マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか~史上最大のシンデレラ物語~後編

 ピョートル殿下のご寵愛を受けるようになって、あっという間に七年ほどの年月が流れた。

 その間にあたしは、殿下とポーランドのワルシャワ近郊でこっそり結婚式を挙げたけれど、まだ正式なお妃とは認められていない。

 いや、今でも十分幸せだから、そんな大それたことは望んではいないのだけれど。

 娘も二人生まれたしね。


 ちなみに、あたしが殿下に作ってさしあげる肉じゃがは、いつの間にやら「ピョートルミャサ・パ・風肉料理ペトロフスキ」などという名で呼ばれるようになっていた。

 正直ちょっと恥ずかしい。


 あたしがそんな幸せな日々を送っている間も、殿下はとても精力的に活動なさっていた。

 殿下の――ロシアの敵は、北のスウェーデンと南のオスマントルコ。スウェーデン王・カールカルル十二世というお人は、若いながらも大層ないくさ上手じょうずで、殿下は何度も煮え湯を飲まされてきたという話だ。

 そんな強敵に対し、ようやく先年、ポルタヴァというところでの戦いで勝利を収め、カールカルル王は北へ逃げ帰ることもできず、南のオスマントルコ領へと逃げ込んだのだとか。


 けれど、カールカルル王も中々のしたたか者で、オスマントルコのスルタンを丸め込み、兵を起こさせた――というのは、メーンシコフ殿から聞いたお話の受け売りなのだけれど。


カールカルルの若造め、いらぬことをしおって!」


 腹立ちまぎれに銀の皿をくるくる丸めながら、殿下が毒づかれる。あの、みんな怖がっているからおよしになった方が……。


「……まあいい。トルコ人ども、今度こそ決着をつけてやる。というわけで、カテリーヌシカ。今回はお前もついて来てくれ」


「は? はい、殿下がそうおっしゃるのでしたら……」


 何が「というわけで」なのかはよくわからないが、殿下がついて来いとおっしゃるならば、あたしはついて行くしかない。


 というようなお話があったのが三月のことで、殿下が率いられる軍に随行して早三月みつき

 プルート川(現在のルーマニア・モルドヴァ国境)という川のほとりで、ロシア軍とオスマントルコ軍はぶつかった。

 しかし、ロシア軍八万に対して、オスマントルコ帝国とその属邦であるクリミアハン国の連合軍は十二万。殿下率いる部隊は完全に包囲され、絶体絶命の危機に陥った。


 その報せを受けて、あたしはメーンシコフ殿に頼んだ。


「あたしが所持している宝飾品類をすべて売り払って、お金に換えてください。そして、そのお金をオスマントルコ軍の司令官殿に贈ってください」


「よろしいのですか?」


「あたしのかつての境遇はよくご存じでしょう? 何も持たない召使いの身の上から、殿下のご寵愛を受けるようになって、今身に着けているものはすべて殿下から頂戴したもの。殿下の危難をお救いするために使うことに、躊躇ためらう理由などあるものですか」


「かしこまりました」


 メーンシコフ殿は一礼して下がっていく。


 その後の彼の手際の良さは、見事という他なかった。あたしが用意させた分だけでなく、あちこちに金策して作ったお金で、オスマントルコの大宰相・バルタチ=パシャという人に賄賂を贈り、一時停戦して交渉の席につかせることに成功。殿下も、危機一髪の状況を脱することが出来た。


 その後、オスマントルコとさらに交渉を進めて、カールカルル王のスウェーデンへの帰国の容認、これまでにロシアが獲得した領地の一部返還などを条件に、和平交渉が成立した。


「カテリーヌシカ、今回はお前のおかげで助かった。礼を言う」


「そんな。あたしは何も大したことはしておりません」


 実際、あたしが余計な事をしなくても、メーンシコフ殿は何とかしてくれていたのだろうと思う。

 それでも……殿下にほんの少しでも恩返しができたのなら、それはとても嬉しいことだ。



 その翌年、あたしと殿下は、殿下が新たに建設された町・サンクトペテルブルクで、正式な結婚式を挙げることとなった。

 数知れないほどの廷臣や国民の祝福を受けながら結婚することになるなんて、かつてのあたしは想像もしていなかったことだ。

 こんな夢物語みたいなことって、本当にあるんだね。



 こうして大公ツァーリ妃となったあたしは、ある時、ふとグリュック家の人たちのことを思い出した。

 皆さん、今頃どうなさっているのだろう。特に、マルグレーテお嬢様はご無事だろうか。


 メーンシコフ殿に調べてもらったところ、旦那様はあの後モスクワに連れて来られて、数年後に亡くなったそうだが、他のご家族はご健在だと判明した。


「そう……。マルグレーテお嬢様も、お元気でいらっしゃるのね」


 なんだかとても懐かしい――。そう思っていたら、メーンシコフ殿は気を回して、彼女との面会の機会を作ってくれた。

 今はロディオン=ミハイロヴィチ=コシェレフという人の妻となり、ロシア風に「マルガリータ」と名乗っているマルグレーテお嬢様は、あの頃と変わらず可愛らしかった。


「お目にかかれまして光栄の至りです、大公妃殿下」


 恭しくお辞儀をして、マルグレーテ、いやマルガリータお嬢様が言う。あたしは焦って手を振って、


「そんな他人行儀な呼び方はよしてください。あの頃のように、『マルタ』と読んでくださって構いません。お嬢様は特別ですから」


 お嬢様は戸惑った様子だったが、やがてにっこり笑い、


「ありがとう。それじゃあ、遠慮なくマルタって呼ばせていただくわ。あなたも、あたしのことは『グリタ』って呼んでね」


「ええ、グリタ」


 そうしてあたしたちはこれまでのことや昔のことを色々話し合った。


「本当にお嬢、じゃない、グリタも元気そうで何よりだわ。ああ、そうだ。もしよかったら、あたしの下の娘、エリザヴェータというのだけれど、その子の教育係として出仕してもらえないかしら」


「え? ええ、あたしなんかでよろしければ、喜んで務めさせていただくわ。……それにしても」


 グリタはしみじみとあたしを見て、あの頃そのままの、悪戯っぽい、可愛らしい笑顔を浮かべてこう言った。


「こうしておっきな灰かぶりは、おっきな王子様と結ばれ、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


――Fin.



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「史上最大」ってそういう(笑)。


この後、ピョートル一世はスウェーデン相手の大北方戦争に勝利を収め、それを機に「皇帝インペラートル」と称し、国号を「ロシア帝国」と改めます。

そして夫の死後、エカチェリーナはその跡を継いでロシア帝国皇帝・エカチェリーナ一世となります。


ちなみに、エカチェリーナがグリュック家の四女マルグレーテ(マルガリータ)を、娘エリザヴェータの養育係として召し出した、というのは史実です。

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