14 東三条邸に迎えられず
八月になった。そのころ、あの人の叔父で左大臣師尹様の五十の賀で世間は大騒ぎしていた。あの人の従兄弟の左衛門督頼忠様がその五十の賀のお祝いにと御屏風をお作りになるということで、私に御屏風絵に添える歌を作ってほしいというご依頼があった。どうにも断れないような筋からのご依頼でほとほと困ってしまったが、私なんかの歌ではとてもお役目は果たせないと何度もご辞退申し上げたが、どうしてもと強くおっしゃってくる。送られてきた屏風を見ると、ところどころに美しく絵が描かれてあった。仕方なくてどうしたものかと思案していると、宵の頃月を見ていたとき一つ二つ歌を思いついたので書きつけてみた。
どこかの家で算賀の祝いをしているところの絵。
大空をめぐる月日は幾たびも 迎えるのだろうこのめでたき日を
旅人が浜辺に馬を止めて千鳥が鳴く声を聞いている絵。
一声で千鳥の声とわかるので この先いく世の数も知られず
粟田山から献上馬を引いてきて、その辺りにある家に引き入れているところの絵。
幾年も超える山べに住み着いて 懐くと見えるこの綱引く駒も
誰かの家の庭先の泉の水面に、八月十五夜の月が映っているのを女たちが眺めているとき、垣根の外の通りから大路へ笛を吹きながら通り過ぎる人がいる絵。
雲井から響く胡竹の笛の音に すくい取れそうに見える月影
田舎人の家の前の浜辺に松原があって、鶴が群れて遊んでいる絵。「歌は二つ必要」と書いてある。
波しぶきを受けて立つ小松原に 心を寄せるか舞い寄る鶴は
松陰の真砂の中を探しては 何を求める田鶴のむらとり
浜辺に漁火を灯して釣り舟などが描かれた絵。
漁火も海人の小舟ものどかなれ 生きるかいある浦に来たから
女車が紅葉を見物に出かけたついでに紅葉がたくさんある家に立ち寄っている絵。
万世を野辺のあたりに住む人は 巡り巡る秋を待つだろう
などと、気も乗らず無理からたくさん作ったあげくの果てに、これらの歌の中から「漁火」と「むらとり」だけ採用されたと聞いて、心外だった。
こんなことをしているうちに秋は暮れ、冬になった。特別なことはなかったけれど、何かと慌ただしく過ごしているうちに十一月になった。雪がたくさん降り積もって、何があったのだろうか無性に我が身が情けなく、あの人のことが辛く哀しく思われる日があった。つくづく物思いに沈みながら思ったのは、
降る雪に積もる年をなぞらえて 消えることない身が恨めしい
などと思っているうちに、大晦日が過ぎ春も半ばになった。
あの人は立派に造って磨き立てた東三条の新邸に、明日か今宵かと引越しで大騒ぎをしていた。前から薄々はわかっていたが、私には転居について何の連絡もなく、どうやらこのままここに住みなさいということになったようだった。さんざん新邸を見せてあげたいと言って気を持たせておいて、あんまりな仕打ちだと悲しくてならなかったけど、今に始まったことじゃない、あの人は口先ばかりで実がないのはずっとだった、もう懲り懲りだと思った。近くに住めばまた前のように下々の間でいざこざが起こるだろうから、これでいいのだ。今から考えるとあの人が御嶽から帰った日、疲れ切った足で私のもとへ来たときから新邸に呼ぶといった話題をしなくなったような気がする。その頃本邸で何かあったのだろう。これ以上家族関係に波立てるのはよくない、これでいいのだと何度も言い聞かせていた。
三月十日ごろに内裏で賭弓の臨時行事が行われるというので、大騒ぎで準備が始まった。我が家の一人息子も後手組に選ばれ出場することになった。
「もし後手組が勝ったなら、その時は舞もするように。」
というお達しも出て、このごろは何もかも忘れてそれに没頭していた。舞の練習をするといって、家の中では毎日賑やかに音楽が鳴り響いていた。道綱は弓の練習場へ行ってはいつも練習試合の賞品を持って帰ってきた。本当に我が子ながら素晴らしいと思った。
