鎌鼬(6)
署を出た伊関と和久井は車に乗り込み、市内を亀水川沿いにある住宅街へと向かった。
目的は最初の被害者と目されている
大通りを抜け、亀水川を西に見ながら住宅街を北上していく。和久井は助手席から亀水川の堤防の方に目をやり、今頃は多くの捜査員が行方不明となっている児童の捜索に当たっているのだろうと想像した。
聞いていた住所の家に到着する。
署を出る前に家に連絡を入れると、母親が電話に出て、どうやらあの事件以来仕事を休んで家にいるとのこと。
全身に負ったという怪我は全治二週間程度の擦り傷と打撲と聞いているので、現在休んでいる理由は、襲われたことによる精神的なものではないかと推測された。
チャイムを鳴らすとすぐに玄関の扉が開かれ、和久井よりは少し若いと思われる見た目の母親が二人を迎え入れてくれた。
スリッパに履き替えて応接室のような部屋へと通される。
八畳ほどの広さの洋室。その中央には重厚な造りのテーブルがあり、ダークブラウンの皮張りのソファがテーブルを挟んで置かれていた。
二人をソファに座るよう促し、すぐに娘を呼んできますからと言って、母親はそのまま応接室を後にした。
秋元静香。年齢は二十八歳。
県内の短大を卒業後に隣のR市にある地元企業に就職。企画開発部に所属しており、事件のあった日は会社近くの居酒屋で同僚たちと会食をし、その後一人で電車に乗って帰路に着く。
事件に遭ったのはここから徒歩で五分もかからない亀水川堤防付近。
何者かに襲われ、髪を首元の長さで切断された。
本人曰く、もしあの時バランスを崩して階段から落ちていなかったら首を切られていたと証言しているのだが、その肝心の犯人の姿は全く見ておらず、凶器が何だったのかすら不明。
伊関は手帳にメモしておいた事件のあらましに目を通しながらため息をついた。
「これ、本当に今回のヤマと関係あるんでしょうかね?」
すでに二人もの犠牲者が出ている以上、もし静香が最初の被害者であるなら、唯一の貴重な生存者ではあるのだが、調書の内容を見る限り大きな情報を得れるとは考えにくかった。
「二人の人間が殺されてんだ。関係があるか無いかは後で考えりゃあ良い。当時はパニックになって忘れてたが、時間が経って思い出した事があるかもしれねえしな」
和久井がそう言った時、部屋の扉がノックされた。
聞き取れるかどうかの小声で失礼しますと言って、先ほどの母親に付き添われるように入って来た女性。
髪を肩の高さで切り揃え、銀縁の眼鏡をかけている。
服装はだぼっとしたアイボリー色のカーゴパンツに、夏だというのに黒のタートルネックのセーターを着ていた。
向かいの席に座った静香は刑事二人の顔を一瞬だけ見ると、すぐに怯えるように視線を外して目を伏せ、自分の膝の辺りをじっと見つめていた。
「秋元静香さんですね?私がS県警捜査一課の和久井と申します。隣は同僚の伊関です」
「伊関です。初めまして」
「……はい」
「本日突然伺ったのは、秋元さんが先月遭った事件の事でお聞きしたい事がありまして。少々お話をお聞かせ願いますか?」
「……もう何度もお話しました」
「はい。繰り返しになる事は申し訳ないと思っております。それでも時間が経って思い出した事が何かないかと思いまして」
「……何度も話したのに全然信じてくれませんでした」
「いえ、そんな事は――」
「あります!話を聞いている時の警察の人の顔や態度で分かります!まるで私の頭がおかしいみたいな顔して、全然まともに聞いてくれませんでした!!私!殺されかけたのに!!」
「静香……」
突然の興奮状態になった娘を落ち着かせようと母親が静香の両肩に手を回す。
「落ち着いてください秋元さん。貴女がそう感じたのであれば担当した者の態度に問題があったのでしょう。同僚として私が謝罪します。貴女を傷付けるような事をして本当に申し訳ありませんでした」
そう言って和久井が深々と頭を下げ、それを見た伊関が慌ててそれに倣う。
「我々は貴女の言葉を真剣に受け止める為にここに来ました。いきなり信じろというのは難しいと思いますが、もう一度だけ我々に話を聞かせてもらえませんか?」
「……」
「静香」
母親が静香を諭すように声をかけると、静香は少し落ち着いたのか、再び視線を膝元へと下げた。
「……ニュースで観ました。また被害に遭われた方が出たんですよね?」
静かは視線を上げることなくそう呟いた。
「……はい。残念ながら」
「犯人は私や、こないだの人を襲ったのと同じですか?」
「断定は出来ませんが、その可能性は高いと考えております」
「そうですか……生き残ったのは私だけなんですね……運が良いのかな」
その言葉とは裏腹に、言い方にはどこか自嘲するような響きが感じられた。
「これ以上の犠牲者を出さない為にも貴方のお話をお聞きしたいのです」
「……分かりました」
「ありがとうござい――」
「――でも、一つだけ約束してください」
「……何でしょうか?」
静香は顔を上げて和久井を見つめる。
「絶対に犯人を捕まえてください」
「もちろんです。それが我々の役目ですから」
「たとえ犯人が人間じゃなかったとしてもです」
そう言った静香の表情は真剣そのもので、和久井と伊関はその言葉の真意を汲み取る事が出来なかった。
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