第36話 大贄祭


冬がすぐそこまで迫ってくる晩秋のころあいが、祭りの当日であった。


祭りは真夜中、すなわち神々の時間におこなわれる。


火事でも起きているのかと思うほどの松明群が煌々と焚かれ、来星門と朱雀大路、さらにその先の宮殿を照らしあげている。

都の他の部分は、まったくの暗闇に包まれているから、空から見るとちょうど来星門、宮殿、その間をつなぐ朱雀大路だけが、燃え上がったように見える。


朱雀大路の各所においてある松明もあれば、大路をゆく供物行列の中の人が掲げている松明もある。

普段は巨大な空き地かなにかのように扱われている朱雀大路は、見物用に桟敷が設置され、豪華絢爛な供物行列を見物しようという人で満ち満ちていた。


まず朱雀大路を北へと、すなわち宮殿へと進んでいくのは、近衛府のつわものたちの一群である。

緑色、深緋色、黒と、階級に応じて様々だが、この日のために仕立てた一張羅の武官装束に身を包んでいる。

その先頭近くに位置しているのが、道永であった。

大贄祭での規定にのっとり、黒曜石のように艶めかしい黒絹に輪無唐草文様わなしからくさをほどこした武官束帯に身を包んでいる。

彼は、近衛府の次官であるという立場から、行列中の最高位者として神々への供物を宮殿に運び込む責任を負っている。


続いて近衛府以外の朝廷所属――衛門府や兵衛府――の武者たちも次々と来星門を通っていく。

馬でさえもいつもより凛々しく飾り立てられている。


もちろん、行列の主役は警備の武者たちではない。


武者たちに囲まれて、神々に捧げるための山ほどの供物を積んだ真っ白な木櫃が百か二百ばかりが人夫に運ばれていく。

櫃の中にあって見えないけれども、今年獲れた新穀の米、粟に、鰹に昆布に鮑といった海の恵み、そして忘れちゃいけないお神酒は黒と白の二種類。


紅葉のように色とりどりの衣に身を包んだ舞人は、早くも踊り歌い、奏楽者もそれに合わせて笛や鼓を鳴らしながら進む、その道中のにぎやかなこと!

それを見物する庶民も、酒を飲み飯を食いながらやんややんやの大騒ぎ。


――おぉぉぉ……

突如、見物していた都の庶民たちからどよめきがあがった。


――ズズズ……ズズズ……

見上げんばかりに巨大な標山しめやまが、20人もの屈強な男に引き摺られて来星門をくぐり、朱雀大路に現れたのだ。

それも一つ二つではない。門の向こうにはまだまだ二十か三十かそれ以上はずらりと並んでいる。


標山、というのがなにかというと、ようするに山車だしの親玉のようなオブジェである。

神々を宮殿までお連れするための、依り代として造作される。


数十あるうちに、一つとして同じ標山はないが、その中でも飛び切り巨大で目立つ標山がある。


なんといっても目立つのは標山のてっぺんに飾り付けられている、大きく翼を広げた鳳凰に、日輪、そして月の像だ。

おそらくは金でつくられているのであろう。松明の光が下から反射して、夜空にきらきらと光を放っている。

それよりも下、巨大な造作は金箔や朱の装飾、麒麟を模した作り物に、アオギリの木と葉でおおわれている。



総勢5000人。


警備の武者、舞楽、百官に供物や標山を運ぶ人夫を足し合わせた行列の人数である。

その大行列が、松明に照らされた夜の朱雀大路を、大贄祭の宮殿に向けて行進している。



そんな大行列の最後尾に、光乃たちはいた。

都の外、来星門から1町(100m)ほどは離れていようか。

5000人ともなると、行列が長すぎて、都に入るのにも時間がかかる、というわけで、光乃たちは先行する行列が来星門を通過し終わり、自分たちの順番が来るのをまっているのだった。


