ダークサイド、とびこえてダークネス

野中りお

ダークサイド、とびこえてダークネス

『お前、早乙女って知ってる? 早乙女芽留さおとめめる。お前と同じ高校だったらしいんだけど――』


 話を要約するに、高校時代の同級生は帰らぬ人となったらしい。

 

 しかも数日前どころの話じゃない。

 電話越しの兄が言うには、彼女がこの世にいなくなってから、すでに半年が経過していた。


 私が情報を知り得なかった理由は、私自身に彼女の死を連絡してくれるほど親しい友人がいなかったことがまず一つ。

 二つ目はそもそも彼女の両親が親族のみの葬儀を希望し、娘の友人等に連絡をとることをしなかったから、だそうだ。


 今日は大多数の人が社会というしがらみから一時的に解放される金曜日の夜で、話し声であったり表情であったり、周囲は心なしか気持ちが華やいでいるように見える。


 就職を機に上京した私は、残業を終え電車に乗ろうと、駅のホームで電車を待っている最中だった。

 

 兄は久々に会った地元の友人から偶然そのような話を聞き、彼女が私と同じ高校ということで興奮して電話をかけてくれたようだった。

 

 しかし兄の話は要領を得ず、その上滑舌が悪く聞き取りづらい。言ってしまえば、酔っ払いの話し方だった。まだ夜の7、8時だというのに、もう出来上がっている。


「……知らない」


 だいたい人の死を軽んじて話すのは、如何なものか。私は兄への軽蔑も込めて堂々と嘘をついた。

 

 飲み会のノリで私に電話をかけたであろう兄の行動に呆れてはいたものの、私の心臓の鼓動は意思に反し高まっていたのがなぜか悔しかった。

 

 兄は特段疑いもせずに、私が苛立っているのを察すると『そうか、じゃ!』と逃げるようにあっさりと電話を切った。


 画面の表示をオフにし、真っ黒になった液晶画面を無意味に見つめる。生気のない目をした女が、そこにいた。脳味噌のすき間に沈んでいた彼女との古い記憶が、徐々に浮上し表面下にさらされていく。

 

 ――想定外だった。

 ろくでもない憎たらしい学生時代を、名残惜しく思える日が来るなんて。

 そんな沈む私とは裏腹に、軽快なメロディとともに電車が滑り込んでくる。

 唐突に生じたやりきれない気持ちを消化できないまま、私は電車へと乗り込んだ。



 半年前、信号無視で突っ込んできた乗用車に未来を奪われてしまったという哀れな乙女、早乙女芽留さおとめめる

 くっきりとした二重まぶたに、耳より下の位置で二つに結い上げられたビターチョコレート色の頭髪。

 小柄な容姿に加えて運動も勉学も過不足なく、ミルクチョコレートのように甘ったるい性格で先生や生徒関係なく皆に好かれていた。

 当時愛想もなく、自分の殻に閉じこもり休み時間寝たフリをしてやり過ごしていた私とは、外見も中身も対極に存在する人種だった。

 

 同じクラスになったのは、高校3年生の頃だ。

 しかし私たちが教室で交わることは無いに等しかった。

 

 私と彼女のが生まれたのは、昼休みの時間。教室で浮いていた私は、一人でお弁当を食べていた。

 不思議と学校という社会では多人数でいる方が騒がしく目につくはずなのに、一人でいる方が悪目立ちするように仕組まれている。

 私は一人でいるのはいくらでも平気だったが、周りの視線にはいつまでも慣れなかった。だから机に顔を突っ伏して視界を閉ざすようになった。しかし、食事においてはそういう訳にもいかない。

 私は憐れみと好奇の視線から逃げるように、誰も来ないような場所――トイレ、空き教室、校舎裏と各所を転々とした。

 

 そうして最終的に、閉鎖された屋上へ続く階段の踊り場に避難するのが常となった。

 踊り場に行くには、古びた教卓と机によって構築されたバリケードを越えなければならない。私にはこの近寄りがたい壁が好都合だった。

 痩躯を駆使し悠々と衝立に飛び乗ると、反対側に降りて身を隠し無言で飯を食らう。

 食後はハガキサイズのスケッチブックを取り出し、趣味のイラストに没頭することで1時間の苦痛をやり過ごしていた。


「わあ、上手」

 

