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すべてのエピソードへの応援コメント

  • コクリコが受け止めるには「滅び去った現実」は、やはり重かったようだ(本人には夢扱いになっている)。
    それでも「シンジへの信頼と依存」も、負けないくらいに重い。
    重さに絡め取られたふたりは、進むことも戻ることも出来ずに停滞する。

    それでも「世界の真実」が明かされた後の停滞は、今までのそれとは少し違っているだろう。
    具体的な着地点が、ぼんやりとは見えるようになったのだから。

    次はシンジの過去、普通の人間であった頃へと。
    細かい謎がひとつずつ明かされていき、静謐なクライマックスの気配が漂う。

    作者からの返信

    殉教@公共の不利益さん、感想ありがとうございます!
    物語における一つ一つのエピソードは言わばパズルのピースのようなもので、あるいはもしかしたら完成した時にようやく意味がつながるものかもしれません。
    しかもそのパズルの完成図は作者にははっきりとは分からず、むしろ第三者の方がよく見えているのかもしれない。
    そんなふうにいただいた感想を読むと思います。
    すでに現実と架空という二分が意味をなくした世界のこの物語ですが、それをコクリコ本人が現実を受け止められないからだ、とは作者の思惑の一歩上を行く推論でした。
    そして、確かにたとえ覚えていなくても、意味のないように見える毎日に必ず良き終わりがあるということを予感できるのはコクリコにとっても救いでしょうね。
    あと少し、二人の初めての出会いを描きます。これを書かないと、なぜシンジがコクリコにのみ特別な関心を持っているのかが分からないため。
    すでに終点に到着し、電車から降りるのを待つ物語ですが、あと少しお付き合いいただければ幸いです。
    改めて感想ありがとうございました!

  • 二人だけの部屋〜世界の真実までが明かされ、ストーリーも章の区切りを迎えました。
    カラサエル、意外とあっさり退いたなあ。確かにロボットっぽいかも。

    コクリコは、生命には執着していないですが「自分の存在意義」には、執着しているかもしれません。

    1.生命に執着する・・・「まだ死にたくない、生きていたい、命どぅ宝」というもの。

    ただ、コロナ騒動の時代はそうした考え方が目立ち「命が助かるなら自由を捨てる。国家よ、もっと自由を縛れ!」となって。
    逆に経済が萎縮し、倒産・失業・自殺が増えるという、皮肉な結果となりました。

    2.存在意義への執着・・これは自分のパターン。

    俺も殉教者の端くれなので、「大義のために散る」のはOKで、むしろそうしたいです。
    でもコクリコと同じく「その為に死ななければ、自分が空っぽになる。自分が自分でいられなくなるのが嫌だ」という考え方。
    ライフよりもアイデンティティ。
    ただ行き過ぎると「どうせ死ぬなら。あの公益を毀損した悪党どもに、ちょっとくらい迷惑かけてやるか!!」という考えになるでしょう
    (というか、俺はもうなっているので手遅れです)。

    結論。上の1と2は、どちらかだけでは駄目。
    適度にバランスを取らないと、一般社会では生きられないでしょう。

    作者からの返信

    殉教@公共の不利益さん、感想ありがとうございます!
    物語はこれでネタばらしも終わり、後はもう一つだけ絶対描いておきたいシーンを描いた後は、静かに終わる予定です。
    書き始めた時はこういうオチになることは自分でも考えていなかったので、物語が行くべき方向を自分で定めたというべきか、あるいは竜頭蛇尾となってしまうか。
    サラカエルが去るのは少しあっさりだったかもしれませんね。人間性の介在しない善意というものを書きたかったのですが、結果的にいささか淡白になってしまったかもしれません。本人がごねるのではなく、何か方法があったかもです。
    「自分の存在意義」に執着しているコクリコ、という表現ですが、もしかしたらこの後描かれるシーンでそこにスポットライトが当たる可能性があります。彼女も幼少の時からずっとメンヘラだったわけではないので。
    「自分が空っぽになる。自分が自分でいられなくなるのが嫌だ」というのはまさにコクリコがサラカエルに導かれるのを恐れた理由でしょうね。たとえ実際そうでなくても、サラカエルには過去を捨てられない人間のしがらみが理解できないので。
    生命に執着しすぎると自由が不必要なまでに拘束され(そのせいで爪弾きにされた人のことはなかったことにされ)、存在意義への執着が過ぎると無敵の人が誕生する。
    中庸のなんと難しいこと、と思います。そして、生命への執着と存在意義への執着が恐らく同義の昆虫のなんと見事なことか、とも思います。
    改めて、感想ありがとうございました!
    (本編は少しお休みして、九月に再開します)

