episode.19
お父様がニヤニヤと私を見つめていても、私の心は自分でも不思議なくらいに冷静で、その視線に少しも動揺する事は無かった。
あれほど恐ろしく、絶対的な存在であったお父様……。
それも、お父様がエクルース家の当主と信じていたからだわ。
家の名を背負った当主とは、それ程に家人に影響を与える存在。
何故なら、全ての決定権は当主にこそあるのだから。
だから尚更、当主は冷静に全ての物事を計らなくてはいけない。
お父様の振る舞いは、とてもでは無いけど高位貴族家の当主とは言えないものだった。
……それも、偽りだったけれど………。
いつまで待っても私の顔色も表情も変わらない事に、お父様はだんだんとその顔に焦りを浮かべていった。
陛下が顎に手をやり、楽しそうに私を振り向く。
「エクルース伯爵よ、この罪人の言っている事をどう思う?」
陛下に問われたなら、答えない訳にはいかない。
私はジッとお父様の顔から目を逸らさずに、毅然と胸を張った。
「我がエクルース家に、このような罪人をとどめ置くつもりなどはございません。
今この時を持って、この者をエクルース家から除籍し、家門から排斥と致します」
淡々と感情を表に出さずそう言うと、お父様が顔をドス黒く染め、怒鳴り声を上げた。
「テレーゼッ!貴様っ!
育ててやった恩を忘れ、実の父を排斥だなどとっ!
なんて生意気な口をきくんだっ!
お前のような者にっ、私を排斥する権限など無いっ!」
目まで真っ赤に染めて、私に噛み付く勢いのお父様を近衛騎士が力付くて床に這いつくばらせた。
私はそのお父様は見つめ、ますます自分の心が凪いでいくのを感じていた。
私は、一度ゆっくり目を閉じると、直ぐに目を開き、真っ直ぐお父様を見据えて口を開いた。
「エクルース家当主、エクルース伯爵の権限で命じる。
サンス・エクルースを家門より除籍し、この時より、エクルースの名を名乗る事を禁ずる。
再びエクルースの名を騙る事あれば、相応の報復がある事、しかと肝に銘じよ」
エクルース伯爵として、誰にも恥じぬように胸を張り、キッパリとそう言い捨てる。
お父様は顔色を真っ青に変えて、驚愕に目を見開いていた。
シーンと静まり返った静寂の中、ややしてお父様が媚びるような歪な笑いを浮かべた。
「テレーゼ、私の可愛い娘よ。
優しいお前はこの父に、本当はそのような仕打ちは出来ないだろう?
私はお前の血の繋がった父親だ。
心優しいお前には、そんな私を切り捨てる事など出来まい?そうだろう?」
その卑しい笑いにも、私はピクリとも表情を変える事は無かった。
「父親とは、娘を不当に扱い、気に入らなければステッキで鞭打つあの存在の事でしょうか?
母の形見だと謀り、違法な魔道具で生命を脅かし、そのせいでまともに動けない者を、朝から晩まで邸の仕事にこき使い、まともな食事さえ与えず、不衛生な環境に捨て置く。
私はそのような父親しか知りませんが、貴方の言っている父親とはその事ですね?
ならば私は、そのような存在を必要とはしません。
血の繋がりだけで私を縛り付ける事など出来ないと、ハッキリと申し上げておきましょう。
家門よりの除籍だけでなく、今ここで、貴方との親子の縁も切らせて頂きます。
私は貴方を父親とは思いませんので、貴方も私を娘だなどと、二度と口にしないで下さい」
一切表情を変えず、一気にそう宣言すると、お父様は信じられないものを見る目で私を見つめ、その身体をガタガタと震わせた。
その瞬間、陛下が手を叩くと、つられるようにその場にいる貴族達も手を叩き出し、その場に拍手の渦が生まれた。
皆が口々に私への賞賛を口にし、鳴り止まない拍手の中、私は流石に驚いて横にいるノワールを見た。
ノワールもニッコリと微笑み、同じように拍手をしてくれている。
その瞳が誇らしそうに甘く揺れていた。
陛下がスッと手を上げると、途端にシーンと静まり返りその場が静寂を取り戻す。
「さて、これでこの男はエクルースの名も失い、ただのサンスとなった。
だからと言ってただの平民にもなり得ない。
罪人だからな。
罪状はたっぷりとある、断頭台にするか、磔にするか、ふむ、さてどうしてやろうか?」
私に向かってニコリと笑う陛下に、私は表情を崩さず静かに頭を下げた。
「どうぞ、陛下のよしなになさって下さいませ」
淡々とそう返すと、お父様が低く呻き、お継母様とお姉様が悲鳴を上げた。
「私はっ!私達は何もっ、何も知らなかったのですっ!
