第42話 生まれてきてくれてありがとう

26日の朝7時、依然として進吾は眠ったままだった。ただ昨日とは1つ違う点があった。進吾は酸素マスクをつけており、心電図が横にあった。どうやらあの後、呼吸が乱れて、急遽酸素マスクをつけたとのこと。


「はぁ……」


そんな様子にただただため息をつくしかなかった。心電図の音、時計の針が動く音、外からの子供の声、それだけが病室で聞こえた音だった。"このまま一生起きないかもしれない"そんな不安だけがずっと心にあった。お昼になっても日が暮れても、進吾は目覚めなかった。



夜になれば医者や看護士も入ってきた。医者も看護士も進吾を見てとても辛い表情をしていた。進吾の手を触ってみれば、冷たかった。耐えきれず私は泣いてしまった。そうしていると旦那が眠っている進吾に話しかけた。


「進吾、ママ泣いてるから起きてやってくれ」


震えた声でそう呼び掛けた。けれど進吾の反応はなかった。起きてくれると信じて、私も進吾に話しかけた。


「進吾ちゃんと覚えてるかな?9月ぐらいゲームしてさ、1時間ぐらいかけて私1位取ったんだよ?本当嬉しかったんだよ」


続けて旦那も泣くのを我慢しながら話し始めた。


「誕生日プレゼント嬉しかったよ。まさかくれると思ってなくてビックリした。これからもずっと大切に使うよ」


そして私はずっと思っていたことを口にした。それはまだ誰にも言っていなかったことだ。


「進吾ごめんね、健康的に産めなくて」


進吾が小児がんだと知ってから今に至るまでずっと思っていたことだ。


「そしたらもっと一緒にいられたし、一緒に遊べたのに。辛い思いもなかったのに……本当にごめんね」


私はずっと謝っていた。がんのこと、もっと一緒に遊んであげたかったこと、今までのこと……そんな時に旦那が背中を軽く叩いた。そこで私は謝るのを止めた。


「最後に謝ってばっかじゃダメだよね。ちゃんとお礼を言わなきゃ……」


進吾の方をしっかりと見つめて言う。


「生まれてきてくれてありがとう、進吾」


すると進吾の目が薄く開いた。私と旦那は大きな声で名前を呼んだ。


「進吾!」


進吾は最期に私たちに向けて微笑んだように見えた。そしてすぐに静かに目を閉じた。その瞬間、隣にあった心電図が甲高い音を鳴らす。



12月27日午前0時06分、進吾は息を引き取った。



私は泣き崩れた。広い病室の中、泣く声だけがハッキリ響いていた。旦那も静かに泣いていた。進吾の頬を触ってみれば、進吾の肌は冷たかった。温かさは残っていなかった。



お葬式では進吾の周りにたくさんの花を入れた。キクやユリを添えた。見ているのも辛かった。その場にいることさえ本当に辛かった。その間私たちはひたすら泣いていた。


亡くなってから進吾の身辺整理をしていたとき、ノートには1枚の紙が挟まっていた。片側がビリビリと破けていた。


「あれ?これもしかして……」


私が行方の分からなかった最後の紙だ。見てみると胸がぎゅっとなった。一番上には"おやこうこうノート"と書かれていた。そこには私と旦那が以前書いた"私たちのやりたいこと"が書かれた券が縦に3枚、横に3枚と、綺麗に貼られていた。真ん中には"ママとパパのやりたいことをかなえる"と書いた紙が貼られていて、その周りに私たちが書いたものが貼られている。そして上から丸がつけられており、ビンゴのように線で繋げられていた。


