第8話
羽那は体内の水分が沸騰した気がした。
今だ。今しかない。羽那の全身がこれまでに無いくらい強く訴えていた。
「ねえ、うちはどう?あんまり親はそういうのに関心ないタイプなんだけど……」
「えっ?」
春彦は固まる。
羽那は畳み掛けるように続けた。
「学校からも舘山くんよりも近いと思うし、電車も混まないし!」
「えっと、でも……」
今、我に返ると絶対に羞恥心でどうなるか分からない。全身が警告していた。
「女子の家に上がるなんて、そんな……」
春彦も顔が赤くなってくる。羽那も羞恥心を押し殺して言葉を重ねるものだから顔が熱い。
(初心だなあ、困惑してるの可愛い……)
羽那は至近距離で春彦の照れ顔を目に焼き付ける。
何か、決定的な魅力を突きつけなくては。
羽那は最終手段に出た。
「それに、タワマンからの景色。見たくない?」
羽那は声を小さくして聞いた。
ポケットに入っていた家の鍵を取りだした。
黒い機械と一体化した鍵にはキーホルダーでもうひとつの小さな機械と繋がれていて、GPSだと分かる。
春彦は衝撃を受けた様子で目を見開く。
貴重品にGPSを一緒につけることは春彦にとっては「お金持ち」の為す術だった。
羽那がタワーマンションに住んでいることは一年の時に保護者会の後に発覚した。
それぞれの住んでいる地域について話し合っていたところ羽那の母が話した地域は、超セレブなところだ!と不動産関係に勤める誰かの保護者が言ったことが発端だった。
翌日、保護者伝いにそれを聞いたクラスメイトは羽那を問い詰めた。
「タワマンに住んでるってほんと?」
「えっ?まあ、そうだけど……」
「ええ!?凄い!」
羽那には、その感覚が分からなかった。羽那の住む街にはタワーマンションが立ち並び、今も筍のような速さで増え続けている。地元の小学校も中学校もほとんどの生徒がタワーマンションに住み、戸建に住んでいる人の方が珍しくチヤホヤされていた印象すらあった。
しかし、それ以降タワーマンションが羽那のステータスとなったことは自覚していた。
「タワマン……!」
春彦の目がキラキラと教室の照明を反射する。
羽那には春彦が葛藤しているのが手に取るように分かった。
「ツインタワーなんだけど、真ん中に噴水があってね、共用スペースも豪華なの。とりあえずって感じで一泊どうかな?」
「……」
春彦はまだ葛藤している。だが、答えはもう出ているようだった。
「お願い、します……」
タワマンなんて、住むことが出来る人間は限られている。
ましてや一生肉眼で見ることも叶わぬ間に人生なんてあっという間に終わってしまうなんてことも伊達じゃない。
大きな夢も目標もまだ持ち合わせていない春彦は中学生の時に塾講師に尋ねられた。
「将来はどんなことをしたいの?」
「……」
春彦は俯いて考えた。
「お金持ちに、なりたい……」
塾講師は想像の斜め上を行く答えを聞いて、目を見開いてから吹き出した。
「そっか、舘山にそんな野望があるなんてね。いつも生気があまりないというか、静かで大人しかったから、本当は志望校とかも無理矢理決められた道を歩いてるんじゃないかって心配だったけど……舘山の心の中は燃えてるみたいで良かったよ。」
「そうですか……?」
春彦にとってお金持ちとは丸の内やレインボーブリッジ、汐留といった科学と人口の光にまみれた夜景が天井までの大きな窓から一望できて、部屋の真ん中にはL字のソファ。向かいには天井までびっしりの壁面収納の中に綺麗に収まった大型の薄型テレビ。挟まれるように置かれたローテーブルには製氷機から作ることは出来なさそうな丸氷の入ったグラスが上品なコースターの上に置かれたものだった。
「今日はサッカー部なかったよね。放課後、駅のホームで待ち合わせでどう?」
春彦は何となく羽那の気持ちを察した。
「分かった。」
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