第4話

 量海はまず、エンプティネスが損傷を受けた背景から説明し始めた。

 戦闘指揮所には今や、私とキルゴール艦長の他には誰も残っていない。


「貴殿らが、ワープバブルと呼んでいるアレな。一見すると、完全無欠のバリアのように思えるが実態はそうではない」

「事実、貫通された。機関室の連中は、甲板を抜いた弾体を見ていないと言っていたが」


 憤然とした口調で艦長が応じると、量海は「それはそうだ」と笑った。


「弾は、生物であれば何でもよろしい。“オケラだって、アメンボだって”ということだな。射手が空虚アーカーシャと弾体を接続し、超光速航法に必要なエネルギーを吸い出させる。これの実現に必要なのは、射手と弾体の精神的な繋がり。すなわち、絆だ」

「おいおい、チャリティ番組じゃないんだぞ。あのサメが、お友達の魚に頼んで神風アタックをさせたとでも言うのか?」

「そうだ。恐怖、羨望、崇拝、同情――何でも良い。テスラシャークに対して強い念を持っている生物であれば、何でも彼奴の飛び道具になる。貴殿らも、さぞ良い弾丸になろう」


 超光速で指揮所にかっ飛んでくるキルゴールの姿を幻視して、私は軽く眩暈を覚えた。そんなマヌケな死因では、死んでも死にきれない。


 くだらないことを心配している間に、量海はまた更に説明を続けた。


「さて、ここからが本題だ。バブルの波長は、エネルギー源となる波動情報によって固有のパターンを持つ。故に、異なる使い手同士がバブルをぶつけた場合、互いが互いを拒絶することになる。しかし今回の場合、そうはならなかった」

「待ってください。じゃあ、テスラシャークがバブルを貫通できたのは……」

「彼奴と小生がだから、だろうな」


 同一の存在が同じ時間に存在し、片方は人の姿、もう片方はサメの姿を取っているという状況はいかにして生まれるものだろうか。私は見当もつかなかったが、量海はこれまた自明のことのように語った。


「波長が同じバブルが衝突・融合したとき、エネルギーが爆発的に増大する。それが一定の規模を超えると、供給源である空虚アーカーシャへの逆流現象が起きる。これに巻き込まれた場合、その者はエネルギーの向かう先――波動情報として記録されている時空に飛ばされることになる。小生の場合、それは過去だったということだ」

「過去に跳んだあなたがテスラ氏の手によって“テスラドライブ”となり、今はあのサメの中に溶け込んでいる、と……」

「左様、始まりと終わりは同じところにある。今日ここでテスラシャークを討ち、小生は過去に跳ぶ。己の手で討ち滅ぼされるために。これが、小生の運命なのだ」


 エンプティネス号が航行不能になること。機関室の乗員が死傷すること。

 そして、テスラシャークが私の友を殺すこと。

 それらもまた“運命”の一言で片づけられるものなのか、私には分からなかった。他に道はなかったのか、と量海に問いただしたい気分だった。しかし、いつテスラシャークに捕捉されるか分からないのもまた事実だ。言い合いをしている暇はない。


「指示をください、禅師。ここで全てを終わらせましょう」


 私の言葉に頷いて、量海禅師はモニタに映っている戦術状況図に向き直った。

 当然ながら、状況図上に友軍の姿はない。なにせ、ここは交戦海域の遥か遠方だ。


「通常航行が不能である以上、本艦の取れる戦略は限られる。しかし幸運なことに、艦首のアルクビエレ砲は無傷だ。アレの専用弾をもってすれば、敵のワープバブルを中和することが可能だ。軍本部からの使用許可は得ていないわけだが……」

「他に有効な火器はないのだろう。好きに使いたまえ」


 艦長の口調は、半ば捨て鉢だった。これに量海は礼をもって応え、


「小生がテスラシャークをおびき寄せる。彼奴が射線上に入ったら、小生ごと砲撃しろ。行き掛けに砲塔のエネルギー充填は済ませておく。ではな」


 手で印を結んで例の真言を唱えると、小さなバブルが量海禅師の全身を覆った。そして、音もなく宙に浮かび上がると、一瞬で戦闘指揮所から姿を消した。


「具体的にはどうすれば良いのでしょう?」


 困惑から、間の抜けた質問が私の口から零れる。キルゴール艦長は慌ただしく端末を操作しながら、淀みない口調でそれに答えた。


「艦橋に移動して、状況を目視で確認いただきたい。あの男の位置情報は皮下に埋め込んだチップで補足できているが、サメの方は別だ。射線上に捉えたとき、ゴーを掛けてくれ。私がトリガーを引く」

