第三章 日常編⑬
有紗に全てを話した。きっとそうするのが礼儀で、彼なりの責任の取り方だと思った。
【ストーリーライン】とはなんなのか。詩録がどんな【ストーリーライン】を保有しているのか。そして詩録はなぜ【ストーリーライン】に関わっているのか。
全て打ち明けた。
少女は黙ってそれを聞いていた。
「俺は全て話した。だから、お前のことを聞かせてくれ。…………お前の願いはなんだ? お前は何を悩んでいる?」
きっとそれは人の一番脆いところ、柔らかいところに触れる行為だ。
だがそれでも。
その一番脆いところに触れ、そこを抉り取らなければならない。
有紗は詩録の真剣な表情を見て、そして固く目を瞑る。
きっとそれが彼女なりの覚悟の決め方だ。
そうしてぽつりぽつりと話し出した。
「あ、あたしは────」
ずっと将来に対して漠然とした不安を抱いていた。その不安は年齢を重ね、成長するにつれて大きくなっていった。
きっとこの日常だっていつかは終わり、自分は、自分たちは大人になる。いやでもそうなる。
かといって、自分の将来に見通しなど立たない。
将来の夢なんてないし、憧れの職業もない。高校生という子供と大人の境目に立って見えるのは、ただひたすら現実の険しさと社会厳しさだけだ。
きっと自分がこれから歩いていく道は暗闇に包まれている。先を見るだけでその暗さに足がすくむ。
かといって今何もしないのはその不安と恐怖をひたすらに加速させる。
時間が止まって、一生女子高生のままならいいのにと思ったことは何度もある。この楽しい時間が、この幸せな高校生活がいつまでも続けばいいと思っている。
小学校のころに見た夕方に放送されたアニメをふと思い出す。それはごくごくありふれた家族の日常を描いたもので、何でもないことに登場人物たちは一喜一憂していた。
そのアニメ──その家族の時間は経過しない。
そのアニメでは四季は巡るが、登場人物が歳がとることがない。
そのアニメに登場する子供たちはいつまで経っても進級も進学もしない。
そのアニメに登場するお父さんは出世することも、転勤になることもない。
今はもう見なくなったそのアニメのことを高校生になった今ふと思い出し、そんな世界が羨ましいと心の底から思った。
その結果として、もしかしたらこの『ループ現象』が起こっているのかもしれない。今の状況は願ってもない──いや、願い続けてきた状況だ。
でも、時間が止まっても、永遠の七月四日の囚われても、不安なんてなくならなかった。
もう、どうすればいいのか、自分でもわからない。
将来の不安とか今の日常が終わることへの恐怖とか、そんなこと友達には言えない。そんなこと相談して重いと思われたくないし、それを言ってしまえばこの楽しい日常が崩れてしまうような気がする。
それでもこの少年に言えたのは、きっと、この少年が友達でも家族でも、まして恋人でもなかったからだろう。
その心理はぬいぐるみに相談をする子供に似た心理だったのかもしれない。家族や友達といった自分に近しい存在ではなく、自分とは違う離れた存在だから、こそ相談できることはある。
「ねえ、あたしはどうすればいいのかな……?」
もう顔中色んな液体でびしょびしょだった。こんな顔、友達はとてもじゃないが友達には見せられないな、と少女は思う。
今まで少女の話を真剣に聞いていた少年は、恐る恐る口を開く。
そして──
「はあ? んなこと俺が知るわけねえだろ」
こいつ殺してやろうかなと少女は素直に思った。
もうなんか、涙なんか止まっていた。
そんな少女の様子を見て、少年はこの空き教室での勉強会で何度もしたムカつくニヒルな笑みを浮かべて言うのだ。
「お前、俺をなんだと思ってんだよ。俺は思えと同じただの高三のガキだ。人生の不安とか将来への恐怖とか相談されてもなんも言えねえよ。『人生以外となんとかなる』とか、『生きていればいつか自分にあった仕事が見つかる』とかいうにはそれなりの年数生きたやつが言うから説得力あんだよ。まだ何もなしていないたかだが一介の学生が偉そうに語ったところで、そんなもん意味はない」