  • 前に言った「面白い愚論」というか。
    脳みその無駄遣いこそ、この茫漠たる人生においては、結構楽しいものだったりする。
    忙しない毎日の中で、1日30分の無駄遣い。これがあるから、辛うじて生きていけるって人もいる。
    コロナ騒動のとき「文化は不要不急だから自粛せよ」とか言われていたが。
    恐怖を感じているときこそ、脳みそを無駄遣いする余裕(ユーモア)を持てよ、と思った。

    しかし、コクリコは勝ち負けには興味がなさそう。
    別に勝負はしていないし、何をやっても勝ち目がないから「勝負」という発想が欠落したのかも。
    ただ皮肉なことに、人間誕生における「受精卵競争」の中でも、億単位の遺伝子がしのぎを削っている。
    競争は人間の本能で、発展の源。
    そして、どうしようもない敗者が出ることもまた必然。
    それを受け入れて生きていくのか、諦めて生きていくか、自主退場するか。

    自分のようなタイプ(自分が劣等種だと受け入れている側)から見ると「負けを認めない、往生際の悪いやつ」には、かなり(脊椎反射的に)憎悪が湧く。
    「逆転へのあがきが、人類にドラマをもたらした」と、頭では分かっているのになあ・・・・

    作者からの返信

    (その2)
    「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉を思い出します。
    少し違いますがチャーチルもどんなに忙しくても昼寝が日課だったとか。
    脳味噌の無駄遣いはまさに人類の特権ですよね。
    「笑い」は価値観のリセットになる、とある漫画家が言っていたような気がします。
    そもそも執筆こそまさに高度な「遊び」でありますしね。
    そして勝ち負けの問題。
    勝ち組と負け組なんて言葉がある世界で、しかも一度負け組になったら決して這い上がれない世界ならば、そもそも勝負を放棄するのも一つの生きていく手段でしょう。
    あるいはそれしかもはや生きる道がないか。
    何となく競争原理とかでよく、精子も受精卵に届く前に過酷な競争をし、同胞をすべて蹴落として一匹の精子だけが勝ち残ったのだ、とよくありますね。
    逆に思うのは「すべての精子がある種の流動として協力して、一番弱い精子が受精卵に届くようにしていた」んだったら面白いな、と感じています。
    競争とは何をもたらすのか、そう考えるとこれもまた一種のガソリンのように良くも悪くも燃える燃料なのかもしれません。
    良く燃えれば発展に、悪く燃えれば弱者の排除の理由に。
    しかしそうなるといわゆるチートや無双って、ある種の競争における決して揺るがぬ頂点捕食者であることですよね。
    「負けを認めない、往生際の悪いやつ」これも描き方一つですよね。
    逆境に対し「それでも!それでも!」と単に連呼するだけではまったく感動できませんし、負けた途端「あ~あ、つまんね。飽きた」とあっさり退くのが往生際がいいわけではありませんし。
    ドラマ――とはまさに皮肉ですよね。単にリアルならばよいのではなく、フィクションでも要するに「面白い」と思わせればそれが強みになるのですから。
    改めて感想ありがとうございました!