「やっぱ進吾はすごいね」


私たちじゃ考えつかないようなことをしていた。そして紙の一番下には左から女性、男の子、男性の順で描かれた絵があった。


「上手だね。旦那にも見せてあげないと」


ふと裏返しにしてみるとそこには一言メモと横にチェックが書かれていた。



やりたいこと

☑️いまからでもおやこうこうしてしあわせにする



親からしたら元気にいてくれるだけでも十分親孝行で幸せだ。だが病気や余命を知るまで何もしていないと進吾は焦って、慌ててこの目標を記したのだろう。


「とりあえずこの絵、見せに行こうかな」


そうして旦那のいるリビングへ向かった。



進吾が亡くなってから10年が経った現在。12月27日、今日はテレビである番組が放送される。そのため、いつもよりも早い時間に旦那は帰ってきた。


「おかえりなさい。お仕事お疲れ様」

「ただいまー。そろそろ始まる?」

「うん。良いタイミングで帰ってきたね」


旦那は荷物を置くと、そのままテレビの前のソファーに座った。


「部長になれたのは良かったけど、毎日大変だね。体調とか色々大丈夫?」

「まあなんとかやってるよ」


旦那は10年経ち、"出世"を果たしていた。


「進吾に言われたから必死にお仕事頑張ったんでしょ?」

「さぁ、どうだろうね」


旦那は返答を濁していたが、あの後から残業が増えたり、仕事により熱心になっていた。


「進吾が亡くなってからもう10年か……」

「長いような、早いような……変な感じだね」


思い返せば一瞬だが、体験した感覚だと、とても長く感じる。私もこの10年間で進吾に言われた通り、"元気で長生き"できるように健康管理に気をつけていた。すると旦那がしみじみと話した。


「願いって意外と叶うもんだな……」

「急にどうしたの?」


一瞬戸惑ったが、私なりの答えを返した。


「願ってるだけじゃなかなか実現できないよ。自分から必死に叶えにいかないとね?昔もそうだったじゃん。進吾のやりたいこと全部叶えるときもさ、必死に叶えに行ってさ」

「懐かしいな。あの頃は本当不安だったな」


2人で昔話をしていると、私たちが見たかった番組が始まった。


「ほら、始まったぞ」


テレビに映し出されていたのは1枚の家族写真だ。ある1人の女性と男性、そしてその間には男の子が映っていた。その男の子の名前は三河進吾、10年前に亡くなった小学校2年生だ。そして画面は切り替わり、今まで撮っていた動画や写真が流れる。家族でご飯を食べている時、一緒に遊んでいる時、運動会で踊っている時……色々な光景が映し出されていた。そして場面は切り替わる。


「本日はインタビューよろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いします」


画面にはインタビュアーと1人の女性がインタビューに答えていた。


「まず始めに息子の進吾さんの人柄を教えていただけますか?」


こうしてインタビューが進んでいった。様々な質問がされていった。


「進吾さんと一緒に過ごしていて、何か感じたことはありますか?」


この質問の答えはずっと前から出ていたことだ。


「子供の思う幸せと親の考える幸せって少し違うみたいなんです」

「ほう?具体的にはどのような意味なんですか?」


女性は続けてこう話す。


「親からしたら、自分の好きなところに行ったり、好きなことをしたりするのが子供の幸せだと思いませんか?私はそう思っていました」


大人になれば、仕事や人間関係に自分の時間を奪われてしまうことが多くなる。そのため、自分の好きなことをしている瞬間が貴重で幸せに感じやすくなる。


一方子供は学校や友達から時間を縛られることはあるものの、好きなことに費やせる時間は多い。ただ、大人と違って、遊んでくれる人というのが限られている。先生や親などの大人は仕事で遊べないことが多いからだ。それを踏まえて私はこう結論を出した。


「でも子供からしたら違うみたいなんです。"親と一緒に遊ぶこと"が本当の幸せみたいなんです。好きなことや嫌いなことに限らず、同じ目線で一緒に楽しむことが大切なんだと、進吾を見て感じました」


インタビュアーはそれを聞いてうなずいていた。


「子供と大人の考え方って違うんですね。ところで余命宣告を受けたときどう感じましたか?」

「聞いた時は本当に辛かったです必死に考えてくれました。思わず診察室で泣いてしまいました。そして本人にどう伝えるか悩みました。とてもショッキングな内容なので言いづらかったです」


その女性は下を向いて語っていた。しかし、前を向いて笑顔を見せて答えた。


「ただ、進吾はそれをしっかり受け止めてくれて、今できることを必死に考えてくれました。それがとても嬉しかったです」

「なるほど。小学生に伝えるというのも酷なもので辛いですよね。進吾さんはそれでも頑張って親孝行をしようとしたんですね」


そしてインタビューも終盤に差し掛かった。


「進吾さんは"余命を知るまで親に何も出来ていなかったことを悔やんでいた"とありましたが、最後に、まだ余命を知らない頃の進吾さんに何か1言はありますか?」


言葉を決め、進吾に向けて優しく伝えた。


「まだ余命を知らない息子の進吾へ、私たちはあなたから、生まれてきた1番の幸せを……たくさん貰ったよ。



ありがとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まだ余命を知らない息子の進吾へ、親から生まれてきた幸せを… ひらりくるり @hirarikururi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画