第11話 心揺らぐ吉原の夜
1. 浦島伝説と蓬莱の秘密
静香は夜風に吹かれながら、吉原の屋根の上に佇んでいた。遠くに聞こえる
喧騒とは対照的に、彼女の心は静かに揺れていた。先日聞いた
『偽浦島太郎』の歌が、頭の中で繰り返し流れている。
「蓬莱山……猿田彦命……東王公」
静香は眉をひそめながら呟く。その言葉の一つ一つが、自分の運命と
不思議に絡み合っているような気がしてならない。
すると、首から提げていたお守りが、微かに振動し、胸元に冷たい感触が
広がった。
「やあやあ、伝説の
突然、サルタヒコの声が、夜の静けさを破った。
「サル! 」静香は驚きと安堵が入り交じった声を上げた。
「あんた!どこ行ってたのよ! 」
「いや、思ったより上手くやってるみたいだからね、ちょっと見守って
いただけさ」
サルは飄々とした声で答える。
静香は肩を落とし、視線を屋根瓦へ落とした。
「ねえ……この間の浦島太郎の歌、あれって本当なの? 」
「あぁ、あれか」サルは一瞬考えるような間を置いた。
「あれは作り話さ。蓬莱信仰っていう不老不死の夢を追う者が、亀や蓬莱山を
都合良く利用して作った話だ」
「亀、蓬莱山……」静香は、再び心の中で言葉を反芻した。
「でも、サルタヒコの名前が出るってどうゆうことよ? 私もあんたに連れて
こられたから、他人事じゃ……」
――静香の言葉が詰まる。
もしかして、自分もその『蓬莱信仰』に利用されているのか。
サルの声は、どこか含みを持ちながら続いた。
「まあ、そう焦るなよ。昔から俺と東王公は、いろいろあったからな……
多分、そいつらが勝手に俺の名前を使ったんだろう」
「何よ、それ。『色々』って」
静香の言葉に、サルはため息交じりに答えた。
「いずれ話す時が来るさ。でも、おまえさん少し考えてみな。今までここで
何をしてきた? 」
静香は言葉に詰まった。そして、自分のこれまでの行動を振り返った。
――忍として訓練し、町や吉原の人たちを助けてきた。最初は成り行きだった
――でも、今は自分もやりたいと思っていること……
――不老不死や蓬莱信仰とは関係ない。
「……確かに、そうね。私、今まで一生懸命やってきたわ」
静香は少し得意気に笑みを浮かべた。
「だろ? 俺が、『一緒に不老不死の力を手に入れよう』なんて、
言ったことは一度もないだろう? 」
「まあね……でも、あんた有無を言わさず私を連れてきたのよ? 」
静香はそう不満そうに言ったが、サルはからかうように笑った。
「まあ、ちょっと強引だったな。でも、悪巧みに利用するつもりはないさ」
「ふうん……」
心の奥底では依然として不安と疑念が渦巻いていた。蓬莱山、不老不死、
そして江戸の忍としての私……そのどれもが、彼女の心を揺さぶる。
そんな思いを抱えながら、静香は再び夜の町を見下ろすと、吉原の灯りが、
静香の心の揺れを静かに映し出していた。
2. 吉原の影と魔窟
昼過ぎの
やりとりで活気に満ちている。
外では張見世の遊女を食い入るように眺める客が、我を忘れ声を上げるが、
華やかな
彼女に吸い寄せられた。
一陣の風のように場の空気を変えた。
妓楼に入った玉響は、
「おや、ここは良い香りが効こえるでありんす」
その言葉を聞いてもなお誰も動かない中、
「玉響、こっち、こっち、来るよ」
おいでおいでをしながら、自ら近寄ってくる楼主の中国人オーナーだ。
「玉響、きれい……ここで、働く……うれしい、うれしい」
相変わらずたどたどしい言葉で、しつこく誘う。
「まあ、お誘いありがとなんし。なら、ちょいと遊んでいくざんす」
玉響は、玄関を背に全体を眺める事ができる場所に座った。
すると、遊女達はわらわらとそばに寄ってきて、声をかけ始める。
「玉響、聞いておくんなし……」
「
遊女達が玉響を取り囲み、色とりどりの声が舞う。玉響も微笑みながら、
彼女たちの話に応じた。
