25 道綱の恋 ー大和の女ー
深刻な悩みなんて少しもなくていつもご機嫌でいる人に誘われて、再び知足院の辺りに出かけた。道綱も後ろの車に続いて一緒に来ていた。そろそろ帰ろうというときに、たまたま身分のありそうな美しい女車の後にしばらく続いて進むということがあった。道綱は興味をそそられたようで、私たちの車から離れてその女車の後をしばらくつけていったようだったが、女車の方では家を知られまいと素早く行方をくらましてしまった。道綱は懲りずに何とかその車の家を探し当てたようで、次の日こんなふうに歌を詠みかけたらしい。
『思い初めて打ち萎れています 葵祭も終わって会う日が遥か遠いと』
と書き送った返事に、『全く心当たりがございません。』などと言って来たようだ。それでも諦めずに道綱は、
『たまらなく過ぎ立つ心は 三輪山を訪ねて来てよの言葉が待たれる』
とまた歌を詠みかけたようだった。お相手は、三輪山のある大和国にゆかりのある女性のようだ。返事は、
『三輪山を待ち見ることも恐ろしい 杉立つ門とは教えられません』
とあった。
こうして月末になったけれど、あの人は卯の花陰に姿を見せず手紙ひとつなくてその月は終わった。
二十八日、あの人はいつものことだが石清水に参詣したついでに、
『体調が悪くて。』
などと書いてよこしたようだった。
五月になった。菖蒲の根の長いのが欲しいと同じ邸に住む養女や侍女たちが騒ぐので、暇に任せて取り寄せ、五色の糸を通して薬玉を作った。
「これを本邸にいる同じ年頃の姫君に差し上げなさいな。」
と養女に言って、
『隠れ沼に育ちましたあやめ草は 知る人もなく深い下根の』
と養女が詠んだようにして薬玉の中に歌を結びつけて、道綱が本邸に参上するのに託した。返事は、
『あやめ草の根があらわれた今日こそは いつかと待った甲斐があったもの』
道綱はもうひとつ薬玉を都合して、例の大和の女のもとへ歌と一緒に送ったようだった。
『我が袖はあやめを引いて濡れてます 君の袂にかけて乾かしたい』
返事は、
『引いたから濡れた袂をあやめ草に かけて乾かす袖などありません』
と言って来たようだった。
六日の朝から雨が降り出して、三四日降り続いた。川の水が増水して人が流されたそうだ。それにつけてもいろいろなことを考えてしまう。あの人に以前のように愛されなくなったことは、もう何を言っても仕方ないことで、今となってはすっかり慣れてしまったから今更なんとも思わないのだけれど、先日の石山で会った法師から、
『お祈りをいたしましょう。』
と言って来た返事に、
『今はもうどうにもならないと諦めている私自身のことは、仏様でもどうすることもできないでしょう。ただ今は、息子の道綱ことを一人前にしてくださいますよう、ただそのことだけをお祈りしてください。』
と書いたら、何故なのか悲しくなって涙がこぼれた。
十日になった。今日になってやっと道綱に託してあの人から手紙が来た。
『体調の悪いことが続いて心配なほどにご無沙汰をしてしまったが、どうしているのか。』
などとあった。返事は、次の日に本邸に行く用がある道綱に持って行ってもらった。
『昨日は折り返しすぐお返事をしようと存じましたが、道綱の用事にかこつけなければお手紙を差し上げるのも具合が悪いように思われまして。どうしているかとおっしゃってくださいましたが、お構いくださらなくて結構でございます。連絡も訪れもないのは、当然のことと存じておりますわ。何ヶ月も会っていませんからかえって気が楽になりました。「風さえ寒く」の歌を引き合いに出したなら、今は五月ですので縁起でもないですわね。』
と書いた。日が暮れて道綱が戻ってくると、
「父上は賀茂の泉にお出かけでしたので、母上のお手紙をお渡しできずに帰って来ました。」
と言う。
「それは結構だこと。」
と、思わず言葉に出てしまった。
この頃の雲の様子は慌ただしくて、ともすれば田に下り立つ人の裳裾が思いやられる。ほととぎすの声も聞いてない。ものを思い悩む人は寝ようとしても眠れないものだけれど、私は不思議とよく寝られるからほととぎすの声を聞かないのだろう。侍女たちは、
「一晩中聞こえましたわ。」
「暁ごろに鳴いていました。」
と言う。他の人はともかく、悩みの多い私なのにまだほととぎすの声を聞いていないほどぐっすり夜寝ているということがひどく恥ずかしいので、黙っていた。心の中で思い浮かんだ歌は、
『私こそ寝れるはずもなくほととぎすは いっそう激しい声となるだろう』
と、密かにつぶやいた。
こうしてすることもなく六月になってしまった。居室の東側から朝日が強く射し込んで暑苦しいので南の廂の間に出ていったら、気が引けるほどに人の気配が近くに感じられた。息を潜めそっと物陰に横になって外の様子を聞いていた。蝉の声が激しく鳴く季節になっていた。耳が遠くてまだ蝉の声を楽しんでいない老人が庭を掃くため箒を持って木の下に立っていた。急に蝉が激しく鳴き始めたので、老人は驚いて顔を上げて言った。
「いいぞいいぞ、と鳴くなわ蝉がやって来たな。虫だって時が来たのを知っておるぞ。」
と老人が独り言を言うのに合わせて、
「そう、そう」
と蝉が鳴き満ちていたのを聞いて、面白いとも悲しいとも感じた私の気持ちはなんともやるせなかった。
