第27話 エピローグ 千鶴の手紙
おばあちゃん。この手紙を読んでいるってことは私はおばあちゃんにこのことを直接話せなかったってことですね。
そんなこともあるかもしれないって思ってたからこの手紙を書きました。私はこの村に来てはいけない人間であることは重々承知はしているんです。だから、その時はたぶん春ちゃんにこの手紙を托すことになるのかな。でもそれだけじゃなくて、この手紙を書くことで、おばあちゃんに何をどう伝えたらいいか、自分の頭を整理したかったってこともあります。
私はあの台風が近づいていた日、海を見るためにいつもの防波堤へ行きました。風は強かったけどまだ雨も降っていなかったし、防波堤の内側だったら大丈夫だろうと、危なかったら近づかないで引き返そうと、そう思っていました。
でも防波堤から見る海はいつもの海と全然違っていました。黒くて大きな波が沖から立ち上がってこちらに向かって来ては浜を駆け上がって、防波堤にまで押し寄せていました。水平線からずっと黒い雲が空一面に湧き上がっていて、海から吹く風が防波堤にぶつかって散った波の飛沫をこちらにまで吹き飛ばしていました。そんな中、目の先、水平線のずっと手前に島影が見えたのです。
そんなところに島なんてあるはずない。台風の雲と波と飛沫が見せる幻影なんだろうって思いました。でも、何度目を凝らしてみても、確かに波の合間に島影が見える気がするのです。
もしかしたらあれが沖縄の古い民話に出てくる伝説の楽園「ニライカナイ」なのではないか。いつもは見えないけど、何かの拍子に現れるのかもしれない。あそこにお父さんやお母さんがいるのかもしれない。そう思ったら目が離せなくて、もっとよく見ようと防波堤の上に這い上がった、その時、強い風に煽られて私は防波堤の向こう側に落ちて、そのまま海に飲まれました。おばあちゃんも知っての通り私は泳げませんから、ただ水の中で藻掻くばかりで、そのまま気を失いました。だから苦るしんだ記憶はないのです。早くに気を失ったおかげで水も飲まずに済んで、生き延びることが出来たんだろうって、後でお医者様がおっしゃってました。
それからどうしてか、流木に捕まって海上を彷徨っていた私は、偶然見つけてくれた漁師さんに助け上げられて、串本の街の病院で目を覚ましたのでした。そのとき記憶が全くなくて、自分の名前すら分からなかった私は、とりあえず串本の養護施設預かりとなりました。その後のことは、以前に会った時お話した通りです。私は速水さん夫妻に引き取られ、速水家の娘として、家族として、速水家の一族として、愛され、何不自由ない生活を与えていただきました。だから記憶が戻ったこと、速水さんには言えないでいます。そして考えたのです。もし私の記憶が戻ったことが分かったらいったいどうなるのか。
あの時、おばあちゃんは私を千歳だと分かったに違いない。でも、それは言えなかった。なぜならもう「千歳」はそこにいたから。春ちゃんももちろん私が千歳であることに気づいたはず。だからこそおばあちゃんに私を引き合わせたんだろうってことも。でも春ちゃんも私が千歳であることを言えなかった。それはそうですよね、もし「私が本物の水城千歳だ!」って言ったら、今の「千歳」はどうなるのか。おばあちゃんも春ちゃんも、きっとそれを案じたのでしょう。
彼女が何者なのか、なぜ「千歳」を名乗っているのか、私には分かりません。直接おばあちゃんに聞いてみようかって考えたこともありました。きっとおばあちゃんは知っているに違いない。でもその上であの子を「千歳」として慈しんでいるのだろうことは想像に難くありません。だから、それを詮索するのはやめることにしました。
いづれにしても私は速水さんを自分のパパ、ママとして愛しています。あの人たちを裏切るようなことは出来ません。そして、私の記憶が戻ったということを隠していさえすれば、みんな丸く納まる。それは私自身についても言えること。私がおばあちゃんの孫に戻ったとして、誰が幸せになれるでしょうか。そもそもこんなことになったのは私のせい、自業自得です。そしてそのことできっとおばあちゃんに大変な心配を掛けたに違いない。だから私が責められることはあっても、私が誰かを責めるなんてお門違いにもほどがあります。
頭では分かっているんです。でも、どうしても、もう一度おばあちゃんに会いたいのです。会って、どうしたらいいのか、何を話していいのか、正直、分かりません。それでも、会いたい。ただ、もう一度おばあちゃんの家で、お茶を呑みながら話がしたい。そして一言謝れたなら、私はもう2度とおばあちゃんや春ちゃんの前には現れないと誓います。そう、私はおばあちゃんに一言謝りたい。そしたら速水千鶴として、しっかり足元を見て歩いて行ける気がするのです。
おばあちゃん、あんなに慈しんでくれたのに、何も恩返しできずにごめんなさい。心配ばっかりかけてごめんなさい。おばあちゃんのこと大好きです。離れていても決して忘れません。
それが全てです。
出来る事ならお会いして、直接伝えたかった。それだけが心残りです。
千歳
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