黄金姫と貌無し男の殺戮劇
山吹晴朝
第1話 黄金姫
1679年、陸奥国の東に位置する標高六百メートルの夜霧山、その山中にて隙間なく並び生える木々の合間を縫うように二人の男女が駆けていた
山の中腹へと一直線に駆けて行くその二人の内の一人は、軽装の鎧を身に纏った十代後半の男であり、その若武者の鍛え上げられた身体には最近付けられたばかりの浅い刀傷が無数に入っていた
そしてその傷だらけ鎧の男は肩に一人、齢は十六と言ったところだろうか艶のある黒髪に金色の瞳を持ち血で染まった金糸で紡がれた着物を着込んだ、まるで職人が人生全てを賭けて造りだした彫刻品のように人を魅了する美しさを持った少女を担いでいた
「はぁ、はぁ………………、く、くそ、まだ追ってくるのか!」
息絶え絶えの中、若武者が口から滴る鮮血と共に言葉を吐く
怒りと不快感が混じる言葉、その行先は若武者と若武者が担ぐ女を追って松明片手に山を背後から駆け上がって来る、多数の男たちに向けられていた
若武者はその背後の男達と肩に担いだ少女を交互に一瞥すると、歯を食いしばりながら思考する
(俺は何て不運なんだ……、こんな事態に巻き込まれるなんて)
人の目が届かぬ山中を少女を連れて走る鎧姿の男と追手
この現状の光景から二人の事を、どこぞの姫とそれを誘拐した荒くれ者の侍という図を多くの者は脳内が思い浮かぶだろう
しかし、事情は違った
(だがこれも全てこの朱鷺姫様を助けるためだ……)
若武者は回想する、己が事態に巻き込まれるはめになった出来事を
それは現時刻から僅か2時間前の事であった
陸奥国の東の少領を治める井川家の嫡男、井川久松に使える末端の武士の一人である若武者である彼、高山一助はその日、勤番で城の門近くに詰めていた
そしてそんな平凡な武士である一助が普段通りの仕事をこなしていた日も暮れかけたある頃、城内に建てられた屋敷の様子が慌ただしく変わる
最初は偶にある喧嘩などの些細な揉め事だろうと思っていた一助含めた門番達であったが、屋敷から響いた「姫様が刺された」という一声でその認識はすぐに変えられることになる
姫様、それはこの城の城主である井川久松の正妻である糸姫を示す呼び方であり、その姫様が刺されたという一大事を知らせる声に一助含めた武士たちに動揺が広がる
そしてその一大事に末端である僅かな門番を除いた武士たちが慌ただしく動き出し屋敷へと入っていく中で、隠れるように屋敷から飛び出す影が一つあった
まるで空で下校を浴びて舞う蝶のような優雅さと美しさを持ったその影の正体、それはつい三日目に城主である久松に隣領から嫁いできた月城家の姫である朱鷺姫だった
彼女、朱鷺姫は日ノ本では物珍しい金色の瞳を持っており、その美しさは近隣諸国だけではなく遥か遠くの国にも轟いていた
そんな美しい姫の姿に一時、目を囚われていた一助であったが、その朱鷺姫が顔から胸元当たりまで血飛沫を浴びていることに気が付くと、すぐに朱鷺姫の下に駆け寄り声を掛ける
「姫様! 朱鷺姫様! その姿どうなさったのですか?」
赤く染まった朱鷺姫の姿、そして先程屋敷内から響いた糸姫が刺されたという声、その二つの異常事態に困惑しながらも己の仕事を全うしようと朱鷺姫の身を案じる声掛けをした
その一助の言葉に返って来たのは、怯えの混じった声で紡がれた助けであった
「た、助けてください。突然、屋敷で侍の方が糸様を刺されて、それで次にその侍が私に襲い掛かって来たのです。私は周囲の方々の助けで何とかここまで命辛々逃げられたのですが……、もしかしたら内部で何か
「それは……まさか」
朱鷺姫の口から語られた話に、驚愕を隠せず大口を開ける一助