  • 視線恐怖症から開放されたコクリコ、生き生きとしてるなあ。
    「無理ゲー社会」において、既得権益から外れている存在の味わう開放感。
    ・・・とはいえ、本人が魂だけの存在になって居座っているのは、何か「未練」があると思うので。
    開放だけで済む話ではなさそう。

    「天資」からすると、人間は矮小な存在。
    サラカエルにも「無意識の差別心」みたいなものがあったのかも。
    だからこそ、不意をついたコクリコの発言に、呆気にとられたのかと思う。

    ・・まあ、人間も犬猫を愛でるときは「どこか上から目線」だし、そんな感じなのかな。

    作者からの返信

    殉教@公共の不利益さん、感想ありがとうございます!
    世界が終わった無人の廃墟で、むしろ爽やかさを感じているコクリコは描きたかったので注目してくださりありがとうございます。
    既得権益。競争。足の引っ張り合い。互いの目。結局病的にそれらに怯えるのならば、何もかもがない方が落ち着くのかもしれません。
    無人の世界を寂しくないのかと問うサラカエルの「正常」な感性には分からない解放感を表現したかったところです。
    しかし、ならばなぜここにまだとどまっているのか。向こう側に出立しない理由。
    それは最初は自分でも分からず、ここまで書いていてようやく見えてきたものです。後ほど明らかになります。
    サラカエルは徹底して「善」という感じで書いていました。
    良心的とか親密とか愛情があるのではなく、「善」というだけの存在。思想さえない一種のシステムの執行者という感じでした。
    逆に言えば、だからこそコクリコの言葉全てを額面通りに受け取って律儀に返答しているのですが。
    人間は時には意味不明な理屈を言って自分でも理解できないことを主張してくる、ということが分からない感じですね。
    (その2に続く)

  •  ポスト・アポカリプスという真実が発覚した。
     「世界が滅びますように」ってお願いしていたら、既に滅んでいたという事実。リコの支持者の望みは、既に叶っていたのか。

     とはいえ、リコの残留思念は生きている。しかも、閉塞に満ちた引きこもりにまで、頽落した状態で。
     そんな最悪な状態でも、まだ生を望むとは。リコの本心は「世界を滅ばしたい」ではなく「どんなに惨めでもまだ生きていたい」だったのかも。

     ただアポカリプスは、ささやかな「生への意思」を、簡単に押し流した。
    まあ、俺自身も「人類が滅ぶことが、地球にとっては道徳的で、合理的な道である」という「クソつまんねー正論」の支持者。でも人間はあえて「面白い愚論」を信奉して、この世を発展させてきたわけで。
     あーあ。道徳って、一体何なんだろうなあ。

    作者からの返信

    (その3)
     ここで言わば物語の構造的には「一番深い場所」へと行く部分となります。
     クジラの腹の中、異世界の一番遠い場所。冥界の底。そう言うような場所です。
     コクリコたちが「明日なんかなくなれ」と願っていたことが、知らずしてここで成就していた、という感じです。
     まあ時系列的には、あまり考えていませんがコクリコが配信者を辞めたあとくらいに何もかもが終わったと思っています。
     ならばなぜコクリコがここにいるのか、そしてシンジのしていることは何の意味があるのか。
     サラカエルの問いに今度は応えるのがこの続きになる予定です。
     それにしても、人間は物語る存在ですから確かに「つまらない正論」よりも「面白い愚論」を選ぶのはきっと正誤は別として仕方のないことでしょうね。
     皮肉にも、それこそが確かに文明の発展に結びついていたりするのですし。
     道徳――人間が社会を築いていくとき、なるべく弱者が苦しまないようにするルール……でしょうか。
     もちろん暴走すると、モラルの名を借りた監視になってしまうでしょうけど。
     それでも北〇の拳のモヒカンたちがヒャッハーで汚物は消毒な世界が自由で人間らしいとは言えませんし。
     良くも悪くも「ほどほど」「そこそこ」と大人のいい加減さが道徳だったりするかもしれません。
     改めて感想ありがとうございました!

