第三章 日常編③
変わり映えしない通学路を徒歩で徒歩で歩くこと約二〇分。そうして、詩録は奏朔高校に到着した。
「おはようございます、詩録くん」
玄関でふと後ろから聞き覚えのある声をかけられた。振り返って見ると、そこには目が覚めるような美貌に透け通るような白い肌を持つ純白に髪の少女がいた。
「……おはよう、波瑠。なんか用か?」
すると少女は上品に右手を頬に添えながらこてんと首を傾げたのち、少し機嫌悪そうに頬を膨らませて言う。少し前の彼女からは考えられないほどの表情豊かさだ。
「……なんですか、用がなければ話しかけちゃいけないんですか?」
ものすごい
「ふふふ、冗談はさておき。一応用件はありますよ。……今日の放課後、ちょっと付き合ってくれませんか?」
「? 別にいいけど、どこに付き合えばいいんだ?」
「水着を買おうと思いまして。ちょっとショッピングモールまでお買い物に付き合ってください」
「!?」
波瑠と会話をしながら下駄箱から自分の上履きを取り出していた詩録は思わず手に持ったそれを落としてしまった。
その慌てっぷりを見て、波瑠はころころと鈴が転がるような声で穏やかにに笑う。そんな彼女を軽く睨み、落とした上履きを拾ったあとで詩録は問いかける。
「……そーいうのは女子同士で行くもんなんじゃねーの? ほら、凛とか智慧とか。荊華はどうだ? お前ら最近放課後遊びに行ってるだろ。あいつらと行けよ……」
「夏休みにみんなで海に行くことになりまして。そこで各々買った水着を見せ合うことになったんですよ。だからあの子たちとは一緒に行けませんし、何より殿方の視点からアドバイスをもらいたいので。……あ、もちろん夏休みにみんなで海に行く、というのは詩録もですよ?」
「俺は強制かよ……」
「ふふふ、強制です。なんなら『探偵部』の合宿としてもう申請してしまいましたので、部長である詩録くんは責任者としてついて来なければなりません」
「えー、俺、部長なのにその話聞いてねーよ……」
普通に誘っても来ない詩録のことである。だから波瑠は絡め手を使って無理やり詩録を夏休みに海に誘う。少し前までは純粋培養の箱入りお嬢様だったのに、いつのまにか変な腹芸を覚えやがって、と詩録は心の中で毒づいた。
「まあ、いいけどさ、水着買うのを付き合う件も含めて。でもいいのか? 今日一応部活じゃなかったか?」
「それなら智慧さんと凛さんのお二方が放課後に用事があるそうなので、大丈夫です」
「そうか……。なら今日の部活動は中止だな」
そう話し合いながら二人は階段を登り教室を目指す。三年生の教室は二階にあるためすぐに到着する。
詩録は四組、波瑠は二組に所属しているため、波瑠の教室に前で二人は別れることに。
と、そこで波瑠は何やらよからぬことを思いついたらしい。その品のいい顔に似合わないニヤリとした妖艶な笑みを浮かべた。
咄嗟に警戒した詩録であったが、そんなものは無駄であった。波瑠は花の咲くような極上の笑みと冗談めかした口調で
「放課後、デートしましょうね、詩録くん? いってらっしゃい、ダーリン」
他の生徒も見ているなかでコイツとんでもないこと言いやがった。何人かの生徒がこっちをチラチラ見ながらコソコソと話しているのが見える。
自分の頬が恥ずかしさで赤くなるのを自覚する詩録であったが、見れば波瑠の耳に真っ赤に染まっている。どうやら二人でいるときはあれだけからかってきる波瑠であるが、さすがに公衆の面前では普通に恥ずかしいらしい。捨て身の作戦というか自爆作戦というか。詩録としては「んなもんやるんじゃねーよ」と思わないでもない。
だがここまで言われて、頬を真っ赤にして何も言わずに立ち去るのは波瑠の思うツボである。特に明確な勝利条件など存在しないが、それでもなんか負けた気がするのだ。
と、いうことでここは仕返しせにゃならん。
詩録は精一杯のキザな表情で片手を上げて気持ち大きめの声で言う。
「行ってきます、ハニー。愛してるぜ!」
もうヤケクソである。
