第9話 練習ジャンキー
「すごい……サッカーの本ばっかりだ……!」
桜木
六畳ワンルームの一面を埋めているのは、戦術書、トレーニング本、世界大会のDVD。貧乏高校生の部屋にしては、サッカーだけがやたら充実している。
その真ん中で、俺は台所とテーブルを往復しながらコップに水を注ぐ。
(……なんだこの背徳感)
女子高生を、男一人暮らしの部屋に上げる。
やってることだけ見ればアウト寄りだ。しかも相手は自称「学年上位」の女子高キャプテン。
(危機感なさすぎだろ。もうちょい警戒しろ)
今のところ俺には、たっぱとケツがデカい女以外に反応する予定はないから助かってるが、性癖がズレてたらとっくにルパンダイブしていてもおかしくない状況だ。
コップを二つテーブルに置いて呼びに行くと、桜木は本棚の前で背筋を伸ばして立ち読みしていた。
黒ボブが揺れて、真剣にページを追う横顔は、一瞬だけ琴音を思い出させる。
(似てんのは、真面目モードの顔だけだな)
「桜木。飲み物入れた、こっち来い」
「ありがとうございます!」
ぱたん、と本を閉じて、桜木が嬉しそうに走ってくる。
両手でグラスを持って、一口。
「おいしいです、このお水!」
「ただの水道水だ」
ボブカットがぴょこぴょこ揺れて、妙に部屋が明るくなる。
……こいつ、テンションで照明増やしてないか。
のほほんと水を飲んでいるけど、ここに来た目的は別のはずだ。
「で。桜木」
俺は椅子に腰を下ろしながら、ストレートに切り込む。
「お前、俺に“何か頼みたいこと”があって来たんだよな」
「えっ、なんで分かったんですか?」
目を丸くしている。
分からないと思ってる方が不思議だ。
(怒る時はぷんすか、悔しい時は子猫、笑う時は太陽、勝負の時は闘犬。
ここまで感情が顔に出ると、読めない方が難しいんだよ)
桜木はグラスをそっと置き、表情を引き締めた。
「……はい。豆芝さんに、お願いがあって来ました」
一拍置いてから、テーブル越しに深く頭を下げる。
「お願いします。ひより先輩を、サッカー部に戻すのを手伝ってください!」
来たな、昼間の続き。
俺は水をひと口飲んで喉を潤し、ゆっくりと口を開く。
「ひより先輩ってのは、どんな選手だ」
「アンカーを主にこなしてました。守備でチームを落ち着かせて、攻撃の起点になるパスを出せる人です。あと――」
桜木の声が、少しだけ弾む。
「無茶苦茶美人です」
「最後の情報はどうでもいい」
ただ、そこまで惚れ込んでるのは分かった。
「中学時代の戦術、覚えてるか?」
「私たちの意見を基に、ひより先輩が形にしてくれる感じでした。“こう攻めたいです!”って言うと、『じゃあこういう配置にしよう』って……」
ボトムアップ型。
下からの意見を受けて、上がまとめる。
一人で全部捌いて、全員の顔を立てて、それで勝つ。
中学レベルなら、それでもなんとか回るかもしれない。
(でも、高校は違う)
トップを見据える連中は、中学のうちから高校・大学レベルの強度を叩き込まれている。
体もメンタルも、別の競技ってぐらい差が出る。
そこへ、今のひより先輩を無理に戻す。
発作的に、色んな“不具合”が浮かんだ。
一つは、依存だ。
桜木をはじめ、全員が「先輩いるから大丈夫」と思い始める。
頼れる柱が一本あるチームは強い。でも、その一本が折れた瞬間、一気に崩れる。
二つ目は、体力。
学校にまともに来てないって話だ。
アンカーなんて走ってなんぼ。戻ってきたとしても、フルで持つか怪しい。
三つ目は、メンタル。
なんで部活を辞めたのか。
顧問と何があったのか。懲戒免職まで行くレベルの何かがあったのか。
そのどれも、俺たちは知らない。
そんな状態で“無理に”ピッチに戻すのは、誰も幸せにならない未来しか見えない。
十秒ほど黙って考え、俺は桜木の目を真っ直ぐ見た。
「……悪いが、その話は却下だ」
「っ……!」
桜木の肩がびくっと震える。
「なんで、ですか。ひより先輩が戻ってきたら、チームは絶対強くなります!」
「“戻ってくれば”な」
俺は淡々と言う。
「でも、戻った先で、本来の動きができるとは限らない。悩みを隠して、無理して、また潰れるかもしれねぇ」
「……」
「お前、ひより先輩から悩み相談されたこと、あるか?」
「ないです。でも、一回でも相談されたら、家に行ってでも話聞きました」
「だからだよ」
