12:22 隠し部屋疑惑浮上

 千晴は冷静に思考を働かせながら口を開く。

「ですが、探しても見つからないなら、どこかに隠された空間があると考える方が現実的じゃないですか? まさか森に捨てられているなんてことはないでしょうし」

 ちらりと見やった木々の向こうは日陰になっていて薄暗い。風がないため揺れるものはなく、遠くから蝉の鳴き声が聞こえるばかりだ。

「熊がいるかもしれないのに、わざわざ運ぶのはリスクしかないな。残酷な遺体が作れそうではあるが」

 不愉快そうに神谷が言い、千晴は落ち着いて否定した。

「熊が現れるかどうかは予想できません。賭けにも近いのに、犯人がそんなことをするとは考えられませんよ」

「それもそうだな」

 否定されてほっとしたらしく、神谷が表情をゆるめて歩き出す。

「ということは、やっぱり隠し部屋があるっていうのか?」

 彼のななめ後ろをついて行きながら千晴は返す。

「ええ、そう考えるしかないかと」

 すると円東が小走りに寄ってきた。

「悪いが、そんな話は聞いてないぞ。もし隠し部屋があるなら、シナリオに取り入れたかったくらいだ。この山荘を借りることが決まってから、建物の見取り図をもらって調整したんだ。どこにも隠し部屋なんてなかった」

 円東の言うことに嘘はなさそうだ。しかし神谷がたずねる。

「それなら高津妹はどこにいったんですか? どれだけ探しても見つからないんですよ?」

「う、それはそうなんだが……」

 言いよどむ円東から視線を外し、神谷が小さく「くそ」と毒づく。気温が徐々に上がっているせいもあってか、彼の苛立ちは増すばかりだ。


 本館へ戻ると木野が「のど乾いちゃった。水分補給してくるね」と台所へ向かって行った。万桜と亜坂も同じ気持ちだったらしく、「わたしも」と彼女の後をついていく。

 残った男性陣は居間へ入り、それぞれ適当なところへ腰を下ろした。外に出ていたのは十五分ほどだったが、冷房の冷たい風が心地よかった。

「本当に今年は暑いな」

 だるそうに神谷がつぶやき、円東が「まったくだ」と同意する。

「山の中でこれだけ暑いんですから、きっと海の方はもっと大変でしょうね」

 誰にともなくそう言ってから千晴は腰を上げた。

「僕も何か飲んできます」

 千雨を探すことは最優先事項だが、自分たちが熱中症になっては元も子もない。今のうちに水分を取っておこうと思った。

 台所へ移動すると木野と目が合った。

「あ、千晴くん。オレンジジュース、もうなくなっちゃったよ」

「ああ、そうですか。じゃあ、水でいいです」

 三人の手にしたグラスにはオレンジジュースが入っていた。ちょうど彼女たちの分でパックが空になったらしい。調理台の上にそれが転がっていた。

 千晴は棚からグラスを取り出し、シンクの前へ移って蛇口をひねった。水をグラスの半分ほど注いでから止めて、その場でごくごくと飲み干した。自分で思っていたよりものどが渇いていた。

 木野たちはゆっくりとジュースを飲みながら他愛のない話をしており、千晴はさっさと居間へ戻った。

 それから数分して女性たちは戻ってきた。万桜が千晴の隣へ座りながら声をかける。

「あのね、お兄ちゃん。前に読んだ『ある閉ざされた雪の山荘で』っていう小説で、見取り図を描いたら真相が分かったっていうのがあったんだ」

「見取り図で?」

「うん。あれとはいろいろ違うけど、やってみたら隠し部屋がある場所が分かるかもしれないよ」

 万桜がサコッシュからノートとペンを出し、千晴の前へ開いて置いた。

「分かった、やってみよう」

 ボールペンを右手に握ったはいいが、千晴は無駄な気がしていた。昨夜、ジャミング装置を探した時も、今日探した時にも怪しい場所はなかったのだ。いくら見取り図を描いたところで、新たな発見があるとは思えない。

