episode.15 〜氷の騎士の熱情〜ノワール目線
「うふふ、少しやり過ぎちゃった」
ベッドに力無く横たわり、小さな寝息を立てるテレーゼの髪を愛おしそうに撫でながら、僕はその艶やかなダスティピンクの髪を一房取って、そこにキスをした。
やっと僕のものになったね、テレーゼ……。
長い間、君だけを待ち望んでいたんだ。
ずっと、ずっとね。
僕とテレーゼが出会ったのは、まだお互い6歳の頃だった。
僕と当時4歳の妹のキティと、母に着いて行ったエクルースの邸で初めて会った。
テレーゼはふわふわの砂糖菓子みたいに可愛らしい女の子で、僕は一目見ただけで息が止まりそうになった。
艶やかなダスティピンクの髪に神秘的なブラックパールの瞳。
白い肌に整った顔立ち。
笑った顔は極上に甘いスイーツみたいで……。
「マシュマロみたいっ!」
キティがテレーゼを指差してそう言った。
僕と母は慌ててキティを嗜めたけど、テレーゼはパァッと笑ってキティに言った。
「まぁ、マシュマロはおしゅきですか?
私も大しゅきなんです!
テティさまと気が合って嬉しいでしゅわ」
その舌ったらずな喋り方にも胸を撃ち抜かれた。
出会ってすぐに、僕はテレーゼに一目惚れしたんだ。
「テティじゃなくて、キ・テ・ィ、なのっ!
あなた、わたちよりおしゃべりヘタッ!」
プンプン怒るキティをテレーゼは嬉しそうにニコニコ笑って見つめていた。
母はキティがこんなに喋っている事に驚いて、ひっそり涙を流していた。
キティは事情があって、この頃まで母方の祖母の所で育ったのだ。
出産と流行病が重なった母は身体を壊し、長くベッドから起き上がれない状態だった。
それをいい事に、母方の祖母が半ば連れ去るように赤ん坊のキティを連れて帰ってしまった。
それから4歳のこの頃まで、キティは祖母に育てられた。
帰ってきたキティの目には、家族への疑心と憎しみが宿り、誰にも心を開かず、ほとんど口を開かない、閉じられた状態だった。
祖母から何を聞かされ育ったのかは後に判明したが、この頃はそんなキティに戸惑うばかりだった。
母は少しづつ体調を取り戻し、起き上がれるまでに回復した。
それも、キティを祖母から取り戻したい一心だったのだろう。
キティが帰ってきてから、初めて母の旧友であるエクルース伯爵邸を訪れた。
テレーゼはそんなキティの閉じられた心を一瞬で開いてしまったのだ。
僕も母も驚愕するばかりで、キティのテレーゼへの失礼な物言いを諌める事も忘れてしまっていた程だ。
「テティさま、良ければ庭園をご案内いたしましゅわ、奥に綺麗な人工湖もございましゅのよ」
キティの手を自然に握り、テレーゼがそう誘うと、キティはプイっとそっぽを向きながら答えた。
「いってあげてもよろしゅくてよ」
そう言いながらも、テレーゼの手を自らギュッと握っている。
僕とキティはテレーゼに案内されて、エクルース邸の庭園を散策した。
花々が咲き乱れ、むせ返るような香りを放っている小道を抜け、人工的に作られた小さな湖に着いた。
キラキラと陽の光に輝く湖面を大きな目をワクワクさせて見ていたキティが、ハッとしたようにして、すぐにプイッとそっぽを向く。
「これくらい、うちの邸にもあるもんっ!」
そう言うキティに、僕は的外れかもしれないけど、キティが僕達の家をうちの邸と言ってくれた事が嬉しくて、つい涙が滲んでしまった。
テレーゼがそんな僕を不思議そうに見つめ、そっと僕の手も握ってくれた。
その柔らかくて温かい手に、気持ちがどんどんと溶かされていくようだった。
きっとキティもそんな気持ちでいるのだろう。
「ノアールさまとテティさまって、妖精の姉妹みたいに可愛らしいわ。
お花がとっも似合うから、お花の妖精ね」
ニコニコと笑うテレーゼに、いや、僕は男の子だよ、と言うより先に、キティが声を上げた。
「ノアール、じゃなくて、ノワール!
テティじゃなくて、キティ!
