東より来たる侵略者

 乾いた砂地にそびえ立つ、陽光の黄金郷。

 日が沈んだこの時間でもまだ、空はわずかに緋く色を残し、都へ夜の訪れを告げるかのごとく、街の賑わいも増していく。

 強固な都を囲むのは高い塀、都へ入るための門は東西と南に。周囲の砂漠環境を鑑みれば理想的な配置だ。それが太陽に愛された者を意味する列強の一角、暁光の都。

「都へは」

 日没後も訪れる者の絶えない東の門の門番は、とある旅人に審問をかけていた。

「何をしに?」

 来る日も来る日も口にするこの問いかけに、門番はありとあらゆる答えを聞いてきた。出稼ぎ、商売、志願兵や捕虜といった大きな都市ならではの客。それから、剣の王より差し向けられた刺客もちらほら。最後が一番物騒で、一番警戒しなければならない客である。特にここ数日は、神官の受けた託宣の影響もあって東側の門の規制は強まっていた。門番が旅人を呼び止めたのも、そういった理由からであった。

 ただ、と門番は顎を撫でる。この旅人に限ってはそういった心配はなさそうであった。

 旅人は、松明の光の中でも暗く映る、奇妙なヴェールに身を包んでいた。頭からふわりとかけられたそれは、冷めた砂の上を引きずるほどに長く、俯いていてよく見えないが、口元も同じような素材の布で覆っているようだった。商いの場として織物を取り扱うことの多い暁光の都でも、目にすることのない代物である。

 見かけない装いに興味深げにしつつ、門番はきょろきょろと周囲を見渡した。

「連れはどうした」

「一人だ」

「こんな子供が一人?」

 門番の口に薄ら笑いが浮かぶ。

「まさか。置いてかれたのか?」

「成人、している」

 ぼそぼそと言いいながら、旅人は小さく横に頭を振った。

砂鯨さげいを。連れ歩くのは、子供には、難しいだろう」

 後方を指す旅人からは金属の擦れる音が鳴った。耳慣れない音を訝しみながらも、門番は旅人の指さす方向に首を回した。そこには一頭の砂鯨が大人しく体を横たえていた。砂漠を行脚するには欠かせない足である。小型であるところをみると、旅人の言う通り、彼が一人旅をしていることに間違いはなさそうだった。

 門番は難しい顔をした。そうはいっても旅人の頭は門番の腹の辺りにあって、小柄な体格と済ませるにはあまりにも小さい。彼は筋骨隆々の太腕を組んで、再び旅人に目を向けた。

 暁都に生まれた人間はみな、太陽の恩寵を受けた恵体を持つ。それに比べれば、彼の目の前に佇む旅人の体躯は異様な小ささであった。ただ小さいというだけでなく、皮と骨しかないような痩せ身の。貧相な肉づきからして刺客の心配はないだろうが、かといって簡単に門をくぐらせるには躊躇を覚えるような、特異な見た目をしていた。

 門番は自身の上腕に装着した盾に手を添え、胸を張った。

「荷を改めても?」

「……」

 特に何を言うでもなく旅人は口笛を吹いて、砂鯨を呼び寄せる。淀みのない様子を見る限り、仄暗い事情を抱えた人間ではなさそうだったが、こんな稀有な容姿の者はただ通すわけにもいかない。門番としての勘がそう告げていた。

 砂鯨にかかっている麻袋を取り外し、開封してみる。ずしりと重い、金属製の何かが手に触れ、門番の眉間に皺が寄る。

「なんだこれは」

「……」

 旅人の答えはなく、用途の分からない器具を複数手にした門番は、さらに袋の奥へと手を突っ込んだ。幾重にもなる紙の感触だ。本だろうか。取り出してめくってみても恐らく都よりも東の言語で書かれており、内容を窺い知ることはできなかった。

「もういいか」

「あ、ああ」

 ふむ、とか、ううん、とか唸ってみたものの、門番には何一つ分からず。得体の知れない物を手にしているという空恐ろしさに駆られた彼はそそくさと、しかしそれぞれを丁重に袋にしまった。そして元あったように、鞍の麻紐に括りつける。砂鯨が鰭を揺らした。

 門番が数歩退くのを確認した旅人がまた、しゃらりと音を発しながら砂鯨の鼻先を撫ぜる。彼の口笛を合図に砂鯨がゆったりとした動きで係留所へ泳いでいくのを、門番はじっと見送った。脇に変な汗をかいていた。ひやりとした感覚に見上げると、既に東の空は夜の様相を呈し、星が瞬いていた。

