第39話 児島駅(こじまえき)
「こんな時間に、現場検証ですか」
眠そうな目をして、宿直の駅員さんが言った。
ビルのような建物の下。児島駅の入口だ。
さきほど、入口のドアをイザナミさんが乱暴にたたいた。あらわれたのがこの駅員さんだ。
「こんな時間じゃないと、逆にできないだろ」
口調も乱暴にイザナミさんが言った。
「昼だと多くの人がいるだろうが」
「あっ、たしかに」
納得したのか、駅員さんは入口のガラスドアを大きくあけた。
「悪いが、調査に関しては民間人に見せられない。アタシが呼ぶまで、宿直室で待機しておいてくれるか」
駅員さんはうなずき、イザナミさんの背後を見た。
そのイザナミさんのうしろに立っていたのは、ほかでもない。わたしと鈴子さんのふたりだ。
駅員さんが、わたしと鈴子さんを順に見る。それから再度イザナミさんにたずねた。
「女性警官だけっすか?」
わたしと鈴子さんは、婦人警官のかっこうだ。
婦人警官の
「このふたりは新米で、研修もかねている」
わたしたちを見ていた駅員さんは、なぜか変な笑いを浮かべた。
「あれっすね。婦人警官が調べる現場検証って言ったら、
「悪いが、調査内容は民間人に教えられない」
イザナミさんの低い口調に、駅員さんはだまった。
「ホームの電気だけはつけてくれないか。あとはしばらく立ち入り禁止だ」
駅員さんはうなずき、事務所の奥へ帰っていく。
イザナミさんはすぐにスマホで電話をかけた。
「いいぞ。でてこい。なかに入るぞ」
イザナミさんはそれだけ言うと、通話を切った。
児島駅のなかに入る。イザナミさんに続いてわたし。最後に鈴子さんが入口のガラスドアをしめた。
しばらく歩くと、うしろからガラスドアをあける音がした。
駅の入口から入ってきたのは、水色の巫女服を着たヒナちゃんと、ピンクの巫女服を着たハナちゃんだ。
ハナちゃんがしばらく扉を手で押さえた。そのあいだに足もとから入ってきたのは、柴犬のシバタと、小猿のサルヒコ。
「いくぞ」
イザナミさんが電源の落ちた改札を通る。わたしと鈴子さんもそれに続いた。
「もう、ぬいでいいぞ」
イザナミさんにそう言われ、階段をあがりながら警官のコートをぬいだ。コートの下はいつもの巫女服だ。
「いつも
「神さまの力を借りるときは、
「スーツは清らかなんですか?」
イザナミさんは、いつも茶色いスカートスーツだ。
「カヤノも言うようになったな」
階段をあがりながらイザナミさんがすこしふり返った。
「スーツは清らかか、
わたしは疑問に思って聞いただけなのに、イザナミさんがみょうに感心している。
ハナちゃんとヒナちゃんも追いついてきた。シバタもサルヒコも器用に階段をのぼってくる。
五人と二匹の階段をあがる足音がひびいた。ほかには、なんの音もしない。
階段をあがりきると、ホームはまっ暗だった。
さきほど電源を入れてくれと、イザナミさんは駅員さんに言ってある。しばらく待ったほうがいいのかと思いきや、がちゃん! と大きな音がした。
ホームの屋根からつりさげられてある電灯が、いっせいに点灯した。
無人のホームだ。だれもいないし、なんの音も聞こえない。でもなにか、みょうな雰囲気はした。
「まさかな」
そう言うと、イザナミさんは片手をあげた。
「
イザナミさんの手のひらから炎の糸がでた。
炎の糸がホームの壁にそって走る。
そして炎の糸が通ったそばから、壁に文字が浮かびあがってきた。
「くそっ、駅にまであぶり文字か!」
イザナミさんがおどろきの声をあげた。
「
もう一本でた炎の糸は、まるくて太いコンクリートの柱へ飛んで下からぐるぐる巻きあがった。
「柱にまで
わたしも、おどろいて思わず声がでた。
イザナミさんがさらに数回『
みんなでホームのなかほどまで歩く。壁も柱も、あらゆるところに神代文字が書かれてあった。
