07:56 千晴、決断する

 それでいいのかと言いたげな視線もあったが、千晴は無視して話を進めた。

「ですが、もう雨はやんでいて外も明るいんです。僕はやっぱり警察署へ行きます。こういうことは、素人が口を出して解決できるものじゃないと思うので」

「そうか、賢明な判断だ」

 神谷は反対しなかった。本当に千晴に従ってくれるらしい。

「だけど、その間にまた何か起きたら嫌ですから、神谷さんには見張っていてもらえますか?」

「分かった。そっちはお前一人で大丈夫か?」

「円東さんは連れて行こうと思います。万が一、またトラブルになったら嫌ですし」

 すると横で話を聞いていた万桜が口を出す。

「お兄ちゃん、わたしも行きたい」

 千晴は妹へ顔を向けるとうなずいた。

「うん、いいよ」

「よかった。お兄ちゃんとまで離れたら、わたし……」

 再び泣き出しそうになる万桜の肩を、安心させるようにそっと抱き寄せた。千雨がいない今、一人になったら耐えられないのは千晴も同じだ。

「こっちは三人で行きます。どれくらいで戻ってこられるか分かりませんが、どうかそれまでお願いします」

「ああ」

 神谷は真剣な顔で首を縦に振った。もし彼が犯人だとしても、警察さえ呼んでしまえばいいのだ。さすがにこの場にいる全員を皆殺しにはしないだろう、という安易な考えも千晴の中にあった。

 話がまとまったところで円東が遠慮がちに言う。

「それなら、財布を取りに行ってもいいか?」

「ええ、もちろんです」

 貴重品をここに置いていくのが嫌なのは誰だって同じだ。円東はすぐに立ち上がり、廊下へ出ていった。

 その合間を縫うように万桜が「トイレ行ってくるね」と、声をかけてから席を立った。

 千晴は残った全員の顔を順繰りに見て、他に誰も立ち上がらないように目を光らせる。ほんの数分間であっても、この中に犯人がいると思うと警戒せずにはいられなかった。

 万桜が戻ってきて間もなく円東も帰ってきた。

「すまなかったな、行こう」

 千晴は腰を上げながら神谷へ言った。

「それじゃあ、お願いします」

 神谷が短くうなずき、千晴は万桜と円東を連れて玄関へ向かう。


 外に出ると朝の清々しい空気が頬を撫でた。空は雲一つない快晴、周辺に熊らしき影もない。

 安心して車まで歩いていき、千晴はドアを開けて助手席に円東を乗せた。

 その後で運転席へつき、後部座席に座った万桜がシートベルトを装着する間、カーナビで近くの警察署を検索した。街へ下りてずっと先まで行かなければならないが、途中に駐在所があった。目的地をそこに設定してからアクセルを踏んだ。

「お兄ちゃん、犯人はまだ分からないの?」

 万桜が問いかけてきて、円東がちらりと運転席を見る。落ち着いた様子ではいるものの、下手に刺激するような言葉を使いたくない。

 千晴は県道へ出たところで何気ない風に答えた。

「分かるのは動機くらいだよ」

「……そっか」

 窓の外へ視線を向けながら円東が独り言のようにつぶやいた。

「喜平の稽古、厳しかったもんなぁ。これまでに何人泣かせたか、分からないよ」

 今となっては懐かしい光景だ。桁山は演劇評論家としても活躍しており、芝居に対しては誰よりも厳しい目を持っていた。

「僕も最初の頃、何度か泣いたことがありましたね」

 千晴がそう返せば、円東は「そうだよな」と苦々しげにうつむいた。

「あいつも恨まれてたんだよな。宇原と一緒だ」

 どちらにも殺される理由があった。粘着テープで口を封じられていたのもきっと似たような理由だ。稽古中、桁山にダメ出しされたことが嫌だったのだろう。

「ですが、桁さんは自分にも厳しかったじゃないですか。納得の行く演技が出来るまで、何度も何度も練習をして……そんな彼だから、倉本さんみたいに尊敬してついてくる弟子だっていたわけですし」

 考えてみれば、桁山の場合も動機が薄いような気がした。彼の厳しい言葉に嫌悪し恨んでいたとしても、劇団員は分かっていてついてきた人間ばかりではないのか。

「案外、別のことで恨んでたのかもしれないぞ。おれだってあいつを恨んでたんだ。本気にしてたのは、おれだけだった……」

 ぽつりぽつりと円東が話し出す。

「木野がさっき言ってただろ? 去年さ、喜平が女と結婚したんだよ。式は挙げず、披露宴もしないで写真だけで済ましちまった」

 まだ朝が早いせいか、車通りはまったくなかった。

「もうやめよう、って話はその前に何度もあった。その度におれがすがって、嫌だって言って……こっちがどんなに愛していても、愛されてはなかったみたいだ」

 円東と桁山が恋人同士であることは、劇団員なら誰もが知っていた。しかし演劇とは関係がない。そう割りきれる者たちが集まり、劇団を構成していた。

「それでも、あいつがまだ一緒に仕事をしてくれるだけで、おれは幸せ者だと思った。完全に離れてしまったわけじゃないなら、それだけでいい。もう終わったことなんだって……けど、心の中では納得してなかった。どうにかして取り返したいって、ずっと思ってたよ」