「艦長……」


 本人の希望とはいえ、人間を標的に主砲による一撃を見舞うのだ。その心中はいかばかりのものだろう。私は気の利いた返事もできず、ただ了解と口にして指揮所を去った。


 自分はが訪れたとき、艦長に発射の合図を出せるだろうか。

 他人の生き死に関わる判断が、私にできるだろうか。

 分からない。今日はここ数十年で一番、“分からない”が多い日だ。


「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」


 艦橋の脇、ウイングに出ると量海の真言が耳に入った。それだけ近距離にいるということらしい。見ると、艦の数百メートル先で空中を漂う彼の姿があった。


「ブリッジよりCIC。こちらカーマンです。所定の位置につきました。テスラシャークの姿は視認できません」

〈こちらCIC。アルクビエレ砲のローディング完了。発射の指示を待つ〉

「――あっ」


 不意な衝撃が艦橋を襲った。視界に光が広がって、私は思わずコンソールに倒れ掛かる。

 内線の向こうで、キルゴールが叫んでいた。


〈線量計に反応! ヤツだ!〉


 私は今になって初めて、テスラシャークを生で目にした。

 白と黒の二色で構成されるはずの体色は、毒々しいネオンブルーに変色していて、肌質もサメ肌というよりは岩石のようにゴツゴツしている。何故つぶさに観察できるかというと、やつが体長百メートルはあろうかという巨大生物だからだ。


 バブルとともに浮遊して、エンプティネス号の鼻先を掠め飛ぶ様はまさに威容だ。

 認めよう、私はいま確かに恐怖を感じている。


「よう、化物。こんな姿になり果てると思うと、小生はいささか憂鬱だぞ」


 ごああっと、量海の挑発に呼応するようにテスラシャークが吼えた。

肺も声帯も持ちえないはずのサメが、だ。陸海空すべてにおいて猛威を振るう怪物が、そのように適応するのは自然なことのようにも思えるが、やはりアレは自然の理に反するものだ。あってはならない存在だ。


 停止飛行を続ける量海に対して、テスラシャークがじりじりと距離を詰めていく。

バブル同士が接触して、青白い火花が飛散した。その熱は余波だけで海を、艦船を、生物を霧散させるだけの熱量を持っている。


〈教授、発射まだか!〉


「まだです。バブルを中和しに掛かった瞬間がもっとも確実です。やつの注意が禅師に向けば向くほど、こちらに展開している防御壁は薄くなる。だから、まだです」

〈くそっ、死んだら呪うぞ〉


 キルゴールの悲鳴じみた捨て台詞を、私はほとんど聞いていなかった。

 拡散する火花がより一層その激しさを増していく。じりじりと押されていく量海のバブルを前に、テスラシャークが勝ち誇ったように咆哮を上げる。


「――アルクビエレ砲、発射!」


 叫んだ瞬間、私はふたつの青い閃光を見た。

 閉じていた瞼は、ほとんど意味をなさなかった。

 生じた光は、ひとつは艦砲のもの。もうひとつは着弾点のものだろう。ふたつはまったくの同時に発生し、まったくの同時に消失した。置き去りにされた音波と衝撃が、やや遅れて艦橋を蹂躙する。


〈状況を報告しろ。敵は? テスラシャークは?〉


 麻痺しかかった鼓膜でも、キルゴールの大声はよく通った。

 私は問いには答えぬまま、水蒸気に満ちた艦首方向に目を凝らす。不気味なほど動きが見られない。いやな感じだ。


〈……やったか?〉


 海軍兵学校では、その手のは銃殺刑に値すると教えなかったのだろうか。

 狙いすましたかのように、海面からテスラシャークが飛び掛かってきた。


「艦長、回避行動を!」


 私が言い終わる前に、テスラシャークがアルクビエレ砲に噛り付いた。右半身から血や肉や内臓を垂れ流しながら、その巨体は甲板を激しく叩き、砲塔を根っこから毟り取ろうとしていた。私は喉が潰れるくらいの大音声で辺りに呼びかける。