十日になった。その日は我が家で舞の予行練習をすることになった。舞の師匠の多好茂先生が、我が家の女房たちからたくさんの褒美の品々を受け取って担いでいた。侍たちもある限り皆着ているものを脱いで、褒美の品にして先生に渡した。
「殿は物忌でいらっしゃいません。」
と言って、その代わりに本邸の侍たちが全員やって来ていたのだった。その日の予行練習が全て終わりかけた夕暮れに、師匠の好茂先生が胡蝶楽を舞い出した。そのとき褒美に黄色の単衣脱いで渡した者がいた。夕暮れの日差しの中、舞と音楽と師匠の髪の山吹の飾りと肩に担いだ単衣とが美しい調和の中で輝いていた。
十二日、
「後手組の人が全員集まって舞の練習をする必要があるが、こちらのお屋敷には弓場がないので不都合です。」
ということで、その日は皆東三条の本邸へ出かけたようだった。
「殿上人がほとんど全員集まっていて、好茂先生は褒美の品々で埋もれていました。」
と聞いた。私は息子のことが心配でどうだったか心配でならなかったが、道綱は夜が更けて見送りの人を大勢引き連れて帰ってきた。それから少ししてあの人が現れて、まだ見送りの人が大勢残っていて変に思うかもしれないのに私のところに堂々と入ってきて、
「この子が本当に可愛らしく舞ったことを話したくて来たよ。みんな泣くほど感動していたんだ。明日明後日は物忌だから来られなくて気がかりでならない。十五日の当日は早朝にこちらに来て何かと面倒を見よう。」
などと言って帰っていったので、普段は塞ぎがちな私もこの時ばかりは心から嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいだった。
当日、早朝にやって来たあの人が舞の装束のことなどの指示を出すと、大勢の人が集まって大騒ぎして支度した。何とか無事に送り出すと、今度は賭弓のことが気になり出して上手くいくよう神に祈っていると、女房たちがかねてからの評判について話し出した。
「後手組は負けるに決まっていると言われているそうよ。」
「人選がまずいっていう話だわ。」
などと言っているのを聞いて、
『せっかくあれだけ舞の練習をしたのに無駄にしてしまうのかしら。どうしよう、どうしよう。』
と思ううちに夜になった。月が明るく照っていたので格子を下さずに、空を見上げて神に祈っていた。かねてから召使の男たちを試合の状況を見に走らせていて、その者たちが帰ってきて次々に報告にくる。
「何番目まで射始めました。」
「敵は右近衛中将でした。」
「一生懸命頑張っておられましたが負けてしまいました。」
と言って、心配していただけに嬉しかったり悲しかったりして、その都度心が浮き沈みした。
「もう負けるだろうと思われていた後手組の最後の射手にご子息様が出られて、なんと引き分けに持ち込みました。」
と報告してきた。引き分けになったのでまず先手組が陵王を舞った。先手組の舞手は私の甥で、同じ年頃の子だった。舞の練習を道綱と一緒にしていたので、こちらの邸で陵王を見たことがあった。それから道綱が舞って好評を得たからか帝から御衣を賜った。内裏から帰るときあの人の車の後ろに舞姿のままの道綱と陵王の甥と一緒に乗せて帰ってきた。あの人は私に一部始終を語って、我が面目をほどこしたこと、上達部がみんな泣いて愛おしがったことなどを、何度も何度も泣きながら語った。弓の師匠を呼びにやり、やって来るとまたこちらで何くれと褒美の品々を与えたりするあの人を見ていると、辛い我が身もすっかり忘れて嬉しくてならなかった。その夜もそれから二、三日後までずっとありとあらゆる人々、法師にいたるまで若君のお喜びをと次々お祝いにやってきた。貴い方々からはたくさん手紙が届いて、自分でもどうしたのかと思うほど嬉しくてならなかった。
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