 そこから視線を落としていくと、遠くに黒く浮かぶ広大な川に行き当たる。都に栄華をもたらす、恵みの河であった。

「北の、海辺へ行くには」

「おう」

 旅人の声で意識を引き戻された彼は、慌てて足を組み替えた。

 そんな門番の様子など、旅人は全く意に介していないらしかった。

「都の中を。通った方が、早いと聞いて」

「ああ、なるほどな。確かにそうだ」

 どうやら旅人の目的地はここではないようだった。

「門を入ったらこのまま大通りを突っ切って西に進めば都の反対側に出る。南に寄った方の西門に行くといい。ただちょっと物騒な地区だからな、大通りを途中で曲がって南側の大門から出るのも手だぞ、遠回りする羽目になるけど安全だ……港に用が?」

「いや」

「なら、海を渡ってさらに北へ?」

「いいや」

 門番は首を捻った。砂鯨をここに留めておく以上、遠出ではなさそうだが。腰に携えた剣の柄に手を乗せるのは、考え込む時の彼の癖である。何秒か黙ったのち、考え過ぎても仕方のないことだと彼は勝手に納得した。

 耳を打つ都の雑踏が引き金となって、無性に一杯やりたくなった。門番は、酔いどれ星がかなりの高さまで来ていることに気がついて眉を上げ、旅人を見下ろす。彼は都に長く滞在する気もなさそうだし、さっさと通らせてしまって、早いところ自分も帰ろうと考えた。

「そうだお前」

 門番が指を立て、旅人に向けた。

「暁都に来るのが初めてなら、通り名を作れ。危ないからな」

「危ない?」

 旅人は首を傾げた。

 彼の纏うヴェールが揺らめく。

「そうだ」

 大真面目に門番は頷いてみせた。

「魔術師や呪い師は、術式に相手の名前を編み込むからな。本来の名前は、知られない方が得だぞ」

「なるほど」

 考えるような素振りを見せて、旅人は門番を見上げた。

「忠告、感謝する……ええと」

「おれはアムだ」

「……感謝を、アム」

「お、おう」

 旅人は首を傾げた。思わず真名を名乗ってしまったアムが、動揺を隠すべく目を逸らし、必死に平静を取り繕おうとしている挙動を不審に思ったようだった。

 だが特段深入りする気もないのか、旅人は軽く会釈をして済ませた。

「じゃあ」

「いやいや待て待て、まだだ」

「まだ?」

「大事なものがあるなら、抱きしめて眠れよ」

 アムはそう言って指を交差させた。赤い土地デシエルトではお決まりの言葉だった。旅の無事を祈る、願掛けのようなものだ。

「盗賊には気をつけろ。この辺は多いからな」

「ああ……」

 頷いた旅人はわずかに笑んでいるような気がした。

「赤き導きよあれ」

「へへっ。初めて言われたぜ」

「これを…暁光の都では…あまり?」

「そうだな、ここの連中は信仰心よりも商人あきんど根性のが勝ってるからよ。なんたって実力主義の交易都市だ。欲しいものはなんでも揃うってな。聞いたことあるだろ」

「ああ」

「だからその挨拶をすんのは祭か祝い事か。めでたくてでかい何かがある時だな。言うにしたって神官様に合わせてだし」

 そう言ったアムは北に頭を向けた。旅人も彼に倣って視線を上げる。絢爛豪華な王宮殿は夜空と暁都の境界となって、品の良い灯火がちらほらと揺れていた。

「あれの向こう、都の塀の外に神殿があんだ。お前はむしろそっちのほうが馴染みあるか。外から来たんだもんな」

 旅人は口にはせずに頷いた。

「見ろよ、酔いどれ星がもうあんなに昇ってら」

「酔いどれ星?」

「俺ら都の連中はそう呼ぶんだ」

 旅人がアムの指の先を辿って、今度は背後を仰ぎ見る。

 夜の初めの東の空に、強く輝く星があった。松明の下からでも肉眼で視認できるそれは、アムたち門兵の時計代わりでもある星だ。

 門を開けるよう見張りに促しつつ、アムのお喋りは続く。

「日が沈むより先に昇って、日が出るより前に沈む。酔っ払いみてえだろ」

「面白い呼ばれ方を、するものだ」

 旅人が続けて呟いた言葉を、アムは聞き取れなかった。単に彼の声が小さく掠れていたからというだけではない。それは聞き覚えのない、明確な異邦の語り口であった。書物が東の言語だったので、彼が口走ったのもそうなのだろう。門に寄りかかりながら、彼は旅人の衣装を再び凝視した。砂が繊維に絡んでいるのか、ヴェールがきらきらと光っていたからだ。高価そうだと思った。