そして、ことの結末も見届けず、詩録は足早に自分の教室に向かう。そのため、後方で真っ赤に染まる顔を両手で覆い隠して崩れるようにしゃがみ込んだ波瑠の姿を詩録は見ていない。
「「……あのバカップル何やってんだ」」
そしてもちろん、その一部始終を目撃していた凛とか智慧の姿に、詩録と波瑠が気づくことはなかった。
* * *
なんか朝からどっと疲れた。いや、半分くらいは詩録の自業自得な気もするが。
そんなこんなで無人の三年三組の教室の前を通過して三年四組の教室に到着した詩録はどかりと若干乱暴に自分の席に腰掛ける。そして、机の上に両腕を置き、その中に顔を埋めるようにして授業が始まるまで狸寝入りを決め込む。
だが、それでも教室の喧騒は耳につく。
特に、教室の前方に集まっている派手な集団。世界が自分たちを中心にしていると信じて疑わないような男女数人の集まりだ。いわゆる、クラスカースト上位、一軍のグループというやつである。
その集団の中心人物は、お行儀悪く机に腰掛ける煌めく長い金髪をワンサイドアップにした少女だ。一軍グループの中心。実質的なこのクラスの最上位。
なかなか顔は整っている。メイクは本来の素材を引き立てるための必要最小限とはいえ、まるでモデルのような美貌である。スタイルもいい。小さな顔と長い手足のバランスは黄金比といって差し支えない。そしてその抜群のスタイルを包む制服は派手に着崩している。ワイシャツは第二ボタンまで外され、そこから覗き深い谷間は目の毒だ。そしてもちろん、スカートも膝上どころか太ももがほとんど露出するくらい短く折り畳めれている。机に腰掛ける現在の状況も相まって、スカートの裾が大変アヤウイ。と、まあ、まさに今時のギャルという容貌なのが、
「
「え、リサ、マジヤバっ。ケントくんってあれでしょー?
「ちょっと友達に誘われて人数合わせで行ったんだけどさー。んー、イマイチだったかなー。だってあいつ、自分の自慢ばっかりすんだもん。マジねーわー」
教室の喧騒、その中でも一際目立つ一軍生徒たちの声はやけにはっきり詩録の耳に届く。
学校という場所は非常に特殊である。同年代の男女を一つの場所に集めて、画一的な教育を施す。その時点で非常に異質だ。社会に出れば、同一の年齢で揃えられた集団などそうそうない。そして心理学の用語であるエロスとタナトスを持ち出すまでもなく、人は一定以上集まれば勝手にグループを作り、誰が決めたわけでもないのに順位をつけてランクに分ける。学校とはその極致である。
そんな取り止めもないことを考えながら、教室の喧騒をBGMに詩録の意識は微睡の中に落ちていく。
* * *
無事今日の全ての授業を終えた詩録。特に四時限目の体育と、昼食をとってからの五時限目の古典がきつかった。
波瑠と約束したはいいが別に集合場所は決めていなかったな、とふと思った詩録はスマホを開き、メッセージアプリを起動。波瑠へ、『どこ集合?』という短いメッセージを送る。
返事はすぐに来た。
電子音とともに波瑠から『私の教室に迎えに来てください』というメッセージが返される。そのメッセージを見て、詩録は思わず天を仰ぐ。その目に映るのは薄汚れた天井だ。
「あいつ、絶対楽しんでやがる……」
別に学校の玄関集合でも、なんなら現地集合でもいいのに、わざわざ自分の教室を指定するあたり、波瑠らしい。朝あんな恥ずかしいことをしたばかりなのに、わざわざ教室まで来いというのかこいつ……!?
絶対に教室のまだ残っている生徒たちにチラチラと見られ、コソコソと噂されるのが目に見えている。もしかしたら、というか確実に波瑠はそれを含めて楽しんでいるのだろう。
だがしかし、こういうときの波瑠はテコでも動かない。というか、波瑠が自分の教室から動く気がないのなら、詩録に取れる選択肢は限られている。
深い深いため息をひとつ。
詩録は諦観とともに、重い足取りで波瑠のいる三年二組の教室に向かうことに決めた。
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