Bad Boys (2)
「で、何の用?」
ヨルは紫煙を吐き出すついでに言った。両手枕で宙を見つめ、平を眼中に入れる素振りさえない。その傍らでは、胡坐をかいたワッチが平のことを見下ろしている。
「つーか、教師が授業抜け出しちゃっていいわけ?」
平は無視して切り出した。下手に言い訳をすれば相手のペースに呑まれる。
「単刀直入に言う。二人とも、授業に出」
「やだね」
暫し、沈黙。
「ふーむ。いったい、何がそんなに不満なんだ?」
いかにも態とらしい鈍感さを演じるニンゲンに対抗して、ヨルは態とらしく緩慢に煙を吐き出してから「別に」と吐き捨てた。平はまた少し間を空けた。
「ニンゲン如きにモノを教えられるのは悔しいかい?」
ヨルは何も答えなかった。だが、蓬髪がチラリと揺れたのを平は見逃さなかった。
「そうかそうか。そりゃそうだよな。ニンゲン如きにノせられて楽しくなっちゃって、エービーシーなんてはしゃいでるんだもんな。馬鹿みたいだよな。いや、僕自身だって、馬鹿なことやってるなとは思ってるよ」
「へっ。テメエで分かってるんなら世話ねえな。せいぜい頑張って道化やっとけよ」
ヨルは面倒臭そうに言うと、平と反対方向に寝返りを打った。
「道化か。言い得て妙だな。確かに道化だ」
平は一度だけ見たことのあるオパオマのライブを思い出していた。下ネタだらけの馬鹿みたいな歌を、さも楽しそうに叫んでいた。その馬鹿みたいな歌を聞いて、客は馬鹿みたいに騒いでいた。今思えば、彼らだって馬鹿ではなかったのだ。必死で道化を演じていたのだ。観客を楽しませるために、音楽で食っていくために……
「僕は道化で構わない。生徒たちが楽しんで学びに目を向けてくれるなら、馬鹿げた授業だっていくらでもやるさ。だけどね……」
平はヨルの後頭部を改めて見据えた。
「その馬鹿な道化がやっている馬鹿馬鹿しい授業を受けて、みんなは確実に前進している。何日か前に君らがしょーもない奴らだと見下した連中は、今や君らより上にいるんだよ。人のことを馬鹿だ馬鹿だと虚仮にしているうちに、どんどん取り残されていってるのは分かっているかい?」
ヨルの様子は変わらなかった。が、平は気づいていた。ワッチの鼻息が荒くなっている。ちらりと見ると、もはや彼は平を睨んではおらず、俯いて肩を上下させていた。
――なんだ、案外ワッチの方に効いているのか? それとも……
厭な予感が頭をよぎるが、平は構わず続けた。懐から一枚の紙を取り出すと、二人に突き付ける。クラスで配ったアルファベットのテストだった。
「いいかい。みんなは今このテストを受けている。全員が満点を取れるとは思わないが、少なくとも0点の生徒はいないはずだ。君らはこれを一問でも解けるのか? 解けないだろうな。何せ君たちはぐボオォッ!」
言い終わらぬうちに、平の左頬を巨大な拳が抉った。中肉中背成人男性の身体が軽々と放物線を描き、手すりに激突する。間一髪で落下は免れたが、平の視界はグルグルと回っていた。
「許さねえ……する奴は許さねえ……」
巨大な影がズンズンと平に近づいていく。
「おい、ワッカ。ムキになってんじゃねぇよ。聞き流しとけっての」
寝転がったままのヨルに本気で止める意思は無さそうだった。ワッチはズンズンと平に歩み寄る。
