第3話 閉域網神話

 同日、午後8時00分。ナースステーション横の事務机にて。


「管理者パスワードAdmin_12345っと」


 夜間体制でただ一人の情シス担当、若月がパソコンをカタカタっと打つ。たまたま後ろを通りかかった看護師の宮間が話しかける。


「ん? ちょっと待って、今のまさか統合AI医療システムの管理者アカウント?」

「おう、当たり前だろ。俺が管理者なんだから」

「パスワード適当すぎない?」


 慌てる宮間に、若月はふうと呆れたため息をつく。


「大文字小文字に、記号に数字で10桁以上。ちゃんとポリシーは守ってるっての。それにうちのシステムはなあ、閉域網なんだよ、閉域網」

「ヘイイキモウ? 何それ」


 全くピンと来ない宮間に、若月が椅子にふんぞり返って得意気に語り出す。


「インターネットと切り離された、安全な空間ってこと。つまりな、パスワードが漏れようが何だろうが、外部から入れやしねーんだよ。誰かがこのクソ田舎に来て、直接打たねーと入れないってこと。いちいち複雑なパスワード打ってられっかよ」

「へー、そんなもんなんだ」


 若月はカタカタっとパソコンを打つと、ログアウトせずウィンドウを閉じる。見えたデスクトップの背景は、宮間にも見覚えのあるものだった。思わず宮間は、若月の肩から画面を覗きこむように顔を出す。


「あれ、もしかしてWiidoos10? 私が学生時代に使ってたのと一緒だ。古くない?」


 若月は顔の近さにやや慌てつつ、答える。


「お、おう。懐かしいよな。仕方ねーんだよ、予算がねえんだから」

「どゆこと?」


 ぱっと若月の横顔を見る宮間。顔がくっつきそうな程近い。若月は目を合わせないようそらしつつ、「近えよ」と宮間の顔を手で押してから言う。


「こんなもんとっくにOSサポート切れ。でもバージョンアップするにはシステム改修が要る。もっと言やあ、ウイルス対策ソフトもXDR(*挙動感知)もシステム安定稼働のために切ってる。ま、何にせよ閉域網だから外から不正アクセスやウイルスが入る心配もねーし、余計な金はかけんなって理事共の判断だよ」

「そんなもんなのかなあ」


 何となく納得できない宮間に、若月が言う。


「とにかく、俺や宮間みたいな素人が心配することじゃねーよ。一応システム保守は機器と中身をそれぞれのベンダーに委託してんだから」

「? うーん……」


 宮間は余計に首を傾げた。


「あんた以外にそのパソコン構ってる人見たことないんだけど。どうやって保守してんの?」

「……さあ? もういいだろ、そろそろ仮眠させてくれ。看護師と違って情シスは俺一人なんだから」

「あ、うん」


 若月はふああと大きく伸びをして、仮眠室へ向かった。宮間もそれ以上は気にしないことにして、ナースステーションに戻った。



 ――悪夢のインシデントが起きるまで、あと4時間。

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