俺は短く言い切る。
「お前に迷惑かけたくなかったんだろ」
「……そんな」
「そういう人間だってことだ。自分で飲み込むタイプ」
桜木は、悔しそうに唇を噛んだ。
「桜木。俺たちが目指してるのは、“全国レベルのチーム”だ」
声のトーンを落とす。
「そのためには、全員が『誰かに頼ろう』って意識を捨てなきゃいけねぇ。誰か一人に背負わせるサッカーは、いずれ壊れる」
「……はい」
「だから、お前自身も変わらなきゃならない。“先輩が戻ってくればなんとかなる”じゃなくて、“先輩が戻ってきたとき、横に並べる自分になる”方向に」
桜木は拳を握り締め、やがて小さく頷いた。
「……確かに。私、ちょっと甘えてました。先輩が帰ってきてくれたら、楽だなって」
「気持ちは分かる。精神的支柱ってのは、そのぐらいでかい」
俺はそこで、少しだけ作戦を変える。
「だから、順番を変えようぜ」
「順番?」
「ひより先輩が戻ってくるのは――俺たちが“結果”を出し始めてからだ」
「結果……?」
「そうだ。勝ち始めてるチームに戻るなら、先輩も余計なプレッシャーを感じずに済む。『自分が何とかしなきゃ』じゃなくて、『一緒にもっと上を目指す』って感覚で戻れる」
桜木の目が、少しずつ上を向く。
「でも、それって……最悪、二学期とか、もっと先になっちゃうかもしれないですよ?」
「安心しろ。まずは山岳に勝つ。その上で、俺のコネを使って強いチームと練習試合を組む」
「コネ……?」
「上手くいきゃ、夏前には“結果”ってやつを形にできる。そしたら、先輩だって戻りやすいだろ」
「……なるほど!」
桜木の顔に、ようやく光が戻る。
「確かに、それなら先輩も“置いていかれた”じゃなくて、“混ざりたい”って思ってくれるかも!」
(よし、ひとまずは落ち着いたな)
俺は肩の力を抜きつつ、前から気になっていたことを切り出した。
「でさ、桜木」
「はい?」
「どうやって俺の住所、知った?」
「単純ですよ。SPにつけてもらったんです」
「……えす、ぴー?」
背中に冷たいものが走った。
SP。
琴音の時にも聞いた単語だ。斉京グループの子息・令嬢につくプロの護衛。
「SPって……お前、どこのお嬢様だよ」
「内緒です。でも、便利ですよ?『あのコーチの行き先、調べてください』って言ったら、すぐ教えてくれました!」
「便利すぎんだろ……」
頭の中で最悪の繋がりが完成しかける。
(……斉京の“身内”か?)
胸の奥がざわついた。
思わず、水を残り一気に飲み干す。冷たさが頭まで駆け上がる。
落ち着け。感情で決めるな。確認だ。
「桜木」
「はい?」
「斉京グループって、知ってるか」
「知ってますよ。サッカーチームがすごく強いところですよね!」
「あぁ。じゃあ、こういう噂は?」
俺はわざとらしく、以前コーチが笑い話みたいに言っていた言葉を口にする。
「“斉京の寵愛を受ければ、プロへの道が確約される”」
「えっ!?そんな話があるんですか!?」
桜木は、目を輝かせた。
そこに恐れも嫌悪もない。ただの“情報初耳”の反応。
(……少なくとも、“中の人間”ではねぇな)
胸の中で、大きく息を吐く。
斉京の人間なら、この話を振った瞬間、顔色が変わる。議論モードに入る。俺の元所属の話題だからな。
「まぁ、噂だ。真に受けんな」
「は、はい……」
「で。話は戻るが――」
俺は立ち上がり、玄関の方を指す。
「そろそろ帰れ。夜遅くまで女子高生を部屋に置いといたら、俺が社会的に死ぬ」
「私は帰りませんよ」
「……は?」
「お願いがあって来たんですから」
さっきので終わりじゃなかったのかよ。
桜木は椅子から降り、トテトテと俺の正面まで来ると、勢いよく頭を下げた。
「豆芝さん、いえ――師匠! 弟子にしてください!」
脳内で、どこかの芸人の声が聞こえた気がした。
(ちょっと待てちょっと待てお姉さん)
「……弟子?」
俺が復唱すると、桜木は満面の笑みで両手を合わせる。
「はい!私、豆芝さんのシュートセンスに惚れました!」
目が本気だ。冗談じゃない。
「遠距離から、あんな狭いマーカーにボール通し続けるなんて、FWとして見逃せません!あの技術、どうしても欲しいんです!」
そう言うや否や、カバンからごそごそと財布を取り出し、諭吉を五枚、ぴらり。
「お金はいくらでも払いますから!是非!私のために時間を使ってください!」