どうやら厭な予感の方が当たっていたのだ。つまり、ワッチは平の言葉に感銘を受けたわけでも、反省をしたわけでもなく、
「ヨルを馬鹿にする奴は許さねえぇぇ!」
彼は平が思っているより遥かに短絡的思考の持ち主で、平の言葉を単純な侮辱と受け取ったということ。それに逆上したということ。そして……
――ああ、本気で殺しにきてるなぁ……
ということ。
ワッチは血走った目を剥き、一気に距離を詰める。筋骨隆々の右腕をブンブンと振り回すたび、平の顔に風が浴びせられた。雄叫びとともに、巨体が平に飛びかかった。
「うおおおぉ!歯ァ食いしばれやあぁぁ!」
平は命令通り歯を食いしばった。恐るべき勢いで拳が近づいてくる。
「ワッチ君、やめなさあぁぁい!」
聞き覚えのある声が屋上に響き、すんでのところで拳が止まった。平の顔が風圧に歪む。
「アァ? 何しに来たんだ、ヒョロガリがぁ!」
ワッチが怒声を上げ、平は声のした方を見て、目を見開いた。
――ガサブロウ? どうして……
ガサブロウは屋上の入り口で腕を組み、仁王立ちしていた。その影に隠れ、ムージーも恐る恐るこちらを覗いている。ガサブロウは静かにワッチへ歩み寄ると、極めて冷静な口調で言った。
「ワッチ君。君がどうして平先生を殴ろうとしているのかは知らない。が、私の分析では、おおかた授業に出ないことを咎められて腹上したのだろう」
それを言うなら逆上だ。それに殴ろうとしているのではなく、既に殴られている。まあ大方は合っているので良しとしよう。平は人知れず納得した。
「君はそれで良いのか、ワッチ君。本当に君はそれが正しい行いだと思っているのか? 君は本心から、授業に出たくないと思っているのか?」
ワッチの瞼がピクリと動いた。微かに小さく呻いたのが、平にも聞こえた。
「う、うるせえ!なんでそんなこと、テメエみたいなヒョロガリメガネに言われなきゃならねえんだよ。スッ込んでろ!」
ワッチがガサブロウを睨みつける。だが、ガサブロウは怯まなかった。
「いいや、そうはいかないね。我々は平先生の授業を受けられなくなると困るのだ。そこでだ……」
ガサブロウは颯爽と学ランを脱ぎ捨て、腰を低く据えた。
「私と勝負しなさい。もちろん
あまりに一方的な話の進め方にワッチはポカンと口を開いた。平も唖然としていた。恐らくガサブロウは見た目と名前から河童なのだ。河童に角力という圧倒的有利な提案。しかも、自分が負けたときの条件は提示していない。流石に短絡的かつ直情的なワッチでも、そんな条件は呑まないだろ……
「フン、良いだろう」
快諾である。瞬間、ガサブロウがちょっと嫌な顔をしたのを、平は見逃さなかった。
二人は向かい合い、四股を踏む。時間一杯、ムージーが行司を務める。
――しかし、本当に大丈夫なのだろうか。いくら河童とはいえ、あの体格差。しかもガサブロウは河童にしても相当に虚弱な印象だ。いや、あのヒョロヒョロ体型で実は滅茶苦茶に強いなんて、それはそれで胸アツな展開……
いやいやいや
――何を考えているんだ、僕は。生徒同士が喧嘩しようとしているんだぞ。教師としては止めなきゃならんだろう。ああ、しかし、身体が動かない。畜生、情けない。情けないなあ……まあ、ここは取り敢えず……
頼んだぞ、ガサブロウ!
