19.煮詰めて変異する赤【Day19・トマト:日出+御堂】

「いっちゃん、ケチャップって作れる?」

「……買った方が早いよ」

「そんなこと言うの……?」

「言うよ。コスパのために料理してるようなもんだし、僕」


 佐々木日出ささきひのでにとって、御堂斎みどういつきの発言は衝撃の真実であった。

 ヤギリプロモーション本社の練習室。たまにはダンスを見て欲しい、という日出の要請により御堂はそこまで重くない腰を上げたのだ。そして踊り続けて三時間、休憩中に日出は何の気なしにそんなことを訊いて今に至る。


「そもそもいっちゃんって、なんでこんなに料理作れるようになったの?」

「うちがシンママ家庭っていうのは知ってるよね」

「うん」


 御堂斎の家庭には父親がいない。彼が小さい頃に事故で亡くなったのだ。それから彼は兄二人と母親、そして母方の祖母や父方の叔母の力を借りながらなんとか生活していた。とは言え母親は東北の大学で教授職に就いていたため、ほぼ単身赴任状態だったのだが。


「そんな感じだったから自分のことは自分でできるようにって、色々教えてもらったり自発的に勉強したりしていたんだよ。僕はアメリカに短期留学もしてたし、その時にかなり料理を覚えた感じ」

「アメリカで、ってことは食生活がやっぱり……」

「うん。日本で食べてるものじゃないと力出ないんだよね、だから何とか再現しようと頑張った」


 あとは僕、オタク気質だから、という御堂の自己申告に日出は納得した。オタク気質、というか普通にオタクである。凝り性で深追いが好き、同じことを何度やっても飽きることのない精神性、彼を『努力の天才』と呼んだのは誰だったか。執念深く目標を追い求めるその姿勢に憧れと畏怖を抱いた人間は、数多存在する。

 まあそれしかできないとも言うけれど、と日出は考えていた。人間は自分の想像の範疇にないものを異様に怖がる、きっとできないだろうと思っていたことをやってのける人間に恐怖を重ねてしまう。だけど、やってのける人間だって『ただの人間』だ。何かが欠けていて、何かが余っている。それだけのことだ。


「そんなんだから安く買えるものは全部買うようにしてる。マヨネーズもケチャップも、ドレッシング──は内容物によるけど」

「上白糖とらないとか言ってたよね」

「ぶっちゃけ野菜食べるならオリーブオイルと塩だけで良い」

「へるしぃ」


 ヘルシー志向というより健康志向な御堂である。上白糖の他に、胃腸への負担となるグルテンなどもとらないようにしているし、食品も味より栄養素で見ている時がままあるくらいだ。むしろ不健全とも捉えられるかも知れないが、御堂にとっては長く踊り続けるための努力のひとつでしかないのである。


「っていうか、なんでいきなりケチャップなの?」

「今度水面みなもが大量のトマト貰ってくるって話聞いた?」

「初耳。待って、えっ、今ぞっとしたんだけど」

「俺もその話を聞いてぞっとした」


 水面よ、よりにもよっていっちゃんに言ってなかったのかよ、と日出は双子の弟へ遠い目をしながら思いを馳せる。我がグループの料理番に言わず、どうして実の兄としか情報共有しなかったんだ。


「そもそも生のトマト? ならうちだと絶対に太一たいちが食べられないじゃん」

「生のトマトだから無理ですね。ぶっちゃけ滉太こうたもそんな得意じゃないし」

「トマト……僕は好きなんだけどな……」

「気持ちを和らげる効果あるし、抗酸化作用もあるから美容に良いよ」


 効果だけ聞いて食えるならみんな食えるようになるよね、と御堂はうんざりしたように漏らす。様子だけ見ていると、完全に小さい子供を持つ親だ。どうしたら食べてくれるか、何をしたら食べてくれるか。日出は実家の、末の弟がまだ小さかった時のことを思い出していた。やっぱり七人目ともなると大分雑だったが、食事関連は常に気を遣っていた覚えがある。


「そうか。だからケチャップなんだ」

「そう、だってケチャップってトマトではないじゃん」

「あの『トマト食べられない? じゃあケチャップは?』っていう問いかけ、僕、死ぬほど嫌いなんだけど。別物じゃん、あれは。炊く前のご飯と、炊いたあとのご飯くらい違う」

「前者は人間の体じゃ分解できないけどね」

「よく知ってるねそんなこと⁉」

「理科だけは得意だったんだよ」


 雑学じゃん、と慄いている御堂を見て日出は笑った。確かに雑学ではあるが、そんな慄くようなことだろうか。彼が成していることの方が、よっぽど異様で恐ろしいことであるというのに。


「しかしトマトか、マジでどうっすかな。つまらない話をした奴にぶん投げるくらいしか考えられないんだけど、あとなんかある?」

「なんでつまんない話した奴にぶん投げるの?」

「そういうネットミームがあるんだよ。あとで調べよ、休憩し過ぎた」


 続きをやるぞ、と御堂は大きく伸びをする。そうだった、ここにはダンスの練習をしに来ている。雑談を続けていたら、見回りのトレーナーに追い出されること間違いなしだ。それは勘弁被りたい。


「そういえばいっちゃんって、自分のことどう思ってる?」

「なに、いきなり」

「この質問答えたら再開しよ。で、どう?」

「……どうって、普通のそこら辺によくいるオタクだなあ、って」


 面白くないだろ、と言いたげな顔の御堂に日出は大きく笑った。面白くない、と思っているのがきっと当人だけなところが面白い。こんなオタク、そこら辺によくいたらそれこそ恐怖でしかない。普通って難しくて面白い、そう思う日出であった。

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