第5話 私鋳銭
1537年(天文6年)10月 越後国 谷浜村
「クククク、これは中々の出来ではないか、金次郎?」
「わははは、そうでしょうとも。しかし、悪銭からまさか銀が出てくるとは驚きましたわい。」
「ふふふ、これは正直、どちらが本物か判らないな。むしろ本物より出来が良いようで。」
「・・・・・・・・・・・・・」
谷浜村に先月完成した工房の奥にある秘密の部屋。その部屋に、俺と三人の男達が集まっていた。子供の拳ほどの大きさの銀塊を片手に豪快に笑っている髭もじゃの大男が金次郎、初見の者には山賊の頭領のように見えるが、実は気の良いおっさんである。父に紹介してもらった鍛冶師で、俺の能力でも鍛冶師としての実力はずば抜けていた。
そして、二枚の永楽通宝を眺めながら不気味に笑っているのが矢田清兵衛。父上から俺に付けられた監督役だったが、今ではそんな事はすっかり忘れて、俺の忠臣であり、新しく出来た工房の責任者だ。
最後に、俺の護衛役の古賀京志郎。俺達三人のテンションについていけず、若干引き気味である。
「後は量産体制を整えるだけだな。清兵衛、金次郎、頼むぞ。」
「ふふふ、蔵田家が躍進するのはもうすぐですな。」
「おう、任されやしたぜ。急ぎ手配いたしやす。」
「・・・あの、 それって偽銭・・・さすがにまずいのでは・・・?」
テンションが上がっているところに、若造の冷や水を浴びせるような言葉に、親父たちの目の色が変わった。
「おいおい、若いの!これのどこが偽銭だってんだ?むしろこちらの銭の方が質が良いのは見てわかんねぇか?」
「京志郎、そのような些末なことを気にするようではまだまだだな。銭は銭だ!」
親父たちの物言いに気押される京志郎。まぁ、正論がいつでも正しいとは限らないのだ。確かに偽銭ではあり、あまり公に堂々と行えることではないのは確かだが、現状を考えるとな。
日本では平安時代の皇朝十二銭を最後に、500年以上も独自通貨が鋳造されていない。そのため、次に独自の貨幣が登場するのは、江戸幕府の成立を待たなければならない。では、この時代の買い物はどうしたのか?物々交換が多かったのは確かだが、貨幣の需要も経済の発展と共に増していった。結果、宋や明から大量の銅銭を輸入し、特に室町幕府や大内氏による日明貿易で、永楽銭が大量に日本に流入、全国で使われるようになった。
それでも、供給される銭が圧倒的に足りず、何百年も使い込まれた宋時代の古銭や質の悪い私鋳銭までが「悪銭(ビタセン)」として流通している状態だ。独立国家でありながら、約500年にわたって外国通貨をそのまま自国通貨として流通させた例は世界史上でも珍しい。
言ってしまえば、500年以上もの間、朝廷や室町幕府の権力者たちは、経済政策における最重要項目ともいえる通貨政策を放棄していた。それがもたらした損失は計り知れない。
そんな者たちに、偽銭を批判する資格があるだろうか?ましてや、罰する力があるだろうか。所詮、現在流通している永楽通宝も明で鋳造された貨幣であり、日本の正式な銭ではない。それが俺の造った銭に置き換わったところで、何の問題があるのだろうか。
「京志郎、この銭で俺はこの工房で働く者たちを雇い、ここにいる者たちにも特別手当を出す。この銭を受け取った者たちは、この銭で旨い物が食え、旨い酒が飲める。お峰にも色々と買い与えれば喜ぶだろう。誰も困らん、あまり気にするな。あ、せめて私鋳銭と呼ぼうな。」
まぁ、あんまり造りすぎるとインフレになるけどな。それも何十年先の話だ。日本の経済力を高めるためには、貨幣経済への移行は不可欠だ。未だ銭不足の日本には、もっと銭が必要だ。しばらくはどんどん銭を供給していく予定だ。
「そ、そうですね!銭に真贋もありませんな!」
うん、納得したならまあいいか。
さて、これで当分の資金の目途が付いた。
現状、商いを始めてからそれほど時は経っていないが、他の商売も順調に推移している。まず、直江津と府内で開店した蕎麦屋「日ノ本屋」は、予想以上の賑わいを見せている。現代とは違い、外食産業が全く発展していない時代だ。つまり、競争相手がいない超売り手市場なのだ。
店は絶えず行列ができ、蕎麦の麺の製造が間に合わず、急遽麺工場の人員を増強した程だ。そして店舗だけでは客を捌ききれないため、大工に頼んで車輪の付いた手押しの屋台式店舗を7台急造し、人通りの多い場所で商いを行うようになった。屋台も大盛況で、今では直江津名物と言っても過言ではないだろう。
近いうちに、越後の長岡や糸魚川、さらには能登や越中にも出店予定だ。
谷浜村での蟹漁だが、漁具の制作と漁場の探索に時間が掛かったが、1月ほどで安定して捕獲が出来るようになった。獲れた蟹は谷浜村の北国街道沿いの旅籠と日ノ本屋で出され、その濃厚な味わいは好評を博している。足が速く傷みやすいのは欠点で、現状では地元でしか味わえない。しかし、その美味しさはすでに噂になり、蟹を目当てに日ノ本屋や谷浜村の旅籠を訪れる客も増えてきている。蕎麦も蟹も、現状俺の専売だ。ウハウハである。
こうして集めた銭を使って、俺は谷浜村に新たな工房を立ち上げた。先月完成したばかりの工房だが、すでにいくつかの成果が上がってきている。
新しくできた工房には、鍛冶師・鋳物師・大工・木工師・陶工・繊維・皮革の加工職人などを雇い入れ、俺の持つ知識の再現に協力してもらっている。この時代の職人は横の繋がりがほとんど無く、その仕事は己の知識と経験の範囲を出ない。それでは非効率だし、革新的な物は生み出せない。
先程話した永楽通宝の金型は、鍛冶師の金蔵と鋳物師の共同作業で作成された。すでに試作品が完成している、備中鍬にスコップは金蔵と木工師、現在開発中の足踏式脱穀機などは職人たちが総出で試行錯誤を繰り返している。言い争いも絶えないが、時が経つにつれて連帯感も出てきている。清兵衛が上手く皆をまとめてくれているようだ。
他にも、金属の加工や精錬で必要な鞴(ふいご)、冬の暖房や調理に使える炭団(たどん)などもこの工房で生み出されている。後は量産体制を整えるだけだ。
現状、研究実験段階では養蜂、椎茸栽培、鱒の養殖、将来の飢饉や冷害に備えての稲の品種改良も始めている。次に立ち上げる事業として、日本にはまだ存在していない日本酒蔵、醤油蔵、陶器窯などを順次開業していく予定だ。
うん・・・人手が足りないな。私兵も拡大したいし、そろそろ本格的に人材募集するしかないか。
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