(
徳川家が全国を統一したと言っても良い大坂夏の陣から80年、多少の揉め事はあれど徳川家の旗印のもと平和が続いていた
だがしかし、一助は先程の屋敷から響いた言葉と目前に居る美しき朱鷺姫の言葉を聞き謀が起こらぬという希望的な考えが揺らいでいた
そして混乱の中に居る一助に対し、朱鷺姫は畳み掛けるように言葉を重ねる
「今、信頼できる者は貴方しか居りません。どうか
「逃がす!? いや、しかしここは朱鷺姫様の主人で在られる殿の屋敷です、ここ以上に安全な場所など……」
「いいえ。今、この屋敷の中には謀反人で溢れかえっております。ですからここから出る事が私の安全に繋がります」
「そうは言われましても、逃げるな所など」
「それなら大丈夫です。久松様から何かあった時はこの城から少し歩いた所にある夜霧山、その中腹にある社に逃げ込めと、そこなら安全だと言われております。ですから……、どうかお頼み申します」
「………………いや、だが」
混乱する中、一助はこの先どうすれば良いのか思考する
(どうすれば良い、俺は……)
一助は頭の中に浮かび上がる無数の選択肢の中から何が正解なのか選べず、顔を抑え苦悶の表情を浮かべていた
だがその時、降ろしていた一助の右手に小さな白い手が重ねられる
柔い、だが仄かに温もりを発するその手は朱鷺姫の手であり、彼女は悩む一助の手を包み込むように握りながらこう呟いた 「お助け下さい、
とても可憐で優雅な朱鷺姫、そんな彼女に涙目でお願いされた一助は……
(あ、ああ、そうだ……。助けないと俺は侍だ、だから姫様を助けなければ)
顔を赤く染め、胸を高鳴らせる
そしてそれまで抱えていた不安や他の選択肢など最初から存在しなかったかのように、即座に朱鷺姫の言うとおりに逃げる選択肢を選んだ
「朱鷺姫様、お任せください。この高山一助が必ず姫様をお助けします」
一助のその言葉に朱鷺姫は、優しい笑みを浮かべるのだった
そして現在、朱鷺姫を抱えながら夜霧山を登っていた一助は、背後から迫る複数の気配に神経を擦り減らされてその顔を歪ませる
城を抜け夜霧山に向かっていた一助達であったが、当たり前のように追手が掛かっていた
朱鷺姫の言葉が真実であれば謀を起こした何某かの手の者であるその追手は、逃げる一助達を猟犬のように追いかけ、夜霧山に辿り着いていた
そしてそんな追手らと二人の距離はまだそれなりに離れてはいるが、彼ら追手がその手に持つ松明の輝きが徐々に大きくなっていく状況から、距離が縮められているのは誰の目にも明らかな事実であった
一助は迫るその炎の輝きに焦るように歩みを早め、険しい山を登っていく
そして数分後、一助と朱鷺姫は木々を抜け僅かに開けた空間に辿り着く
雑草は生い茂って入るが視界が抜けたその場所には、古びた社が一つ鎮座していた
「あれが……」
朱鷺姫が言っていたとおり夜霧山の中腹に鎮座していたその社へと一助は、疲労で張っている足を引きずるように動かして近づく
一歩、二歩と息を吐きながら進んだ一助達が階段を上り社の入口に到着したその時だった
ヒュッと、空気を斬る音共に一本の矢が木々の間から射られ、そのまま綺麗な一直線の軌道を描き飛来した矢は朱鷺姫を守るように立っていた一助のふくらはぎに突き刺ささる
「グゥ――――――!」
苦悶の声を上げる一助
矢の突き刺さった彼の脚からは真っ赤な血液が染み出していた
激痛に顔を歪ませながらも振り返った一助の目に映ったのは、木々を抜け姿を現す無数の鎧姿の侍たちであった
一助は、自身の怪我の具合とその侍たちの数に己の死を悟る