  • 第11話:サラカエルへの応援コメント

     ふおお、人外異能展開に突入したあ。

     天使とは、最後の審判が訪れた時に、地上を破壊する存在。そして、厳密な階級社会を形成する、差別主義者の集団でもある。それは「秩序による統制」の、裏返しでもあるけど。

     まあ、自分は右でも左でもない「黒ヘル系アナーキスト」に近い立場だから・・天使の上記の習性は、自分とは相容れないですね。
     主人公は、天使の勤めとして、コクリコと共にいるのか?それとも、個人的な目的か?物語は、核心へと少しづつ迫っていきそう。

    作者からの返信

    (その2)
     天使――となるとどうしても神の使いになってしまいますからね。
     だから「天資」というそっくりだけど別の種族、ということにしました。
     ただ同時に、最も人間の思い描く天使に近い姿で現れるのは、まあ彼らのお仕事ゆえだったり。
     この天資の登場で、どうしても物語は一気に非日常へと動き出していきます。
     天使は使者。すなわち非日常へのメッセンジャーです。
    (その3へ続く)

  •  コクリコって「視線恐怖症」かもしれない。山田花子先生(我が神々の一柱)を死に追い込んだ病。
     だからこそ、他人には見えない「沢山の目」が見える。その目が「どこまで見透かしているか」を、本能的に察してしまう。山田先生もリコも・・敏感さや繊細さが高すぎると、外界では生きられないのかも。

     一方、現代は「監視カメラの増殖した時代」。無機物から視線は感じないが、ある意味「たくさんの目」が、人々を監視しているのでしょう(防犯カメラによって捕まった犯罪者も多いので、その功罪は、ここでは議論しませんが)。

     さて、二人きりの世界と、外界を無理やりコネクトさせるものが登場。閉ざされた平穏は破られ、物語はどう展開するか・・期待しています。

    作者からの返信

    殉教@休眠中さん、感想ありがとうございます!
    山田花子については知りませんでしたが、このような夭折された漫画家がいたんですね。
    とてつもなく生きづらく、苦しく、その体験が人を引き付けるとは、創作とはもろ刃の刃だな、と思います。
    見守られていることは見張られていることであり、見通されることは見下されていると思ってしまったり。
    心が病むと「自分の周囲の存在はすべて敵だ」と感じてしまう時、目は最も強く拒絶したくなるものかもしれません。
    日本にはないものの、各国では邪眼,邪視といった言い伝えがあるのも無理はありませんね。
    しかしその一方で、確かに監視カメラというものは有益だったりもします。
    何気なく描いた「無数の眼」とコクリコの心の病とを結びつける考察、ありがとうございました。
    (その2に続く)

  • 第9話:変な人が来たへの応援コメント

     初めて仕事の描写が入ったけど。でも、彼くんも仕事場では、あまり活躍できないタイプみたい。「仕事は、まず人並みに・基準通りにするのがスタートライン。そこから更に、何を乗せられるかで決まる」のが、自分の見解。自分も基準未満の存在なので・・彼がリコに惹かれた理由も、わかる気がします。こんな自分でも、彼女の「特別」になれるから。

     法律的な意味では「善意の第三者」が来訪したようですが。言い換えれば「こちらの事情など考慮してくれない、一方的な客」でしょう。そういう人の相手をするのって「言論の無力さ、対話という行為の無意味さ」を感じます。
     日本社会の常識に適応できなくなった存在に対し、「正論の鞭」で叩いてくるような印象さえあります。でもそれは、組織を正常に戻す(生産性を上げる)ためには、必要な行為なので。だからこそ質が悪い。
     今回は自分も、かなり共感できたお話でした。

    作者からの返信

    殉教@休眠中さん、感想ありがとうございます!
    シンジのイメージはごく普通、という印象で書いてきました。
    とりたてて優れてもいないし、エリートでもない。
    同業者の中にあっては埋もれてしまう、特別なものを持ちえない平凡、という感じです。
    そして登場する「変な人」。
    ・善意の第三者
    ・こちらの事情を考慮しない
    ・一方的
    ・対話の無意味
    ・正論
    ・正常に戻すための必要な行為
    などが見事に当てはまっていて驚きです。ただ、悪ではないんですよね。
    そしてここから、物語が日常から非日常に転がり落ちていきます。
    上手な人はソフトランディングできれいに非日常へ移行するかもしれませんが、本作は少々唐突かもしれません。
    けれども、シンジとコクリコがなぜここにいるのか、という理由が自分では書いて腑に落ちたので、物語はきちんとエンディングを迎える予定です。
    改めて感想ありがとうございました!


