第13話 「炎の陰謀、闇の神」
「誰だい? 人様の座敷を勝手に使ってるのは」
遣手の声とともに、
バッ!
と、勢いよく障子が開け放たれた。
「ほほう、おぬし、幸運が舞い込む手相じゃよ」
易者の千代婆が髪結い見習いのお咲の手のひらをなぞり、
仄かに微笑んでいる。
「なんだい、お前さんたち。人様の座敷を勝手に使って」
遣手は眉をひそめながら言うと、まるで全てを見透かすような
鋭い目を座敷の隅々に向けた。
「見習いがここで大っぴらに占ってもらえんから、座敷を借りたまでじゃ」
千代婆は悪びれずに言い返した。
そのやりとりの間中、静香と百合はすでに天井裏に潜み、忍者装束に身を
包んでいた。隙間からわずか光が漏れる暗闇で、二人は顔を合わせ、
ギリギリだった焦りを、無言で呼吸を整えた。
百合が小声で囁く。
「さあ、行くわよ」
静香は頷き、鋭い眼差しで応える。
しかし、その瞬間、静香の足が天井裏の
「ドッ、ドン」
という音が響いた。
全ての動きと音が止まり、皆が見上げている……
静香の心臓は、まるで胸を突き破るかのように早鐘を打ち、血が逆流し、
最悪の情景を思い浮かべた。
(このままじゃ終わりだ……)
すると、今度は階段の最上段から、
「あ~れ~ 」
バランスを崩した千代婆が今にも下に落ちそうになっている。
二階の者は皆「今度はなに? 」とあたりを見渡す。
お咲は、迷いなく千代婆に近づき、
「千代……ば、ばあさま! 」
危うく名前を呼びそうになる。
「ドン、ダン、ドン、ダーン」
千代婆は、片足で絶妙にバランスをとって壁を蹴り、
方向を調整して見事に転げ落ちていった。
お咲は師匠の忍の神髄に触れ、自然と口元がほころび、階段を下りた。
階上から遣手が、
「おいおい、大丈夫かよ! 」
と心配の声をかけると、
「ああ、情けない。年寄りの冷や水ってやつだねぇ」
千代婆はそう言いながら、追いついたお咲の顔に近づけ耳元で、
「さあ、窯へ急ぐんだよ」
お咲は軽く頷き、千代婆を支えながら土間に出て、
妓楼の玄関から出て行った。
二、時を超える煙の世界
天井裏では、静香が冷や汗を流しながら大きく息を吐き、百合に向かって
申し訳なさそうに微笑んだ。百合は軽く静香の頭を小突き、先に進むよう
促した。今度は慎重に、しかも素早く移動を始めた。
「ここね……」
目の前には、
「ほんとうに、これに入るの? 」
百合は静かに頷き、ニヤリとしながら、
「見えないから大丈夫よ」
(え? そういう問題じゃないでしょうに……)
ちょっと驚きの顔で、静香は諦めて肩を落とした。
煙突の内側は、まだ仄かに熱を帯びていた。
百合は持っていた荷物を先に入れ、足で詰め始める。
「ああ、なるほど、これで落ちても大事に至らないわけね」
百合は、ピョンピョン跳ねながら下へ荷物を押し込み、頭まで隠れると、
「さあお静、私の肩に乗りな」
静香は、煙突の縁をつかみ百合の肩に乗り、徐々に体重をかけると、
「ズズズッ、ズーッ」
荷物が先ほどより上手く進んだが、煤で滑り、間違えれば一気に下まで
転がり落ちてしまうだろうと思うと、手足に力が入った。
(サンタも楽じゃないわね)
と静香は不安を紛らわすが、鼓動が喉の奥で激しく響いている。
少しすると、煙突の軌道に分岐があり、そこから甘い香りがするので、
地下室の排気口だと分かった。
ようやく底が見えてきたところで、百合は強く荷物を蹴り落とし、
二人は分岐した道を行き、
地下に足を踏み入れた瞬間、静香と百合は息をのんだ。
そこはまるで異国の光景だった。
天井から幾筋か絹のドレープで包まれ、甘く刺激的な香りが寝椅子に誘い、
豪奢なアラビア風クッションと、吉原の朱が見事に調和し、幻想的で浮遊感
のある
「ここは、人形町長屋の『アヘン窟』とは別格だ。何かが……違う」
百合の言葉に静香は頷き、
(何だろう? この部屋。時代を超越した何かが漂っている……まるで、