隣には信乃、後ろには十一郎をはじめとした織路の郎党たち、それを先導するのは二人の父、満道と、つまるところ織路氏の武者たちが勢ぞろいしている。


近衛府や衛門府、検非違使など、ようするに朝廷所属の武者だけでは警備の人数が足りないので、織路家や日出洲家、魚名家の武者たちも駆り出されている。




「どうりでさ」

隣にいる信乃が話しかけてきた。興奮を隠すつもりもないようだ。


「ん?」


「こんなにデカい門がひつようなわけだよね、あんなにデカい標山があんなにあるんだから」


光乃たちの視線の先で、見上げるほどの標山が、これまた見上げるほどの来星門を続々くぐっていく。


半年前に都に来たときは、なかば廃墟化していた来星門も、この日のために修繕されたと見え、色鮮やかな朱色が松明の火に映える。




どこかなまめかしい光沢を帯びる夜空いっぱいに、音が満ちている。

行列をゆく奏楽者たちの、笛の音色に鼓の響き。

それにあわせて、踊るもの、歌うもの、囃し立てるもの。


「この日のために、北嶺寺に、特別な結界を張ってもらっているんだよ。あの夜空の、絹の帯みたいな光沢は、ふだんよりもうんと強力な結界がはられている証拠なんだって」


「へええ」


「まあ、これでも大贄祭の警備担当者だったからね。北嶺寺とのやりとりもちょっとやってたのよ」


夜空が、一瞬だけ波打ったような気がした。

次の瞬間、調子っ外れな笛の音が響いた。一際大きな歓声があがった。


「なんか出し物かなんかかな。門の向こう側っぽいね」

光乃は首を伸ばして遠くを見るが、しかし流石に何も見えない。


「お姉ちゃん、なんか変」

信乃の目が鋭くなる。緊張しているのか、首筋に手をやる。


調子っ外れな下手糞の笛は、旋律とも呼べぬ音を出し続けている。

歓声も鳴り止まない。

どころか、ますます大きくなり、悲鳴のようにすら聞こえる。


「なんだろう、ミカドでもでてきた…とか?」

光乃は冗談めかして言ってみる。

信乃は答えない。聞いていないようだ。

何か違和感がある、と光乃も思った。


信乃と光乃が首を伸ばして歓声の出所をどうにか見ようとした、その次の瞬間、三つのことが連続して、しかしほぼ同時に起きた。


まず、来星門を支える巨大な柱を切り裂くように稲妻が迸った。

稲妻だ、と見えたのはほんの一瞬だけで、すぐに光乃の視界全ては閃光で覆い尽くされた。

ついで、凄まじい轟音が、光乃の体や髪、身に纏う衣、さらには空と大地の全てを震せた。

そして一瞬の浮遊感ののち、光乃の体に衝撃が走った。

落馬した、とわかったのは地面に打ち付けられてからだった。


"なにもみえない! 聞こえない!"

光の他には何も見えなかった。目をつむっても、まだ光だった。

キィィーン、という甲高い音の他には何も聴こえなかった。自分の呼吸の音さえもわからなかった。


"だが、生きてはいるはずだ"