「待て待て待て!」
俺は慌てて手を振った。
「なんでいきなり個人契約なんだよ。五万ってお前……」
破格だ。普通なら即受け入れる条件だ。
でも、頭の中では別の警報が鳴っていた。
(ここで金銭契約なんか結んだら、あっという間に“変な関係”にされる)
もしこの先、大会で実績を残したとして。
パパラッチに練習風景を抜かれ、「夜な夜なコーチと秘密練習するキャプテン」とか見出しを付けられた日には――
復讐どころじゃなくなる。
こっちが“悪役”にされて終わりだ。
(でも、桜木にあのシュートを教えないって選択肢もねぇ)
俺の得意なゾーンシュートを、桜木が覚えたら。
チームの得点パターンは一気に増える。
リスクとメリットを天秤にかける。
数秒考えて、答えを出した。
「分かった。お前を弟子として見てやる」
「本当ですか!?」
「ただし条件がある」
俺は諭吉を押し戻しながら言う。
「金は受け取らない。金銭的なやり取りは一切なし。俺とお前は“教え合う関係”だ」
「教え合う?」
「そうだ。俺はお前にシュートと戦術を教える。その代わり、お前は自分のボディフェイントと視線の使い方を、俺に全部渡せ」
桜木がきょとんとする。
「私が……豆芝さんに教えるんですか?」
「あぁ」
俺は頷いた。
「俺は今コーチやってるが、将来的には“選手”に戻るつもりだ。お前の技術は、そのとき俺の武器になる」
「へぇ~~!」
桜木は嬉しそうに目を輝かせる。
「じゃあWin-Winですね!……あ、でも、以前どんなチームにいたかくらい教えてくれてもいいんじゃないですか?」
やった。自分で墓穴掘った。
(バカか俺は)
「……秘密だ」
短く切る。
ここで“斉京ビルダーズFC”なんて単語を出した瞬間、どこから情報が漏れるか分からない。
実際、俺は小学生のころに一回裏切られている。
酒臭いスカウトに、気軽に情報を渡した結果がアレだ。もうごめんだ。
「えぇ~~教えてくださいよぉ~~」
桜木は拗ねた顔のまま、俺の二の腕に頬をすり寄せてきた。
「な、何して――」
「師匠の過去、聞きたいです~」
柔らかい感触と、シャンプーの匂い。
理性を削る要素のコンボだ。
(可愛い。正直、めちゃくちゃ可愛い。撫で回したい)
だが、ここで揺らいだら終わりだ。
俺は復讐のために生きてる男。童貞くらい誇りにしとけ。
「ダメなもんはダメだ。諦めて今日は帰れ」
そっと肩を押して距離を取る。
「えぇ~~今日から練習させてほしいですよぉ~~」
桜木が目をうるうるさせてくる。
あざとさフルスロットルの“童貞キラー”ムーブやめろ。
「また明日からな。今日はもう――」
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「……また誰かかよ」
俺は後頭部をかきながら、モニターを確認しようと歩き出す。
その瞬間。
「隙ありっ!」
「はっ!?おい、やめ――!」
桜木が、俺を押しのけて玄関へダッシュ。
ガチャ、と鍵を外し、そのままドアを開け放った。
(お嬢様のする動きじゃねぇ!!)
止める間もなく、外の空気が部屋に流れ込む。
そして、ドアの向こうに立っていたのは――
「お久しぶりですね、豆芝さん」
サッカージャージ姿の
「久しぶりどころか今日ぶりだろ。……てか、お前までなんでここ知ってんだよ」
「決まってるじゃないですか」
相馬は当然のように汗を拭い、にこりと笑う。
「桜木が乗ってきた車を、必死に走って追いかけました。ほら、ジャージ、汗びっしょりでしょ?」
胸元から裾まで、確かにぺたりと張り付いている。
そこにトレーニング用のシューズバッグ。
玄関の内側を見ると――桜木の足元にも、見慣れたトレシュー。
「……お前ら、その靴」
「決まってるじゃないですか、豆芝さん」
相馬は靴紐をほどき、くるりと袋をひっくり返した。
中から転がり出てきたのは、ボールとマーカー。
俺は悟った。
(こいつら……)
見事にはめられた。
「さぁ、師匠!」
桜木が満面の笑みで手を挙げる。
「練習、しましょう!!」
「ふざけんなお前らぁぁぁぁぁぁぁ!!」
女子高サッカー部、ブラック企業化計画。
俺のプライベートタイムは、この日をもって正式に消滅したのだった。
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