別の次元に迷い込んだような感覚、そうだ! あの三途の川で……)
と、考え込みそうになった静香だが、
「お静」
百合の言葉で我を取り戻し、もう一度部屋の中を見渡す。
水パイプを使う者、横になり、遊女に優しく扇がれながら恍惚となる者、
それぞれが他人などに目もくれず、自分を
二、焔の陰謀、蓬莱の闇
静香と百合は、アヘン窟の奥にひっそりと佇む豪奢な部屋があるので、
近づく。
部屋の中には、絢爛豪華な装飾が施され、異国情緒を漂わせていた。
黒く光る木材の壁には、奇妙な文字が刻まれ、亀印の彫られた香炉は、
まるで別次元からの訪問者であるかのように堂々とそこに鎮座し、
高貴でありながら、人を虜にする魅力を漂わせていた。
何者かの足音が近づいて来たので、二人は素早く侵入に使った
排気口の中に音もなく身を潜めた。
「この煙突は向こうと通じているといいけど……」
静香は深く呼吸を整えながら、排気口に身を潜めた。
彼女の耳に微かな足音が響くたび、心臓が脈打つ。
誰にも見つかってはいけない。
(あの男たち、目黒の砦にいた奴らだわ……とすると、焔影一族! )
二人は重なって上から見下ろしていたが、百合は静かに静香の肩に
手を置いた。
「焦らないで。あいつらの動きは私も見逃さないから」
百合の冷静な声に、静香は少しずつ呼吸を整えた。彼女の存在が、
今この緊張した状況下でどれだけ頼もしいかを、静香は痛感していた。
焔影一族の男は、ゆっくりと亀印がある香炉に向かって袂から、小さな
袋を取り出し、中身の粉を香炉に振りかけ両手を広げ、呪文のような
言葉を唱え始めた。
「東方世界の
すると、香炉から立ち昇る煙が渦を巻き、深い闇の底から沸き上がるような
重く澱んだ音で、静香の背筋を凍らせた。
蓬莱幻影の声が、ただの命令ではなく、世の摂理そのものを揺るがす
ような力を持っていることが感じられた。
『火を起こせ……』
蓬莱幻影と名乗るその存在は、焔影一族の男にそう指示を下す。
その言葉に、何か邪悪な意志が潜んでいるのは明らかだった。
「承知。火付け衆に知らせ、この楼閣から離れた一廓で事を起こします」
焔影の男は恭しく頭を下げ、命令を受ける。
『火を起こせば、人の目は全て炎に奪われる。その間に二を運べ。阿片の船
は明日、江戸に入ってくる。手筈は整っておるか? 』
「はっ、滞りなく」
『抜かるでないぞ』
その瞬間、静香の胸が締め付けられた。
町で頻発していた火事、それは焔影一族による意図されたものだった。
江戸の町が最も恐れた火災を利用し、阿片を密輸していた……のだろう。
香炉は再び鈍く光り、蓬莱幻影の声は笑うように響く。
『蓬莱信仰は広まっておるか? 』
「はっ、そちらも町中に亀の印が行き渡っております」
『フハハハ、火が燃えるとき、この江戸の夜空にわしの力が広がるのだ』
静香の意識は耳元の鼓動で支配された。かつてこの江戸の町を襲った
火事が、この焔影一族の仕業だったとしたら……その事実に触れた瞬間、
背中が凍り付く感じがした。
しかし、すぐに思い浮かんだのは、サルタヒコの顔。
彼は一体何を知っているのだろうか?そして、この蓬莱幻影との関係は……
(サルタヒコも、物に宿る事が出来る神だものね……もしや、
この香炉に宿るのも神なの? けど、サルはこんなにも邪悪じゃないし、
まるで対極よね。やっぱり、サルに確認しなくちゃ。この謎が解ければ……)
そのとき、焔影の男が立ち上がり、香炉の光がふっと消えた。
何もなかったような部屋に戻ったが、ここで繰り広げられた会話は、
明らかに江戸の町に大きな厄災が迫っているということだ。
「行こう」
百合が耳元で囁くと静香は頷いた。
排気の道を戻り、風呂の窯から出て闇夜に紛れる頃には、
町の運命が大きく動き出そうとしていた。
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