第4.5章

イタチの日常


 なんやかんやあって、わたしもイタチ生活に慣れつつあった。


 秋川さんとこの前ばったり出会したわけだが、あの時間帯にイタチになれるケースはあまりない。

 大抵は夜に家でなるか、昼間に学校でなるかの二択だ。夜は危険だから外を出歩きたくないし、学校ではとてもそんな余裕はない。


 秋川さんにまたこの姿で会いたいものだが、そう上手く噛み合わないのがもどかしい点だ。自分で設定できたらいいんだけど、できないものはできない。


 そんなわたしは、今現在住宅街を悠々自適に歩いている。イタチ姿で。


 というのも、今日は休日で昼間に外出できるのだ。秋川さんとは会えないけど、昼間にこの時間がきたことで外を自由に歩ける。こうやって歩いているだけでもポイントは貯まるのだからなかなか侮れないものだ。


 そしてわたしの目の前には、真っ黒な野良猫が歩いている。


 この子はわたしの友達だ。


 初めて外出したときにとある家の軒下で出会った成猫で、わたしがへりくだって頭を下げた結果部下として仲間に入れてくれたのだ。

 それ以降、時々この子とは顔を合わせて挨拶したりしている。


 ちなみに猫の言葉は全くわからない。

 でも、なんとなくどういうことを意味しているかは分かるのだ。

 わたしと秋川さんですらコミュニケーションは取れてるんだから、好意的に接してくれる野良猫を理解するなんて大したことでもないさ。


 今は、『ついてこい』みたいなことを言われたので、その後ろを丁寧に足取りしている最中。

 なんのためにわたしを連れてるのかは知らないが、流石に普段からここらを縄張りにしているだけはあって、黒猫は細い道や狭い道もどんどんと進んでいく。わたしよりも体が大きい黒猫──クロと呼ぶことにする が通れるような道なので、当然さらに体が小さいわたしは楽に行き来できるのだが、それでも不安になるくらいに大胆にするすると抜けていく。

 クロは片目が無い猫で、一見すると気難しい性格の猫に見えるが、暴力を振るってきたりはしないし完全な部外者のわたしを受け入れてくれた。頑固者に見えて実は面倒見の良い近所のお爺さんみたいだ。


 通ったこともない道の景色に困惑しながらクロの後ろを十数分進んで行ったところ、あるアパートの一室の前で止まった。ボロいアパートで、明らかに家賃が安そうなところだ。


 わたしがついてきているのを確認したクロは、一瞬こちらを一瞥した後、その雰囲気からは考えつかない声で鳴き始めた。

 ミャ〜ミャ〜と、可愛らしく幼い子猫のように明るく声を上げる。


『!?』


 いつもは常に濁点がついているような声なのに、まるで自称天然みたいにわざとらしい。


 わたしが困惑しつつ鳴き続けるクロを見ていると、部屋の扉を開ける手があった。

 中から出てきたのは、わたしと同じ高校の制服の女子だった。


「また来たの?……もうご飯はないよ。それに、またお父さんに蹴られちゃうよ?早く帰りなよ。」


 わたしが見たことない生徒で、風貌的にたぶん先輩だ。

 おとなしそうなその女子は、クロを諭すように優しく追い払おうとした。


 見た目はかなり見窄らしかったが、優しい人なんだなって分かる喋り方をする人だと思った。

 宝石のように暗く鈍く光る黒い瞳が特徴的で、顔がすごく整っている人だ。髪は真っ黒でボサボサだけど、整えれば相当艶のあるものになるだろう。


 そんな彼女に帰るように説得されたクロだったが、諦めることなく幾度となく鳴き続ける。

 

