第6話 愚者

 あれから数日。アイツの周りには常に膜があった。背後から殴りかかろうとしてもクッション状になった膜が柔らかく受け止めた。

 部屋でスマートフォンを投げた。膜が現れてそれをキャッチした。「貴重品なんだから大事に扱わなきゃ駄目だよー」と現れたアイツに、膜が受け止めて床に落ちたそれを渡された。

 アイツが去ったすぐ後に俺は性懲りもなく投げた。スマートフォンは空中で止まった。なのに、膜は視えなかった・・・・・。そして、ふよふよと浮いたそれはベッドに座る俺の横にまで移動してきた。


 俺の能力は、唯一の力は、あることを訴える。俺の馬鹿げた考えをそれは肯定する。しかし、俺はそれを自分で否定する。そんなことある訳がないと自らを嘲笑する。


 では、なんだというのか。


 俺の能力は、『姫華の使う異能が視えること』だ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、俺の異能は語りかける。それしかないからこそ、それは絶対的なものなのだと。アイツの異能を見逃すわけがない、と。


 そうなるとやはり可能性は一つしか思い浮かばない。そうでないと説明することができない。例え、どんなに突拍子もない、馬鹿な考えだとしても。しかし、今度は理由が分からなくなる。何故なのか。何のために。


 そんなことを考えながら、俺はぼんやりと校庭を眺めていた。いつ雨が降ってもおかしくないような曇天。お昼休みの教室は、何処にでもある高校のように賑やかな喧騒に包まれていた。


 そう、俺は学校へ通っている。当たり前のように日常を過ごしている。それは、アイツが望んだから。俺が産まれた地とは遠く離れた所に、二人だけのマンションの一室が与えられた。アイツが準備したのだろう。事実、住んでいる部屋は一室であるが他の住民を見たことはない。俺の住む部屋以外に灯りがついているのを見たことがない。理由はどうあれ、アイツは人間と敵対する絶対的な存在を根絶したのだから。金もあるだろう。なんでも叶うだろう。


 そして俺は、それを受け入れた。全てアイツが準備したものを。二人で生活し──専ら家事全般はアイツがしていたが──やがて、受験した覚えのない高校から合格通知が来た。


 歪だ。改めて実感する。

 だが、虎視眈々と狙うしかない。

 たとえ、俺の異能がそんなものだとしても。

 俺が、アイツを、殺すのだから。




 俺の席は、教室の最も窓寄りの列の一番後ろ。その周りには誰もいない。偶然ではない。皆、俺の事を避けている。話しかけようとする人間など皆無だ。


 ──曰く、俺と話すと呪われる。


 一言二言話しただけの女子は、階段から落ちたらしい。そんな小さなことが、ちらほらとあった。最初は、誰も俺と関連付けはしなかった。

 そんな中、一人の恐れを知らない同級生が俺に告白をした。クラスメイトに興味がなく、彼女の名前は知らなかった。話したこともなかった。もしかしたら、虐めの一環としての嘘の告白だったのかもしれない。その時、俺は適当にはぐらかした。そして、そいつは数日後に二階の窓から落ち、死ぬことはなかったが足の骨を折って今も入院中だ。


 そんなこんなで噂が広がり、こんな風に明らかに避けられている。生霊に取り憑かれているのだという噂もあった。確かに、それに近しいものなのかもしれない。邪悪は、俺の直ぐ傍にあるのだから。


 昼は、適当に菓子パンを食べている。当然アイツは弁当を持っていかせようとしていたが、それは頑なに拒んだ。三食全てアイツの作ったものを体内に入れるなど、さすがにそれは避けなかった。


 この血肉は、その殆どがアイツの作ったモノで構成されている。その事実に、酷く吐き気を覚える。それでも、俺はそうやって生きている。それも糧として、憎悪して、生きる。情けなく生きる。無様に生きる。

 それでもいい。構わない。最終的に目的が果たせるのであれば。アイツを、殺せるのであれば。


 念仏のような授業を聞き流し、どうすればアイツを殺せるのか、過去の記憶も視える・・・ようになった頭で必死に何か手掛かりを探る。得るものは、あまり多くはない。だが、他の類似の記憶、或いはこれから訪れるかもしれない出来事を見逃さず、ほんの少しだろうとアイツの能力をより具体的に理解しようとする。


 いつの間にか、放課後になっていた。

 少し晴れたのか、傾き始めた日が雲の隙間から教室内を照らしている。疎らにしか人は残っていない。

 俺は鞄を持って、気怠い体を引きずって、帰路に着いた。


 例えば一つ、分かったこと。


 アイツの能力は、あの透明な膜を動かすことだ。それによって、主に攻撃と防御とをおこなっている。それが中核だ。索敵能力のものは有していない。あの膜を薄く広く広げればそういったものは可能なのかもしれないが、少なくとも今までそういった使い方をしているのは見たことがない。


 つまり、俺が遠回りをして帰る時、アイツは俺の存在を補足して合流している訳ではない、ということ。


 ある種のルーティンとなっていたのだ。日によってルートは変わっていたとしても、幾つかに絞られる。それに遠回りと言っても家までの道のりから大きく外れるわけではないから、その幾つかのルートも離れているわけではない。

 恐らく、アイツはそれらを回って俺を探しているのだろう。そして、素知らぬ顔で俺の横へ現れる。もし俺がアイツの能力を視る・・ことが出来なかったのであれば、漠然とアイツを強者なのだと思っていただけであれば、それも能力の一部だと誤認していたままだっただろう。


 そう、あの能力は強力であっても決して万能ではないのだ。


 恐らく、回復能力も有してはいないのだろう。尤も、そうだとすれば手傷を追うことなく妖を殲滅したことになるのだから、より恐ろしいと言えなくもないのだが。


 俺はいつも通ったことの無いルートを歩く。これでアイツが俺を即座に発見することはできないだろう。

 そして、俺の向かった先は学校を挟んで家とは反対にある公園だ。住宅街を進んだ先にある、何の変哲もない公園。日が傾いて夜の帳が落ち始めたこの時間、そこには誰もいなかった。周囲にもまるで人払いをしたかのように誰もいない。


 公園へと、入る。周囲を見渡す。


 ──これは実験。馬鹿みたいな妄想を確かめるための。


 俺は、ポケットから取り出したスマートフォンを入口近くにあった砂場に向けて放り投げた。綺麗に弧を描いたそれは、砂場の、誰かが作ったのであろう小さな山の天辺に突き刺さった。

 これは想定内だ。いきなりスマートフォンを投げるなど、普通はしない行動だから。

 一拍待つが、何も起こらない。


 俺はそのままに踵を返して公園から出よつとして──入口手前で立ち止まる。公園とは反対側を見つめて。

 三十秒程度経ってから、後ろを振り返って砂場を見る。そこには何も無かった。次いで視線を落とすと、足下にそれはあった。周囲を視る。アイツの姿はない。


 確信、ではない。

 正直、突拍子もない考えではあるから。


 けれど、可能性は生じた。仮説が合っている可能性が。それは、悪い方ではあるのだが。


 いや、馬鹿馬鹿しく思えてきた。そんなこと有り得ない。このまま拾って帰ればいい。そう思ってその場に屈んでスマートフォンを拾う。液晶画面に、公園の電灯の光が反射した。

 少しの間、考える。改めて馬鹿馬鹿しくなって、自分自身を冷笑する。愚者の妄想だ。


 けれど、一度くらいは、試してみてもいいのかもしれない。己が妄想を己にて否定する行為。それになんの意味があるのか。ただ、気になったからには確かめてみないことには気が済まない。


 俺は公園の中をじっと見つめた。

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