どーちてちゃんと言えないのかちら」
プンプンと怒るキティに、テレーゼは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい……私6歳なのにおかしいわよね……」
シュンとするテレーゼに、僕は慌てて言った。
「いいよ、気にしないで。
そうだ!僕達3人でいる時は、キティと僕は妖精の姉妹のテティとノアなんだよ。
ね、テレーゼ様の秘密のお友達」
人差し指を口の前で立てて、片目を瞑ると、テレーゼとキティは口を開けて目をキラキラさせている。
どうやら2人のお気に召したようでホッとしたものの、姉妹ってところが納得出来ない気持ちは拭えなかった。
それでも、テレーゼとキティの嬉しそうな顔を見たら、それで良いかな、と思えた。
「ノアも私の事はテレーゼって呼んでね!」
僕はテレーゼの言葉に喜んで頷いた。
それから僕達は、お互いの邸を行き来したり、王妃様のお茶会にお呼ばれしたり、顔を合わすたび、3人だけの秘密の遊びで楽しんだ。
僕とキティは妖精のノアとテティになって、仲良しのテレーゼと楽しい時間を過ごした。
キティは邸では相変わらず僕と距離を取り、近付くと逃げてしまうが、テレーゼの前だと近くにいても怒らなかった。
テレーゼは僕達兄妹を繋いでくれる、天使のような存在だったんだ。
それから何年か経ち、キティも僕達家族に歩み寄ろうとしてくれたのか、それまでの険しい態度からストンと大人しくなり、僕や父や母の事を、お兄様、お父様、お母様と呼び、常にイライラと周りに当たり散らす事も無くなった。
僕はテレーゼとの交流がキティに良い影響を与えたのだと思っている。
キティはそれから、テレーゼの事をテレーゼお姉様と呼ぶようになった。
何故か僕の事は、テレーゼの前だけノアお姉様と呼んだ。
僕としてはそろそろテレーゼに男の子として意識して欲しいところだったのだけど、2人は妖精の姉妹ごっこをやめる気はまだまだ無いらしい。
テレーゼとキティは髪色が似ている事もあり、2人でいると僕よりよっぽど姉妹らしい。
仲良くお茶をする2人を見ているだけで、僕の胸はいっぱいになった。
それから、僕とテレーゼが10歳、キティが8歳の頃、テレーゼのお母上、エクルース女伯爵が亡くなった……。
葬儀の日、悲しみに暮れるテレーゼに、僕とキティは言った。
「テレーゼ、可哀想に……そんなに悲しまないで、いつか必ず、ボクが迎えに来るからね」
「テレーゼお姉様、テティの所にきっと来て下さいね」
2人とも、いつかテレーゼが僕のお嫁さんに来てくれると信じていた。
そして……それはそんなに難しい事では無いとも思っていた……この時は。
それからすぐにローズ家からエクルース家に僕とテレーゼの婚約の申込みをしたが、テレーゼは他国に遊学に出たと返答されただけで、婚約の話は暗に断られてしまった。
どこに行ったのかも教えてもらえず、それから折に触れて我が家からテレーゼについて問い合わせても、遊学先から帰らない、としか答えてもらえず、そのうち返答さえ返ってこなくなった。
どんなに失礼な態度を取られようと、互いの家庭事情に無理やり入り込まないのが高位貴族の暗黙のルールだ。
高位貴族ともなれば、それなりの領地を所有する領主同士。
言うなれば互いが小国の主ともいえる。
他国への不用意な介入は余計な火種になりうる。
エクルース家の所有する領地では魔石、魔道具の加工、生成が盛んで、国内の魔道具はほぼ全てエクルース領地のものといっても過言では無い。
そのエクルース家を我が家が不用意に機嫌を損ね、国に多大な損失を与える訳にもいかず、こちらから強く出る事も出来なかった。
テレーゼの後見人及び代理人となったサンス・エクルースは、後妻とその娘をエクルース家に迎え入れ、まるで自分が邸の主人であるかのように振る舞い始めた。
そもそもその娘を自分の実の娘と公言して憚らず、エクルース伯爵令嬢と名乗らせている時点で、前エクルース女伯爵が生きていた頃から不貞をしていたと公言しているのも同じなのに、恥知らずにも程がある。
エクルース家の血を継いでもおらず、正統なエクルース家の後継者であるテレーゼが正式に養子にしたわけでも無いその娘が、エクルース伯爵令嬢を名乗るなど、本来あり得ない事だ。
それに、フランシーヌとかいうその娘は、テレーゼより2歳も年上だった。
計算すると、エクルース女伯爵と婚姻する前に出来た子供になるが、奴はそれを隠してエクルース女伯爵と婚姻したことになる。
そして婚姻後もその母娘との関係を続けていた、と自ら白状して回っているようなものだった。
しまいには勝手にエクルース伯爵を名乗り始め、王妃様の怒りを買い、社交界から追い出された。
その後は怪しいパーティに毎夜出掛け、エクルース家の金を散財する日々。
領地経営もずさんでお粗末なものとなり、見かねた元エクルース家の執事が我が家に相談にきた。
我が家から国に掛け合い、ローズ家が代理でエクルース領地を管理する事となり、その執事を我が家で雇い彼に任せる事にした。
彼は元々執事を兼任したランド・スチュワード(領地管理専門職)で、前エクルース女伯爵の信頼厚い優秀な人間だったからだ。
前エクルース女伯爵が亡くなって、サンスは1番に彼を解雇したというのだから、無能にも程がある。