この男に騙されていただけですっ!
自分は伯爵だとっ!そう言うこの男に私達は騙されていただけなんですっ!」
お継母様がお父様を震える指で指差して、悲鳴のような声を上げた。
その隣でお姉様もガタガタと震え、涙に濡れる目で縋るように私を見つめる。
「テレーゼッ!私は、私だけでも助けてくれるでしょっ!
私と貴女は姉妹なのよっ!
私が貴女の姉である事実は変わらないじゃないっ!」
2人の言い分に、私は小さく溜息をついた。
先程、実の父親でさえ血の繋がりのみではどうする事も出来なかったと言うのに……。
何故、まずは自分達の罪に向き合おうとしてくれないのかしら……。
貴族だから、そうでは無いからという問題ではない。
この人達の犯した罪は、ことごとく国の法を破っているというのに。
私はまず、お継母様を真っ直ぐに見つめた。
「お継母様、貴女は知っていたんじゃないですか?
その者が、エクルース伯爵では無いと」
私の言葉に、お継母様は焦ったように目をあちこちに彷徨わせた。
私の隣からノワールも冷たい声を出す。
「お前は、サンスがバルリング子爵令息だった頃からの付き合いだろう?
王都の貴族相手専門の高級娼館にいたお前が、貴族の継承事情を知らない筈が無い。
ああいった場所はそういった情報が命である筈だ」
ノワールの言葉に、私は内心やはり、と得心がいった。
お継母様は事情を全て知っていたんじゃないか、という私の考えは当たっていたらしい。
「そ、そうだっ!この女は全てを知っていて、エクルース伯爵夫人の顔をして偉そうにしていたんだっ!
セレンスティアが戦死した時も、これでエクルース家を乗っ取れる、貴方がエクルース伯爵を名乗ればいいと私に囁いたのもこの女なんだっ!
私はこの女に操られていただけの、被害者でしかないんだっ!」
お父様がそう叫ぶと、お継母様はそのお父様をギリッと睨みつけ、その顔を醜く歪めた。
「よくもそんな事言えたわねっ!
アンタがこれでエクルース家は自分の物だと先に言ったんでしょっ!
今日からお前がエクルース伯爵夫人だ、エクルース家の金も使い放題だと言ったんじゃないっ!
それなのに、金なんか碌になくて、それもアンタの放蕩のせいですぐに使い果たしちゃったじゃないっ!
私はコイツに騙されただけよっ!
私は何も悪い事などしていないっ!」
お継母様がそう言い返すと、お父様がまたお継母様を口汚く罵り、2人は醜い言い争いを始めてしまった。
見かねた近衛騎士がそれぞれの顔を床に押し付けて、無理やりに喋れなくするとやっと静かになった。
次にノワールがチラリとお姉様を蔑むように見て、凍えつきそうな声を出す。
「それから、先程から自分はテレーゼの姉だと主張しているが、なら何故お前は両親のどちらにも似ていない?」
ノワールの言葉に私はハッとした。
確かに言われてみれば、お父様とお継母様は一般的な焦茶の髪色に、瞳はブラウン。
だけどお姉様は金髪にヘーゼルの瞳。
顔立ちもお継母様よりも整っていて美しい。
その美貌で数々の男性と親しくしていたようだけど、お父様に似ているところが一つもない……。
私もお父様には似ていないけれど、お母様に生写しだとよく言われる。
だけどお姉様はお継母様にも似ていない……。
それは、一体何故……?
私が首を捻っていると、陛下の隣で王太子殿下がクスクスと笑った。
「ノワール、随分と意地が悪いね。
とっくに調査済みだと言うのに」
チラッとノワールを横目で見る殿下に、ノワールはツンっとそっぽを向いてしまった。
そんな不敬な態度を、ノワールったら!
私がハラハラしていると、殿下はノワールのそんな態度を気にもしていないようで、少し肩を落として申し訳無さそうに口を開いた。
「まだ許してもらえないのかぁ。
まぁ、僕が酷かった事は認めるけど、あの時はああするしか無かったんだよ……」
なんだかシュンとしてしまった殿下をノワールは見もしないで、憮然な声を出した。
「許しならテレーゼに乞うて下さい」
そのノワールの言葉に私は驚愕して目を見開いた。
私に殿下に許しを乞われるような何があるというのか。
そんな恐れ多い事、身に覚えがない。
訳が分からず2人の顔を交互に眺めていると、殿下がクスッと笑った。
「もちろん、全てが終わればテレーゼ殿に許しを乞うつもりだよ」
その殿下の言葉に私はますます首を捻った。
一体、私の知らない所で何があったのかしら?