 ところが私だけの楽園は、そう長くは続いてくれなかった。

 どうやって知ったのか早乙女芽留は境界線の教卓に身を乗り出し、私の唯一無二のユートピアに首を突っ込んできたのだ。

 しかも誰も来ないだろうと油断して膝の上で書き散らしていたスケッチブックを、頭上から凝視されてしまった。


「わっ」

 突然覗き込んできた彼女に驚き姿勢を崩した私は、その弾みでスケッチブックを床に落としてしまった。


「……っ!? 何!? 勝手に見ないで!」

「あっ、ごめんね。盗み見るつもりはなかったの。上手だなあって思わず……。柏木かしわぎさんって、こんなにカワイイ絵を描くんだね」


 私のフッと沸いた怒りを、彼女の穏やかな声がサッと凪いでいく。

 お世辞だとわかっているのに、清々しい彼女の態度に疑念と不安は残っていても、不快感は消え去りつつあった。


 私は、誰かの前で絵を描くことはなかった。

 私のような目つきが悪くて根暗な女がこんな絵を描いたって知られたら、笑われるとわかっていたから。実際、小学生の頃男子に笑われた経験があって、それから教室など人の目に触れる可能性がある場所では描かなくなった。

 

 でもたった今、この女に見られた。


 彼女は私よりは不恰好に障壁を越えこちらに降り立つと、地面に落ちたスケッチブックを拾う。


「私、絵心ないから……羨ましいな」


 ――また、笑われる。私は掌を固く握って身構えた。

 しかし両手で丁寧にそれを私に差し出す彼女からは嘲笑ではなく、誠意がにじみ出ていた。

 困惑で何も言えずスケッチブックを受け取った私を見ながら、彼女は後ろで手を組み告白する。


「もっと見たいな、柏木さんの絵。……アタシもこれから、ここに来ていい?」


 普段の彼女にしては、すがるようなぎこちない笑みが印象的だった。

 教室にいる時とは雰囲気の異なる危うい彼女に、なぜか自分と似たような面影を感じてしまう。

 だが、素直に認められないひねくれた私は、わざとらしくため息をついた。


「……好きにしたら」


 私のあからさまにぶっきらぼうな態度にも、早乙女芽留はパァッと明るい満面の笑みを咲かせた。


「ありがとう、柏木さん!」


 眉、目、口、顔のパーツ全てに動きがあり、生きている――。天真爛漫な彼女らしい、自然に破顔した表情だった。

 


 それから私たちは、一緒に昼休みを過ごすようになった。

 目隠しを背もたれに、1人分の間を空けて横並びに座り各々過ごす。

 私は似合わないと自覚している少女漫画のようなイラストを。

 彼女は膝を抱え私がイラストを描く様を眺めたり、目を閉じ眠っていた。


 何かを描く度、彼女は私を褒めてくれた。

 褒められることに慣れておらず素っ気なく流していたが、本当は少し嬉しかった。

 

 彼女との交流はそれだけ。交流とも言っていいのか、わからないぐらいだ。

 私の性格上、連絡先を聞くこともなかったし。

 

 ただ教室とは違う静かな早乙女芽留を知っているということが、私には特別だった。

 

 だがそれも学校を卒業し仕事に追われるようになって次第に色褪せた。絵も時間に余裕がなくなって描かなくなった。私の脳は生きる過程で早乙女芽留との記憶を不必要だと判断し、奥深くにそれを仕舞った……。



「……ただいま」

 唐突に心の奥から引きずり出された過去に執着していたせいか、コンビニにも寄ったのに帰り道の記憶が他人事みたいに曖昧だ。

 私は一人暮らしのアパートに着くと返事の返って来るはずのない虚空に呟き、酒缶の入ったマイバックを机に置いてテーラードジャケットとストッキングを脱いで身軽になった。


 メイクも落とさず余所行よそゆきのブラウスとスラックスのまま、缶を開ける


 ぷしっとささやかに空気の抜ける音が鳴った。

 微炭酸のカクテル。

 恐る恐る缶に口を近づけ、ちびちびとすする。

 お酒は普段飲まないし、強くもない。炭酸も苦手だった。


 兄も同じく弱いはずなのに、友人に乗せられ無理に飲むからあんな醜態をさらすはめになる。ああはなりたくない。

 ――だけど今は、訳がわからなくなってみたかった。


 三口ほど飲んで、『知人の死』という事実を俯瞰できるぐらいに落ち着いてくる。


 電話で動揺していた割には、涙が一粒も出ない。

 希少な知人を失った悲しみよりも、若く美しいまま散った彼女への羨望が大きいということだろうか。

 