「は、はは、はっけよおおい……の、ののの、残っ……たぁ」
ムージーの脱力せざるを得ない掛け声で、二人の体はぶつかり合った。ぶつかって早々、がっぷり四つの形になる。ガタロウが左上手。立ち合いとしては完璧だった。
そして、次の瞬間、
ガサブロウの身体は宙を舞っていた。
「いや弱っ!」
平は思わず叫んでいた。哀れな河童は「ひょあぁぁ」と情けない叫びを上げながら強かに床へ叩きつけられ、「ギャバンッ」と香辛料の名前に似た断末魔を上げて泡を吹いてしまった。一瞬の取り組み。微かな希望は断たれた。
しかしながら、ワッチの頭に上った血はその程度では収まらなかったようだ。彼は床に伸びたガサブロウの右足首を掴むと、頭の上で振り回し始めた。
「あ、あわ、あわわわ……」
ムージーがジワリと小便を漏らす。そう、ワッチはかつてムージーに対して未遂に終わった凶行を実現しようとしていた。つまり、同級生ハンマー投げである。いくら妖怪とはいえ、屋上から地面に叩きつけられれば無事ではいられないだろう。ましてこの虚弱な河童であれば、「全身を強く打って……」という結果が待っているのは明白だった。
「や、やめろぉ。やめるんだァ……」
平は力を振り絞り、ワッチに這い寄ろうとする。だが、身体が思うように動かない。軽い脳震盪を起こしているらしかった。
「さあ、行くぞコラ! 飛ばすぞコラ! この世の果てまで飛ばしてやるぞゴルァ!」
ワッチはもはや半狂乱となり、ガサブロウの身体を投擲せんとしていた。
「オイ、ワッカ。そこまでだ。」
ヨルの声が響く。先ほどまでとは違う、真剣な口調だった。だが、ワッチはやめようとしない。
「やめろっつってんだろうが! いい加減にしろ!」
聞く耳持たないワッチに痺れを切らしたのか、ヨルが聞いたことのない胴間声で怒鳴りつける。さすがにワッチも何かを察したのか、ヨルの方を振り返った。
「ワッチ君、何してはりますのや。えらい楽しそうでおますなぁ」
平も気が付かなかった。いつの間にかヨルの横で教頭が後ろ手に組み、ことの成り行きを見物していたのだ。
瞬間、ガサブロウを振り回していた剛腕がピタリと止まる。高速回転をいきなり止められ、ガサブロウは胃の内容物を口と鼻から全て噴出させた。ワッチはしばらく呻吟していたが、不意に舌打ちをすると、哀れな河童を吐瀉物の海へ乱暴に投げ捨てた。
ヨルがワッチに顎で指示を送り踵を返す。ワッチはそれについていく。すれ違いざま、教頭がヨルに囁いた。
「ホドホドにしときなはれや、ヨル君」
「ケッ! うっせえ、ヒヒジジイが!」
二人の問題児はツカツカと屋上から出ていった。平にはほんの一瞬だけ、ワッチが振り返ったように見えた。
※
保健室に運び込まれた平とガサブロウを待っていたのは、クズハからの厳しいお説教だった。二人とも無茶を懇々と諭されてしょげ返っていたが、俯いた顔がニヤけていたのは言うまでもない。応急処置を終えてクズハが保健室から出ていくと、ガサブロウは「いやあ、お説教って、良いもんですなぁ」と感慨深げに呟いた。やはり腐っても河童というだけあって、あれだけコッ酷くやられたにも関わらずケロリとしてベッド脇に座っている。平はまだ足取りが覚束ず、ベッドに寝かされていた。残念ながら膝枕はお預けだ。ベッドの脇ではムージーが心配そうに平のことを見ていた。
「どうして僕があそこにいることを?」
「それは、少し考察すれば分かることです。あのとき平先生はみんなの目を気にしてコッソリと教室を出ていった。とすれば、差し迫った腸のトラブルか、あるいは重要なミッションを抱えていると仮定できます。そうなれば、必然答えは後者になります。差し迫った腸のトラブルであれば、私はニオイで分かりますからね」
肛門のニオイをチェックされていたことを知って大いに辟易したが、平は極力表情を変えずに相槌を打った。
「以前から、平先生が授業に出ていない二人の席をチラチラ見ているのは分かっていましたから、重要なミッションといえば彼らに関することだと分かります」
「だからって、なんであんな無茶を……」
ガサブロウは「ええ、それは、まあ」と茶を濁した。その様子に首を傾げた平を見て、それまで黙っていたムージーが口を開いた。
「た、平先生は、に、ににニンゲンなのに、ぼ、僕のことを、た、助けてくれたし、それに、す、凄く、平先生のじゅ、授業はた、楽しくて……その、つまり……」
言葉に詰まったムージーを見かねたのか、ガサブロウが助け舟を出した。
「つまり、あれです。奴らは凶暴ですから、平先生を本気で再起不能にしかねない。下手をすれば本当に殺しかねない。そんなことをされたら、我々が先生の授業を受けられなくなるでしょう。とまあ、そんなところです」
ガサブロウは頭をポリポリやりながら、そっぽを向いた。
「……そっか。ありがとな」
あまり言葉を発すると涙腺が暴走しそうで、平はぽつりとこぼしただけだった。
英語教師は改めて決心した。
この子たちを、本気で見てやろう。
そして、あの二人を何とかしなくては……と。
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