episode.11
「ごめんね、テレーゼ。
今日はどうしても登城しなければいけなくて。
彼はジャン・クロード・ギクソット。
幼馴染で、騎士仲間なんだ。
僕が帰るまで君の事を頼んであるから」
申し訳無さそうにそう言うノワールに、私は慌てて両手を振った。
「そ、そんなっ!私は大丈夫ですから。
ジャン様にも悪いですわ。
邸から出たりしませんから、私の事は気にしないで下さい」
ノワールの騎士仲間の方に、私の護衛のような真似申し訳なくてさせられない。
有り難くお気持ちだけ頂戴したくても、ノワールは頑として譲らず、本当に急いでいたようで、バタバタと出かけてしまった。
「あの、ジャン様、私は本当に大丈夫ですから。
ジャン様も本来のお勤めにお戻り下さい」
申し訳なさでいっぱいになりながら頭を下げると、ジャン様はブンブンと頭を振った。
「そんな事したら俺がノワールに氷漬けにされちまうっ!
今日は諦めて、大人しく俺といてくれ」
懇願するようなジャン様に、私は遠慮しながらも、彼の言う通りにする事にした。
私には分からない、お二人の関係があるのだろう。
それにしても、妖艶で美しいノワールと、精悍なジャン様。
2人並ぶととてもお似合いだった……。
何だか胸がざわついて、居ても立っても居られない心地がした。
レオネル様ともとても美しい一枚の絵画のようでお似合いだったけれど、お二人は共に嫡子同士。
それも侯爵家と公爵家。
婚姻などは結べないだろうけど、ジャン様とはどうなのかしら……?
ついチラチラとジャン様を横目で見ていると、それに気付いたジャン様が首を捻った後、思いついたようにポンと手を打った。
「俺の身分が気になるか?
騎士といっても一般出の兵もいるからな。
俺は伯爵家の人間だから、アンタと一緒にいても醜聞にはならない、安心しろよ」
余計な気を使わせてしまったわ!
私は慌ててブンブン両手を振る。
「い、いえ、そのような事は、心配しておりません!
ただ、お二人は仲がよろしいのだな、と思いましてっ!」
慌てる私にジャン様は声を上げて笑った。
「ハハハッ!まぁ、ガキの頃からの付き合いだから、仲は良いかもな。
アイツと俺と、あと、レオネル、は会った事あんだっけ?」
そう聞かれて、私は頷いた。
「それから、教会の息子。この4人でクラウスの、あっ、この国の第二王子な。
まぁそいつの側近をちっこい頃からやってるから、長い付き合いになるよなぁ」
懐かしげに遠い目をするジャン様に、私は、んっ?と首を捻った。
「ノワール様も第二王子殿下の側近なのですか?」
女性を側近に望む王子様とは、珍しい気がするのだけれど。
今は立派な騎士様のノワールも、小さい頃はそうでは無かった訳だし。
私の問いに、ジャン様は首を傾げた。
「そうだぜ?アイツが1番に選ばれたんだ。
ちなみにアイツの妹はクラウスの婚約者な」
そう言われて私は目を見開いた。
私のテティがっ!
いえ、違うわ。
テティでは無くキティ様。
それに、私の、でもない。
駄目ね。
まだノアとテティを現実と混同してしまうわ。
「凄いですね、ノワール……様も、キティ様も。
お二人揃って殿下に望まれるなんて」
ついノワールと呼びそうになった私に、ジャン様がニヤリと笑った。
「聞いてるぜ、アイツに呼び捨てにしてくれって強請られたんだろ?
いいから俺の前では気にせず、いつも通りノワールって呼んでやれよ。
アイツのおねだりなんか貴重だぜぇ。
可能な限り、聞いてやれよ」
ニヤニヤと笑うジャン様に、私は頬を赤くした。
何だか事情を知っている風なジャン様に、私はまさかね、と小さく首を振る。
「で、体力作りを兼ねた日課の散歩だっけ?
