あの人
聖エレシア山には、色とりどりの花々が咲き乱れる美しい
そこであの人と出会った……。
「まあ……両手に花なんて、いい御身分ね」と、
ちょうどそのとき、僕は花園に腰を下ろしてくつろいでいた。
右腕に花の
言われてみれば、確かにちょっとしたハーレム状態だ。皮肉の一つも言いたくなるのも仕方がないかもしれない。
彼女は、二〇歳前後の妙齢の女性に見えた。男とはいえ、まだ一〇歳の僕よりも、彼女の身長は
長い髪はシンプルに
ドレスはノースリーブで、スカートは
服装からすると貴族の令嬢だが、従者も連れずに、こんな場所に一人? 場にそぐわない。
それはともかく、何か答えないと……。
「そんなつもりじゃあ……」と、口ごもってしまう。
「まあ。かわいいのね。少しからかってみただけよ。
両手に花は、あなたが好ましい人物である
私はノア。ご
「かまいませんよ。僕はルカです」
僕は軽く一礼して名を告げた。
ノアは、一人分離れた場所に優雅に腰を下ろす。
初対面で、親密とはとてもいえないが、その微妙な距離感がちょっとだけ気に入らない。
「ルカ。動物は好きかしら?」
「好きで、よく遠くから
でも、警戒心が強いから、触れ合うのは難しいですよね」
「そうなのね。でも、動物のことを理解すれば、そんなに難しくはないのよ」
「そうなんですか?」
ノアに導かれるまま、僕は森の奥深くへと足を踏み入れた。すると、
その直後、僕は目を見張った。ノアが突然、
──ノアも、人外の存在だったのか!
何となく不自然さを感じてはいたが、人間にしか見えなかったので、予期していなかった。
変身したノアは、
群れの一頭と何やら会話をしているかのようだった。
僕には理解が及ばないが、ノアは動物の言葉が話せるらしい。
ノアは人間の姿に
「こちらへいらっしゃい。驚かせないように、静かにね」
ノアの指示で事前に用意しておいた
たどり着いて、ゆっくりと若葉を差し出すと、僕の手から直接食べてくれた。なんだか
ノアの手ほどきのおかげで、態度や居住まいで、動物とある程度の
さすがに、動物の言葉は無理だったが。
ケガをした小
だが、その後、動物の世界の厳しさを痛感することになった。
ノアの導きで、|
ケガは
厳然たる
ノアは、
子どもは親に守られているが、いつか
そうなってから
ノアの無表情は、逆説的に強烈な説得力があった。
◆
ある日、森を散策していたとき、足元にふと何かが動く気配を感じた。カサカサと
子犬はぐったりとしていて、細い体は骨が浮き出るほどに
「この子を……なんとか助けられないでしょうか?」
切なる思いでノアに問いかけた。
「あなたも
助けたとしても、森に返したら死ぬ運命なのよ。
それとも、ずっと面倒をみるとでもいうの?」
ノアの声は冷たく澄んでいたが、その
「できるものなら……そうしたいですけど……」
僕は答えたが、その責任の重さに言葉を
「その子は、ダイアウルフよ」と、ノアの声が静かに響く。彼女は軽く
「えっ! そうなんですか? でも……」
驚きつつも、見捨てる決断がどうしてもできない。
ダイアウルフは、魔獣の一種だ。
通常の
特徴は、魔力を
このため、通常の
体毛は、白色、
特異な個体だから、親に見捨てられたのか?