だが一助はせめて姫様だけでも助けなければと、社の入口で屈む朱鷺姫に向けて声を上げた
「姫様! 早く中へ、姫様の言葉通りなら中に何かある筈です。殿が用意している筈です。だから早く中へ!」
一助は朱鷺姫の言葉通り社の中に何か現状を脱する可能性がある事に賭けて、怯えるような表情を浮かべる朱鷺姫に檄を掛ける
朱鷺姫は一助の言葉に従うように社の扉を開き中に身体を滑り込ませる
そして社の内部に入った朱鷺姫の姿に安心し笑みを浮かべた一助だったが、その社の扉が閉まる寸前に目撃したものに対して困惑の声を上げた
「え」
そして次の瞬間、無数に射られた矢の内の一つが困惑し停止した一助の頭蓋骨に深々と突き刺さり、その命を奪い去る
ここまで命を懸けて朱鷺姫を守っていた一助が死の間際に見たのは、守っていた筈の者から向けられた怒りと落胆の籠った黄金の瞳であった
――――――――――――――――――――――――――――
そして視点は社の内部に入った朱鷺姫に変わる
朱鷺姫は先程までの弱々しさを消し去り、凄まじい怒りを見せていた
「
命を懸けて守ってくれた相手に対して一切の好意的感情を見せず、ただその無能ぶりを扱き下ろす朱鷺姫
普通ならそのような言葉や感情を吐き捨てる事は無い
ただ己が神であると思い込む強欲で傲慢なこの女は、己の命令に従う事が当たり前であり、従えない事や失敗する事が不遜であると考えていた
だからこそ優しい言葉を並べた上に従わせやった侍如きが、追手すら撒けずそれどころか命令の途中で脱落したことに憤りを感じていた
「やはり下々の民は生まれも育ちも悪いから、上に立つ者の命令も聞けないのね。はぁ、これだとここに居る者も使えるか分からないわね」
怒りを隠さず社の内部へ進んで行く朱鷺姫
社の内部は埃が舞い床板もボロボロの状態であり、誰が見ても長年放置されているように見えた
だがこの場所を目指していた朱鷺姫は、まるでここに誰か居ると確信するように内部を進む
その誰かとは、夜霧山に住むとされる怨霊『
戦国の生き残り、または落ち武者の霊ではないか噂されたその
そんな気が触れた行いを繰り返す貌無がここ数年、この山中で目撃されているという
朱鷺姫はそんな噂、彼女本人にとっては確定事項を頼りにこの山に向かっていたのだった
そして社に入って2分ほど、辺りを見渡すように視線を動して件の貌無を探す朱鷺姫の背後で、木製の扉が大きな音をたてて勢いよく蹴り飛ばされ、複数人の侍が社内部へと侵入を果たした
「朱鷺様ですな。その身柄捉えさせていただきます」
社の内部に入って来た侍たちの内、先頭に立つ弓を背負った侍がそう言葉を発しながら朱鷺姫に近寄ろうと一歩踏み出した
だがその一歩を最後に弓を背負った侍は、目を見開き動きを止める
「む!?」
鍛え抜かれたその侍を含めた者たちが動きを止めたのは何故か?
その理由は単純、捕縛対象であった朱鷺姫の背後に音も気配も無くいつの間にか
七尺近い大男、それは噂に違えない巨躯を持つ怨霊『貌無』その人であった
貌無は手に持った大太刀の刃を朱鷺姫にほど近い床板に突き刺すと、まるで骸のような皮の無い肉剝き出しの醜い顔面を朱鷺姫の美しい顔に近づけて呟いた
「我を求めて迷い込んだ女よ、お前は我に戦を
底冷えするような低く重たいその声で呟かれたその問いに対し、朱鷺姫の返した言葉は単純だった
「ええ、
「ならば良し、ここに契約は結ばれた。この
朱鷺姫は戦を求める怨霊が齎した契約を受諾し、そして今ここに最悪と災厄の主従が誕生するのだった
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