アイツに後で何て言われるか分かんねーから、手は引いてやれないけど、さっ、行こうぜ」
騎士様に私の散歩に付き合って頂くなんて、とても恐れ多い事だけれども、その人の良さそうなニコニコとした笑顔には逆らえず、結局庭園での散歩に付き合ってもらう事にした。
「あの、ノワールは騎士団の中ではどのようになさっているのですか?」
女だてらに男性に混じって騎士をやっているノワールの事が、前々から心配だった。
いくらローズ侯爵家が国防の要を担う騎士の家とはいえ、騎士団は男所帯なのだ。
あんなに美しいノワールが、どうやって騎士団の中でやっていっているのか、不安で仕方がない。
「アイツなら好き勝手にやってるけど」
ジャン様のアッサリした答えに、私は少し驚いた。
「アイツは水魔法の、特に氷系が得意だから、氷の騎士とか呼ばれてっけどな。
まぁ、それだけじゃなくて、氷みたいに心が冷たいって揶揄もあるみたいだぜ。
ニコニコしてて人当たり良さそうに見せて、相手を笑顔で凍らせるところがあるからな〜。
アイツ目当てで通ってくる令嬢が何人凍らされた事か……」
ぶるるっと震える真似をするジャン様の話は、俄には信じ難い事だった。
あんなに優しいノワールが、氷の騎士だなんて。
花の騎士ならば納得もいくけど。
「あの、やはり男性におモテになりますよね?」
私の質問にジャン様は、はぁっ?と目を見開いて驚いている様子だ。
「男?う〜ん、そりゃアイツに敵う人間はいないから、憧れられたりはしてるけど……、恐怖の方が強いんじゃないか?
まぁ、偶にあの顔に騙されて勘違いした奴が口説いたりしてるけど、そんな奴は片っ端から氷漬けにされてるしなぁ」
顎に手をやり、う〜んと首を捻るジャン様。
その話に私は少しホッとした。
ノワールは自分の力で、騎士団の中で女性である事のハンディキャップを克服したのね。
何て強い方なのかしら……。
同じ女性でありながら、私のひ弱さはどうだろう?
家族に逆らえず、あまつさえオークションなどに出品されて、それを甘んじて受け止めようとさえしていた……。
ノワールに助け出されてからも、この美しい花の咲き誇る楽園のような場所で保護され、教育まで与えて頂き、ぬくぬくと日々を過ごしているだけ。
ノワールと比べて、何て脆弱なのかしら。
私もノワールも、共に家を背負って立つ立場は同じ。
だけどノワールは既に家の為、女性の身を犠牲にして騎士になり、自分の呼び方さえ僕と変えて、男性に負けじと生きている。
ノワールがドレスを着ているところなど、一度も見たことがない。
なのに私は、ローズ家の援助で毎日華やかなドレスに身を包み、優雅に暮らしている。
……いつまでも、これではいけないのだわ。
私も、エクルース女伯爵として、1日も早く、立たねば。
美しく咲き誇る庭園の花々を眺めながら、私はふっと微笑んだ。
ノワールへの気持ちは一生変わらない。
私の大切な宝物。
私がエクルース女伯爵として立てば、この甘く愛しい日々も終わりを告げる。
それでも、女だてらに伯爵位を継ぐ、これからの長く険しい道のりに、こんなに素敵で輝かしい思い出がある事は、きっと私を支えてくれるに違いない。
大丈夫、私はもう、大丈夫だわ……。
両手をギュッと握り合わせて、自分にそう言い聞かせた。
「門の方が騒がしいな……」
ジャン様の険しい声に、振り向き耳を澄ませてみる。
確かに、門の方から人の叫び声のようなものが聞こえる。
風に乗って、テレーゼ、と私の名を呼ぶ声が聞こえた気がした………。
「俺ちょっと見てくるから、マリサ、テレーゼ嬢を頼む」
そう言うジャン様の腕を、私は必死に掴んだ。
「お待ち下さい、私を呼ぶ声が聞こえた気がするのです。
どうか私も一緒に連れて行って下さい」
ジッと真剣な目で見つめると、ジャン様は困ったように頭をガシガシ掻いた。
「俺にはアンタは十分強いように思えるけどな。
アンタがまだ弱っているから、なんて、ノワールのただの独占欲だよなぁ、やっぱ。
分かった、アンタの言う通り、多分あの騒ぎはアンタ絡みだ。
いつまでも蚊帳の外じゃ納得いかないだろう。
自分の目で、ちゃんと確かめてこい」
ジャン様も真剣な目で見つめ返してくれた。
私はそのジャン様に深く頷き、後についていく。
門の外で1人の女性が門兵相手に暴れ回っている。
髪を振り乱し、豪華なドレスに土がつくのも気にならない様子で、門兵の制止を振り切り何度も身体ごと門に体当たりをしていた。
「だからっ!あの女をさっさっと出しなさいよっ!