 自己本位が昔から治らず嫌になる。

 私は乾燥した指でアルミ缶をべきべきと潰した。

 

 好きになれない自分も思い出も全て洗い流してしまおうと顔を真上に持ち上げ、豪快に酒をあおる。

 

 ――本当は知っていた。

 多くの友人に囲まれていた彼女が、急にクラスの女子から避けられるようになったこと。話しかけても輪に入れてもらえず無視をされていたこと。教室中に聞こえるような声量で悪口を言われていたこと。彼女一人で移動教室を行き来するようになったこと。


『いい子ぶっちゃって』

『偽善者』

『いつもヘラヘラして気持ち悪い』

 

 何が原因で始まったのかは不明だが、恐らくクラスの女子たちの嫉妬……それかもっと単純に『暇つぶし』や『気まぐれ』だろう。


 彼女は……あの早乙女芽留は、私がいつも寝ていたから、『いじめ』を知らないとでも思っていたのだろう。

 だが顔を伏せていても、寝ているフリだから声は聞こえるし、登校直後や放課後の教室の様子を見ても目に余るものがあった。

 

 ……でも、私は知らないフリをした。

 いじめに立ち向かう勇気も、彼女に寄り添う慈しみも、私には欠如していたから。


 私は笑顔と明るさでみんなを幸せにできるあの子に、密かに憧れを抱いていたというのに。

 例え都合の良い居場所と人物として利用されているだけだとしても、隣で楽しそうにイラストを眺めてくれる様が、すっごく嬉しかったのに……。

 

 もはや癖になったため息をつき、やおら立ち上がる。

 のろのろと数歩先にあるベランダへ向かい、窓を開けた。


 人一人やっと立てるような狭いベランダに踏み入り、冷たい秋の夜風に触れる。

 星のない閑散とした夜空に、三日月だけがぽっかりと浮かんでいた。


 アルコールは微量のはずだが、一気に飲み干したせいか、顔が熱い。

 不意にぐにゃりと視界が歪んで足元がふらつき、私は暗闇に体が吸い込まれる感覚に陥った。


『実はね、ずっと前から話してみたかったの。きいちゃんって、私と違って周りに流されずにすごいなって。でも、きいちゃんって教室ではいつも顔を隠して寝てるでしょ? ――邪魔したくなくて。だから、いつも絶対に移動するお昼休みどこにいるのかなってこっそり追いかけちゃった。――ごめんね』

 

 ハッと暗闇の中で思い出したのは、そんな早乙女芽留の独白。

 そういえば、いつからか馴れ馴れしく私を名前で呼んでいたっけ。きいちゃんなんて小っ恥ずかしい呼び方をするのは、彼女だけだった。

 

 嘘か本当かわからないが、タヌキ寝入りに騙される純粋さが愛おしい。


 彼女はいじめられてもなお変わらなかった……強い人だった。


 手すりをつかみ、平衡を取り戻す。

 余計なことを思い出してしまった。

 耐えられず唇を噛み締め、呻く。


「……なんで、あの子が」


 強がって最後まで口に出せなかった、彼女の名前。

 負け犬の遠吠えのようだ。

 

 何気なく過ぎ去った日々が戻れないとわかった瞬間、美しく成るのが憎い。


 結局私がどうであろうと、彼女は死んだ。

 きっと大人になった彼女だって、私のことなんか忘れていたはずだ。


 私と彼女に、深い繋がりはない。

 ただの他人だ。

 私は彼女の生死に関わらず、心臓が停止するその時まで、生き続けなければならない。

 

 だが虚しさは募るばかりで、何でもいいから吐き出したくて仕方がなかった。

 地元にもいないのに都内に心を許せる人など、私にいるはずもないのに。兄は論外だった。

 

 ……。……そうだ……。

 

 閃いた私はベランダから室内に戻り、せわしなくブルゾンを羽織ると闇夜へ飛び出した。

 

 ――かつての相棒だった、今や不必要となっていたスケッチブックを求めて。

 久しぶりにあの子に似たとびきり可愛い女の子を、描きたいと思えたんだ。


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