「なにがしたいんだ、犯人は」
言ったのはイザナミさんだ。
そのときだった。さきほど点灯したホームの電灯が、今度はいっせいに消えた。
電灯は消えたのに、壁や柱を
ぺたぺたと音が聞こえた。だれかが階段をあがってくる。
「じゃまが入ったか」
声が聞こえた。男性の声だ。
こちらのホームではなかった。反対側のホーム。あらわれたのは和服を着た男性。身ぎれいに白髪をととのえた初老の男性だ。
和服は緑の男性用着物。いや緑というより、あわい緑。うぐいす色だ。
うぐいす色の着物は、見るからに高級そう。腰にある太い
さきほど、ぺたぺたと音がしたわけがわかった。和服の男性がはいているのは
初老の男性はむかいのホーム。線路をはさんで、わたしたちは
「
さきにイザナミさんが口をひらいた。
「宿直の駅員がいたはずだ」
「ああ、下で気を失っている。私の呪いでね。それがなにか?」
うぐいす色の和服を着た男性は、こちらのホームを順に見まわした。
「裏神社の巫女か」
その言葉に、イザナミさんがおどろきの表情をした。
「知ってるのか」
「京都に住んでいるのでね。あそこは
だれかの足音がしたと思ったら、ヒナちゃんだった。線路におりている。むこうのホームにわたるつもりだ。
「イザナミ、こいつぶん
ヒナちゃんはそう言うと、線路に落ちていた空き缶を蹴った。
蹴られた空き缶はコンクリートの上を跳ねていった。
高いところを走る線路だ。線路には石がなく、むきだしのコンクリートがあるだけ。
「いや、近づくな」
イザナミさんは手のひらを男性にむけた。茶色いスーツの肩にはヤモリのヤシチもいる。
「人間には、神さまの力きかないでしょ!」
下の線路からヒナちゃんが大声で言った。
「ほう、子どもにはそう教えているのか」
感心するような声をあげたのは、和服を着た初老の男性だ。
「うっそ、人間にもきくの?」
ヒナちゃんがイザナミさんに聞いたけど、イザナミさんは手のひらを男性へむけたままだ。
「ちょっと、イザナミ!」
イザナミさんは答えなかった。答えたのは初老の男性だ。
「呪いをかけるのとおなじ。すこし力のつかいかたが
「イザナミ、ウチにうそ教えてたの!」
もういちど聞かれたイザナミさんは、
「巫女が、人にむけて神さまの力をつかうことは禁じ手だ」
「ほう、だが私にはよいと?」
話に割って入ったのは初老の男性だ。イザナミさんは手のひらをむけたまま返事をした。
「おまえが人を呪うからだ。どこで学んだ」
「独学だよ。長年のね。しかもここ一ヶ月で、かなり
そうか、児島の道ばたで大勢の人が倒れた。あれはこの人のいわば実験なんだ。
「
イザナミさんがなにかをとなえ始めた。
「呪いつかいか」
初老の男性はそう言うと、着物のひざを折って、ホームにしゃがんだ。
「女だけが、神の力をつかえると思うな」
男性がホームへ手をつく。
「
男性が言葉を発すると同時だ。しゃがむ男性の足もとから八本の巨大な影がのびた。その一本がせまってくる。
太く長い影は
「みな、逃げ……」
イザナミさんの声。聞こえたのはそこまでだった。
逃げるひまもなく、がぶりとわたしは胴体をかまれた。わたしの胸から太ももまでが巨大な蛇に牙を突き立てられている。
痛くはなかった。これは蛇の精霊だ。本物の蛇ではない。
緑色の
蛇の精霊に噛みつかれ、血はでていないけど動けなかった。
首まで動かせないので目を動かした。みんなも蛇にかまれている。ホームの床にいた柴犬のシバタ、小猿のサルヒコもだ。
イザナミさんだけ、おなかと肩にかみつかれていた。あの肩にいたのはヤモリのヤシチだ。五人と三匹。それが八本の蛇で瞬時に押さえこまれた。
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