テレーゼッ!アンタがここにいる事は分かってんのよっ!
とっとと出てきなっ!このうすのろっ!
不細工でトロくさいくせにっ!
私をこんな所で待たせるなんてっ!何様のつもりよっ!
テレーゼッ!私の言う事が聞けないのっ!」
この邸にはとてもではないが似つかわしくない怒声を張り上げていたのは、フランシーヌお姉様だった。
お化粧が酷く剥げ落ちていて、髪もボロボロ、着ているドレスも酷い有様で、一瞬誰だか分からなかったけど、私を罵声する声でやっと気付いた。
「あ〜〜百聞は一見に如かずとはこの事だな。
アンタ本当に苦労してきたんだな。
ありゃ、酷いわ」
ジャン様が呆れたようにお姉様を親指で指差した。
「私、とにかくお姉様とお話ししてきます」
ローズ侯爵家の門前であのような醜態をこれ以上晒してもらっては困る。
これ以上この邸に迷惑は掛けられない。
お姉様のところに走り出そうとする私の腕を、ジャン様が掴んで止めた。
「ちょい待ち。アンタ、どんな立場であの女と話す気だ?
腹違いの非後継者の分際で正統な後継者を虐げてきた姉と、虐げられてきた妹か?
それとも、次期エクルース伯爵としてか?」
ジャン様の瞳が私を試すように揺らめく。
だけどその顔は真剣そのもので、そこに揶揄いや侮蔑などはない。
私は一瞬息を呑み、ハッとした。
そうだわ、私はお姉様にどんな立場で話すつもりだったのかしら。
長年虐げられ、蔑まれてきたテレーゼとして?
いいえ、私はエクルース家の正統なる後継者。
王家から領地を賜り、爵位を戴いた、エクルース伯爵家を背負う者。
エクルースの領地を統治する領主。
私は、エクルース女伯爵。
ギュッと目を瞑り、気持ちを落ち着かせる。
そしてゆっくりと目を開くと、真っ直ぐジャン様を見つめ返した。
「エクルースの正統なる後継者として、あの者と話をしてきます」
その私の決意を瞬時に汲み取り、ジャン様はニヤリと笑った。
「イエスマイロード。どうぞご遠慮なく」
恭しく礼をされて、私はふっと笑みを溢した。
「後でノワールに何か言われるだろーけど、ここは手を引かせてもらうぜ?」
そう言ってジャン様が差し出してくれた手に、そっと自分の手を重ねる。
そして私達はゆっくりとお姉様の所に向かった。
門兵に向かって喚き散らしていたお姉様は、騎士を伴って優雅に現れた私を、信じられない物を見る目で見る。
口をポカンと開けて、先程まで喚き散らしていた口汚い言葉が止んだ。
「人様の邸の門前で騒がしくなさるのはおやめなさい」
毅然とした私の態度に、お姉様は震える指で私を指差した。
「あ、あ、アンタ……本当にあのテレーゼなの……?
なっ?どうしてそんなに綺麗に……。
それにそのドレスに毛皮に宝石っ!
王宮の騎士様までっ!
お前っ、一体何をやったのっ!
どうしてお前がそんなに恵まれてるのよっ!
これは何かの間違いよっ!
ふざけんなっ!寄越しなさいよっ!
今すぐ私にそのドレスも毛皮も宝石もっ!
そこにいる騎士もっ!全部私のものよっ!」
その顔を怒りに醜く歪め、門に体当たりをするお姉様を、私は一切表情を崩さず静かに見つめた。
ジャン様の手を離し、門の向こう側にいるお姉様に数歩近付く。
「いいえ、これらは全て、ローズ侯爵家から私に贈られた、私の物です。
貴女の物ではありません。
それに、騎士様は物ではありませんし、彼はギクソット伯爵子息様です。
そのような失礼な物言いは、私が許しませんよ」
毅然とした私の態度にお姉様はその顔をドス黒く染め、額に血管を浮かび上がらせている。
「ふざけんなぁっ!!!