サンス達が物の価値も分からず売り払ったエクルース家の家具や装飾品も我が家で買取り、丁重に保管してある。
どれも年代物で歴史的にも価値のある物ばかりなのだが、奴らにはその価値さえ分からないらしい。
そんな奴らがテレーゼを未来のエクルース女伯爵として丁重に扱っている訳が無い。
そう分かっていても、エクルース家に関する全ての事柄は代理人であるサンスが握っている以上、こちらからは何も出来ず、何年も歯痒い想いをしてきた時、転機が訪れた。
フランシーヌの数々の行いに苦情が舞い込むようになり、その調査の為密かに僕達は動き出した。
その最中にテレーゼの元侍女だという女性が僕達のところに駆け込んできたのだ。
彼女は何故か上手く口がきけず、なんとか僕達に『テ……レーゼ……さま、タス……ケテ……』と伝えた瞬間、信じられない事に舌が爆発した。
すぐに一級治癒師であるミゲル(大司教子息)が彼女を治療し、彼女は一命を取り留めた。
ミゲルは彼女の欠損した箇所も綺麗に治してくれた。
彼女は違法な呪を舌と手にかけられていた。
テレーゼの事を誰かに話そうとしたり、紙に書いて伝えようとしたら、そこが爆発する恐ろしい呪だった。
それを彼女にかけたのは、あのサンス・エクルースだ。
その彼女から聞かされた真実に、僕達は驚愕した。
テレーゼはやはり他国に遊学になど行っていなかった。
邸の中で使用人以下の扱いを受けていたのだ。
流石にサンスがそこまでの事をしているとは思っていなかった、僕の落ち度だった。
最近また婚約を申し込んだ時に、珍しくエクルース家から返答があり、その内容が、テレーゼが他国の貴族と恋仲になり、近々婚姻する為、エクルース家の前権利をサンスに委任した、というものだった為、正直嫉妬で頭がおかしくなり、正常な思考が出来なくなっていた事もある。
だが、そんな相手など最初から居なかった。
テレーゼはずっとあの邸に囚われていたのだ。
そして、使用人以下の扱いを受け、蔑まれ、痛ぶられていた……。
それを知った時には、目の前が真っ赤に染まり、サンスとその妻娘をこの手で殺してやろうと思った。
皆が必死になって止めてくれていなかったら、今頃奴らを殺して僕は牢の中にいただろう。
そしてテレーゼに再び会う事は、二度と叶わなかったと思う。
あの時僕を止めてくれたキティと仲間達には感謝しかない。
こうして隣でテレーゼが可愛い寝息を立てている今があるのは、皆のお陰だと心から思う。
仲間の1人が自分の優秀な間者をエクルース家に忍ばせてくれて、侍女の言う事が真実だと裏付けが取れた、そして奴らがテレーゼの純潔をオークションに出品するつもりだと知った僕らは一気に計画を練り、決行した。
危ないところで何とかテレーゼの身を保護したのち、裏でサンスに金の受け渡しの為の書類と言って、我がローズ家にテレーゼを預け、後見人の立場を譲渡する契約書にサインをさせた。
これで、テレーゼとサンスは血の繋がった唯の他人となった。
サンスは、エクルース家には何の関係も無い存在となったのだ。
無事に保護したテレーゼは、見るに耐えない程痛ましい状態だった。
身体は痩せこけ、30キロも無かっただろう。
艶やかだった髪も痛み、頬は痩せこけ、唇や手は皮が捲れていた。
ムチや何か棒状の物、おそらくサンスの持っていたステッキだろう。
そんなもので打ち付けられた傷が、古いものも新しいものも、身体に刻み込まれていた。
それを見た時に僕は心に誓った。
アイツらをテレーゼが受けた以上の地獄に必ず落としてやる、と。
それから、我が家で保護したテレーゼは、サンスがテレーゼを騙してつけさせていた魔力を抑える魔道具のせいで心身共に弱り切っていたが、その解除に成功してからは身体の健康を日に日に取り戻し、心の方もあの頃の明るく穏やかで嫋やかな本来のテレーゼを取り戻していった。
一級治癒師に身体の傷も治療してもらい、テレーゼの身体は傷一つ無い綺麗な状態に戻った。
僕は時間さえあればテレーゼを口説いていたつもりでいたのだけれど、テレーゼは僕を女性と思い込んでいたらしい。
今となれば、どこまで正しく伝わっていたのか分からない。
また一から口説き直すのもいいな……。
幼い頃から恋焦がれてきたテレーゼがこの手の内にある事に、僕はうっとりと愉悦の表情を浮かべた。
愛しているよ、テレーゼ。
もう君をどこにもやらない。
僕の目の届かない場所になんて行かせないよ。
ずっとずっと君だけを恋い慕ってきたんだ。
僕を昔も今も、女性だと勘違いしていたテレーゼ。
男の僕が嫌だと言っても、聞いてあげられないからね?
初恋を拗らせた僕の愛は重たいらしいけど、大丈夫だよね?
だってテレーゼも僕を好きだと言ってくれたでしょ?
あれ?
女性の僕にだったかな?
まぁ、どっちでもいいか。
これからゆっくり、その心と身体に、男の僕を優しく刻み込んであげるね。
毎日トロトロに甘く蕩かせて、たくさん甘やかして、大事にしまっておくんだ。
可愛い愛しい僕のテレーゼ……。
まさか、話が違うだなんて、言わないよね?
ふふっ、そんな事言われたら、僕何を仕出かすか分からないよ?
だから大人しく僕の愛に溺れていて。
どうせもう逃げられないんだから………。
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