第23話 交流

23

「でも、それじゃ――」

 反論しようとするアスカに、片手を上げて続きを遮るコーヘイ。

「――確かに、正しいのは君の方だろう。手伝ってやりたくないわけじゃない。でも――」

 コーヘイはまたダイナーを見やる。

「――僕には、自分の命を賭けてまで正しさを貫く事はできないよ。僕にも……守らなきゃならない生活があるんだ」

「……」

 アスカは反論できず、視線を逸らしてしまう。コーヘイを直視することができなかった。

 自分が正しいとは思う。

 マルスとクラリスの二人を救おうとする事に、疑問はない。

 けれど、それはあくまで自分の意志であり、自分の覚悟の上の話だ。ここでの生活を手放せない他者にまで強要していいものではなかった。

「……ごめんなさい」

「いいや、謝るのは僕の方だ。……協力できなくてすまない」

 そう言って、コーヘイは部屋から出ていった。ダイナーへと帰っていったのだろう。

 アスカはしばらく部屋に立ち尽くし、ミネルヴァの眠る生命維持装置に手をかける。

「……」

 ガラス窓越しにミネルヴァの顔を見て深く息をつくと、部屋を出る。

 部屋外の廊下を抜け、吹き抜け天井のダイニングへとやってくると、簡素な椅子に腰を下ろす。

 テーブルに肘をついて頭を抱えた。

 二人を助けないと。しかし、一体どうやって?

 答えなど出ない。アスカは二人を救う手段以前に、火星のことを何も知らないのだ。MSTFに対抗する方法など思いつきもしない。

 だが、それでも――。

「――マルスとクラリスを、助けないと……」

『お兄ちゃんたちを……助けてくれるの?』

「!」

 思わず漏らした言葉に、まさか返答があるとは思っていなかった。

 聞き慣れた、けれど不安そうな声に、アスカはがばっと顔を上げる。

 テーブルの少し向こうに、身の丈三十センチメートルの少女が浮かんでいた。更に見上げれば、壁面に埋め込まれたホログラフィックライトが光を放っている。

 麻布らしき簡素な白いワンピースに、ウェーブのかかった黒髪と、病的なまでに白く透き通った肌。東欧系の顔立ちに、紫水晶の瞳。

 先程の部屋で、今まさに生命維持装置の中に横たわっているはずのミネルヴァ・シュタイナーの姿だった。

「ミネルヴァ。だ……大丈夫なの?」

 何と声をかければいいか分からず、アスカは呆然と問う。

『アスカさんのお陰で、なんとか。ありがとうございます。助かりました』

「どういたしまして。本当に良かったわ」

 そう言い合って、お互いにぎこちない笑みを交わす。

「……」

『……』

 が、なかなかお互いに次の言葉が出てこなかった。ミネルヴァと最後に言葉をかわしたのは、アスカがマルスとクラリスとミネルヴァの三人に自分がどうやってここにやってきたのかを告げた時のことだ。

 自分のことで頭がいっぱいだったところに、アルテミスの暴走からのMSTFの包囲、ミネルヴァの救出と……たった数時間の間に、色んなことが起こり過ぎた。あれから一日も経っていないはずなのに、ずいぶん久しぶりに感じてしまう。

 しかも今は、ミネルヴァの知られたくないであろうことさえ知ってしまっている。

「えっと、その……ごめんなさい」

『え?』

「私、ミネルヴァのこと何もわかってなくて……人工知能だなんて言ってしまったし……」

 言葉をまとめられないままそう言うアスカに、ミネルヴァは苦笑する。

『それはさ……あたしも、黙ってたから』

「でも、言えないでしょう。初対面の人に、わざわざ『私は寝たきりなんです』なんて」

『はは……』

 ミネルヴァは小さく肩をすくめた。

「それで、その……」

『? なんですか?』

「事故か、何か?」

 そう聞いてしまってから、アスカは慌てて手を振る。

「あの、言いたくないなら言わなくても……」

『ううん。アスカさんならいいよ。命の恩人だもの』

 そう言ってから、ミネルヴァは吹き抜けのダイニングの天井から吊るされた、朽ちかけた照明を見上げる。

『あたしのプライマリースクールの教育課程が終わる頃かな。あたしたちはパリドームで暮らしてたんだけど……ヴァイセンホープ事件って言われてるテロ事件が起きたんだ。その事件のせいっていうか、反動って言ったほうがいいのかな……事件後に、MSTFによる大規模な粛清が起きてね。あたしの家族はそれに巻き込まれたんだ。助かったのはお兄ちゃんと、あんな風になったあたしだけ。パパもママも双子の妹も……その時に死んじゃった』