「禅師! 量海禅師、まだ死んじゃいないでしょう!」


 噛み潰された砲塔が、派手な爆発を上げる。

 吹き飛ばされた水飛沫と破片の狭間に、私は量海禅師の姿を視た。纏った袈裟は襤褸《ぼろ》切れと化し、剥き出しになった左腕は今にも千切れ落ちようとしている。それでも、彼の瞳はまだ死んでいなかった。

 私は禅師に向かって例の言葉を声高に叫んだ。


「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ!」


 テスラシャークが私を一瞥し、それから慌てて量海の方に向き直る。

 しかし、すべては手遅れだ。奴がワープバブルを再形成しようとしたときには、既に我々の準備は完了していた。残った右手で印を結びながら、量海が私に微笑む。


神仏のご加護をゴッドスピード


 私は良い弾丸になるだろう、と彼は言っていた。その通りだった。

 今この瞬間のためだけに、私はこの場へ導かれたのではないかとすら思えた。

 弾頭たるこの身は五体満足で、薬室たるアーカーシャは十全に私の身体へエネルギーを送り込んでいる。当然だ。私の心は、復讐と義理と使命感とで満ち溢れている。今ここで、必ずテスラシャークを仕留めて見せる。バブルに覆われるや否や、私は艦橋から跳び出して、神速の一手に身を投じた。


◆◇◆


 それからのことはと言うと――実のところ、あまり判然としない。

 気がつくと私はどこかの船の甲板に寝かされていて、軍人たちが動き回っているのをただボンヤリと眺めていた。身体のあちこちが痛い。早く医務室にでも運んでもらって、ベッドで眠りたかった。


「あのう」


 通りがかった軍人たちに声を掛けたが、振り向く者はいなかった。

 聞いている限り、みな英語話者のようだから言葉が通じないわけでもあるまい。

 勝手に動いて良いものか思案していると、突然、誰かが私を覆うように布製の袋を広げた。驚いて咄嗟に頭を庇おうとしたが、腕はピクリとも動かない。これが死体袋だとしたら、行き着く先は土の下だ。脚をバタつかせようとしたが、やはりこちらも金縛りにでもあったみたいに微動だにしない。


 袋の口が閉じて視界が真っ暗になると、二対の腕が私の身体を持ち上げた。


「……ドクターにお見せしろ」


 生地一枚隔てた向こう側。南部訛り特有の上がり下がりするイントネーションが聞こえて、私はようやく命が繋がったと思った。どうやらここは米軍の艦船で、彼等は私を死体安置所に放り込むつもりはないらしいと分かったからだ。


 神輿にでも乗せられたような気分で身体を委ねていると、私を担いでいるらしい若い兵員がボソボソと会話するのが聞こえた。


「なあ、コレ触って平気なのか?」

「除染は済んでるって話だったろ。それより聞いたか? コイツが回収された海域、島が丸々ひとつ蒸発したって」


 コレとかコイツとか呼ばれることも気になったが、それ以上に彼らの話している内容自体に私は強く興味を引かれた。


「おっかねえなぁ。お偉方はこの件をどうやって隠すつもりかね」

「さあな。まあ幸か不幸か、近頃は似たようなことを沢山やってるわけだし、誤魔化しは幾らでも効くだろ。トリニティ然り、クロスロード然り――」

「無駄口を叩くな」


 と、先の南部訛りの上官に怒鳴られて、二人の若者は私を取り落としそうになる。

 しかし、そんなことは最早どうでも良かった。


 トリニティ実験、クロスロード作戦。

 いずれも二十世紀中盤に米国が行なった核実験だ。


 私は今になって、量海禅師の言葉を思い出す。“射手が空虚アーカーシャと弾体を接続し、超光速航法に必要なエネルギーを吸い出させる”と。禅師は確かにそう言った。弾体そのものがアーカーシャに繋がるということは、私もまたアーカーシャに接続する力を持ってしまったということではないか。


 鈍っていた思考が、急速に回り始める。

 導かれた結論はあまりにも絶望的で、反証がない。

 気密ドアが音を立てて開き、兵たちがそこにいる人物に敬礼するのを、私は視るまでもなく知っている。


「お疲れ様です、ドクター・テスラ」

                                     了

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テスラシャークvsサイコブッダ 庚乃アラヤ(コウノアラヤ) @araya11

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