中学生

第2話 憂鬱の延長

 結局中学の三年間、マリが巽と同じクラスになることはなく、卒業が少しずつ近づいていた。もしかしたらこのまま別の高校へと進んで、いずれあの出来事はお互いの中から消えてなくなるのではないかとさえ思っていた。

 そんなことはなかった。

 マリたちの通う中学校では同じ高校を志願する生徒でかたまって高校まで出願をしに行くことになっている。その顔合わせの日、指示された教室に足を踏み入れたマリの目は反射的に教室の後方に座る巽の姿をとらえていた。ぴたりとマリの脚が止まる。

「マリちゃん?」一緒に来ていた友人が不自然に動きを止めたマリに声をかける。

「あ、なんでもないよ?」

 心臓がバクバクと脈打つのが分かる。なんで。なんで…………やっと解放されると思っていたのに。

 指定されて座った席は一番前だった。巽の視界に嫌でも入る位置。そこに自分がいると思うと先生の話に集中出来ない。

 途中、重要書類を一番後ろの人が集めて来る機会があった。回収されるプリントを机の脇に置き大人しく座っていたマリは、俯いた視界の端に巽と書かれたスリッパが映り込んできてはっと顔を上げた。上げてしまった。先生に書類の束を手渡して戻ろうとする巽と一瞬だが目が合った。巽の目が少しだけ細められたような気がした。どんな感情の表れなのか、はっきりとは断言出来ない。だがマリの目にはそれが、怒りに見えた。

「ごめんなさい……」

 呟いた声は掠れるほど小さく、呆気なく先生の激励の言葉に掻き消され誰にも拾われることはなかった。

 *** *** 

 三月九日の入試当日の日まで一ヶ月間、マリは受験勉強を進めながら度々、いっそわざと落ちてやろうかと考えていた。私立の入試の日も、三月二日の出願の日も、ずっと。同じ高校を目指す友人と、「お互い頑張ろうね」と声をかけ合う笑顔の裏で。

 入試当日の朝、浮かない顔をしたマリを見て、両親も姉も優しい言葉をかけてくれた。

「鞠は頑張ってきたんだから大丈夫だよ」やめて。

「結果のことは考えずにあとは全力出してきな」やめて。

「うん……頑張る」曖昧に笑って、頷いた。

 八時半高校に着き、受験票に記載された試験会場に向かう。行く先々ですれ違う先生方は皆人が良さそうで、緊張させないためかやわらかい表情で挨拶をしてくれ、マリもできる限り大きな声で挨拶を返した。

 試験開始三十分前の教室には程々に受験生が到着していた。自分の受験番号の座席を探し出し腰を落ち着けたところでふと斜め前の女子生徒がこちらを見ているのに気がついた。友人だった。マリが気づくと小さく笑って手を振られた。マリはなんだか泣きそうになった。溢れ出しそうな心をぐっと噛みしめて、何でもない笑みで手を振り返した。

 入室制限の時間になり、試験の注意事項を最終確認すると、試験監督が一人ひとり問題を配っていく。目の前に置かれた問題冊子を見て、マリの心は再度揺れ動いていた。

(いっそ全力を出して落ちたのなら……)

 それなら、嫌な気持ちを背負わずにいられる? 自分が合格するより、本気でここに入学したいと思う誰かに合格してもらったほうがいい。マリが視線を上げると、前に座る女の子の背中の向こうに巽の後頭部が見える。中学では罪悪感と、いつ巽にバラされるかという気持ちでいっぱいだった。まるで万引き犯のように、びくびくと怯えて毎日を生きていた。あんな思いはもう、ごめんだ。

 試験開始のチャイムが鳴った。

 *** *** 

 十五時十分。最後の社会の試験が終了した。試験監督に回収されていくマリの解答用紙は全て埋まっていた。マリが全力を出した結果だ。もちろん全問正解の自信はないが。最初のチャイムでマリが国語の問題と向き合ったとき、ふと友人の顔が浮かんだのだ。たとえマリが全力で試験に臨んだとしても、マリが合格する保証も巽が合格する保証もない。じゃあこれ以上後悔を抱え込まなくてもいいように、全力で挑むことにしたのだった。

「マリちゃんおつかれ、一緒に帰ろう?」

「うん」

 去り際に友人が座っていた座席の受験番号をちらりと見た。下一桁が1であとは自分と同じ。そう頭に記憶して帰った。



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