それを聞いた少女は今までシリアス返せと拳を握りしめた。だが、そうやら少年の話はまだ続くらしい。ならば辞世の句代わりに聞いてやろうと少女は拳を一度下ろす。
「俺はただの高校生のガキで、まだ何一つ成していないし、俺は俺の将来すら見通せない。お前の将来なんてそんな重い質問、俺には手に負えない。……でも、そんな俺でもこうやってまた相談に乗ることくらいはできる」
そう言う少年の顔は大人びて見えた。
少年はさきほどまでとは打って変わって真剣な表情で少女を見る。
そこまで話して少年は一度区切る。
そして、少年は頭を掻き、深呼吸をした。その頬が少し赤くなっている気がするのは気のせいではないだろ。
少年はもう一度深呼吸をし、その空気と一緒に言葉を吐き出すように話し始め。
「いま、俺にこうやって相談して答えなんて出ねえだろうけど、そしたらまた明日俺にもう一回相談すればいい。明日でも明後日でも、明々後日でも、来週でも来月でも、来年でも、再来年でも、一〇年後でもまた不安になったら俺んとこに何度でも来い。せいぜい話を聞いてやることくらいしかできねえが、それでもいいなら相談しに来い」
それは、永遠なんてものはないと思っていた、この高校生活もいつか終わると思っていた少女にとっては衝撃だった。
明日でも明後日でも、明々後日でも、来週でも来月でも、来年でも、再来年でも、一〇年後でも。
きっと永遠なんてものは存在しないし、終わりがないもになんてない。
結局将来なんてわからないし、いまだ未来は闇に包まれている。
それでもだ。
それでもこの少年はこの先ずっと自分の相談に乗ってくれると言った。
ならばいまはそれだけで十分ではないだろうか。
少なくとも明日へ踏み出す勇気はもらえた気がした。
だから、自分はもう明日から逃げない。
そう少女は決意した。
* * *
その日の朝、
「あっはよー、お兄ちゃんっ! オラ、おっきろーっ!!」
「グフッッ!?」
朝から妹にボディプレスされた。そう気づくと同時に
慌てて枕元のスマホを開いて日付を確認すれば、今日は七月五日の土曜日だった。
「ふー」
思わずといった様子で詩録は口から息を吐き出す。どうやら『ループ』から無事抜け出せたらしい。
喜びはない。ただただ安堵だけがある。
「? どうしたの、お兄ちゃん?」
布団の上から自分にのしかかっている舞が上目遣いに詩録にそう問いかけてきた。
対して詩録は首を緩やかに左右に振り、なんでもないと伝える。
やっと『明日』へ到達した。
そのことに喜びはないが、それでも無事にこうやって『明日』を妹と一緒に過ごせること嬉しく思う。
と、そんなことを思っているときだった。
手の中のスマホがバイブ音を立てる。
スマホの画面には『アリサ』と表示されている。そういえば、度重なる『ループ』の中で連絡先を交換したんだったと思い返す。
「アリサ!? なになにお兄ちゃん、まさか彼女?」
「ほらほら、お兄ちゃんちょっと電話するから部屋から出てけ」
なんか彼女からだと勘違いしてワクワクしている妹を部屋から追い出して詩録は電話に出る。
もしもし、と言う暇もなかった。
『出るのが遅いわっ! 何やってんのよっ!』
スマホに耳をあてれば、そこからは『ループ』の中で何度も耳にした声が聞こえてくる。
「なんだよ、うるせえな。用件だけ言え」
『なによ、その言い方。そっちが「明日でも明後日でも相談に乗る」って言ったんでしょ? ほら、相談ついでにこれから勉強を教えさせてあげるからあたしの家に来なさい。住所は今送ったから』
「そういうつもりで言ったわけじゃねーんだよ」
『知らないわよ、どんなつもりで言ったかなんて。ともかく、言質はとってあるんだから早くきなさい』
それだけ言って有紗は電話を切った。
はあー、っと詩録はため息をつく。たぶん、これも波瑠の言う責任なんだろう。にしても自分は厄介な奴と関わってしまったと後悔をしないでもない詩録。
だが、まあ、たまにはそんな休日もいいだろう、と詩録は外行き用の服に着替えるのだった。
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