38_比和の実力~Mark of Strength~

「鼻の下が伸びているぞ……全く、これだから男子と言うものは……」


「まぁまぁ、ただ、ちょぉぉぉぉぉっとは良いところ見せたくはなるもんでしょ」


「はぁ、お調子者が……」


 そんな軽口を最後に、二人は静かに向き合い、礼をする。


 ただそれだけの動作で、表情は真剣なものに一変し、周りの空気の温度が緊張感で下がったようにも感じた。


「行くぞっ‼」


 そう言って先に動いたのは青山。比和の袖を掴んですぐに体を回し、懐へもぐりこんだ。


「あれって……確か『一本背負い』って言うんだっけ?」


 オリンピックの時期になると、ニュースで何度も投げるシーンが流されていることもあって、真中でも技名と投げ方が一致する技だ。


 ニュースやバラエティーで見るシーンだと、この後は比和が空高く舞い、背中から畳に叩きつけられることになる。


 軽口を叩いたものの、やはり比和が青山に勝つことは難しいのだろう。そう思った真中だったが、想像していた衝撃音が発せられることはなかった。


「あれ? 比和……?」


 まるでそこで時が止まったかのように、青山が比和を背負うような格好で二人は固まった。


 『青山が投げることをやめたのか?』最初はそんなことを考えていた真中だが、かすかに道着がギチギチと嫌な音を立てている。どうやら、お互いの力が拮抗しているらしい。


「んなっ⁉ アイツ、青山の一本背負いを受けたぞ⁉」


 部員から発せられた驚きの声が、いかに難しいことをしているのかを物語っている。


「……やぁ‼」


 一瞬の膠着の後に、青山は体制をそのままに、比和の右足に自分の足をかけて投げようと試みる。


 対して比和は腰を引いて、片足を上げる。青山の足払いは、比和が先ほどまで足を置いていた場所に繰り出されるが、その結果は空振りに終わった。


 さっきの比和とは何かが違う――


 それは、比和の雰囲気からだけでなく、部員の視線や会話からも如実に表れていた。


「おいおい、アイツ……青山の技全部さばいてるぞ……?」


「いやいや、たまたまでしょ? だって相手はあの青山だぜ? 俺だって何回か投げられるってのに、アイツが全部捌けるわけないって」


 始めは二人の周りでも練習をしている部員がいたが、時間が経つごとに部室の中で響く音の数が減っていく。


 いつしか二人が発する声や音以外聞こえなくなり、永遠とも思える時間が過ぎ去った頃になって、終了の合図が出た。


「それまで‼ 交代‼」


 主将の号令を聞き、青山と比和は何事もなかったかのように正対すると一礼。その後二人は離れ、それぞれが場外へ出て行く。


 そして道場の壁に背を付けると、二人ともせきを切ったように激しく息を荒げた。


「っはぁ‼ はぁ……はぁ……」


「お、お疲れさん」


 体力を相当使ったのか、比和は下を向いたまま粗い呼吸をしている。


「さ、さんきゅ……いやぁ……つっかれたぁ」


 相当バテている様子だが、それは青山も同じようだ。


「はっ……はっ……はっ……」


「ほう、青山くんがたった一本でこんなに息を上げるなんて珍しい」


 そうつぶやいた主将の目は、次にじっと比和の方を向いた。


「君、本格的に柔道をやる気はないかい? 君ほどの実力者なら二年目でインターハイも確実だろう」


 唐突な提案に真中は驚いたが、同じような反応をした者はほとんどいなかった。


「や、まぁ……そう言って、もらえるのは……うれしいん、す……けどね……」


 息継ぎの合間に返事をする比和だが、その反応はいつもとは違い、消極的だ。


「俺、ちょっと……やりたいことが、あるんで……」


「…………そうか、それは――残念だ……ま、気が向いたらいつでも来てくれ! その時は歓迎しよう‼」


 主将の朗らかな笑みから、今の言葉は社交辞令ではなく、本心からのものだとうかがえる。


 だが、世の中の全員が主将のような人間かと言えば、そうではない。


 主将と比和のやり取りを遠目で見つめる視線の中には、素直な賞賛だけではないものがいくつか混じっている。


「なぁ……今の、試合ならどっちが勝ちだと思う?」


 近くで話していた部員たちが話し合いをしている声が聞こえてくると、その内容は驚きのものだった。


「うーん……比和の方が微妙に技をかけてる量が少ないっちゃ少ない気がするけど、だからって取れても指導一回くらいだろ? ゴールデンスコアになってもどっちが勝つか分かんねぇよ……」


「だよなぁ……なんでアイツ、俺たちとやったときは投げられてたんだ……?」


「手を抜いてたってことか?」


 その一言で、場の空気が一変した。


「俺たちのことなんて相手にする価値すらねぇってことか⁉」


「あの野郎っ……」


 徐々に怒りのボルテージが上がり、何人かが比和に詰め寄ろうとする。


「おいお前、調子に――」


「やめんか馬鹿者‼」


 もう少しでつかみかかるところまで部員が近づいたところで、主将がそれを制止した。


「確かに彼は最初は様子見をしていたかもしれないが、二年生にもなって青山に勝てないお前が彼の本気に勝てるのか?」


「そ、それは……」


 口ごもる部員を見て、主将は話を続ける。


「彼は青山くんと互角の勝負ができる生徒だ。それは数多くの努力をしてきたからだろう。それこそ彼は中学時代のほぼ全てを青山くんと同様に柔道へささげてきたはずだ。繰り返すが、そんな彼に、お前は勝てるのか?」


「……」


 口ごもった部員は何も言い返せない。ただ、先ほどまで周りでかすかに聞こえていた不満の声がぴたりと止んだ。


「いいか、勝てなくて不満なら練習するんだ。八つ当たりするんじゃない。分かったな?」


「はい…………すみませんでした」


「謝る相手が違うんじゃないか?」


 諭すように主将が言うと、部員はハッとした表情になる。


「その……比和、くんだったか…………すまなかった」


 比和に向き直り、指導された部員は素直に謝罪をすると、比和はにっこりと笑って返事をした。


「気にしてないんで、良いっすよ!」


 その返事を聞いて彼は安心したのか、『また来てくれ』と言って握手を求め、比和はそれに応じた。


「柔道って、何かいいね……」


「……そうだね」


 その光景を見て、黄瀬は何か思うところがあったらしい。独り言のようにも聞こえる彼女の言葉を、真中は拾い上げて肯定した。


「あ、こずえっちさぁ、この道着だけど……どうしたらいいの?」


 いい感じでしんみりしていたのに台無しだ。と真中は内心で突っ込んだ。


 だが、青山は一瞬だけ考えるそぶりを見せると――


「明日も明後日もどうせ勉強会に顔を出してくるだろうが……」


 いつでも良いといった感じに、呆れが含まれた声が返ってきた。ただし、視線は真中に向けられている。


 これは返事を待っている顔だ、と直感的に認識した真中は、思わず背筋を伸ばした。


「ひゃいっ」

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