12.微睡みを譲る《お題:小さな勇気》

 部活帰りのバスの中。運良く座れた通路側のボックス席で、僕は程よい揺れに身を任せていた。


 冬の夜はうんと薄暗い。街の灯りだけでは参考書もろくに読めず、かといってスマホは眩しすぎて目に痛い。何より、ほのかに暖かな車内が眠気を煽る。だから自然と僕は、微睡みのまま目を閉じようとした。その時のことだった。


 僕の顔に影が落ちるのが分かった。すぐそばに、誰か立ったらしい。

 薄目を開け、ぼんやりとした視界で脇を見る。子ども連れじゃないかとか、妊娠してないかとか、ご老人じゃないかとか、そんなことを素早く確認するのだ。


 近くに立ったのは、サラリーマンのおじさんのようだった。若干顔が疲れているけど、背筋をしゃんと伸ばしている、しっかりした感じの人。


 僕は改めて目を閉じた。席を譲るべき人が居たら譲るし、普通に元気そうな人だったらそのまま座ってる。おじさんは別に大丈夫そうだから、譲らずに座ってることにした。

 僕のマイルールに従った判断だけど、倫理的に間違っては無いと思う。間違ってないよね、多分。うん。……席を譲るのも、譲らないのにも小さな勇気を必要とするのは、公共交通の悪い所だと思う。


 なんて考え事をしつつ目を閉じていたけど、何だか影がチラチラするのが気になり、また目を開けた。近くに立っていたおじさんが、立ったままで大きく船を漕いでいた。


 前にぐんにゃり、後ろにがっくり。

 首がぐるんぐるん動くのを見て堪らず、おじさんの腕を叩いた。跳ね起きる彼に、小声で話しかける。


『良かったら、座ります?』


 おじさんはばね仕掛けの人形のような動きで手と首を横に振った。


『おじさんみたいな健康な大人が学生さんに席譲って貰うのは、ちょっと、どうかと』

『でもほら、今日は多分僕の方が健康ですし』


 結局、半ば無理やり座らせる。おじさんは物凄く恐縮した様子で縮こまっていたけど、すぐにまた、うつらうつらし始めた。


 これで合ってたんだろうか。いや、そもそも合ってるとか合ってないとか、そういうの無いんだけど。それにしたって、この前妊婦さんに席を譲った時はこんなに迷わなかったのに。


 ぐるぐる考え事を続ける。ふと顔を上げると、近くの席の見知らぬお婆ちゃんと目が合った。お婆ちゃんが生暖かい笑顔を僕に見せてくる。


 どうやら間違ってはいなかったらしい。

 それでもやっぱり気恥ずかしくて、僕は視線を窓の外に逸らした。

 流れる街灯が、やたらとぴかぴかして見えていた。

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