第8話 代々木の野音に、かすれた歌

 東京の空は、灰色のままだった。

 渋谷駅を抜けた先、木々の影が濃くなり、ひときわ静かな空間が広がる。

 代々木公園。野外音楽堂。

 コンクリートのステージ。湾曲した屋根。

 かつてここには、たくさんの観客が集まり、歓声が響いていた。

 「というわけで、今回は東京・代々木公園からお送りします。『終末世界からのこんにちは』第5回、パーソナリティの南方涼です。」


 周りを見回しながら、ゆっくりと客席跡を歩く。

 「ここは、野音って呼ばれてた場所です。」

 「演奏者がこのステージに立ち、音が木々のあいだから空に抜けていく。」

 「僕も昔、一度だけ出たことがあるんですよ。」

 

 記憶が、じわりと胸の奥を刺す。


 その日も、曇りだった。

 Yukiと自分は、同じイベントに出演していた。

 彼女はリハーサルから完璧だった。ギターも歌も、すべてが“届く音”だった。

 「ねえ、涼。今日、私がトリだって知ってた?」

 「……ああ、聞いたよ」

 「どう? 負けた気、する?」

 彼女は笑っていた。

 でもそれは挑発じゃない。

 純粋に、自分と張り合える相手を楽しんでいる、そんな表情だった。

 それが、悔しかった。

 嬉しかった。

 でも、なによりも――好きだった。



 今は、観客も照明もいない。

 ステージの隅に、黒ずんだスプレーの跡があった。

 

 「また歌おう、いつかここで。

 世界が終わる前にでも、いいから。」

 

 それはYukiの字だった。

 終末を知っていたのか、それともただの冗談だったのか。

 それでも、彼女は“ここに帰ってくる”つもりだったのだ。



 そのときだった。

 ステージのモニタースピーカーが、ノイズ混じりに音を立てた。

 

 ありえない。電源は入っていないはずだ。

 

 けれど、耳を澄ますと――

 「涼、あんた、まだへこんでるの?

 しょうがないな、もう一回、歌ってあげようか?」

 

 彼女の声だった。

 

 やっぱり、Yukiの声だった。

 

 でも、それは過去の録音なのか、今この場での“返信”なのか、判断できない。

 


 ただ、ひとつだけ言える。

 

 彼女はまだ、どこかで“歌っている”。

 

 俺はマイクに話しかける。


  「Yuki。君に言いたいことがあった。

  でも、伝えられないまま、世界が終わってしまった。」


 「それでも、俺は旅を続けるよ。

 君の声が、届いたから。今も、ここにいる気がするから。」


 「君は、俺のライバルで、俺の憧れで、俺の……初恋だった。」


 「だから最後まで、君の歌を追いかける。」



 録音を終えると、一瞬だけ空の灰色が薄くなった。

 その向こうに、遠く赤く染まる西の空。


 次の目的地は、海辺のステージ――赤レンガ倉庫。

 

 旅は、終わりに近づいていた。

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