  • 編集済

    (長くて、ちょっと面倒な事を書きます)
     
     自分はある程度「グノーシス主義」の支持者です。つまり「善なる神は敗れ、邪神が勝利した。この世と人間は、その邪神がデザインしたもの。なので、悪くなって当然だ!」というもの。リコの「なぜ善き世界では無いのか」という問いへの解答でもあります。
     とはいえ、彼女はそれを受け入れないでしょうが。もし「世界は悪で当然」と彼女が考えていたら、リスナーたちを解散させず、今も彼らとともに、この世を呪い続けていたでしょうから・・・。

     最後の段落については、小室直樹の「人間は神に対し、自己正当化して言い負かすために、(戦いの武器として)論理の力を鍛えたのだ」を思い出します。
     二人は神の本心が分からないし、戦いを挑む気力もなく、停滞している。自分の道を自分で切り開くためには、様々なコンプレックスや圧力に挑むと同時に、「神を打ち負かす言葉」を、自力で紡ぐ必要があるのでしょう。

    まあ、自分の使っている論理は「神ではなく、他の人間を打ち負かす為」という面のほうが大きいですけど・・・。

    作者からの返信

    殉教@休眠中さん、感想ありがとうございます!
    「ある程度」というところに殉教さんの謙遜なところを感じます。
    物事は熱狂的に受け入れるか、熱狂的に拒絶するかの両極端は簡単かもしれませんが、中庸というか程よく距離を保って冷静に見るのは難しいので「ある程度」という言葉に良識を感じました。
    「離見の見」というのが近いでしょうか。
    コクリコの嘆きに対する回答の一つとしてグノーシスの世界観を提示しつつ、それがもたらす結果が救済ではなくて更なる悪化というのも、非常に面白い視点だと思います。
    たしかに、世界を憎む坩堝をネットでかき混ぜ続けたら、最終的には無敵の人を量産するだけですよね。
    良い意味で、コクリコには扇動の才能がなかった、ということかもしれません。
    また、シンジの独白の部分も読み込んでくださりありがとうございます。
    「神様なんかに頼らねーよ」と反抗するのでもなく「神様にお布施すれば救われます」と盲目的にすがるのでもなく、言わば中途半端な状態です。
    ここでまた、殉教さんがおっしゃった「神を打ち負かす言葉」という言葉が活きてくるのでしょう。
    神――は登場しないものの、後半の展開はもしかするとそのように思えるかもしれません。
    この物語は、一種のカウンセリングを描いているのだろうな、と改めて感想を読みながら個人的に思いました。
    もしかすると、物語るという行為こそが、神にせよ人間にせよ「打ち負かす言葉」なのかもしれませんね。
    改めて、感想ありがとうございました!

  • スターチャイルド(宇宙規模の生命肯定)VS反出生主義(何も生まれて来なくなればいいのに)という対比が出来つつある。
    自分は後者サイドの支持者だけど。リスナーという身内だけでそんな話をしていると「リスキーシフト現象」が起きて、カルト化する。待っているのは「KKK、連合赤軍、オウム」のような集団心理の暴走。リコはそれを無意識に恐れ、配信停止に踏み切ったのかな、と思う。

    作者からの返信

    殉教@休眠中さん、感想ありがとうございます!
    小説におけるテクストの役割というか、物語が書き手を越えて人の心に種となって芽吹くのをダイレクトに見た思いです。
    反出生主義については浅学ですが少しだけ本で読んだことがあります。この時代を子宮にして生み出されたものだと個人的には感じました。
    コクリコのようなタイプの人はシャーマンのように、時代の気風を一身に背負ってしまうのでしょうね。
    自分としては物語の展開として、コクリコはリスナーの期待を背負うのが重たくなってやめてしまったとしか考えていなかったのが、リスキーシフトという方向から考察してもらえて、新しい視点で作者も見ることができました。
    何よりもスターチャイルドVS反出生主義というこの対比は、後々似たような形で物語の中で姿を現す予定です。読みの深さに驚きです。
    本作はリアル100%なドラマではなく、後半の展開はもしかしたら思っていたのとは違う感じになるかもしれません。
    それでもこの二人の物語には行きつくべきラストがありますので、もしよければお付き合いください。
    改めて感想ありがとうございました!