 何がしたいんだと思っていたわたしだったが、その1分後にクロの狙いを理解することになる。


 鳴くのをやめないと悟った黒目の少女は、困った表情で一度部屋に戻った。

 そしてすぐに手に何かを持って出てきた。


「はい。これあげるからもう帰って。あなたがいると困るの。」


 セリフに似合わない優しさを込めた彼女は、クロの前に食パンを1/4切れ置いた。

 クロが鳴き続けたのは、この人に媚を売って餌をもらうためだったのだ。猫の要求すら断れないような優しい人だと知っていたから、こうやって諦めずに甘声で鳴いたのだろう。猫撫で声とはまさにこのことだ。

 クロは満足そうに食パンの切れ端を見たが、その後少女に向かって鳴いたあと、わたしの方を見た。


「えっ。その子にもあげるの?」


 クロ曰く、わたしにもご飯をよこせとのことだ。

 わたしを連れてきてくれたのは、ご飯が食べられる場所があるよって教えてくれたということだろう。


 クロの要求を受けた少女は、しばらくわたしの方を見て悩んだ後、渋々食パンをちぎって、さらに1/4切れをわたしの前に置いてくれた。


 初めて会ったイタチにもくれるなんて、なんて優しい人なんだろう。


「君たち、大切に食べてね。……今日のわたしのご飯の半分なんだから。」


 …………………は?


 しれっと恨み節みたいに言った言葉を、わたしは聞き逃さなかった。


 ご飯の半分?ってことはこの人の食事は1日パン一枚なの?

 それも異常だけど、そんな貴重な食料を見ず知らずの野良猫と野良イタチに分け与えるって頭おかしいだろ。いい意味で。いや悪い意味でも。


『い、いらないですわたし!』


 と声をあげてみたものの、当然そんな意思が伝わるはずもなく、わたしの前に食パンが置かれてしまった。


 わたしは別にご飯が欲しいわけじゃないのに、意図せずこの人の貴重な1/4を奪ってしまったのだ。

 見たところ、食事にはかなり困っていそうなのに、なんでわたしなんかに食料をわけてしまうんだ。


 すごく失礼だけど、優しい人ほど貧しくなっていくって言葉は本当だと思った。

 クロは生きるのに必死だから、なりふり構わず餌をくれる人に媚を売る。そしてそれを見て、貧しくて優しい彼女が自分の食糧を削って食べさせてしまう。その結果彼女はますます貧しくなっていく。

 自然の摂理……ではないよな。


 第一、こんな野良に餌あげてる暇ないだろ、といってしまえばその通りなんだろうけど、そういうのを断れない人なんだろう。


 クロがその場で食パンを齧り始めたのを見て、わたしもそうするしかなかった。もう地面に置かれてしまったものだし、今更返すこともできない。

 わたしたちが食べている間、少女はゆっくりと身体をなでながら、やっぱり少し恨めしそうに見ていた。でもその表情がとても優しくて、むしろわたしが悲しい気持ちになってしまった。


「もう来ちゃダメだよ。次はあげられないから。」


 最後に、少女はそう言って家に戻っていった。


 たぶん、クロはまたここにくるんだろう。そして、あの人はまた餌をあげるのだろう。


 なんか切ない話だな。


 動物になっていると、色々と新しいことを知ってしまう。ついさっきまで仲良くしていた三人組が、二人組になった瞬間もう一人の悪口を言い始めたり、とても強気だと思っていた人がわたしを見つけるなり怯えて腰を抜かしたり。胸糞な話もあれば、面白い話もある。それを知れるのは良いことなのか悪いことなのか。ひょっとしたらわたしの悪口を聞いてしまうかもしれないのだからマイナスな面もあるだろう。

 でも、今のわたしはただの動物だ。

 誰の配慮も求められないし、社会から外れた生き物なのだ。


 だから、全部受け入れよう。

 イタチでいるということは、そういうことだ。


 少なくとも、今度さっきの少女が困っていたら絶対に助けようと思った。

 名前も知らない人だけど、いつかこの恩は返そう。せめてこの人の幸せを祈ろう。

 それが、真実を知ったわたしにできる唯一の返事だ。


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