途中、俺はふと思い出したように脇道へ入った。
「……颯さん。すぐ近くに今宮神社があるんで、ちょっと寄っていいですか? 役行者が開いた場所で、八大龍王神の住処とされる御神木があるんです」
颯は一瞬驚いて、それから頷いた。
「やっぱり知ってるんだね。行こう、小角」
小さな鳥居をくぐり、本殿の前に立つ。境内には大きな欅——八大龍王の依り代とされる御神木が、静かに枝を揺らしていた。俺は手を合わせ、短く祈る。
「……すぐ終わります。この土地の水が荒れてるなら、まず龍王に挨拶しておくべきなので」
颯も隣で頭を下げた。
「ありがとう、小角。こういう場所に寄っておくの、大事だと思う」
風がひとつ吹き抜け、欅の葉がさらりと鳴った。挨拶はそれだけで十分だった。
「じゃ、行きましょうか。颯さん」
「よし、行こう」
俺のツインテールが一瞬だけ震えた。——見られている、そんな気配。でも今は気にしない。事件の調査が先だ。颯の声に背を押されるように、俺たちは山へ向かった。
◇ ◇ ◇
神社を後にして山道を歩き始めると、颯が説明を始めた。
「小角、まず今回の状況を整理するね。——三日前、荒川流域の電力供給がいきなり落ちた」
「設備じゃなかったんですよね?」
「うん。武蔵国でも調べたけど、どこにも"壊れた原因"がない。しかも、同じタイミングで荒川に繋がる大血川の水が赤く濁った」
「……大血川。赤く?」
「そして——九十九神社を中心に結界の揺らぎが確認された。ほんの十数秒だけど、あんな風に乱れるのは異常だった」
「九十九神社って……どんな場所なんですか?」
颯は歩幅を崩さずに答えた。
「平将門公の愛妾、桔梗姫と、彼女に仕えていた侍女九十九人を祀る神社。将門公が討たれたあと、姫は侍女と一緒に秩父の山奥まで逃げたけど……追手に囲まれて、全員が自害したって言い伝えられてる」
——また将門公。背中がぞくりとした。
颯は続ける。
「彼女たちの血が流れた川が"大血川"って地名になって残った。でも九十九神社の役目は"祟り封じ"じゃなくて、"供養"。悲しい最期を遂げた女性たちを鎮めるための場所だから……本来なら結界が乱れるなんて、起こらないはずなんだよ」
「その揺らぎと……赤い川と……魔法少女の消息不明が、全部つながってる?」
「俺はそう見てる。電力障害、赤い川、失踪——どれか一つなら偶然で済む。でも三つ重なったら、もう"異変"として扱うしかない」
颯の声は落ち着いていた。しかし、その横顔には責任と焦りが刻まれていた。
「小角。この異常は"九十九神社の内側"で起きてる可能性が高い。武蔵国として動いてはいるけど、神域に入れる魔法少女が必要だ。だから……君に来てもらった」
颯は俺の目をまっすぐ見て言った。動画越しの"政治的リーダー"とは違う。目の前の颯は——仲間に頼ることをためらわず、でも、一人で背負っている重さが伝わってくる。
だから俺は、迷わず頷いた。
「任せてください。颯さんに頼まれたら、行くしかないでしょ!」
「ありがとう、小角。本当に助かる」
颯は淡々としているのに、背負っている緊張は言葉以上だった。
◇ ◇ ◇
「……小角、一つ聞いていい?」
颯が唐突に口を開いた。
「はい、なんでしょう」
「君って、修験道系の魔法少女だよね。石槌山法起坊——役行者の大天狗」
「そうですけど……なんでそれを?」
颯は少し考えてから、静かに答えた。
「実はね、今回の異変——九十九神社の結界が乱れた時、"修験道の気配"が混ざってたんだ」
「……修験道の?」
「うん。神域を守る結界に、修験の力が干渉した痕跡があったらしい。だから、君が必要だったんだよ。同じ系統の力を持つ魔法少女じゃないと、神域の深部には入れないかもしれない」
俺は黙って頷いた。修験道——役行者の力。俺が持つ石槌山法起坊の特性。それが、この事件に関係している。
「颯さん、もしかして……行方不明の魔法少女も、修験道系だったんですか?」
颯は少しだけ表情を曇らせた。
「ああ。彼女は……秩父の山を守ってた子でさ。名前は『
「三峯神社……」
「秩父の奥にある、修験道の聖地。かすみは、その神社を守る役目を自分に課してた。真面目で、責任感が強くて……だから、浦沢ダムの調査に真っ先に名乗り出たんだ」
颯の声が、ほんの少しだけ震えた。
「俺が止めるべきだった。でも……彼女は『自分にしかできない』って言って聞かなかった」
「颯さんのせいじゃないですよ」
俺は即座に言った。颯は少し驚いた表情で俺を見た。
「かすみさんは、自分の意志で行ったんでしょ? なら、それを尊重するべきです。颯さんが責任を感じる必要はない」
「……そうだね。君の言う通りだ」
颯は小さく笑った。でも、その目には、まだ心配の色が残っていた。
「だからこそ、君に頼りたい。かすみを助けてほしい。それに——この異変を、止めてほしい」
「任せてください」
俺は力強く頷いた。颯は満足そうに微笑んで、前を向いた。
山道を登っていく。木々が生い茂り、陽の光が木漏れ日になって差し込んでくる。空気がひんやりとしていて、秋の匂いがする。でも、その奥に——何か別の気配が混ざっている。まるで何かが"目を開けた"ような気配。
不穏な、重たい気配。
九十九人の侍女の未練。桔梗姫の影。赤い川。行方不明の魔法少女。すべてが、この先に繋がっている。
颯とともに歩きながら、俺は胸の奥に小さなざわつきを抱えたまま進んだ。
——ここから始まる事件は、きっと簡単には終わらない。
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