 旅人は先ほどから星空を見上げたまま、こちらに向き直る気配はない。アムは肩をほぐした。

「早く一杯やりてえな、おれも……お偉方はとっくに仕事なんざ終わってさ、今頃は酔っ払って気分良く眠ってんじゃねえの。いいなあ、昇進したらおれもそんなふうになれんのかな。雑魚寝じゃなくて自分だけの個室が用意されてて、仕事が終わりゃ美味い飯食って美味い酒飲んでさ。使う武具は一級品、嫁を取るにもよりどりみどり。そんで家族を上流階級の地区に住まわせてやんだ、いいよなあ、誰もが見る夢だよなあ、暁都の兵ならよ。言ってみてえよ、上手くいきすぎて怖いって」

 ありふれた愚痴だった。夜毎、酒場で言い合うような、羨望の入り混じった皮肉であった。

「全く、暁光の都だからって。太陽の照らない時間のことをもっと考えて欲しいもんだぜ。そんなだから盗賊の根城にされんだ……おっと、言い過ぎか」

 王宮殿を睨めつけつつぼやいたアムは、入門待ちの列が空いたことを知らせようと旅人に何度か呼びかける。何度目かの呼びかけでようやく旅人が踵を返すまで、アムはずっと懐疑の視線を送り、おいと言い続けた。

 ようやく緩慢に振り向いた旅人は、開きかけた門とアムとを交互に見る。

「通行を。許されたのか」

「そういうことだ、さあ行けよ。これでおれの今夜の仕事も終わりだ」

 アムは上体をもたれていた壁から離した。

「なあ、最後に教えてくれないか」

「なにを」

「どっから来たんだ、お前?」

「……わたしは」

 旅人は今までとなんら変わらぬ声音で言った。

「シンの谷から」

 それを聞いたアムが目を見開いた瞬間、周囲にも静寂が訪れた。門番の彼だけではなく、検問の人間や他の来訪者までもが、旅人の返答を聞いて一斉に息を呑んだのだ。

 アムは初め、自分の耳を疑った。

「待てよ、俺の聞き違いだよな。お前今、シンの谷って言ったか?」

「ああ」

 しかし旅人はなんの迷いもなく頷いた。

 静かな驚愕が段々と恐怖へと変貌し、伝染していく。皆が後ずさっていくのを、旅人はじっと見渡していた。状況が分からないといった感じだ。

 アムが咄嗟に彼の腕を掴みあげる。ヴェールをめくってみると、現れたのは血の気のない灰色の肌だった。松明の火でも十分に分かる、間違いない。アムが悟ると同時に、どよめきが起こった。

妖女まじょだ!」

 竦んでいた誰かが叫ぶと、弾かれたようにそれぞれが方々へ逃げだしていく。

 アムを除いてその場にいた全員が散り散りになるのを、旅人は呆気にとられたように見つめていた。

「はあ?」

 心底不思議そうに首を傾げながら。

 腕に触れたことで、旅人が女であることに気がついたアムも、今すぐにそこから逃げたい気持ちであった。だが、彼の職は門番である。都に害を加える可能性がある彼女を入れることはできない。アムは己を奮い立たせ、彼女を拘束した。

「誰か、誰でもいい、応援を呼べ!」

 両腕を縄で縛りあげる。

「東の門へ兵を集めるように伝令!」

「何、を」

 突然の事態に、彼女も驚いているようだった。金属の飾りが一斉にこすれて音を立てた。

 痛みに呻き、必死にもがく彼女を押さえつけ、声を張りあげる。

「シンの谷の妖女まじょを捕えた!」

 門前が騒然とする中、アムは神官の託宣が正しかったことを感じ取っていた。

「東より来たる侵略者が、暁都に翳りをもたらす……ほんとだったな」

「侵略者」

 アムの言葉を耳にした彼女は、動きをぴたりと止めた。

「侵略者か、なるほど、面白い解釈だ」

 抵抗するのをやめた彼女がこきりと首を傾げる。

「で、それは、誰が?」

「は?」

 アムから素っ頓狂な声が出た。

 後ろ手に縛られていた彼女は、細身をしなやかに使って、アムを見上げていた。夜を雫にして垂らしたような、漆黒の瞳と初めて目が合う。吸い込まれそうなその黒に、アムはぎくりとした。

