第41話:異常な学園生活⑤


 ミッドガル総合学園・中庭 昼休み終わり間際

 秋の陽射しはまだ温かく、銀杏並木の葉が金色に透けて風に揺れている。鐘の音が遠くで三回鳴り、昼休みが終わる合図を告げたが、中庭にはまだ人の気配が薄かった。


 ベンチの片側に、ミッドガル総合学園の指導教員服を着たカナタが腰掛けていた。茶色の髪が風に靡き、穏やかな瞳に疲労の影が滲んでいる。


 その隣に、転校してきてまだ三日目の少女──エクシアが静かに座った。プラチナブロンドの長い髪が腰を越えて流れ、サファイアのような瞳はどこまでも澄みきっていた。


 制服の上に羽織った黒いカーディガンが、彼女の存在を少しだけ柔らかく見せている。カナタは、ふっと息を吐いて、優しく声をかけた。


「転校生としてやってきたけど大丈夫かい?」


 エクシアはゆっくりと顔を上げ、穏やかな微笑みを返す。


「ありがとうございます。……カナタ先生こそ、お疲れのようですね」


 その声は、水面に落ちた一滴の雫のように静かで、澄んでいて、どこか遠くまで届きそうだった。風が吹いた。


 銀杏の葉がひらひらと舞い、ベンチの間に一枚、音もなく落ちる。沈黙が訪れた。心地よい、でもどこか張り詰めた沈黙。やがて、エクシアが静かに口を開いた。


「先生は……この世界について、どう思われますか?」


 カナタの指が、ベンチの縁をそっと握りしめた。茶色の瞳が、遠くの空へと向けられる。


「……輪廻転生、か」


 エクシアは小さく頷いた。長い睫毛が、ゆっくりと伏せられる。


「私は、良い世界になってほしいと思います。でも……今の人達を不幸にするのは嫌だ」


 彼女の声は、決して大きくはなかった。けれど、その一言一言に、深い優しさと、揺るぎない意志が宿っていた。


「だから、私は現状維持を選びます」


 カナタは、ゆっくりと息を吐いた。肩に溜まっていた重いものが、少しだけ抜けていくような吐息だった。


「私は……」


 彼の声が、少し震えた。


「今を見捨てて長期的な自己救済を促す輪廻転生も、それを変えるために今を犠牲にするのも受け入れられない」


 カナタは空を見上げた。青い空に、白い雲がゆっくりと流れていく。


「目の前で泣いている人を、『次の生で報われる』って言って見捨てるのも……『未来のため』って言って、今苦しんでいる人を踏み台にするのも……どっちも、許せない」


 彼の声は、静かだった。でも、その静けさの中に、燃えるような熱がこもっていた。


「誰か一人でも泣いている人がいるなら、その涙を拭うのが先だ。次の生なんて、知らない。今、ここで、救わなきゃ意味がない」


 エクシアは、静かにカナタを見つめた。サファイアの瞳に、ほんの一瞬、揺らぎが走る。


(……ロイヤルダークソサエティに所属していながら、矛盾を抱えた光の主人公。確かにそう形容するのが相応しい人間性ね)


 彼女は心の中で呟いた。


(ロイヤルダークソサエティの目的は「最終的な人類の幸福」。でも、この人は、そんな未来のためなら「今」を犠牲にすることすら拒む。だからこそ、矛盾している。多くの人は、彼の矛盾を好意的に受け止めるのでしょう)


 風が止んだ。木漏れ日が、二人の影を優しく重ねる。鐘が四回目を鳴らした。昼休みは、もう終わりだ。それでも、二人は動かなかった。ただ、静かに、同じベンチに座り、同じ空を見上げていた。


「では、先生は……人格属性や現実改変について、どう思われますか?」


 カナタは答えず、ただ景色を見つめていた。長い沈黙の後、やっと小さく呟く。


「……願いが重なったときに、世界を変える力。超越するエネルギーが自ら産まれる。そんなものが、本当に存在するのか? 正直、ある、と仮定して動いているが、本質は懐疑的な立場だよ。君は存在すると?」