「そもそも、まだ生まれたてだから、
ノアの声は、追い打ちをかけるように冷たい。
「う~ん。そうですか……牛乳じゃダメですかね?」
頭をひねりながら、淡い希望を口にした。
「それは、なんとも言えないわね」と、ノアはあくまで冷静に答えた。
そのとき、マグナスの意思を感じた。
影から出たがっている。
従魔は主人と
「マグナス!」
名を呼ぶと、マグナスは勢いよく影から姿を現した。
見れば、体が一回り小さい
──ちゃっかりと、
そして、マグナスの意図を
子どもを産んだ直後なのだろう。
牛よりも犬の方が
「マグナス。ありがとう」と、感謝の言葉をかけた。
ツンと上を向いているマグナスが、誇らしげに見える。
手をゆっくりと子
慎重に子
後は、自力で飲むことを祈るばかりだ。
子
周囲の音が消え、時間が止まったかのような感覚が広がる。
そして、ついに乳首の場所を探りあてると、子
ほっ――と、
小さな前足で
ちゃんと飲めているのだろうか? 心配が
幸い、子
二週間もすると、死にかけていたのが
マグナスの子どもたちに混じって遊ぶ姿は、やんちゃで元気があり余っている。
ある程度成長したところで、「フェロックス」と名前を付け、従魔契約を
「よかったわね。これも、あなたの
「そうでしょうか……?」
僕は少し照れながら返事をする。
いつもはクールなノアが
ノアは、なぜ良くしてくれるのだろう? こんな僕のために……。
それが不思議でならない。
森を抜け、聖エレシア山の奥深くに足を踏み入れると、冷たい風が急に僕を包み込んだ。
日差しは木々の
その時、後方からふわりと柔らかい声が聞こえてきた。
「まあ……また会えたわね」
僕はその声に振り返った。目の前には、一人の女性が立っていた。彼女の髪は
だが、何よりも感じたのは、その背後に広がる
彼女がそこに立っているだけで、森の音がすべて消え去ったように感じられる。まるで、彼女そのものが、この場所の支配者であるかのように。
「ノアさん……どうして、ここに?」
僕は警戒心を押し殺し、そう尋ねた。
彼女はにっこりとほほ笑み、まるでずっと以前から知っていたかのような親しげな目つきで僕を見つめた。
「私は、ずっとあなたを見守っているのよ」
「見守っている……?」
その言葉には、どこか
だが、先日出会ったのが初めてのはず――なのに、彼女の言葉には確信が込められていた。
「ノアさんは、いったい……?」
僕の問いに、ノアは笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。
彼女の
「あなたのことは、ずっと見守ってきたのよ。ずっと……ね」
「なぜ……?」
僕の問いに、彼女はふわりと肩をすくめ、まるで自然なことのように答えた。
「あなたが特別だからよ。ルカ……あなたの
彼女の言葉は、心の奥底にまで響いてくるような強いものだった。だが、その裏には、何か重苦しいものがあることも感じ取れた。
「なぜ、僕のことをそんなに知っているんですか?」
ノアは、ふと目を
「生まれてすぐ、私はあなたに触れたことがあるの。ほんの少しだけ……でも、その瞬間、私は知ったわ。あなたが、どれほど美しい存在であるのかを……」
その瞬間、何かが僕の胸の中で
彼女は、どうしてそんなことを知っている?
どうして、生まれた時のことまで……?
だが、その警戒は、彼女のほほ笑みで打ち消された。ノアの表情は、まるで迷い込んだ子どもを優しく包み込む母親のようだ。
「でも……まだその時ではないわ。あなたに私の本当の姿は見せられない」
僕は彼女に問いかけようとしたが、言葉は
彼女はもう一歩近づき、僕の手を取った。その手は冷たく、そして何か異質な力がその手から伝わってくる。
「私を信じて。いつでも……あなたを見守っているから……」
その言葉は、命令にも似た響きを持っていた。
心の奥底に何かが引っかかる感覚があったが、彼女の
まだ
ノアも口を閉ざし、もう何も語ろうとはしなかった。
ノアの美しさは、まさに
透き通るような白い
彼女は
だが、どこか影があり、
親しくなりたい願望がある反面、
僕はノアに
それは恋なのか、何なのかわからない。
とにかく、好意には違いない。
彼女の姿を思い浮かべると、胸がほんのり暖かくなるが、少し苦しくもある。
これが恋なら、初恋だった。
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