私への謎は解けないまま、殿下はお姉様に向き直った。
「フランシーヌよ、お前はサンスとは血が繋がっていない。
つまり、こちらのエクルース伯爵とも血の繋がりは無い。
縁もゆかりもない赤の他人って事だ」
えっ?
驚いて殿下を見て、次にお姉様の顔を見ると、お姉様も驚いた様子で目を見開いていた。
混乱する私の肩をノワールが優しく抱き寄せ、振り向いた私の瞳を気遣うように見つめた。
「サンスとその妻娘について徹底的に調べている過程で分かった事実だよ。
君の姉を騙るあの女と君に、血の繋がりなど無いんだ。
あの女は、母親がサンス以外の男との間に作った、君とはまったく関係ない、ただの他人だ」
私の気持ちを慮るように優しくそう言うノワールに、私は信じられない思いでノワールを見つめた。
「鑑定魔法で調べたからね、間違い無いよ」
殿下がそう言った瞬間、お父様が床に押し付けられたまま、お継母様に向かって怒りの滲んだくぐもった声を上げた。
「お前、よくも私を騙したなっ!
私と血の繋がらない娘を私の子だなどと……絶対に許さんぞっ!」
ゴゴォッとお父様の身体の周りに魔力が渦巻き、私はいけないっとそちらに手を伸ばした。
お父様が自分の持つ土属性の魔法を発動しようとしている。
王宮での魔法の発動は御法度だというのに!
その瞬間、殿下がパチンと指を鳴らすと、お父様の魔力がサァッと一瞬で掻き消えた。
何が起こったのか分からず、目をパチクリさせる私に、殿下は密かに片目を瞑って指を口元に立てている。
殿下、一体何をしたのかしら。
驚いたままの私と同様、お父様も呆気に取られていたけれど、ややして陛下に向かって惨めな声を上げた。
「陛下、私はこの者共に騙されていた哀れな被害者です。
全てこの者共に唆されてやった事なんですっ!
どうか私だけはお助け下さい。
それに私を失う事は、この国にとって大きな損失となる筈ですっ!
なんせ私は、この魔力量を欲したエクルース家に乞われて婿になった程の男なのですからっ!」
自信を滲ませるお父様に、陛下は自分の顎に手をやり撫でながら、面白そうにニヤニヤしている。
「ほぉ、貴様が、失えば国の損失になる程の魔力量を有していると?
そして、その魔力量を欲したエクルース家が貴様を婿に乞うたのだと、そう申すか?」
陛下の言葉にお父様は必死の形相で答えた。
「その通りにございますっ!」
だけど、絶対の自信を持っている様子のお父様に、陛下は笑い出しそうな口元を手で覆い、威厳ある声を上げた。
「魔道士長、この者の言っている事は誠か?」
陛下の言葉に応えるように、貴族達の中から立派な老紳士が前に出てきた。
「そうですな、本来なら魔力量を数値に表すような事はしないのですが、分かりやすく説明致しますと、一般的な魔力量が百前後でしょうか。
生活魔法を難なく使える数字です。
そして、恐らくその男の魔力量は、千を少し超えるといったところですな」
陛下に魔道士長と呼ばれる老紳士の言葉に、お父様は弾かれたように笑い出した。
「アッハッハッハッ、これでお分かりでしょうか?
私はこの魔力量をエクルース家に認められ、婿に乞われた程の人間ですぞ?
そのような人間を処刑になどしては、あまりに損失が大きいのでは?」
勝ち誇ったようなお父様の笑いに、老紳士は不快そうに顔を歪め、それを打ち消すように言葉を続けた。
「ちなみに、我々魔道士、または魔術師になれる条件が、魔力量一万相当を超えている事で、その中でも歴代最高と呼ばれたセレンスティア・エクルース様は、およそ五十万相当の魔力量の持ち主でしたなぁ」
老紳士がなんて事ないように言った言葉にお父様が途端に真っ青になり、代わりに陛下が弾かれたように笑い出した。
「ハッハッハッハッ!そうかそうか、五十万とな。
やはりあやつは化け物よなぁ」
楽しそうに笑う陛下に老紳士は恭しく頭を下げると、そのままで口を開く。
「恐れながら、そちらにいらっしゃる新しきエクルース家ご当主様は、そのセレンスティア様を超える魔力量の持ち主かと」
老紳士の言葉に、お父様が目を見開き私を見た。
私も信じられない思いで老紳士を見つめる。
「ハッハッハッハッ、そうかっ!