 エクシアはゆっくりと縦に首を振った。


「存在します。私は、確信しています」


 彼女は一歩だけ前に出て、手すりに両手を置いた。

 白い指先が、冷たい鉄に触れる。


「私は……こう思います」


 風が止んだ。世界が息を潜めたように。


「自らの愛する人に尽くしたい。その結果がどうなっても」


 その言葉は、静かだった。でも、屋上の空気を、確かに震わせた。カナタの瞳が、大きく揺れた。


「……それが、君の答えか」


 エクシアは振り返らず、闇に溶けていく空を見据えたまま、続ける。


「色々な人格属性は……どう思いますか?」


 彼女の声は、問いかけるように、でもどこか遠くを眺めるように。


「特徴的なのは、光翼属性。無限に上昇し続ける光。決めたから果てなく往く……とても眩しいですけど、どこか孤独に見えます」


 カナタは苦笑した。その笑みには、自嘲が混じっていた。


「確かに孤独だ。誰よりも高く、誰よりも遠くへ。並んで歩くことより、自分の決めた頂を目指す……俺には、眩しすぎて、目を背けたくなる」


 エクシアは小さく頷く。


「正義の怒りで物理法則すら突破する太陽属性はどうでしょう?」


 カナタは即答した。


「素晴らしいと思う。誰かのために怒れるのは、本当に尊い。でも……怒りだけで、世界は変えられない。怒りが燃え尽きたとき、何が残る? 俺は、それを痛いほど知ってる。対話するとしても、太陽的な救世主と関われば精神は燃え尽きるか、果てなき光を目指す亡者が生まれるだけだ」


 エクシアの睫毛が、ゆっくりと伏せられる。


「弱者と表現される人格は?」


 カナタの表情が、初めて明確に歪んだ。声が、低く、掠れる。


「……怖い」


 彼は吐き捨てるように呟いた。


「己の光を守るためなら、自分がどれだけ醜くなってもいい……それは、いつか光すら呑み込んでしまうかもしれない。守るためなら、どんな手段でも正当化する……そんな願いは、俺には抱けない。優秀な者を一方的に否定する力。逆襲か、蹂躙か。どちらに転んでも恐ろしい」


 エクシアは静かに頷く。その瞳に、哀しみのようなものが一瞬だけ宿った。


「対話を旨とする人格属性は?」


 カナタは空を見上げた。もう星が瞬き始めている。


「美しい」


 彼は迷わず答えた。


「対話と和解……許し合って、共に歩む。理想だと思う。お互いに同意の上で力を貸し与え、同時に与えられる。でも……」


 彼は苦しげに唇を噛んだ。


「許せない相手と、どうやって対話すればいい? 分かり合えない相手と、どうやって和解すればいい?……俺は、まだその答えが見つからない」


 エクシアは、最後に問うた。


「愛しい誰かと出会える運命を旨とする人格属性は?」


 カナタは、長い、長い沈黙の後、やっと、掠れた声で答えた。


「……それが、一番眩しい」


 彼はゆっくりとエクシアの方を向いた。茶色の瞳に、夕闇が映る。


「愛する人のために、どんな結果でも受け入れる……君の属性は運命属性だろうな。大切な人と巡り会えること。運命操作とでもいうべきか」


 エクシアは、静かに、確かに、微笑んだ。


「はい、私は……大切な人のために生きる。あの人が望むなら、世界を救う。あの人が望むなら、世界を滅ぼす。どちらでも、私は笑っていられるわ」


 その瞳は、闇の中で、黄金に輝いていた。狂気ではなく、ただ純粋な、揺るぎない愛だった。カナタは、深く、深く息を吐いた。


「……私には、まだ答えが出ない」


 彼は苦しげに呟いた。声が、震える。


「誰かを愛するあまり、世界を壊していいのか? 誰かを守るあまり、他の誰かを犠牲にしていいのか? ……俺は、そんな願いを抱けるほど、強くない」


 エクシアはカナタのすぐ隣に立った。


「先生は……とても優しいですね」


 彼女は小さく呟いた。


「だから、悩むんですよね」


 カナタは、初めて、弱々しく笑った。


「……そうだな。ただ経験だけ積み重ねた弱い人間だ」


 エクシアは首を振る。


「違います」


 彼女は、カナタの瞳をまっすぐに見つめた。


「優しいから、強いんです」


 風が、再び吹き始めた。二人の影が、屋上の床に長く伸びて、やがて、ゆっくりと一つに重なった。カナタは、最後に呟いた。


「……俺は、まだ自分の願いが分からない。でも、少なくとも……目の前で泣いている人を、見捨てるような願いじゃなければいいと思ってる」


 エクシアは、静かに微笑んだ。


「それで、十分です。いつか、貴方が光となり、優しい世界を作れることを期待しています」

「そうだね。君は共に戦ってくれないのか?」

「私にはもう心に決めた人がいますから。彼も優しい世界を作るために生きる人ですが、方法が違います。もしカナタ先生と出会うことになれば、対立するでしょう」

「そうか。なら出会わないことを祈ろう。そして、知らないところで助け合えれば最高だ」


 星が瞬き始めた。

 そこただ、静かな闇だけが残った。でも、その闇の中に、二人の小さな、でも確かな光が、確かに、確かに、灯っていた。

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