「まぁまぁ、玉響。先日お座敷でお会いしたお
わっちに『玉響のような花魁になりたい』なんておっせいした」
と小菊という名の遊女が話しかけてきた。
「おや、そうなのかえ? お屋敷さんがそんなことを言うなんて、珍しい話で
ありんすね」
「そうでありんすよ。お客人は皆、玉響の噂を聞いてはうっとり
しちまって、わっちらのことなんてそっちのけで話をするでありんす」
「ほほほ、それは少しばかり恥ずかしい話でありんすね。でも、吉原にとって 良い噂ならば、喜ばしいことでありんすよ」
すると、お蝶という遊女がそっと耳元に近づき、小声で
「ねえ、玉響……最近、わっちのお座敷に、見慣れない金持ちのお客人が
増えてきたでありんすよ。」
「ほぅ、それは良いことざんすね。吉原はどこも大繁盛で嬉しいことで
ありんす。」
「さようおすけど……なんか皆、様子が変でありんす。他のお
で馴染みのお女郎がいるのに、
なさるが、何もなさりんせん」
「ふふ、ちょいとやきもちでござんすか? でも、お客様はどうして、そんな
風になさりんす? 」
「わっちも分かりんせん。
来るんか……他の妓楼に手ぇ出すのは、ご法度でありんす」
眉間にしわを寄せながら、さらに小声でお蝶はそう言った。
「まぁ、それは不思議な話でありんすね……何か訳でもあるのかしらん?」
と、玉響が返すと、玄関から聞き覚えのある声がする。
「うら屋でござい~どなたがお呼びだったかい~」
本気でボケているのか、占い師に扮した千代婆の到着に、周囲の遊女たち
がざわめく。
「こっちじゃ~、わっちをみておくれ~」
嬉しそうに手を挙げて立ち上がる遊女たち。
入口で立ち止まり佇む千代婆。
その横をすり抜けるように、髪結いと一緒に、見習いに扮したお咲が、
するりと奥へ入っていった。
そのすぐ後ろには、針箱を片手に持った百合が入ってきて、
「今日はうら屋が来る日だったかい? 後で見てもらおうかね」
と千代婆に声をかけながら、背中を支えるように階段を上っていった。
玉響の周りにいた遊女の何人かも、それに合わせるように
二階へ上がった行く。
地味な感じの禿が、何か話しかけたそうにしていたので、
「そら、この『甘露梅』をお上がりなんし。ここは心地よいところ
でありんすか? 」
玉響の気さくな問いかけに、禿は顔を赤らめながら、小さく頷いた。
「花魁達は優しいでありんす。特に、病だった姉様が元気になって……
それからは、気にかけてくれて。あの……良いお薬が……
あるそうで……」
禿の言葉は、途中で途切れた。その表情はちっとも嬉しそうではなく、
何か言いかけて、言葉を飲み込んでしまった。
――言えないの? 言えないわよね……
この時代に吉原で病気になって、元気になる薬なんて……
玉響は病気になってもこき使う、あの楼主に腹立ちを覚えたが、
その感情を抑え込み、静かに微笑んだ。
「そりゃ嬉うざんすね。ぜひとも、その花魁にお話を聞きたい
でありんす」
そういった瞬間、突然、番頭の一人が入口の近くで、
「……あの髪結いが連れてるの、見たことねぇなぁ」
と土間から階段の方へ視線を上げ、歩き出した。
玉響は、流し目でその番頭を捉え、軽く扇子を広げつつ、
「ちょいと、若い衆、わっちにお茶を持ってきておくんなんし」
番頭は玉響の妖艶さに引き寄せられるようにして、
「えっ? あ、へい、ただいまお持ちしやすぅ~」
と、慌てて頭を下げながら奥へと消えて行った。
玉響は先ほどの禿に視線を戻し、優しく
「病の花魁は、どこかえ? 」
「
期待に満ちた瞳の禿はそっと答えた。
「そうかえ、わっちを案内しておくんなし」
禿は小さく頷き、玉響の手を引いて奥へと向かった。
その手が、ほんの僅かに震えているのを、玉響は見逃さなかった。
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