アンタ、誰にものを言ってんのよっ!
テレーゼ如きが私に生意気言ってんじゃないわよっ!
いいか?よく聞きなっ!
私はエクルース伯爵令嬢なんだよっ!
お前みたいな出来損ないとは違うっ!
私こそが伯爵令嬢なんだっ!
お前みたいな貧相で不細工な役立たずは、私に搾取され続けて死ねっ!
テレーゼッ!アンタは一生私の奴隷なんだよっ!」
お姉様の言葉に、ギリっとジャン様が奥歯を噛み締める音が聞こえ、剣の柄に手を置いたのが気配で分かった。
私はそのジャン様を静かに手で制して、真っ直ぐにお姉様に向き合う。
「貴女がエクルース家に来てから、10年近くになりますが、生まれはどうであれ、その年月の中で貴女が伯爵令嬢として身につけた物など、何一つないのだと、今、ハッキリと分かりました。
貴女は貴族たり得ません。
エクルース家の一員として、貴女を認める事は今後ないでしょう。
貴女がエクルースを名乗る事は私が認めませんから、その事しっかりと胸に留め置き、忘れる事のないように」
キッパリと言い捨てると、お姉様はますますその顔をどす黒くした。
「だからっ!アンタどの立場でもの言ってんだよっ!
生意気言ってんじゃないわよっ!
お前なんか絶対に!汚い不潔で気持ちの悪い年取った男の所に奴隷として売り払ってやるからねっ!
そこでこの世の地獄をとことん味わいなっ!」
その顔を醜く歪めて声を上げて笑うお姉様。
その時、王宮の騎士達が駆けつけ、お姉様を取り囲んだ。
「遅いっ!」
ジャン様の怒号に騎士達は背をピシッと伸ばし、ジャン様に向かって礼を取る。
「申し訳ありませんっ!」
声を揃えてそう言うと、お姉様に向き直った。
「逃亡犯、フランシーヌ!
貴様を連行する!」
そう言ってお姉様の手に縄をかけ、ズルズルと引き摺っていく。
「なっ?えっ?ちょっと、嘘でしょ……!
待ちなさいよっ!私はエクルース伯爵令嬢よっ!
アンタ達、私は貴族よっ!
貴族に縄をかけるなんて、全員打首にしてやるからっ!」
そう喚き散らすお姉様を親指で指し、ジャン様がニヤリと私に向かって笑った。
「だ、そうだが?」
私は困惑している騎士達に真っ直ぐ向き直り、毅然と言い切る。
「その者は既にエクルース家とは関係ありません。
貴族でもございません。
罪を犯し逃亡していたと言うなら、それ相応の対応をなさって下さい。」
騎士達は胸を撫で下ろすと、私に一礼をしてお姉様を連行していく。
「テレーゼッ!覚えてなさいよっ!
このままじゃ済まさないからっ!
ローズ侯爵家に囲われていい気になってるかも知れないけど、ここの奴はね、重度のシスコンで妹にしか勃たないんだよっ!
ザマーミロッ!お前は絶対に愛されないっ!
お前なんか妹の代わりの玩具なんだよっ!」
狂ったような高笑いを残して、お姉様は騎士達に連行されて行った………。
残された私は、その姿が完全に見えなくなった途端、ヘナヘナとその場で腰を抜かす。
その私を咄嗟に支えて、ジャン様が眩しいくらいの笑顔で口を開いた。
「やっぱアンタ、やれば出来るじゃん。
格好よかったぜ、エクルース女伯爵」
私はジャン様の腕を借りて、ちゃんとその場に立ち、居住まいを正す。
「ありがとうございます。ジャン様のお陰ですわ」
礼を言うとジャン様は照れたように鼻の頭を掻いた。
「しっかしあの女……最後の最後まで……。
見苦しすぎて胸がムカムカするぜ」
ジャン様の呟きに私は首を捻った。
そう言えば、お姉様は最後に可笑しな事を言っていたわね。
ノワールが妹君にしか立たないって………どういう意味かしら?
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