 女々しくてかっこ悪いだろ? そう言って自嘲した円東へ千晴は返す。

「それだけ深く愛してた、ってことなんじゃないですか? 僕はまだそういう経験がないので、むしろうらやましいくらいです」

「……そうか。千晴はまだ若いな」

 笑おうとして円東は中途半端に口角を上げ、やめた。息を吐きながら両目を閉じ、声を震わせる。

「ありがとな、千晴。こんなおれをかばってくれて、こんなダサいおじさんのおれを……恩人だって、言ってくれて」

 涙が一滴、枯れかけた肌を滑り落ちる。

 千晴は小さく首を横へ振った。

「円東さんはかっこいいです、ずっと」

 ふと深夜の亜坂も同じような気持ちだったのではないかと思った。千晴にとって円東が憧れの人であるのと同様に、亜坂にとっての千晴もずっとかっこいいままなのだ。本人が何と言おうとそれだけは譲れない。

 円東はすすり泣いていたが、じきに静かになった。車内が沈黙し、千晴は運転に集中した。万桜は何やらノートをめくり思案顔だ。

 ふと前方の様子がおかしいことに気づき、千晴は速度をゆるめた。近づいていくほどにはっきりとしてきて、助手席の円東も愕然とする。

「土砂崩れだ」

 昨夜の雨のせいで山の方から土砂が落ち、道がふさがれていた。

 千晴はそれで車通りがなかったのかと納得し、車を停止させる。

「戻るしかありませんね」

 言いながらカーナビを操作し、反対方向に民家か何かなかっただろうかと調べてみる。あるのは川のみで人が常駐しているような建物はない。

 万桜が不安げに問う。

「戻ってどうするの? やっぱり犯人を見つけるしかないの?」

 千晴はゆっくりと車をバックさせ、方向転換をしながら返す。

「スマホとジャミング装置を見つければいい。けど、犯人に隠し場所を白状させる方が早いかもしれない」

 円東がため息をつき、万桜は「この時代にクローズドサークルがありうるなんて」と伏し目がちにつぶやいた。

 山荘に固定電話はなく、スマートフォンを入れた箱は見つからない。犯人の意図したものではないだろうが、土砂のせいで道はふさがれてしまった。実質的に外界との接触が絶たれ、ミステリー小説によく見られる舞台が出来上がっていた。


 山荘へ戻ると居間にいた神谷が目を丸くした。

「どうした? 警察は?」

「それが土砂崩れで道がふさがれていたんです」

「マジかよ。くそ、昨日の雨のせいか」

 毒づく神谷へ千晴は室内に目をやりながらたずねた。

「こっちも何かあったみたいですね? 神谷さんしかいませんが」

 神谷は頭を抱えるようにしてうつむいた。

「悪い。お前たちが出て行った後、居間で待機するように言ったんだが、大井さんが高津妹を探すって飛び出していって」

 大井はどうやら責任を感じているらしい。

「引き留めようとしたんだが、直後に涼花が荷物をまとめると言って、亜坂を連れて出て行った。犯人かもしれない俺の言うことに従いたくない、とも言ってたな」

「ああ……」

 神谷にはリーダーシップがあるが、犯人かもしれないとなると話は別だ。木野の言うことはもっともである。しかし亜坂も容疑者だということは、頭から抜けているらしい。混乱している証拠だ。

「それで倉本さんと巧人も出て行っちまった。俺には何もできなかった」

 と、落ちこんでいたところに千晴たちが戻ってきたらしい。

 状況を把握した千晴は神谷の隣へ腰かけた。

「こうなると犯人を見つけ出して、一刻も早くスマホとジャミング装置の隠し場所を吐かせるしかありませんね。今日は暑くなりそうですし、できるだけ遺体の腐敗が進むのも避けたいです」

「そうだな」

 吐息混じりに相槌あいづちを打ち、神谷は顔を上げた。

「犯人、見つけられそうか?」

「分かりません。落ち着いて推理してみようと思います」

 万桜が隣に座ってノートを取り出すと、離れたところにいた円東が言った。

「悪いんだが、部屋へ戻ってもいいか? タバコを取りに行きたい」

「ああ、そうですね。すぐに戻ってきてもらえれば大丈夫です」

 少し迷いながらも千晴は許可し、円東が表情をゆるめて廊下へと出ていく。

 一人で行動させるのは危険だが、タバコを取りに戻るだけなら五分とかからないはずだ。何か起きるとは思えない、というのは少々願望が含まれているか。

 内心で円東の無事を祈りつつ、千晴はノートを自分の前へ引き寄せた。

「まずは昨夜の件から考えていきましょう」

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