第17話 僕の弱さを聞いてくれ

 「俺さ !もっともっと速く走りてぇなぁ!」


 学校のジャージを着た少年が仲間に向かって話しかける。

 土にまみれ、体は汚れているが瞳だけはらんらんと希望の光で輝いている。


「もっと練習して、もっと体鍛えて、もっと速くなるんだ!」

「でも和知、そんだけ練習しても遅いじゃん」

「うるせぇこれから速くなんだよ、今に見てろよおまえ。俺は絶対に全国行くんだよ!」

「現実見ろって、俺らそんなガチの部活じゃねぇぜ」

「うるせぇうるせぇ俺はやるんだよ!」


 わははと仲間が笑う。

 少年は仲間の肩を揺らして1人吠える。

 どこにでもある部活のワンシーンだろう。


 (また、中学の時の夢か......)


 吠える少年を見る。

 今の気だるげな面影はなく、明るさと無邪気さで仲間と大声で笑いあっている。

 これからのことを考えると、夢の中でも吐き気がしてきた。


「先生! 俺もっと速く走って上の大会まで行きたいです! どうしたらいいですか?」

「うーん、和知君。君は勝ちたい? 楽しみたい? どっちがいい?」

「勝ちたいです!」


 中学校2年生に上がった時、顧問に問いかける。この時の僕は結果を出したかった。

 タイムが出ないなら、順位が悪いなら練習する意味なんてないと思っていた。


「じゃあ、短距離は諦めよう。ハッキリ言って才能がない。800mの選手になりなさい。正しいフォームで、正しいテンポで、正しい努力を重ねなさい」


 だから、顧問の提案も即座に受け入れた。

 周りがゆるい雰囲気の中でも、仲間に声をかけ続けながら走り続けた。

 頑張れば結果につながると信じていた。

 自分でメニューを考えて練習を続けた。

 周りから煙たがられていることに、この時は気が付いていなかった。

 800mに適性があったのか、努力が実を結んだのか、冬になるころには結果が出るようになってきた。

 3年の総体の主役候補に名前が上がるほど、タイムは縮み続けていた。


 (もっと速く! もっと強く!)


 練習をもっと厳しく、量を増やして走る。

 正しい努力を積めば皆も速くなると思って、メニューを組んでいる時に仲間が言ってきた。


「和知、おまえにはついていけねぇよ、こんなハードな練習がしたいわけじゃないんだよ」

「は? 俺ら最後の年だぜ? 速くなるために練習してきたんじゃないのかよ?」

「1年の時言ったよな、ガチな部活じゃねぇって。お前だけだぜ、そんな必死こいて走ってるの」

「じゃあ、何のために走るんだよ。速く走るようになるためじゃないのか?」

「皆がお前みたいに結果だけ求めてるんじゃないんだよ! 俺らは楽しくやれればそれで良かったんだよ! これ以上練習がきつくなる? ついていけないんだよ!」


 そういって、仲間だと思っていた人は皆辞めてしまった。

 ショックだった。

 自分の価値観が否定されたことも、自分の価値観が人の居場所を壊してしまったことも、どちらもつらかった。

 それでも、積み重ねを捨てることはできなかった。

  現実を忘れるように、今まで以上に練習に没頭した。

 ただ、結果を出す場が与えられることはなかった。


「和知君、君が総体にでることは認められない」


 ある日、校長室に呼び出された時に終わりが告げられた。


「一斉に部活を辞めた生徒たちがいると聞いてね、聞き取りをしたら皆君の名前をあげるじゃないか。学校として見過ごすことはできない」

「俺は、何も悪いことはしていない! ただまじめに練習してきただけだ!」

「君の言い分も分かるがね、やり方が悪かったと言わざるを得ない。問題行動を起こした生徒を大会に出すわけにはいかない。諦めてくれ


 そうして僕しか残っていなかった陸上部中距離ブロックは大会不参加が決まった。

 3年間の努力は、何も残らなかった。

 僕のやったことは悪名として学校中に広まった。

 今まで仲良かったクラスメイトも僕と距離を置くようになった。

 自分の主張は間違っていたのか?

 自分を捨ててまで、他人に合わせればよかったのか?

 ただ、速く走りたかっただけだったのに。


 (1人で消えてしまいたいな......)


 だから、人と距離を置くようになった。

 自分のしたいことよりも、他人のしたいことを邪魔しないように。

 自分の考えよりも、他人の意見とぶつからないように。

 1人で何も考えず、無為に生きていけば、つらい思いはしなくてすむんだろう?

 鏡を見る。そこに映るのは、かつての明るい少年ではなく、気だるげで冷めた目をした僕だった。


「大丈夫ですよ」


 真っ暗な闇に1人立ち尽くしていると、どこからか聞いた声がする。

 失敗したんだよ、肯定しないでくれ。

 そんな目で僕を見ないでくれ。いつかその目も失望に変わるんだろう?