道綱は錦木のもみじが少し混じった枝に手紙を結びつけて、例の女のところへ歌を送った。
『夏山の木の下露は深いので かたや嘆きの色が燃えています』
返事は、
『露だけでこんなに燃える言の葉を 幾度染めたか知るよしもありません』
などとあったが、宵になって珍しくあの人から細やかに書かれた手紙が来た。二十日以上経っていて、本当に久しぶりだった。驚きあきれるような仕打ちはすっかり慣れてしまったので、今さら何か言っても仕方ないし、なんとも思っていないように応じようと思ったけれど、一方であの人にしてもあれこれ考えてこんな手紙をよこしたに違いないと思うと、ひどく可哀想になってきて今までより急いで返事をした。
そのころ、地方官を歴任している父の家が移転することになり一時的に家が無くなってしまったので、家族みんなで私の邸に移ってきていた。親類が多く毎日賑やかに暮らしていたが、その間中あの人からの連絡が一切ないので夫に捨てられた女と思われるんじゃないかと気に病んでいた。
七月十日過ぎ、父の家の人たちがみんな帰ったので波が引いたように暇になってしまった。お盆の支度のことなど、あれこれ嘆いている侍女たちのため息を聞くにつけ気の毒でもあり、またあの人が頼りにならないと思って腹立たしくもあった。十四日、いつものように本邸からお盆の供物が手紙を添えて送られてきた。いつまでこんなふうにしてもらえるのだろうかと、ひとり心の中であの人の愛が薄れていくのを感じていた。
そのまま八月になった。一日は、雨が降る中を過ごしていた。時雨ていたのに午後二時ごろには晴れてきた。つくつくぼうしがやたらうるさく鳴いているのを聞くにつけ、『私は泣かずに耐えているのに』の古歌が口をついて出てきた。どうしてなのか、妙に心細くて涙が浮かんでならない日だった。来月には死ぬだろうというお告げがあったので、今月のことかしらと思った。相撲の節会の後宴の主催者をあの人が務めると言って騒いでいるのを、よそごとのように聞いていた。
十一日になって、あの人から手紙が来て、
『全く思いがけない夢を見たんだ。ともかくそちらに行くから。』
などと、普段から口から出まかせを言っているから今回も本当とは思えないようなことがたくさん書いてあった。やって来てあの人が言うには、
「あなたの袖から月を受け取って、それを太陽に投げると月と太陽が私の袖の中に落ちてくるという夢を昨夜見たんだ。」
夢占いさせると、私のところに女児が皇后になり天下をほしいままにするという意味らしい。そんなことありえないと思ったので何も言えずにいると、意外な夢に興奮していたあの人は私の態度が不満だったらしく、
「どうして何も言わないのか。」
「何も申し上げることなどございませんわ。」
と返事したら、
「せめてどうして来ない、手紙をくれない、憎い、あんまりだ、とでも言って、打ったりつねったりすればいいのに。」
とまくし立てるので、
「申し上げたいことは全部おっしゃってくださいましたから、それ以上は何もございません。」
と言って、この話はこれで終わった。翌朝、
「すぐにまたこの後宴の仕事を終えたら来るよ。」
と言って帰っていった。十七日が後宴当日と聞いた。月末になって後宴も終わり約束した時期をだいぶ過ぎたのに音沙汰がないが、今はもうなんとも思わなくなっていて、お告げで慎むようにと言われた八月ももう残り少なくなっていて、死が近いのかと悲しい思いで過ごしていた。
道綱は、いつものところに恋文を送っていた。これまであった返事はどれも代筆だったようなので、恨み言など書いて、
『夕暮れの部屋の隅を眺めれば 自らの手で蜘蛛は巣掻くのに』
それに対してあちらでは何を思ったのだろう、白い紙に先の尖ったもので返事を書いてきた。
『蜘蛛が巣掻く糸も心配です 風吹けば空に乱れて散っていくかも』
返事、
『儚くても命をかけた蜘蛛の巣を 荒い風から誰が守りましょう』
「もう暗いので。」
と言う伝言だけで返事はなかった。
次の日、道綱は昨日の白い紙の歌を思い出してか、こんなふうに詠んで送ったらしい。
『白紙に但馬の鵠の跡見れば 雪の白浜白くて見えぬ』
と書いて送ったら、
「あいにく外出中でして。」
と使用人が応対し返事もなかった。次の日、
「お帰りでしょうか。お返事を頂戴したく。」
と口頭で返事をもらいに使用人をやったところ、
「昨日のお歌はとても古風な題材をお読みでしたので、ご返事いたしかねます。」
と伝言してきた。次の日、
『先日のは古風とおっしゃいますが、誠にもっともでございます。
もっともです言わずに嘆いた年月で ふるの社も神さびたのでしょう』
と送ったけれど、
「今日明日は物忌でして。」
と使用人が応対して返事はなかった。もう物忌も明けただろうという日の朝早く、
『夢を見たと思うばかりのお手紙に 惑いつつ待つ天の戸開けるを』
この度もなんだかんだ言い紛らわされてしまった。また道綱から、
『さすが大和の葛城山にお馴染みで ただ一言で終わりなのですね
一体どなたがお躾になられたのか。』
と送ったようだ。近頃の若い人はこんなふうに古代の題材を好んで歌にしているようだった。
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