体をゆっくりと起こしながら、光乃はそう思った。

赤名荘で、家族を守るために幾度となく死んだあの冬の夜の経験が、光乃にそう確信させていた。


すこしずつ、すこしずつ音が聞こえてきた。

川の底で水の流れを感じているときみたいに、ごうごうごう、という音だけが聞こえてきた。

次いで怒号や悲鳴、馬たちのいななきが聞こえてきた。


光の白につつまれていた世界も、ゆっくりと色を取り戻してきた。


「んっ……ううっ……」

信乃もちょうど起き上がるところだった。

周囲を見渡した限り、織路の武者たちに被害はないようであるが、馬も人も混乱が甚だしい。


「いったいなにが」

信乃は呆然と立ち尽くしている。


「あ、あ……」

光乃の視線の先にあったのは、半ばから崩壊し、燃え上がる来星門であった。

入母屋造の巨大な屋根は吹き飛んでしまったようで、門の下半分のみが倒壊ギリギリのところで踏ん張っている。


「おねえちゃん、ねえ、あれ。門の向こう」

信乃が指をさす。

来星門の向こう側は炎と黒煙につつまれていてよくみえない。


いや。

「なにか、いる」

黒煙の中で、巨大な影がゆらり、ゆらりと動く。


巨大な影が、ひときわ大きく動いた。

影はそのまま来星門に直撃、その下半分を、轟音とともに吹き飛ばした。

その爆風が、一瞬だけ黒煙をふきはらい、巨大な影の姿をあらわにした。


牛頭鬼ごずきだ……」

誰かがつぶやいた。

標山よりも大きい。その身の丈は7丈(20m)ほどか。

一町(100m)先にいる光乃たちにも圧迫感を与えるほどの大きさである。

毛深い。

しかしその毛並みにも隠し切れぬほど、その体躯は筋骨隆々としている。

絵巻物でよくみる鬼と違うのは、その頭が牛のそれであるということだろう。

二本の巨大な角が頭部から出ている。一本一本が光乃ほどの大きさではないか。


牛頭鬼ごずきは、来星門の礎石を抱きかかえ、両腕を大きく振りかぶった。


「投げつける気だ……」

信乃は、そうつぶやいたまま、魅入られたように棒立ちになっている。


あれが直撃したら織路氏は全滅だ、と思うより早く、光乃はとっさに矢を放っていた。

神力も込められていないその矢は、もちろん鬼になんらの痛痒も与えなかったが、場にいる武者たちの目を覚ます効果はあったようだ。


牛頭鬼ごずきだぞォォォ!! 総員、戦闘態勢入れッッ!!」

びぃぃぃん!と満道が弓弦をかき鳴らす。

弓弦の音に籠められた強烈な神力が、波紋のように広がる。


――ズゥゥンッ

牛頭鬼ごずきが礎石を取り落とす。威嚇の神力にあてられたのか。

腹に響く音がした。

礎石の落下の衝撃で土煙が立ち込める。


その煙の中からわらわらと、槌をもった小鬼らが湧き出てきた。

飢えたようにあばらが浮き出てやせ細っているが、その割に手にもつ槌は大きい。


織路の武者たちは大慌てで自らの馬をなだめ、飛び乗る。


「光乃、信乃、何人か引き連れて行列の前に行け!! 近衛たちの応援に入れ! ここは俺がひきつける!」

そう叫びながら、満道は大きく弓を引き絞る。矢に籠められた神力が、光を放つ。


光乃も信乃も、さすがは武者の姫である。

父に返事をするよりも早く、周囲の騎馬武者を引き連れて前へ――すなわち牛頭鬼ごずきのほうへ――飛び出す。


と、同時に姿勢を立て直した牛頭鬼ごずきも、礎石を投げつけることはあきらめたらしい、地響きをたてながら突進してくる。

向かい合って突進する鬼と騎馬武者たちの距離は、みるみる縮まっていく。


あと十間(20m弱)。

牛頭鬼が腕を振り上げる。叩き潰すつもりか。


このまま突き進むべきか、それとももう回避行動をとるべきか。

馬の馬蹄ほどに、光乃の心臓が早鐘をうつ。


その時、光乃たちの背後から光がさした。

それは山の稜線から昇る朝日にも似ていた。

極限まで高められた満道の神力が解放されたのだった。


目がくらんだ牛頭鬼はたたらを踏んだ。

と同時に、ごう、と風をひきちぎるようにほうき星が頭上を通り抜けていった。満道の矢だ。

星は、矢は、鬼の胸元に吸い込まれた。

直撃を受けた鬼の胸が、ぷくぷくぷく、と蛙みたいに膨らんでいった。


あと五間(10m弱)。

三馬身か、四馬身か。

もうここまで来ると、大鬼は脚しか見えない。


次の瞬間、ばちん、と破裂音がしたかと思うと、血と肉と臓物の破片が、時雨のように降り注いだ。


「行けッ!! 行け―ッッッ!」

満道が後ろから叫ぶのが聞こえた。

血と臓物の雨にかまわず、光乃たちはそのまままっすぐに馬を駆けさせた。

崩れ落ちた来星門のがれきを抜け、黒煙の中へ、まようことなく突っこんでいった。


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血よりも濃い絆のために~捨て子の姫武者は権能”死に戻り”で家族を救いたい。そのためなら一万回でも死んでやる さえずるかつお @alcest

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