21.今日は君の赤ペン先生【Day21・自由研究:桐生+高梁】

「永介くん! 今日のです! 読んでください!」

「はいはい。元気だなお前……」

「メンバーのことをほめられました。うれしいです」


 メンバーのことを褒められてテンションが上がっている、ということだろうか。ちなみに誰に、と桐生永介きりゅうえいすけが問えば高梁透たかはしとおるアレクサンドルは『read i Fineリーディファイン』についている四人のマネージャーの内のひとりの名前を高らかに唱える。なるほど、それは嬉しくなるのも当然だと桐生は納得した。


「大分漢字覚えてきたなあ、えらいえらい」

「でもカタカナはまだ全然です」

「日本って書き文字多いもんね、大丈夫、日本人でもたまに間違えるくらいだし」

「日本に来ておどろいたの、日本人も読めない漢字があるってことです」


 高梁が差し出してきたノートを広げ、赤いペンでコメントを書きながら桐生は高梁と会話を続ける。彼が持ってきたノートは朝顔の観察日記だ。現在宿舎にグリーンカーテンとして居付いているそれは高梁が育てたものを、土屋亜樹が環境を整えたものなのだ。

 そんな観察日記を毎日書き、毎日メンバーへ赤を入れてもらうのが高梁の日課である。彼の日本語勉強の一環なのだ。


「そりゃ日本人も漢字が読めない時だってあるよ。あいつら、単体でも読み方多いくせに文字が繋がるとまったく別の読み方をさせてくるんだぞ。無理ゲーだよ無理ゲー」

「とか言いますけど、永介くんはそもそも漢字苦手ですよね?」

「ですね。そもそものそもそもだけど、俺は勉強がそんなに得意でもないし」


 この『read i Fine』で勉強が得意と言えば、楽曲製作担当である南方侑太郎みなかたゆうたろうだろう。日本における最難関私立大学の二大巨塔──そのひとつである慶櫻学園けいおうがくえん大学にストレートで合格し、現在もその『得意』を生かしてクイズ番組やニュース番組に呼ばれるほどだ。


「でもみなもんの方が、大学受験的には難易度が高いんだよな」

「そうなんです⁉」

「みなもんの通ってる大学は日本で唯一の、国立芸大だよ。一浪してるけどまあ誤差レベルだよなあ、あんなの」


 佐々木水面ささきみなもが通っている国立東央藝術とうおうげいじゅつ大学は、日本最難関と言っても過言ではない大学だ。彼は一浪したことをさもいじってほしそうに言うが、一浪なんて最早通過儀礼レベルの難関校である。芸大ということもあり、『頭が良い』だけでは入れないところが最大のネックだ。むしろ頭は微妙でも実技が圧倒的なら入れることもあるらしい。


「水面くん……めちゃくちゃ絵が上手だと思ってましたが……」

「絵が上手じゃないと入れない大学なんだよね。でもお前も写真上手じゃん、俺好きだよ」

「えへへ、シューティングゲームにきたえられました!」

「そういう鍛え方なの?」


 確かに被写体を的確に捉える技能と、敵に照準を当てる技能は似通っている部分があるかも知れない。ただそれはそうとして、高梁の写真で桐生が評価しているのは風景写真だ。シューティングゲームが関係あるのかは謎である。


「でも私も水面くんに教えてもらってます、写真」

「みなもんってマジで幅広いな……何でもできるんじゃん……

「ものをつくるのが好きなんで、写真はくわしく分からないらしいです。でもコウズとか教えてくれます、光の入り方とか」

「そういやみなもんって縫製もするって言ってた気がする」

「ホウセイ?」

「服を作ること」


 桐生はスマートフォンを操作し、こういう字、と高梁に見せる。高梁は目を回していた。


「にほんご……ふかすぎる……」

「奥が深い、っていう言葉を理解してそういう言い方できてるならすごいよ。母国語じゃないのに」

「えへへへ、へへへ、もっとほめてください!」

「よしよし」


 これ以上褒めると調子に乗るかな、と思いつつも桐生は褒める手、というか口を止める気は更々なかった。実力を伸ばすためには成功体験がいちばん、褒めて伸ばすが大事なのである。特に言語という、アイデンティティに根差すようなものについては、努力しても努力し尽くせない性質を持つから尚更である。


「私、永介くんにほめられるの好きです!」

「え、俺? なんで?」


 意外な告白である。思わず桐生は目を丸くした。

 桐生と高梁は同い年だ。生まれた年こそ高梁が早生まれのため一年近く異なるが、それでも褒める・褒められる関係性だといささか軋轢が生じてもおかしくはない。『read i Fine』には褒め上手な先輩ばかりだから、その人らに褒められるなら兎も角──と疑心たっぷりの眼差しで桐生は高梁を見遣る。


「あ、信じてないっ」

「そりゃ信じられませんよ。つか、その心は?」

「こころ……、どういう意味で言ったのか、ということですか?」

「そうそう、よく分かったね」


 なるほど、これも慣用句的表現か。桐生は心中反省をした、やっぱり教えると自分も学び直しができて良いな。


「私は、永介くんの声が好きなので」

「こ、声?」

「はいっ。歌ってるときは神々しくて、儚くて、火山みたいなときもあれば、鳥が飛んでいるようでもあるのに。でも、しゃべっているときはふつうです。ふつうの男の子で、ちょっと早口です」

「えっごめん」

「でもそこが好きです。愛してます」


 言うや否や、高梁は桐生にハグをする。いきなり力技により物理的に丸め込まれた桐生は、やっとのことで高梁の背中に手を回した。愛情表現が誰よりも直接的でかなり照れる、愛してるなんて親にもなかなか言われないのに。


「永介くんはどうでしょう?」

「……日記のコメントにハートを書いておきますので、それでご勘弁を」

「分かりました!」


 満面の笑みを浮かべる高梁が眩しすぎる。いつか、ちゃんと同じ言葉で返せたらいいなあと思うけれど。こういう時に日本語って難しいんだよなあ、と桐生は溜息をついた。

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