 神谷や五十嵐が近くに寄ってきて見守る。いつの間にか亜坂と木野も輪に加わり、千晴が描く見取り図を見ていた。

 一階、二階、三階と離れまで描き終えて、千晴はボールペンを置いた。

「やっぱりなさそうだな」

 神谷が顎に手をやりながら言い、円東は「だから言っただろう」と呆れ半分に返す。

「うーん、ダメか。お兄ちゃん、ごめんね」

 申しわけなさそうに万桜が謝ったが、千晴は首を振った。

「ううん、謝ることないよ」

 やはりここに隠し部屋や隠し通路はないようだ――少なくとも、分かっているかぎりでは。

 すると食堂の方から倉本が呼びかけた。

「昼食、できたぜ」

 時計を見ると十二時四十分だった。

「食べたい人がいたら言ってくれ。すぐに用意するから」

「分かりました」

 意識してみると台所の方からいい匂いが漂っていた。食欲はあまりないものの、ともすると気を張り詰めてしまう状況だ。食事をとれるというだけでも気分は軽くなった。

「それで、次はどうするんだ?」

「そうですね、一から考え直してみましょう」

 ノートをめくって最初の事件に関して書かれたページを開く。千雨の神経質そうな文字を見つめる千晴だが、神谷の視線は千晴へ向いていた。

「さっき言ったこと、覚えてるか?」

「何の話ですか?」

「視野を広く持て、って話だ。考えるのもいいが周りをよく見ろ。何か見落としがあるかもしれないぞ」

 顔を上げれば、じっと神谷が目を見つめてくる。堀の深い目は鋭く刺すようで、見れば見るほどハンサムだ。日本人的な顔立ちの千晴からすればうらやましい。

 しかしながら、彼が何を言わんとしているか分からない。耐えきれなくて千晴が視線をそらすと、神谷が小さく息をつくのが聞こえた。どうやら呆れられてしまったようだ。

「お前、耳がいいからって、そっちばっかり頼ってないか?」

「いや、そんなことはないと思いますけど」

「視覚もきっちり使え。でなきゃ、俺がお前の目になってやってもいい」

「え?」

 戸惑う千晴に神谷は再び真剣な眼差しを向けてくる。

「お前の見落としたものがあるかもしれない。午後は俺が離れと一階を探す」

 千晴が理解する間もなく、神谷は腰を上げると食堂へ移動していった。

「倉本さん、昼食にしたいのでお願いします」

 すぐに倉本が台所へ向かっていき、五十嵐は神谷と千晴とを交互に見る。どちらに声をかけるべきか迷っているようだ。

 その間に木野が立ち上がり、小さな声でつぶやくように言った。

「あまり食欲はないけど、食べないのもよくないから」

 五十嵐は木野の行動を見て気持ちが定まったらしく、ゆっくり腰を上げた。

「ごめん、千晴」

 ちらりと千晴を気にするように視線をやってから食堂へ向かい、迷わず神谷の隣の席へ座った。神谷はそんな彼を横目に見たようだが、特に何も言わなかった。

 複雑な顔をしていた円東が息をついて立ち上がる。何か考えているような様子で、彼も食堂へ移った。

 まるで避けられているように思われて、無性に嫌な感じがした。耐えられずに千晴は妹へ問う。

「万桜ちゃん。僕、何か悪いことしたかな?」

「してないと思うけど……」

 どうにも様子が変だ。神谷は千晴と別行動をとると宣言した。もしかしたら彼は犯人ではないのかもしれない。

 そうだとすれば自分が悪い。やはり千雨のようにはできないことを思い知らされ、千晴は自己嫌悪のため息をついた。

「いや、待てよ」

 思考回路が無意識に考え直しを要求し、千晴はノートを手にする。何枚か前のページをめくって、神谷の言葉を一つ一つ確認していく。

「何か分かったの?」

「うん、見えかかってるんだ。もう少しではっきりしそうなんだけど」

 神谷が犯人ではないとしたら、先ほどまでの会話の意味が大きく変わってくる。結局は推測でしかないが、彼の伝えようとした意図には近づけるはずだ。

 考え続けて千晴は気がついた。神谷が何かを伝えようとし始めたのは、二十分間の休憩の後からではないか。そこからの会話を見直してみると、一つの可能性が見えてくる。

 休憩中に神谷は何かしらの手がかりを見つけたのではないか。

 ヒントとなるのは彼が繰り返した「視野」であり「視覚」である。目で見て分かるところに手がかりがある。

 それなら何故、はっきりと教えてくれないのだろうか? 近くに犯人がいるからだ。犯人の前で手がかりを示すことに、神谷は難色を示しているのだ。

「ああ、僕が悪いんだ。やっぱり僕のせいだ」

 自分の不甲斐なさが嫌になる。神谷は千晴の目になると言った。きっとそれは前置きだ。すでに見つけている手がかりをあらためて順序立てて示そうというのだ。

 では、千晴はどうしたらいいのだろうか。手をこまねいて彼が手がかりを持ってくるのを待つのか? そんな情けないことがあるだろうか。

 千晴は自分自身に苛立って右の親指の爪を噛みそうになる。直前で耐えてから足をゆすり、ため息とともにノートを妹へ差し出した。

「これからどうしたらいいか考えるから、しばらく静かにしてて」

「分かった」

 千晴は立ち上がって窓を見た。千雨のシュシュが捨てられていたあたりをにらんでから、室内をうろうろと歩き回る。

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