「悠さんなら、大丈夫ですよ。だって――」





 手に何かぬくもりを感じて目が覚める。

 どうやら寝ていたようだ。

 体調は朝よりか幾分ましになった程度か、体の節々はまだ痛いし、頭もまだ痛い。


「悠さん、大丈夫ですか?」


 ふと目を横にやると、なぜか度会さんがいた。

 手のぬくもりは度会さんが手を握っているようだ。


「LINEの既読が全然つかないから、心配で加藤さんにアパートの場所を聞いて来ちゃいました」

「鍵......かけてなかった?」

「かかってなかったですね、チャイムも鳴らしたんですけど、返事がなくて」


 どうやら昨日鍵をかけ忘れてしまったようだ。

 机を見るとスポーツドリンクやゼリーが置いてある。

 度会さんが買ってきてくれたのだろう。


「勝手にお邪魔するのは良くないと思ったんですけど、うめき声がしたから心配で部屋に上がってます、ごめんなさい」

「いや、心配かけたみたいでごめん。ちゃんと説明すればよかった」


 急用とごまかさないでちゃんと風邪と伝えるべきだった。

 不安と心配を与えてしまったようだ。


「咳はないけど、風邪が移るかもしれないから、もう帰った方がいいよ。お金は後で返すね」

「いやです」

「は?」


 握られている手に力がこめられる。


「悠さん、うなされていました。消えたい、楽になりたい、ごめんなさいって」

「あー、聞き間違いじゃない?」


 夢の内容をそのまま口に出していたようだ。


「いえ、絶対に言ってました。そんな悠さんを、1人で放っておくなんてできません」


 度会さんの真剣な目が僕を見つめる。

 適当にはぐらかしても帰ってくれそうにはなさそうだ。 

 それに、風邪で弱った心が、誰かに話を聞いてほしがっていた。


「……じゃあ、眠るまで話を聞いてくれないか」

「いくらでも聞きますよ。何が、そんなにつらいんですか」

「中学時代に失敗しちゃったんだ。頑張ることは当たり前だって、精いっぱい努力するのは当然だって。人のあり方なんてそれぞれなのに」

「陸上部だって、言ってましたね」

「努力すればするほどタイムが縮むのが楽しくて、走れば走るほど体が動くようになるのが嬉しくて、皆もそうだって思ったんだ。でも違ったんだ」

「......はい」

「皆は楽しくやれれば、それだけでよかっただけだったんだ。だから、俺のやり方だと皆いなくなっちゃった」 


 昔を思い出しながら話すうちに、一人称まで、当時のままになってしまった。


「俺のせいで、皆辞めちゃったから、責任ってことで大会に出ることができなくて。俺の努力は全部意味がなくなって、俺の心はずっとそこで止まってる。それから人との関わりも、人からの目も怖くなって、ずっと変われずそこにいる」


 誰にも話せなかったことが、堰を切ったように溢れ出した。


「変われなかったから、人と距離を置けば楽なんだ。誰にも衝突することがないから。ずっと自分本位で、楽になりたがっている。だから俺は、度会さんが期待するような人間じゃない。度会さんが言ってた俺の目も、ただ人を見る余裕がないだけだ」


 彼女の目を直視できなかった理由が、今、ようやく分かった。

 彼女の期待を裏切るのが怖いんだ。

 自分のことを知られて幻滅されるのが怖い。だから、人と距離を取る。

 人との関わり方に失敗した自分を守るように、人を遠ざけ続けてきた。


「悠さんなら大丈夫ですよ。悠さんは、とびきり優しいから」


 それでも、彼女は肯定してくれるのだった。


「だって、今まで1回も私を否定しなかった。自分が一番大事なら、私の言うことなんて適当に流せばいいのに、ちゃんと向き合ってくれました」


 嫌な顔をすることはありましたけどね、と彼女は笑いながら続ける。


「きっと、自分で自分を許せないだけなんです。失敗したことをずっと、責めているんですよね。うまくいかなかったこと自分の責任だって思い続けているんですよね」


 そうだ、僕は自分が嫌いだ。あのときの自分を許せないだろう。

 もっと器用に生きられたら、仲間の居場所も壊さずに済んだだろう。


「だから、私が許します」

「え……」

「誰にも許されないなんてつらいじゃないですか。たまたまうまくいかなかっただけですよ。1人ぐらい、いいよって言ってくれる人がいてもいいじゃないですか。だから、私が許します。大丈夫ですよ」


 なんだそれは、当事者でも何でもないじゃないか。意味が分からない。

 ただ、ほほ笑む度会さんを見てると、それでもいいような気がしてきた。

 少し気が楽になると、一気に眠気が襲ってきた。


「そうか、それなら、いいかぁ」

「はい。……おやすみなさい」


 沈みゆく意識の中で、手から伝わるぬくもりが心地よかった。

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