「同業がここにいると、思えないが」

 突然大人しくなった彼女に意表を突かれ、アムの手は彼女から離れてしまった。しかし、解放されても彼女は逃げる素振りを一切見せず、縄で縛られた手を生き物の手足のように動かしながら、興味津々といった口ぶりでアムに訊き続ける。

「誰が」

 彼女は好奇心に満ちていた。

「それを?」

「し、神官どのの託宣、だ」

 ずいと詰め寄られ、アムは思わず答えてしまう。顔からこぼれ落ちてしまうのではないかという彼女の大きな瞳は言い知れない圧を放っていた。

 両手を縛られたままだというのに悠然と佇んでいるのも、奇妙さを助長した。

「神託」

 思案に耽るような視線を宙で彷徨わせる彼女からは、あくまでも自然体であることが窺えた。

「興味はある」

 彼女の意識はアムから夜空へと移った。なにか熱心に、夜空を凝視している。その様は、神秘的ですらあった。彼女が唇を動かしたのはしばらく経ってからであった。

「“圧倒の来たるは東”……」

 アムは謎めいた呪文に眉を顰めたが、不思議とそれが危険な呪術の類のものには思えなかった。得心のいっているのかいないのか、彼女は微妙に息をつく。彼女が目線を落とすので、アムは隙ありと見て再び彼女を押さえつける。

「……」

 両手を掴みあげられても、彼女は空から目を離さない。

 その肌、身体、伝え聞いたシンの谷の妖女まじょと相違ない。湧き上がる恐怖に見て見ぬふりして、アムは彼女を逃がすまいとした。

 辺りの通行人がほとんどいなくなった頃、増援がやって来る。

 アムが顔を上げさせ、顔を覆っていたヴェールを剥ぎ取ると、周りの兵らが恐れるように息を呑んだ。無論、彼女の容貌に対してである。瞳と同じ、闇の色をした髪。その異様な見た目に、誰もが一瞬たじろいだ。夜闇が人型をとったような容姿の彼女に。

 アムは半ば慄くようにして携えていた斧を彼女に突きつける。無闇に傷をつけるほどの勢いはなかったが、喉を圧迫された彼女は苦しげに眉根を寄せた。しかし彼女に抵抗の意思は感じられない。それもまた奇妙であった。縛られたら苦しむし、揺さぶられれば呻く。初めアムが彼女を拘束しようとした際に必死でもがいていたのも、突然されたら誰しもがとる行動であろう。しかし彼女は、その後すぐに暴れるのをやめた。門番のアムにとって、それは経験したことのない出来事だった。何か理由があるのではないか。アムはそう感じていた。それがなんなのかは、彼には見当もつかないが。

「おい、イアト。何してるんだ」

 アムの通り名を口にした増援の一人が、彼に信じられないというような視線を投げかけた。それはアムが彼女を押さえつけるのをやめたからだった。

「まさかあいつ魅了の術でもかけられたんじゃ」

「違う違う、腕はちゃんと縛ってあるって。簡単には逃げられないよ」

 目の前の妖女まじょに真名を握られているのだ、などと言えるはずもなかった。逆恨みされてはたまったものではない、アムも必死だった。彼女を必要以上に刺激しまいと。

「無闇に暴れないなら組み敷く必要もないだろ」

 彼は己を奮い立たせると、頑強な体をこれでもかというほど膨らませ、彼女を見下ろした。アムが彼女の頭を鷲掴んで、後ろに引く。これまでよりも上を向かされる形となった彼女は、忌々しげにアムを一瞥してから、また空に視線を戻した。

「何が目的で暁光の都にやって来た!」

 彼女の肩を揺さぶる度、ちゃりちゃりと金属がぶつかる音がした。彼女の不機嫌を表すように鳴るそれに、アムが怯んだ時。

 斧の切先に、彼女の首飾りが触れた。

「……、を」

 彼女の声は低く掠れ、砂塵のように鼓膜を叩いた。

 彼女の漆黒の瞳に、無数の光が閃く。

 それは、誰もが予想だにしない答えであった。

「星を、見に」

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