 ミネルヴァの語る話は、アスカにはどこか現実味の無い話に聞こえた。MSTF――Mars Special Task Force、火星特務機動部隊――は、火星における治安維持部隊という話だったはずだ。そんな公的機関であるMSTFが、テロ事件の報復として無辜の市民を虐殺するなどということは、アスカのいた時代の基準からすると起こりうるとはとても思えない事態だった。

「……ごめんなさい。酷なことを聞いたわね。思い出すのもつらいでしょうに」

『いいの。ありがとう』

「それで、その……あの状態で、見たり聞いたり、できるの?」

 目の前に身長三十センチメートルのミネルヴァが浮かんでいるが、当の本人は向こうの部屋で生命維持装置に横たわっている。あの姿と目の前のこの姿が同一の存在だと考えるのは、なかなか難しかった。

『あの生命維持装置……コフィンって呼んでましたけど、あれがアルテミスのシステムと繋がってたんです。カメラとマイクを通じて視覚と聴覚は同期されてましたし、時間はたっぷりあったから、プログラミング言語を勉強して、あたしの思った通りにコントロールだってできるようになりました。ザ・レッドにハッキング技術を教えてもらったお陰で、アルテミスから切り離された今でも近くのマイクとかスピーカーとか、ホログラフィックライトにも干渉できます』

「……すごい技術ね」

 呆気にとられるアスカに、ミネルヴァはほほ笑む。

『食べたり歩いたりは出来なくなっちゃったけど、今の方が出来ることは増えました。何って言ったらいいのか……本当に、人生って何があるかわからないなって思います』

 そう言って胸を張るミネルヴァに、アスカは感心する。

 たくましい子だ。

 自身の身体が指一本動かせない状態だというのに、ミネルヴァは明るく、前向きで、へこたれない。眩しいくらいのこの強さは自分も見習わないといけない。

『それで、その……』

「なに?」

 口ごもるミネルヴァに、アスカが先を促す。

『えと……本当に、お兄ちゃんたちを助けてくれるの? 見捨てろって……そう言われたのに』

 アスカの様子をうかがうように、おずおずと上目遣いで尋ねてくるミネルヴァ。

 それに、アスカは自分に言い聞かせるようにうつむいて答えた。

「助けなきゃいけないのよ。あなたのためでもあるけど……それ以上に、私自身のために」

 母の生き方を否定して生きていくというのなら、アスカにはどうしても他人を見殺しにすることなどできなかった。それに、マルスとミネルヴァが捕まったのには、少なからずアスカの責任もある。

 自分が責任を取るべきだとアスカは感じていたのだ。

『アスカさん自身のため……お兄ちゃんのことが好きとか?』

 ミネルヴァの突飛な想像に、アスカは吹き出す。

「何言ってるのよ。マルスにはクラリスちゃんがいるじゃない。流石に、あの二人に割り込む度胸は私には無いわよ」

『じゃあなんで……?』

 ミネルヴァは不思議そうに首を傾げる。わざわざ頭上にクエスチョンマークまで表示させていた。

 芸の細かさに、アスカは苦笑してしまう。

「死んでもいい人なんていない。誰かを見殺しになんてできない。そうしたら、私は母の生き方を否定できなくなってしまう」

『アスカさんの……お母さんの生き方?』

「ええ。あの人は……」

 そこまで言いかけたが、アスカはその先を口にできなかった。

 アスカの脳裏に、口論した時の母の姿が思い浮かぶ。

『母さん。そんなの……狂ってる』

『そうなのかも。でもね……それでもこれは、正しいことだわ』

『正しい? 人類を滅ぼすことが? しかもその理由が、人類の幸福のため? 狂ってるわ。ううん……狂ってるなんてものじゃない。母さんは鬼が悪魔だわ。……そっか。だから父さんに会いにも行かないのね』

『……明日香。貴女に何がわかるっていうの』

 そう告げた母の顔は、ゾッとするほどに冷たい顔をしていた。あれから何年も経ったというのに、あの時の母の表情を思い出すと未だに背筋が寒くなる。

 そんなアスカの内心とは裏腹に、ミネルヴァはふわりとテーブルに飛び降りて、自分用のソファをテーブル上に表示させるとちょこんと腰掛ける。

『うーん……よくわからないけど、アスカさんには大事なことなんだね』

「そうね。たぶん……そうよ」

『なんか、カッコいいな』

「そうかな」

『うん』

 まっすぐに見つめてくるミネルヴァに、アスカは視線を逸らしてしまう。

『自分の生き方っていうか、信念みたいなものがあるって、カッコいいと思う』

「そんなこと言われたの……初めてだよ」

 その信念にしても、先日とっさに口にしてしまっただけで、それまで意識して生きてきたわけではないのだと、ミネルヴァに白状することはできなかった。


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