お主は当然、既にテレーゼに目をつけていると言いたいのだな?」
陛下の軽快な言葉に、老紳士は頭を下げたまま、恭しく口を開く。
「いやいや、そのような……。
ただご本人にその気さえございますれば、我々魔道士庁はいつでもテレーゼ様をお迎えする用意がある、とだけ申しておきましょうか」
老紳士の言葉に陛下は楽しそうに頷いた。
「魔道士長、手間をかけたな。
もう、下がって良い」
陛下の言葉に老紳士はもう一度頭を下げると、貴族達の中に下がっていった。
陛下はカッカッと靴底を鳴らし、お父様の目の前に立つ。
「これで分かったか?国の損失となる程の魔力量とは何たるかを。
貴様がどうなろうと、我が治世には何ら影響は無いが、テレーゼを失うのは許し難い損失だ。
そのテレーゼを、貴様は悪質な魔道具で抑えつけその命を脅かし続けてきた。
そろそろその卑しい口を閉じ、自らの招いた愚かな結末を迎え入れる事だな」
陛下にギラッと冷ややかな視線を向けられたお父様は、ガタガタと震え、滝のような汗を流しながらその口をギュッと閉じた。
「さて、ジェラルド、この者達に釣り合う刑は何がある?」
お父様から踵を返し、宰相様の隣に立つ陛下に、宰相様は軽く頭を下げた。
「この者達から有益な証言も得られた事ですし、命までは取らず、島流しの刑に処してはいかがでしょうか?」
宰相様の言葉に、私はピクリとこめかみを動かした。
お父様達は何かを証言したのかしら?
それはきっと陛下側に有益な情報だったようね。
既に司法取引は済んでいたみたいだわ。
3人が処刑にならない事に、胸の隅でホッとした自分を表には出さず、私は黙って陛下を見た。
陛下はその私に少し申し訳無さそうな顔をして口を開く。
「という事でいかがかな?テレーゼからすれば生ぬるい処分かもしれぬが」
陛下の言葉に私は首を横に振った。
「いいえ、全て陛下の采配にお任せ致します」
そう言うと、陛下はうむと頷き、3人に向き直る。
「サンスとその妻娘を流刑の終身刑に処す。
流刑地での労働にて、一生をかけてエクルース家に与えた損害を返済する事を命じる」
厳しい陛下の声にお父様は項垂れ、お継母様とお姉様は2人で抱き合って震えていた。
「良かったな、サンスよ。
流刑地では魔法の使える者は重宝されるぞ。
失うには惜しい労働者となれる事だろう」
ニヤリと笑う陛下にお父様は呻くように泣き崩れた。
「わ、私達のようなか弱い女に、そのような重労働は務まりません、足手まといになってしまいますわ……」
震える声でそう言うお継母様に、お姉様が何度も頷き、王太子殿下を潤んだ目で見上げた。
「私、殿下の下女でも何でもやりますわ。
私を貴方のお好きになさって下さい」
お姉様は美しい顔で誘うように殿下を熱っぽく見つめた。
「いやぁ、僕なんかより、是非その流刑地の炭鉱で働く者達に奉仕してあげて欲しいな。
皆罪人だけに、とても血気盛んでよく働くし、体力も有り余ってるから、君の事をとても高く評価してくれると思うよ。
金払いも悪くない筈だから、安心して頑張ってきてよ」
にっこり微笑むその顔は、見た者全てが溜息をついてしまいそうな程美しかったけれど、お姉様は真っ青になって震えていた。
そして、刑の執行のために、3人は引き摺られながらその場を後にした。
私は一歩、集まった貴族達の前に出て、胸に手を当て頭を下げた。
「皆さま、本日は私のような若輩者の叙爵式の為お集まり頂き、ありがとうございました。
まだまだ力及ばない私ではございますが、先祖が王家より賜ったエクルースの名を今度こそ守り抜き、皆様と共にこの国を支えていきたいと思っております。
どうかこれからもお力添え頂ければ幸いにございます」
私の礼が終わると、割れんばかりの拍手が起こり、ノワールが私の肩を抱いて、花が咲き綻ぶように微笑んだ。
私もそのノワールに微笑み返すと、差し出されたノワールの手の上にそっと自分の手を重ね、私達はもう一度、皆に向かって頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます